それを知るのは遅すぎた
奥村真広が先導し、蒼汰たちは到着したタイムマシンに向かう。
急かされるように全員が搭乗口をくぐったところで、蒼汰がこちらを見つめる視線に気が付く。
「遅くなって本当に済まない、随分と苦労をかけたな」
搭乗した蒼汰への、開口一番の謝罪。
「いえ大丈夫です、諜報長官」
座席を立って出迎えた諜報長官の責任痛感に対し、蒼汰はすかさずフォローを入れる。
諜報長官は現在多忙な時期にいる。
こうして新しいタイムマシンを手配し、ここまで届けてくれたことには感謝の念しかない。
「さあ席についてくれ。時空間航行路に突入し、安定航行に入ってから話をしよう」
諜報長官に促され、全員が空席を見繕う。
魔導兵器は放置、破壊された建物もそのまま。
そして亡くなったであろうスラム住民に手を合わせることもせず、蒼汰たちはスラムを後にしようとしていた。
真広や諜報長官が何やら急いでいることは分かる。
だが、スラムに爪痕を残すことになった当事者である蒼汰たちは早々に撤退。
彼らに何の弁解もないまま、タイムマシンの搭乗口が閉鎖された。
ふわりと船底が持ち上がり、上空に展開された時空間航行路のゲートに向けて上昇を始める。
あくまで、幾億存在する世界のたった1つ。
その中でもほんの一握りの人間の不幸などに構っていられない。
そういうことなのだろう。
蒼汰にとっては複雑な心境である。
蒼汰は手ごろの座席に目星を付ける。
あの3体の魔導兵器の襲撃を受けた後だ。
重圧なプレッシャーに晒され続けた蒼汰には、肉体的精神的疲労がのしかかっていた。
倒れこむように座席に身を沈め、凝り固まった全身にから力を抜いていく。
窓から覗く灰色の空。
昇った太陽もすっかり雲に隠れ、再び陰鬱とした空模様に様変わりしていた。
そんな風景の中、徐々に遠くなっていく地表に焦点を合わせる。
そこには破壊されたスラム街があり、今でも3体の魔導兵器の亡骸が鎮座している。
戦闘の爪痕も放置されたその場所で、生き残った人々が慌ただしく動き出していた。
家族を探すもの。
生き残りの救出を手伝う者。
泣き崩れる者。
惨状を前に呆然と立ち尽くす者。
日々の暮らしを一瞬にして奪われた住民たちの現実への向き合い方は十人十色だ。
蒼汰たちも被害者の1人。
いや、今回狙われたのは蒼汰である。
蒼汰がいたからこそ、魔導兵器が投入されたことを前提にすれば、蒼汰は加害者側なのかもしれない。
渦巻く感情の中、蒼汰は去り行くスラム街から目を反らさない。
神の戦争に巻き込まれてしまう人々は、蒼汰が助けるべき人間である。
『ゼネラルメビウス』に招待し、そこで平和な生活を送って欲しい。
今は彼らの生活を脅かしてしまったが、いずれ必ず。
決意を胸に秘め、蒼汰の瞳に強い色が光る。
スラムの人々1人1人に視線を向けるようにしていたところ、1人の少女と目が合った。
蒼汰の行動が功を奏し、タイムマシンを、いや蒼汰自身を見つめる瞳と邂逅することができた。
集う住民たちから離れた場所。
スラム街の端に佇む1人の少女の姿を視認した。
黒色の長髪を流し、まっすぐ上昇していくタイムマシンを見上げる少女。
あの藤ノ宮麗が、蒼汰の乗るタイムマシンを見つめていた。
目を見開き、思わず窓に張り付いた。
蒼汰が自分の視線に気が付いたことに気が付き、地表にいる麗がハッとした表情を見せる。
「――藤ノ宮!」
蒼汰が叫んだ時、タイムマシンは時空間航行路に突入していた。
ゲートに呑み込まれるタイムマシンを見て、窓の向こうの麗は手で口元を押さえる。
それが、2022年5月の時間軸に見た最後の姿。
そう、その時間軸の麗の最期の姿である。
「――君たちがタイムマシンで異世界転移した後、起こったことだ」
時空間航行路に突入し、沈黙が流れること約1分。
重い腰を上げ、諜報長官が会話の火蓋を切った。
何が起こったのか、それを勿体ぶるように間が開いていく。
だが諜報長官の表情からいって、朗報ではない報告であることは手に取るように分かる。
「世界の崩壊が、私の世界にも及び始めたんだ」
真広とエーデルワイスを除く、その場の全員の表情が曇る。
その可能性に気が付かないわけはない。
いずれ来るだろうと思っていた未来、それが今来ただけなのだから。
「急かして悪かった。一刻も早く藤ノ宮を奪還し私の世界を脱出しなければ、君たちも世界の崩壊に巻き込まれてしまうからな」
淡々と語る諜報長官。
神とその世界は一心同体。
世界が崩壊すれば、もれなく神も命を落とす。
自分の死を他人事のように話す諜報長官は、さらに言葉を紡ぐ。
「その世界に崩壊について、君たちに知ってもらいたいことがある」
本題に映り、全員が再び気を引き締めた。
「今までは神が増え、彼らの管理する世界が増殖し過ぎたことが原因と考えられてきた」
蒼汰の世界、麗の幽閉される世界は全てこの世――ファルネスホルン聖域に集約されている。
聖域内に世界が物理的に散在しているというわけではなく、聖域がハードディスクのような役割であり、その中に情報としての世界が保管されているようなイメージである。
「ファルネスホルン聖域の所謂容量が限界を迎え、容量を確保するために情報を抹消するという聖域の作用が働いた」
それが世界の崩壊である。
「それは間違ってはいない、正しい理論だったのだが……」
諜報長官の話しぶりに暗雲が差し込める。
敗北感を感じさせる諜報長官の声音に、その場の空気が様子を変える。
「……最近の研究によって新たな事実が判明した」
一呼吸おいて絞り出した言葉に、蒼汰たちが総じて喉を鳴らす。
「元々、世界の崩壊が観測されて以来、ある議論を続ける学会が存在した」
勿体ぶるように結論ではなく、過程から語り始める諜報長官。
蒼汰は新たな事実の詳細を今か今かと渇望し、その言葉を待つ。
「その議論は、いくら神が増え、管理する世界が増えようとも到底容量不足にまでは至らないというものだ」
その説はファルネスホルン最高評議会が守ってきた考え方に対し、真っ向から対立するものである。
「そして判明した事実は、結果として学会の説を裏付けることにもなったのだ」
つまりその事実は、学会の出した説に沿ったものである。
ファルネスホルン聖域の容量不足の最大要因は単純な世界の乱立ではない、と。
「その……事実というのは……」
誰もが嫌な予感を抱いている。
そんな中、蒼汰が先陣を切ってその予感の答え合わせに踏み切った。
諜報長官は蒼汰の詳細説明要求を前に、一度口を結ぶ。
口に出すのも恐ろしいとでも言いたげな表情を浮かべるも、怠惰を振り切って伝える努力を成す。
「――平行世界理論」
たった一言。
平行、世界、理論――たった3単語が結集しただけの言葉だった。
しかしそれは、神の常識を覆すだけの重く強い意味を持っている。
「平行世界、ということはつまり……」
蒼汰がさらなる詳細を求む。
「分岐した世界が無数に生み出され、それが聖域の容量圧迫の大部分を占めている、そういうことだ」
誰もが1度は考えたことがあろう。
あの時こうしていれば運命が変わっていた、今とは違う人生を送っていたという妄想を。
頭の中でしか思い描けなかった、もう1人の自分のいる世界。
諜報長官は、そのような想像上の世界の存在を明言した。
「分岐世界は理論上、人の行動によっていくらでも生み出される――」
――極論を言えば二手に分かれた道があるとして、右へ行った世界線、左へ行った世界線という2つの平行世界が生み出される。
続けられる諜報長官の説明。
「神は何億も存在し、管理された世界も幾億を超える。だが幾億存在する世界がそれぞれ、多量な平行世界を抱えているとしたら?」
そして平行世界の平行世界が誕生し、その後も樹形図のように分裂していったとしたら?
「実際、私の管理している世界は1つだけのはずだった。だが裏では平行世界が大量に膨れ上がっていた」
神は、それを知るのが遅すぎたのだ。
世界の崩壊は止まらない。
こうしている間にも、一体いくつの平行世界が生成されているのか。
人間の感覚では推し量れないほどに強大な現実が、蒼汰たちに圧し掛かる。
すでにそのことを知っている真広は諜報長官の言葉に耳を傾けているだけだが、その他の者は違った。
ヘスティア、幸奈、エーデルワイス。
世界の崩壊という危機を肌では痛感したこともなく、それを理解しても実感をすることがなかった女性たち。
諜報長官が自分の死を他人事のように話していたのと同じだ。
彼女たちも、世界の崩壊をどこか他人事のように思っていた。
だが実際は、自分たちの行動によって平行世界を乱立させてしまっていた。
それが世界の崩壊を、何人もの人々の全てを奪うことに関与していた。
「――吉野蒼汰君、君が『ミコト研究機関』で狗神もえかを救出した際にも平行世界は生み出された」
そうだ。
蒼汰も例外ではない。
「たまたま観測できたのだが、クローンが亡くなった後に増援のハンターが投入された、そういう平行世界も存在する」
蒼汰に刻まれた記憶では、クローンのもえかが息を引き取った後に追加のハンターは投入されなかった。
だが同時に、投入された世界線も存在した、そういうことだ。
意気消沈。
その表現が最もよく当てはまるタイムマシンの中で、諜報長官は話を止めない。
「特に、大天使に関してだが」
まだ話しておかなくてはならないことが残っている。
時空間航行路を抜け、新たな時間軸にたどり着く前に話しておきたい。
「大天使を取り巻く世界線が、最も大きな容量を占めている」
――それが、平行世界理論に関する最も危惧すべき課題だ。
「その中でも特に大天使の能力を発動した際に形成される分岐世界は、何よりも重く大きい……」
今まで、蒼汰は洗脳を使い死線を潜り抜けてきた。
世界を創る目的のため、火の粉を振り払うために使ってきた。
しかしそれは、同時に世界を破滅させるだけの副作用を持っていたのだ。
息が詰まる。
脳内で反芻する諜報長官の言葉を理解しているが、その理解を今すぐにでも否定したい気分だった。
「……気持ちは分かる。だが君は現実を受け止め、これまで通り『ワルプルギス文書』の回収に努めなくてはならない」
諭すように蒼汰に語りかける。
知っていても知らなくても現実は変わらない。
それからしばらくの間、誰1人として口を開かず沈黙が続いた。
本当に、それを知るのは遅すぎた。