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スラムへの帰還

 目が覚めた時、辺りは暗がりだった。

 窓から小さな光が差し込んではいるが、照らされているのは僅かな面積だけだ。


 意識が覚醒し、まず初めに感じたものは痛みだった。

 顔に集中した痛みは眠気を吹き飛ばし、二度寝の妨害をする。


 もはや寝る気も起きない蒼汰は静かに上半身を起こした。


「……藤ノ宮」


 探し求めた少女に馬乗りにされ、殴打され続けた蒼汰。

 そこから先の記憶はない。


 あれから何時間経ったのだろうか。 

 麗と出会った時は太陽が昇っていたが、今は窓の外は暗くなっている。


 もう十分に休んだ。

 もう一度彼女に、麗に逢いたかった。

 

 蒼汰は体の上に被せられた布を退け、立ち上がろうと体勢を整える。


 ――ん?


 ――布?


 その異物に手を這わせる。


「……掛け布団」


 蒼汰が倒れた場所にはなかったはずの掛布団。

 肌ざわりこそ悪いが、泥や砂塵の気配もない。

 少なくとも、雨風受ける外に放置されていたものではないことが分かった。


 暗がりの中で目を凝らし、周囲を見渡す。

 棚やベッドの類の影が浮かび上がり、カビの臭いに混じって微かに消毒液の香りも感じられる。


 ここは医療関係の室内である。

 そしてその部屋で、蒼汰はベッドの上に寝かされていた。


 蒼汰の思考がごちゃごちゃに暴れ回る。

 麗によって気絶へと追い込まれた蒼汰が、なぜかベッドの上に寝かされていた。


 情報が足りない。

 今いる場所も、何もかも謎に包まれた状況。

 とりあえずここがどこか知る必要があった。


 先ほどよりも夜目に慣れた蒼汰が再び周囲を見渡す。


 暗闇の中で、より鮮明に映る風景。

 その中に存在するベッドの上に、何者かの人影が紛れていることに気が付いた。


「――ヘスティアさんに、胡桃沢、エーデルワイスさん」


 蒼汰と同じタイプの複数のベッド。

 そこに横たわっていたのは、紛れもない蒼汰の仲間たちだった。


 聞こえてくる寝息は静かである。

 時空間航行路を抜けた時のような呻きもなく、安定した睡眠状態であることが感じられた。


(3人のいる医療院ってことは……)


 蒼汰は使い古されたベッドから腰を上げる。

 電灯もない部屋を進み、段ボールで補強された壊れかけの窓から覗く光を頼りに玄関へと向かった。


 ドアノブに触れ、ゆっくりと扉を解放した。


 涼し気な風が舞い込み、外の景色が視界に広がっていく。


 微かに昇る太陽。

 それらに照らされた街並みを目にした。


 そこは、最初に蒼汰が訪れたスラム街だった。


 蒼汰が気絶した場所は、このスラムがある廃墟街の隣の廃墟街である。

 自分で帰ってきた記憶もない。


 混迷する思考の蒼汰。

 朝早くから医療院の前で呆ける彼に、近づいてきた男性が声をかける。


「――坊主!」


 反射的に振り向いた。

 未だに帰還の謎の余韻に浸る蒼汰の近くに、筋肉質な見覚えのある男性が立っていた。


「……昨日のスラムレジスタンスの」


 腰に拳銃を携行し、朝からスラム内を巡回しているレジスタンスの男性。

 彼は蒼汰が反応を返すや否や、表情に華を咲かせて口を開く。


「おいおいまだ朝方だ、もうちょい寝ててもよかったんじゃねえか?」


 そう言いつつ蒼汰の背中をバシバシ叩く。


「い、痛いですから……」


 本気で痛がる蒼汰に対する遠慮も悪意もない張り手。

 レジスタンスの男性は腕力で蒼汰を圧倒していたが、気が済んだように手を止める。


「……お前さんが戻らないから、スラムレジスタンスで連れて帰って来たんだ」


 真剣な表情で蒼汰に語りかける。

 

「連れて帰ってきた……隣の廃墟街までですか?」


 帰りの遅い蒼汰を、彼らが廃墟街まで迎えに来た。

 元々麗を説得できるまで帰らないつもりでいたが、それが逆に彼らに心配をかけたのか。

 

 あそこは最近でも戦闘が行われた地域。

 さすがにその場所まで行った人間が、戻る気配がなかったら心配もする。

 大切な仲間を救いに行く目的があったとしても例外なく。

 

「ああ。顔中殴られたような痣だらけだったもんだから、夜勤中の医療院に担ぎ込んだんだ」


 ああ、やっぱりか。

 麗に拳で殴られた痕。

 麗の拳から血が出るほどの強打を受けた顔だ、さぞかしひどい傷跡だったのだろう。


「ただ、顔の数か所にかわいい絆創膏が貼ってあったぜ」


 ――絆創膏?

 

 そんなもの貼った記憶もなく、それどころか所持すらしていない。


「お前のことをぶん殴った奴が治療したんじゃねぇか? 絆創膏を貼るくらいなら殴るなって話だけどよ」


 蒼汰は頬を擦る。

 今では新しくガーゼが貼られているが、それまではかわいい絆創膏が貼られていた。


 それを成した少女を想い、蒼汰は静かに思考に浸る。

 

 ――藤ノ宮がこれを貼ってくれた、のかな?


「お前を殴った奴……もしかして日本支部にいる知り合いか?」


 男性が、蒼汰の目に浮かんでいる少女を言い当てた。

 昨日の昼間、藤ノ宮玄との会話で蒼汰の目的が『レジスタンス日本支部にいる知り合いに逢うこと』であるということは知れ渡っている。

 そして単身日本支部のアジトが存在する隣の廃墟街に乗りこんだ。

 

「――はい」


 即答とまではいかないが、はっきりとした口調で言い放った。

 

 麗の説得に失敗したことが脳内を過ぎり、落ち込みが応答を遅らせた。

 だが蒼汰は麗の気持ちに気づくことができた、気づくことができたから、今度はやれる。

 その切り替えがはきはきした口調を生み、蒼汰の意志の強さを垣間見させる。


 蒼汰の表情と口調を吟味した男性。

 満足そうに口角を上げ、再び蒼汰の背中を叩く。


「何があったかは聞かないし、俺は干渉もできない。だが応援はしてるから頑張れよ少年」


 先ほどよりも強い平手をくらわし、男性は手を振りながら去っていく。

 

 応援するのに強打は必要はない――とは言えず、蒼汰は無言で背中を見送る。

 だが強肩な平手打ちに悪意はなく、蒼汰を応援したいという気持ちは痛いほど伝わった。


 太陽も徐々に顔を出し、スラムに差し込む朝日が光量を増す。

 ところどころから扉の開く音が聞こえ、スラムの1日が始まろうとしていた。

 

 陽の光に目を細めていた蒼汰の中で、彼女が目を覚ます。


『――蒼汰様』 


 大天使。

 透き通った声音が、脳内に直接伝わる。


『――これから藤ノ宮麗に逢いに行くのですね』


 蒼汰の思考は彼女にも伝わっている。

 蒼汰が気を失い再び目覚めた時まで、結構な時間が経っている。

 

「うん、これから向かうつもり」


 蒼汰はこれから、再びこの時間軸の藤ノ宮麗と相対する。

 

 蒼汰と麗の距離には深い隔たりがあるのが現状だ。

 それを狭めていき、いかに彼女の心を開かせるかにかかっている。


 昨日の失敗を経て、蒼汰は昨日にはなかった知識を得た。

 

 彼女が自分を救い出して欲しいと願っていることは、既に分かり切っている。

 それに加え、彼女は自身の境遇を誰かに共感してもらいたいとも思っている。


「過去を変えれば未来は変わる。藤ノ宮の人生がいい方向に向かってくれるように矯正するのが、僕の役目だよ」


 過去の出来事によって堕ちていった人生。

 過去の時点でその出来事にテコを加え、完全とはいかなくとも、少しでも良い方向へとアシストするという手段。

 

 蒼汰の瞳は真剣そのもの。

 異論反論を並べようとも、その意志は決して揺らぐことはないだろう。

 

 顔の痛みは引いていない。

 足取りに覇気はなく、どこか重そうに体を支えている。


 体調は万全ではなく、むしろ悪い方向に留まっている。


 それらのハンデを無視し、蒼汰は一歩踏み出した。


『――蒼汰様』


 何かを伝えようと、大天使は声をかける。


『――時空間航行路のゲートが開かれました』


「……ゲートが開かれたってことは……」

 

『――魔力を動力源とする、大型の機械反応を感知』


「大型の……機械……」

 

 それも、魔力を動力源としたものである。

 蒼汰は思考を巡らせた。

 彼の記憶を辿る限り、大天使が示すものは1つしかない。 


「――新しいタイムマシンが来たの?」


 もう少し時間を必要とすると思っていたが。


『――大型機械反応、スラム上空』


 大天使の追加報告に、蒼汰は嘆息を漏らす。

 スラムに降りてくるとなれば、起床した住民たちに目撃される。

 昨日、仲間たちを墜落したタイムマシンからスラムに搬送する際にも、救護班にしつこく聞かれたくらいだ。


「……」


 タイムマシンが到来した。

 スラムにいる蒼汰たちに送り届けられたのである。


 いや、待って欲しい。

 新しく投入されるタイムマシンは、墜落したタイムマシンのビーコンを追って来ているはずだ。


 墜落現場は、このスラム街の存在する廃墟街の外。

 蒼汰たちが今いる場所から、それなり距離があるところでビーコンが発信されてたはずなのだ。


 故にこのスラムにタイムマシンが到着する可能性などないに等しい。


『――避けられない運命が、この世界にも影響を及ぼし始めています』


 いつものように響き渡る、抑揚のない大天使の声。 

 

『――そして、それに翻弄された黒幕は焦燥感に駆られている』


 抽象的に語る大天使。

 蒼汰にだけ聞こえる彼女の息が、僅かに激しくなった。


『――ゲートをくぐったのは、タイムマシンではありません』


 彼女がタイムマシン到来を否定した。

 それを受け、蒼汰の表情に鬼気迫るものが浮かび上がる。


『――体勢を低く!』


 急激な口調の尖り。

 大天使の絶叫を受け、反射的に蒼汰は腰を落とした。


 それとほぼ同時に、天空より飛来した重量物がスラム中央に着陸する。


 減速も知らない速度で落下した物体。

 建物を踏みつける形で、地面に落下エネルギーを叩き込んだ。


 粉砕される建造物。

 建物を倒壊させる衝撃波。

 

 それらはスラムの住民を叩き起こすだけの轟音を響き渡らせた。


 舞った粉塵が空気を汚し、茶色の霧が落下地点から蔓延し始める。


「いきなり降ってきた……」


 体勢を低くし、衝撃による転倒を避けた蒼汰。

 ここからでも視認できる土煙。


 徐々に膨らむ土煙。

 それから数秒後、煙の中で変化が訪れる。

 うごめく光が点滅し、重厚な駆動音が鳴り響く。


 この世界に牙を立て始めた運命。

 それに振り回された黒幕が、直接的な行動を開始した。


 徐々に粉塵が重力に従って高度を落としていく。

 レーダーの視界が開け、医療院の前にいる人間の反応を感知。


 それが吉野蒼汰であることを確認した重量物が、武装の安全装置を外して戦闘態勢に移行した。

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