新たな時間軸へ
『――あっ、蒼汰にもえかちゃん、一緒に下校?』
思い起こされる過去の記憶。
大天使の発現どころか、存在すらしなかった頃の記憶である。
(昔の夢かな……)
確か、蒼汰はタイムマシンに乗って時空間航行路を通っていたはずだ。
そこで敵の魔法使いの襲撃に遭い、意識を失った。
『2人って、やっぱり付き合ってるんじゃないの?』
夕焼けの空の下、蒼汰ともえかをからかう口調。
2人の表情が揃って困り顔になり、それがからかいをヒートアップさせる。
『うーん。2人を昔から見てきた私としては、進んだ関係の2人を見てみたいな――ね? もえかちゃん』
彼女に名指しされたもえか。
耳まで蒸気した顔を背け、恥ずかしさのあまり制服のスカートを握りしめる。
『いや、付き合ってるわけじゃないよ』
すっかり固まってしまったもえかをフォローするように、蒼汰が口を開いた。
目の前にいる蒼汰がそう言ったのだ。
(あれ……どうして)
この夢を見ているのは蒼汰である。
いつもであれば、蒼汰の1人称視点から見ている夢であるはず。
でも今回は、自分自身を外から見ている。
『そっか……でもね、2人が1歩足を踏み出せない時は、私が2人の背中を押してあげよっか?』
誰かの口から吐き出された言葉は、2人のキューピッドの矢になる宣言であった。
風に吹かれた茶髪を押さえ、自分ともえかに向き合う女性。
蒼汰は自分を含む3人のやり取りを見つめる。
『――これ以上言うと2人が本気で困っちゃうからやめるね。ところでもえかちゃん、いつかまた家においでね? ご飯御馳走するから』
変わることのない柔らかな微笑み。
『あ、はい。その時は御馳走になります』
気の置けない間柄であるからできる、こうしたやり取り。
大天使を取り巻く戦争の渦中にいる今、もはや失われた日常の形である。
純粋な笑顔のもえかとは反対に、自分が意地悪めいた微笑みを浮かべていた。
何やら嫌な予感がするが、その予想は見事的中する。
『――ところで、僕たちにいろいろ言ってくれたけどさ、そっちはどうなの』
先ほどの話を蒸し返す自分の質問。
(ああ……こんなこともあったな)
自分の追及により、女性が心なしか一歩後ずさる。
まさかこんな反撃をされるとは思っておらず、軽く構え過ぎていたのだろう。
『この前大学の近くで、男の人と一緒に歩いてるところ見ちゃったんだけど……あんな表情をした姉さんを見たことないし』
小悪魔じみた事実確認を展開する自分。
その隣では、再びもえかの困り顔が目に見えた。
『わ……私の方は順調だよ!!』
『順調って、どういう風に?』
『……私先に帰ってるから、蒼汰も遅くならないようにね?』
自分の追及を無視し、一方的に話を切り上げる。
そして逃げるように踵を返し、自分ともえかから離れていく。
自分ともえかも帰路に戻り、その場は解散となった。
これまでも、蒼汰は何度かこうした夢を見ることがあった。
だが、今回のようにここまで鮮明なものは見たことがなかった。
本当に夢なのか、それすらも危うくなってくる。
だが、夢でなければ何なのだろう。
いや、そういえば――
蒼汰は異質な異空間で意識を失った。
時空間航行路特有の超常現象だとしたら?
単なる夢か、もしくは時空間航行路の何らかの作用か。
そう考えていくうちに、徐々に夢の中の意識が遠のいていく感覚に浸っていく。
結局この夢は何だったのだろう。
ただ、根拠があるわけではないが――
この夢が蒼汰にとって、失ったものを取り戻すことに関係しているのではないか。
あまりにも抽象的過ぎるが、そう思ったのだ。
夕焼けの空が消え、視界が暗く染まっていく。
現実へと戻されながら、蒼汰は自分たちをからかった女性のことを思い出す。
長らく声も聴くことができなかった女性。
彼女は紛れもなく、蒼汰の姉である。
あらゆる人の記憶から消され、その存在の痕跡までも失われた姉。
それでも、蒼汰は彼女を覚えている。
彼女のことを忘れたりしない。
いつか必ず真相を突き止め、もしも生存が確認されたのならば――
救いに行く、そう決めている。
「――うわっ!?」
現実へと舞い戻った瞬間、蒼汰の体がおおきく揺さぶられる。
赤い光の点滅。
鳴り響く警報。
絡まり合う異常事態が、眠っていた蒼汰の頭を覚醒させていく。
「――蒼汰君! 蒼汰君!!」
蒼汰の手を誰かが掴んだ。
「とても揺れてますから、私に掴まって!!」
そのまま腕を引かれ、蒼汰は彼女の腕に抱かれる。
「ヘ、ヘスティアさん……ありがとう」
蒼汰が見上げた先に、ヘスティアの深刻ながらも凛とした表情があった。
「意識を取り戻したばかりの蒼汰君には悪いのですが、非常に厄介な状況です……」
ヘスティアに抱かれながら、蒼汰は機内を見渡した。
ユキナとエーデルワイスは、それぞれ座席に掴まり衝撃に備えている。
敵魔法使いの姿はなく、戦闘の痕だけが残されていた。
「よ、吉野君! やっと起きた!!」
汗と焦りの混じった表情で声を挙げるユキナ。
「さっきの魔法使いの襲撃で、どこか壊れちゃったみたい!!」
「――タイムマシンのAIよぉ! さっきからAIのお口チャックが続いているのよぉ!!」
ユキナとエーデルワイスの言葉に、蒼汰の頬が引きつる。
全自動のタイムマシンの全てを司るAI。
それが自閉してしまえば、タイムマシンなどコントロールの失った鉄塊である。
だが問題は、それだけにとどまらない。
ヘスティアに支えられている蒼汰の耳に、苦しそうな熱い息遣いが降りかかる。
そして彼女の鼓動は早いリズムを刻んでおり、体調不良を如実に訴えていた。
「ヘスティアさん……?」
彼女に支えられ始めた時から、薄々感づいていた変化。
その変化が徐々に大きくなり、蒼汰の不安を促していく。
「……いえ、何でもありません」
ヘスティアの性格上、正直に吐露するとは思わなかった。
「でも、明らかに様子が……」
『――おそらく時空航行路による汚染だと思われます』
蒼汰の中の大天使が言葉を挟む。
(汚染!?)
『――本来ここは、生身の人間が耐えられるような環境ではありません』
――ですが機内と時空航行路を隔絶する搭乗口扉が破壊され、空間の持つ悪影響が機内に流れ込んだのでしょう。
(それじゃあ、ここにいるみんなは!?)
『――ヘスティア・シュタルホックス以下全員が同じ状況です。特にエーデルワイスが最も深刻な状況と言えるでしょう』
エーデルワイスは最初、機内に乗り込むことができなかった。
タイムマシンの表面に掴まって、全身を時空間航行路に晒していたこと。
それがおそらく、大天使の言う最も深刻な状況の所以であろう。
『――ですが、私は適応能力があります。そして私を有するあなたにも』
大天使からの告白。
言われてみれば、蒼汰は体を打った痛みはあるものの、彼女たちのような体調不良は見られない。
『――それからタイムマシンですが、現在のような挙動が収まることはないでしょう』
エーデルワイスが言っていた、AIが自閉し続けているのだと。
制御系を操るAIの停止。
その言葉の意味の残酷さに顔をしかめる蒼汰に、大天使が付け加える。
『――ですが、目的地に向かっていることは確かです』
蒼汰は視線を操縦席のスクリーンに転ずる。
AIが停止しているとはいえ、操縦基盤の全てに光が灯っているのが見えた。
スクリーンにも設定した『2023年11月』が表示されている。
『――AIが停止してしまっても、裏で別の自動操縦が始動する機能となっているようです。ですが――』
少し間を置き、逆接に続く言葉を紡ぐ。
『――それにも若干の不調が見られます。挙動が安定しないのはそのせいでしょう』
それも先ほどの戦闘の影響だろうか。
ヘスティア、ユキナ、エーデルワイスはタイムマシンへの損害を考慮して戦闘を行った。
だが相手の魔法使いはそんな配慮をしない。
連中は、自分たちも時空間航行路に投げ出される危険性を孕んだ執拗な攻撃を仕掛けたのだ。
(そこまでして僕たちを……)
何か理由がありそうだ。
蒼汰の働く思考が鳴りを潜めたことを確認し、大天使は再び会話を始める。
『――今できることは不時着が精一杯です。ですので着陸時の衝撃にご注意ください』
不時着、失敗すれば墜落。
不調があるとはいえ、自動操縦装置は生きている。
それが可能な限り安全な着陸を祈ること、そして衝撃に備えることしか蒼汰たちにできることはない。
「――みんな、今すぐ席についてシートベルトを!」
蒼汰は手ごろな座席に座り込み、腰にシートベルトを巻く。
彼女たちも各々着座し、シートベルトを装着した。
『――出口です』
時空間航行路にゲートが出現。
ゲートの口から淀んだ光が漏れ出した。
徐々に近づく、現実世界へ繋がるゲート。
そして開いた口に、タイムマシンが突っ込んでいった。
視界が開け、現実味のある空間が広がっていく。
ようやく人間の領域に到達したかと思うと、突然の衝撃がタイムマシンを襲う。
地面の上に船底が激突。
アスファルトや泥を磨り潰しながら、タイムマシンに減速の力が加わる。
長々と続く震動。
脳まで揺さぶる衝撃は減退し、微振動を経て停止した。
蒼汰はちらっと窓の外を見る。
動くことなく止まった景色。
割れた窓と舞い上がった土砂が、着陸時の衝撃の強さを物語っていた。
蒼汰はシートベルトを外し、操縦席のモニターを覗き込んだ。
時間移動の成功を示す文字。
蒼汰たちが今いる時間軸を、大天使が代弁する。
『――到着しました、2022年5月に』