ブリーフィング
ファルネスホルン最高評議会日本支部からの出頭要請。
もえかが見送る中、蒼汰はヘスティアと幸奈に連れられて行った。
その後、家の前に止まる黒塗りの高級車へと乗り込んだ。
最初は道路を走る振動をお尻で感じていた。
だがしばらくして、急に震動がなくなるかと思うと、今度は下降していく感覚を覚えたのだった。
車ごとエレベーターに乗せられ、どんどん地下へと潜っていったのだった。
そして車から出た時、蒼汰が見たものは摩天楼だった。
天井高くそびえ立つ建物が立ち並ぶ異空間。
『ミコト研究機関』と同等以上の容積を持つその空間は、慌ただしさに包まれていた。
息つく間もなく人々が動き回り、資材の受け入れや搬入に人手を割いていた。
その他、建造物群に隣接する広間ではタンクトップ姿でトラックを周回する男女が見えた。
おそらく軍隊であろう彼らは、小銃を携えながらひたすら足を動かし続ける。
その他完全武装の警備員が、抜け目のない警備態勢で目を光らせていた。
落ち着きのない雰囲気に流される中、蒼汰はファンタジックな様相を呈する建物へと足を運んだ。
案内役に付いて行き、幾重もの螺旋階段や空中回廊を抜けた。
そして、蒼汰一行はとある1室の扉を叩いたのだった。
「――呼びつけてしまってすまない、吉野蒼汰君」
仕事用デスクの前に蒼汰たちは整列し、今まさに蒼汰は日本支部の重鎮と向かい合っている。
ファルネスホルン最高評議会日本支部諜報課長官。
麗の上司であり、世界を管理する立場の神である。
互いに自己紹介を終え、彼らは来客用のソファーへと案内される。
「――もう聞いてるだろうが、藤ノ宮麗の奪還を目的とした異世界への乗り込みについて説明したい」
麗の名が出た時、蒼汰たちの空気が一層真剣さを増した。
「ことの発端は2週間前だ」
2週間前。
この場に召集された彼らには、思い当たる節しかない。
後藤と呼ばれるファルネスホルンの人間に、審問会を理由に麗が連れて行かれた日である。
「まず、藤ノ宮麗の仕事内容として毎日の定時連絡がある」
諜報長官は机の上に積み上がった書類に手を伸ばす。
それは、今までの麗との通信が全て記録された書類であった。
「このように、彼女と思われる人物からの連絡は昨日まで正常に行われている」
諜報長官はその中の一部、最新の交信記録を蒼汰に手渡す。
書類には、文字起こしされた麗との会話がびっしりと埋め尽くされていた。
「だが正確には、彼女からの定時連絡は2週間前に途絶していた」
蒼汰を含め、ヘスティアと幸奈の呼吸が一瞬止まった。
「そ、それではつまり……」
「ああ。昨日までの藤ノ宮は、高度に模倣された合成音声だった」
諜報長官の言葉を聞き、後藤に対する疑惑が一気に濃厚化する。
彼女の声音を合成し定時連絡を装うなど、通常は行われない。
裏に後ろめたい何かがあるからこそ、そのような行動に出たのだ。
「作り物で騙し通せると思っていたのなら最上級の能天気だ。彼女の言葉を聞き続けた私を騙すなど数世紀早いからな」
通信記録書類を横に退け、諜報長官は新たな書類を提示する。
「それから、後藤という男の身元を洗い出した」
最高評議会日本支部を中心にその他の支部、さらには本部にまで手が付けられた調査結果報告書。
「――結果、該当人物なし。後藤はファルネスホルンの人間ではないことが分かった」
蒼汰の両隣りに座るヘスティアと幸奈の目つきに鋭さが宿る。
あの時、明らかに様子のおかしい麗を無理やり連行した後藤への怒り。
「そして、後藤という男の正体が判明した」
諜報長官は、机の縁に手を伸ばす。
縁の一部が横にスライドし、中から現れたパネルを操作する。
「壁のスクリーンに目を移してくれ、後藤に関する調査結果に続いて、そのままブリーフィングを執り行う」
照明の光が落ちる。
続いて天井からスクリーンが下がり、机に備え付けられたプロジェクターに火が入る。
「――私の管理する世界に存在する日本人であり、反魔法使いの国際組織に対抗するレジスタンス日本支部のトップ……」
プロジェクターに映し出された男は、紛れもない後藤だった。
研究所で見かけた時と同じ服装をした後藤の写真が、スクリーンに表示されていた。
「それと、藤ノ宮がレジスタンスに属していたこともすでに分かっている」
「藤ノ宮が、レジスタンス……」
諜報長官の話から察するに、麗も後藤と同じ世界の住人。
つまり諜報長官の管理する世界の出身者ということになる。
その世界で、麗はレジスタンスの一員だったのだ。
おそらく彼女の確執は、そこで生まれたのだろう。
「そして日本支部の総力を挙げ、藤ノ宮の位置を特定した」
スクリーン上の表示が更新される。
「――藤ノ宮麗が私の管理する世界で確認された」
数桁のナンバーが表示され、その後にファルネスホルン登録という文字が続く。
おそらくこれは、それぞれの神が管轄する世界の個体識別番号であろう。
「私の世界の極東に位置する国――日本国、首都東京の郊外に彼女を存在が認められた」
諜報長官の言葉を受け、ヘスティアと幸奈の表情に決起が宿る。
麗の場所は絞り込めたのだ。
彼女を救い出さんとする使命感に燃え、2人の拳が強く握られた。
「その郊外に位置するのが、レジスタンスのアジトだ」
「レジスタンスのアジト……やはり藤ノ宮は、そこで監禁されているのでしょうか?」
監禁されているかどうかで、麗の心身の状態が左右される。
蒼汰は無事に彼女を救い出すことを重要視している。
だからこそ、実際のところの状況を知っておきたかったのだ。
「いや、少なくとも監禁はされていないようだ」
――居場所を突き止めた時には、彼女が普段通りの生活を送っていることが確認された。
「だが彼女の身が後藤に握られている以上、確実な安全など望めない」
再びスクリーンが操作される。
画面が切り替わり、新たに映し出されたものは、目を見張るものであった。
「う、宇宙船……?」
新たにスクリーンに表示されたものは、宇宙船と言っても遜色ない物体のデザイン画であった。
「これは異世界転移機能も備え付けられた、タイムマシンだ」
蒼汰たちの目が見開かれる。
タイムスリップなど、彼らが経験したことのある異世界転移とは別次元の概念である。
3人が呆気にとられる中、諜報長官は気にせずに話を続ける。
「指定した正確な時間に行くことはできないが、少なくとも過去にも未来にも行くことはできる」
「お……お待ちください、諜報長官殿」
口を挟んだのはヘスティアだった。
「麗が囚われている世界へ行くための異世界転移は理解しましたが、なぜ時間旅行が必要なのでしょうか?」
ヘスティアの質問は、蒼汰と幸奈も抱いていた疑問であった。
なぜ麗のいる世界に転移するだけであるのに、タイムマシンが必要なのだろうか。
その答えは、世界と世界の間に広がる障害の存在である。
「――神々が各々の世界を管理しているが、世界にとって時間の経ち方が違う。ファルネスホルン聖域も含めてな」
その返答を聞き、蒼汰の中で理解が進む。
蒼汰が過ごした2週間は、あちらの世界ではたった1日かもしれない。
だが今ここでこうしている間にも、麗のいる世界では何年も時が進んでいるという可能性もある。
「残念なことに、私の世界はこの世界よりも時間の流れが早い……彼女が囚われてから、すでに30年が経過しているからな」
ヘスティアと幸奈が絶句の表情を浮かべる。
彼女たちにとって、麗と顔を合わせていない期間は2週間。
だが麗にとっては、それが30年にも及んでいる。
つまり、彼女は30年間も後藤の手中に囚われているということだ。
蒼汰の背筋が凍る。
最後に見た麗の表情。
あれは、救いを求める顔だった。
だが、そんな麗を30年間も放置しているのが現実だ。
気がつけば、蒼汰はソファーから腰を上げて声を張っていた。
「――今すぐ!! 僕たちをあなたの世界に転移させてください!!!」
神が相手だろうが、蒼汰はお構いなしにかぶりつく。
「――分かっている、君が急かすのも織り込み済みだ」
蒼汰の反応を予想していた諜報長官。
「タイムマシンで向かうのは過去の世界。だが先ほど言ったように、指定した時間に正確に向かうことはできない」
たとえ過去の時代に行ったとしても、そこで出会える麗がいつ頃の麗なのか分からない。
蒼汰の理想の救出とは程遠いが、それでも現状とれる策はこれだけだ。
「続く説明はこのUSBに記録してある」
諜報長官が蒼汰にUSBメモリを渡した。
「――最後に2つ。私も一緒に行きたいところだが、現状かなり厳しいということだ」
蒼汰はその言葉を聞いても、表情を変えることはなかった。
諜報長官の対場を考えれば、直接現場に出向くことなど適切ではない。
加えて、蒼汰はもう1つの理由を知っている。
「現在ファルネスホルン最高評議会が準戦時体制に突入している。日本支部の諜報課長官として、留守にするわけにはいかない」
「……やはりそうですよね」
彼らは麗から、その手の情報を聞いたことがある。
そしてこの建物に入る前の慌ただしい光景。
あれも戦時に必要な物資を、急いで供給していたのだろう。
警備員の雰囲気もそれを物語っている。
「――それから2つ目に、私の代わりにサポート役をつける」
プロジェクターの光が消え、室内が明転する。
諜報長官の視線が入口扉へとスライドし、蒼汰たちもそれを追った。
廊下から響くヒールの足音。
ドアノブが鳴り、扉が開放される。
扉の向こうから、見えたのはまさしく純白であった。
「――ふふ、久しぶりぃ」
妖艶に響くねっとりとした口調。
ヒールを鳴らし、真っ白なドレスに身を包んだ女性が入室する。
「――君たちも知っているだろう。条件付きでファルネスホルンが身を預かる、エーデルワイスだ」
オルレアンの乙女。
かつて蒼汰たちと死闘を演じた女性。
ウェーブのかかった金髪を持つ魔法使いが、再び現出した。