Xmas・forever
10000文字ちょいあるので、お気をつけて。
手がかじかむ。寒さが際立つ季節が来た。
冬が深まるこの時期に、手袋もせずに、赤のままの信号を、後ろに群れる大衆と待つ。
向かいの信号機が赤に変わり、私――否、私たちは前へ向き直る。
幾度となく通ったこの通路ももう、あと少しで通れなくなってしまうかもしれない。そう考えると、少し悲しくなってしまう。
――センター試験まで、あと二十五日。
今年に入って、全ての色が勉強へと染まってしまった。
ころころと変わることのない、一つの色しかない。
今日を越せば、冬休みだ。――しかし、三年生にそんな余裕なんか、ない。残りの高校生活、全ての青春を勉強へと捧ぐ。
もう通り過ぎた信号機を、ふと見てみる。
そこにはもう後戻りの聞かない、赤信号がこちらを見ていた。
――私の通う学校は、十二月二十五日、火曜日に終業式を行う、周りと少し変わった学校だ。もちろん生徒たちはそのことに慣れてしまってはいるが。――一年を除いて。
登校早々、ストーブの付いていない冷たい教室から体育館への移動を教員に促されて、靴を履き替え、体育館にきっちりと整列する。
三角座りで先生方の到着を待つ。
直に、いくつかのストーブが音を上げ勢いよく燃え始める。その音に皆の緊張が緩くなる。
まだその温度は誰一人に届いていない。それなのに、ここまでの安心を感じさせるストーブというのは、とても素晴らしいと思う。
我が高校の校長先生が登壇し、話を始めた。きっと誰一人マジメになんて聞いていないのだろう。
この後何しようとか、冬休み何しようとか、そんなことばかり考えているのだろう。かく言う私もその類の人間なので、注意なんてことは出来ないけれど。
少しぐらいいいじゃないか。私にだってそれくらいの権利はあるはずだ。
心の中で謎に胸を張り、それを起立の合図でリセットされる。
頭を下げ、もう一度座る。
やっとこさ校長の話が終わった、まだまだ先の長い終業式。楽しいことなんてないんじゃないか、そう思う人が大概だろう。私も、半分はその気持ちだし。
――でも、もう半分は……。
「あ……」
――笑った。
二列左にいる、同じクラスのとある男の子。彼が笑うと、私の顔が赤くなるのを感じる。
つい、顔を下げてしまった。周りに変に思われているとか正直どうでもいい。
――確かに今、一瞬、本当に一瞬、目があった。と思う。多分。
思う度に不安になるけれど、本当でも嘘でもいい。私の妄想、または目に感謝する。
恐る恐るゆっくりと顔を上げてみる。
ちょうど光が差して、そして目が慣れる。
その先に彼がいるように標準をあわせて、視点をあわせて。
!!!
やっぱり、こっち見てる!!
それだけでテンションが爆上がりだ。
心臓がどきどきどころの騒ぎではない。いっそそのまま爆発しそうだ。
時が速く進んでほしいと願う私と、そうでない私がいる。至福と、爆発しそうな気持ち。
あれ? 終業式って、こんな式だっけ? こんなイベントじみたものだっけ!?
心と頭がぐるぐるして、馬鹿になっていくのが分かる。そしてそれを冷静に見て笑っているもう一人の私がいる。
もう一人の私が私を笑いながら、本当の私はまた、顔をうずめる。
頬が緩むのが分かる。今度こそ、こんな顔、誰にも見せられない。
そのまま長い長い――はずだった気がする――終業式を終え、少しの頬の疲れを感じながら、私たち生徒は体育館を後にする。少し髪も乱れていたかもしれない。でも、そんなことまで気にすることは、今の私にはない。――と、もう一人の私が言っている。
ということで、髪をちょっと整えて、教室へと向かう。
外の寒さが、いいぐらいに私を冷ましてくれた。
教室は、温度こそ低いものの、終業式を終えたと言うこともあり、とてもあったかい雰囲気で、二学期最後のホームルームを迎えた。
クラス内はガヤガヤと盛り上がっているが、先生もそれを止めようとする気配が見えない。
まあ私はそんなことお構いなしで彼のことしか見ていないが。
「おーいー、恋愛する余裕あんのかー」
隣から、こつんと頭を小突かれた。
少し顔を歪めてそちらを見ると、予想通りの人物がこちらを見て、Sっ気たっぷりの顔をして笑っていた。
「んだよー、謳歌しちゃダメか?」
「いやいや、受験シーズンだぞ? そんなにイガちゃんに気をとられてると、センター落ちちゃうぞ~?」
「いーのー、どうせ私に青春は来ないですよーだっ」
彼女からかけられた言葉に拗ねて応じる。
――青春は来ない。
自分で言っておいて、落胆する。
いいのだ、もう。時間もどうせない。
「でもさー」
「?」
でも――。
このままやられっぱなしではすまない私だ。
「秋ちゃんも――見てたんじゃないの?」
「な、何を根拠に……?」
「いや、別にないけど」
「な、なんだ――って! それはずるくないか!?」
「フーン」
さっきの反応はもしかして――?
「いるのかいるのか!? なんだ知らないところで青春してるのか秋ちゃん!?」
「う、うるさいっ!」
うりうりー、と、頭を小突き返す。
時間が経つごとに顔が赤くなっていく。
ここまでずっと三年間いて、――時期が時期だが――こうして青春を謳歌してくれているのは私としてはとても嬉しいことだ。
いつも秋穂には、助けられてばかりだったからな……。
だめだ、後悔しては。いつも秋穂に言われてきたことだ。
――目に涙が浮かぶ。
それを隠すように私は、顔を伏せた。
秋穂は――手を優しく頭において、撫でてくれた。
「眠いの?」
「そじゃないわ!」
――!
感動シーンを返せえ!
何であんな気持ちになってしまったんだ……。少し前の私を否定したい気分になった。
しかしまあ、彼女もよくここまで私に付き合ってくれたものだ。
――またいつか、お礼とか言わなきゃなー……。
秋穂の場合、それが一番嫌かもしれないけど。
そんなことを頭の端で考える。
「おっ、そろそろ時間かなー」
一通り話し終えたときに、ちょうど一分前ほどになった。
秋穂が自分の席に戻っていく。皆も、それぞれの席へと戻っていく。数人は私のように自分の席から動かずに、暖をとる。
担任の先生がホームルームの時間を知らせ、もう何回としてきた恒例の挨拶をする。
担任の先生が話し始める。その内容は、色々なものだ。
勉強に関すること、生活に関すること、健康に関すること、意識に関すること……たくさんのことを話し、そして最後に――やはり、もう一度勉強のことを話して終わった。
まあ、先生としては、色々なことを差し置いてでも、勉強を優先させたい、という気持ちが強いのだろう。
それは、ここが「高校」だから、というよりか、ここにいる全員をしっかりと自分の手で卒業させてあげたい、という気持ちの方が強いからこそ出る言葉であるということも、ここにいる生徒たちはきっと分かっている。
だからこそ、皆の態度こそ変わらないものの、真剣に聞いているというのが、顔を見て分かる。そして先生もそれを分かっている。
――三年間一緒に過ごしてきたのだ。そう簡単には気持ちは隠せまい。
皆がいい顔をして、冬休み――勉強期間へと向かう、先生の一つの目的であり、目標と語っていた時があった。こうして叶っているというのは、先生としても私たちとしても嬉しいものだと思う。
ようやくチャイムが鳴り、それぞれがぽつぽつと席を立ち、ある者は足早に、ある者はそのまま居座っている。ちなみに私は後者だ。
そして私の目はほとんど自動的に彼へと向けられる。
彼もまた、私のように居座り、そして今しがた、帰る支度を始めるところだ。
――きっと彼は、私の知らないところで、知らない人と、クリスマスを過ごすのだろう。私は彼の彼女ですらないのに――。そうして自分で勝手に、悲しくなる。
もちろんこの気持ちが恋だというのは分かっている。――でも。分かっていても、踏み出せないのだ。きっと――それが普通、なのだろう。そのことが少し、痛い。
痛いのを我慢しながら、私と秋穂もぼちぼちと帰る支度をする。
――突然、その時は来た。
「五十嵐君!」
――。
続けられた言葉に、教室は静まり返る。今までの雰囲気とは裏腹に、緊迫した私の心臓がいた。
私の視界で起こった出来事。
静寂の流れる時間と比例して、心臓が速くなるのを感じる。
――心臓が速くなって、時の進むのが遅く感じる。
まるで、私だけ別の次元の生き物のように感じる――。
気付けば、私は席を立って、静寂を切り裂いていた。
クラスメイトの視線が、私の身体に刺さる。
そしてようやく、私は、私がしたこと、してS舞ったことに気付いた。
改めて――視線が刺さる。痛く、深く。
「――!」
――体はもう、動いていた。
教室から走り去り、ようやく私の足は昇降口で止まった。
「――――」
息が切れる。単純に疲れたから、という理由だけではないだろう。
胸を抑える。息が上がったから、という理由だけではないだろう。
私はもう一度、問いかけてみる。
「終業式って……こんな式だっけ……?」
きっと今の私は。
とてもひどい顔をしていることだろう。
「ハハッ……」
――誰にも見せらんないな、こんな顔……。
帰路をたどり、やがて玄関に着く。
扉の前で少し止まってから、その扉を開ける。
家に入ると、いつも通りに光がともって、それでいていつもの声が聞こえる。
弱々しい中の一番元気を振り絞った声で返事をして、部屋に籠る。
部屋の電気もつけずに、枕に顔をうずめる。
ご飯に呼ばれて、お風呂にも入り、そしてまた、部屋へと戻る。
外のイルミネーションが部屋に光を注ぐ。
ふと、外を見やると。
――しんしんと雪が降っていた。
「ホワイト――」
不意に、こみ上げるものがあった。
抑えられない。
すべてをそれに乗せて、幾度となく、とめどなく流す。
どうして私じゃなかったのか。そうして、自分を責め立てる。
どうして言えなかったのか。そうして、自分を責め立てる。
そのたびに、痛くなって、痛みが和らいで。その繰り返し。
私はその場でたじろぐのみ、外の空気は私を置いてただ進むのみ。
流れる涙の、時間が進むのみ。
――。
肌寒い空気が顔に当たる。
布団をどかして、ベッドから降りる。
「――あれ……」
昨日、布団かぶって寝たっけかな……。
まあいいや。どうせお母さん辺りがかぶせてくれたのだろう。
時計は八時を過ぎていたが、もう学校は冬休みに突入したので、気にすることはない。
本来は勉強をするべきなのだろう。
「――」
――何もしたくない。やる気が出てこない。
きっと外も寒いだろうし、今日は家に籠ろうか。
もし今日が学校なら、私はとっくに遅刻していただろう。今日が学校じゃなくて本当に良かった。
だって――誰にもこんな顔、見せたくない。こんな私を――見せたくない。
誰からも通知の来ていない携帯を手に取り、私は朝ご飯を食べに一階へと降りる。
床の冷たさが、足の裏を這って、鳥肌へと変換される。
電気の付いていない、少し暗いぐらいの、一階の部屋へ入る。
もちろんのこと、誰もいない。
そのせいもあってか、いつもより寒く感じられる。
点けられていない冷房、電気……。
電気を点けて、食パンを冷蔵庫から取り出して、レンジへ放り込む。
ぼーっとしている間――なんて、ない。
――やっぱり、思い出されるあの光景。あの出来事。
「しょうがないじゃん……」
私だって、私なりに好きだったんだから。あんなの、目の前でされたら。
俯いてしまう。何も、誰も悪くないのに。
窓からさす光が、少し陰った気がした。
――訳もなく、外へ出た。本当に訳もなく。
寒い空気が私を包む。
意識なく漏れる白い息が、私の呼吸を表して、この世界で生きていることを実感させる。
その白を手袋へ吐いて、空を見上げる。
少し曇りのある、昨日と同じような空だった。
そうだ。
ちょうど、昨日の今頃――。
私は、失敗したんだ。クリスマスに。しかも終業式で、弁解するタイミングさえなくなってしまった。
どうしたもんかなぁ……。
「あ」
――。
私は――声が出なかった。
だってそこにいたのは。
「いが、らし……君……?」
その人だったから。
「え――?」
私の頭は、何でこんなところに、よりも先に――その服装の奇妙さへと目がいってしまった。
誰ともいない、一人で。それだけ聞けば、普通だが。
「何で制服着てるの……?」
「え、何でって――」
困ったように言った彼のセリフに、私は耳を疑う。
それはもう来ないはずの日付。
「だって今日、終業式じゃん?」
「――は?」
「逆に聞くけど、大丈夫だったの? 学校の教員たちも心配してたよ?」
ありがたいぐらいの心配だが、生憎、私の頭はこの謎のパラドックスで一杯一杯だ。
何故、どういう。絶えずに疑問が流れる。
「あの、ごめんッ! ――今日って、何日だっけ……?」
「え……?」
流石の彼も困惑していたが、――その問いに対する答えを聞いて、全てが分かった。
「十二月二十五日、学校の終業式だよ?」
――時間が、昨日に戻っていると、確信できた瞬間だった。
「また……」
やってしまった。
逃げ出してしまった。
突然の出来事、時間を遡っているという現象を目の前に、また。
彼を巻き込んでしまった。
携帯を取り出し、今日一度も確認していなかった時間を――日付を確認する。
そこには確かに、十二月二十五日と表記されていた。
携帯が壊れているかもしれない、と、往生際が悪いことはもう考えない。
何で、昨日に戻っていたのだろうか。そして、何で五十嵐君は、一人だったのだろう。昨日の通りなら、彼は今頃二人でいるはずなのに。
「うううう――……」
頭を抱えて、うなだれる。何も分からない。何が原因でこうなってしまったのか、そして――。
これがいつまで続くのか。
――。
特に寒くもないのに、鳥肌が一斉に立つ。
それはきっと――訳の分からない、起こるはずのない事象が、今まさに自分の身に起きているからだろう。
とりあえず、家に帰ろう。それから色々考えよう。
昨日と同じように、玄関の前で足を止め、扉を開ける。
そこには昨日と同じような景色が広がっていた。
家から出た時に見た、暗い廊下。
「――ただいま……」
昨日は言わなかったセリフをしっかりと言って、家へと足を踏み入れる。
部屋へと向かい、そして考える。
もう一度携帯を確認する。
――やはりあれは間違いではない。
「もう……」
どうしたらいいの?
きっと私以外こんなことにはなっていないんだから、誰にも相談しようがない。
どうでもいいけど、また変な人だと思われる。
布団の上で膝を抱えて、ブルーライトを遮断させる。
そして考える。
何で時が戻ったのか、まったくわからない。
そして、もし同じ時間を繰り返しているのなら、何故彼は一人だったのか。
「なああああ! 何が何だか分かんないぃ……」
そもそもなぜ私なのか。
とりあえずの応急処置として。
――やっぱりだ。
「ホワイトクリスマス……」
空に光る数えきれない白の光たちが降ってくる。
それをしっかりととらえ、写真に収める。
「これが明日、残っていなければ」
私はまた、戻ったという証明になる。
そんな証明、されてほしくないけれど。
そうして私は明日に期待して、まどろんだ。
――なかった。
少し暑く、背中に汗と冷や汗を感じる。
「また」
また、来た。
もし今日、私がまた学校へ行ったら。
彼は告白、されるんだろうか。
そう考えるだけで重くなる。
早々に起こした体をベットに投げ捨てたくなったが、何とか踏みとどまり、一階へと足を向かわせる。
三度目の感覚。足の裏、そして体の状況共に、慣れた感覚が襲う。そのことに鳥肌が立つ。
もう、三度もこの日を過ごしている。その事実を、心は受け入れられても、本能、体がまだ受け入れられてない。体からしたら一回目なのに、脳がそれを否定し、その逆もまた然り。
お母さんに挨拶をし、朝ご飯を食べる。二度目の同じご飯。
食べ終わり、私は――十二月二十五日を抜け出すために、学校へ向かう。
終業式を終えて、あの時間がやってくる。
先生の話している間、私はその時を待つのみ。
今度はどれだけ辛くても、逃げ出したりしない。
長らく話していた先生の話も終盤に差し掛かり、私はそっと周りを見渡す。
先生が立ち上がり、いよいよチャイムが鳴る。
――鳴った。
「五十嵐君!」
その声を聞いて、私の胸はずきりと痛むような感覚に襲われる。
この前と一緒だ。
逃げ出さず、最後まで見届ける、何が起こっていたのか、しっかりと見届ける。
続けられる言葉の数々を聞く、そのたびに震える手を、押さえつける。
ふと、その手に私のではない手が置かれた。
隣には、秋穂がいた。
「今日一緒に帰ろっか」
私以外の誰にも聞こえないぐらいの声でそう言った。
私は強く握り返して、頷くだけにした。
最後まで話し終えたのだろう、妙な間が生まれる。あとは彼が彼女に対して返事をするだけ。
「ごめんなさい」
――彼の返事は、NOだった。
だからか。昨日、というか二回目の時、彼が一人だったのは。
クラスは湧き上がっていた。それは、どういう意味で科は、知らない。
そして、私の中の痛みはいつの間にか消えていた。
秋穂の隣について、並んで帰る。
足が冷たい風にさらされる。
隣に秋穂がいるからだろう、謎の温もりが私の右に押し寄せている。――分かってくれる人はいるはずだ。いなかったら、どうしよう。
「はあ――すごいもん見させられたねえ」
「だね」
「元気ないじゃーん」
元気がないだけで、落ち込んでいるわけではない。何度も繰り返して、ようやく進展があったのだ、それを忘れないように。
「大丈夫?」
「――ん」
「曖昧な返事」
寒さで鼻を赤くした秋穂が私の顔を覗き込んで、一瞬私は、心まで見透かされてしまうような気がした。長年の付き合いが、こういう時、怖い。
一人で抱え込まなくてもいいのだろうけれど、誰に言っても信じてもらえないだろう。信じるのは、よほどのオカルトマニアか馬鹿だけだろう。親に言っても、きっと信じてもらえない。
それは秋穂にも言えることだろう。こんなカミングアウトしても、きっといじられるだけだろう。それにまだ、そんなに深刻化していないと思うし。と思っているのは私だけだろうか……?
それよりも――。
「ちゃんと目を見て」
「――っ!」
顔がっ――近いッ!
抵抗しても、私の力は所詮私の力だった。秋穂には敵わなかった。
「悩んでるなら言って。何度も言ってきたよ? 覚えてるでしょ?」
「――」
なんか、申し訳ない。
本当は言いたい、けど、言えないのも事実。
「ごめん……」
「――。まあいいけど。言えるタイミングになったらちゃんと言ってよ?」
「うん……」
「そん時が手遅れとか、そんなになったらだめだからね!?」
「分かった」
「ったく、しょうがないなぁ――恋愛相談に変えるかぁ……」
「なんでそうなる」
まったく……切り替えがお早いことで。
「まあいいけど……」
「でぇ~、よかったの~? 誘わなくても?」
「っるさいなぁ」
えへへと笑う秋穂を、私は軽く小突く。
「私があの流れで言っても、断られてたと思うけど?」
「えー? そうかなー?」
「秋穂には分からないでしょうねー」
「分かるよ」
――。
「――え? 何で――」
「分かる。私にもその気持ちは分かる」
「――」
「好きな人に振り向いてもらえない気持ち、そしてそれが理解されない気持ちも全部全部――分かる」
「何、で」
そんな真剣な顔をして、誇らしく言えるのだろうか。私には分からない。
「いい? 自信持てば行ける。自分のこと可愛くないって思ってるかもしんないけど、可愛いよ?」
「――っ!」
顔が赤くなるのを感じる。秋穂に見られる前に顔を結んだ髪と手で必死に隠す。
「ほーら、可愛い可愛い」
「うるさいッ!!」
手の間から秋穂を睨む。こいつは歩道のど真ん中で何をさせてくれるんだ。当の本人は笑っているだけ。
「でもほんと。大丈夫自信持ちなって」
「分かったわよ……」
泣く泣く手を顔から離し、乱れた髪を整える。
「――ありがと」
「え? 何かいつもは聞こえない言葉が聞こえてきた気がするぞー?」
「いいじゃない、たまには。――私だって、秋穂に感謝してるんだから」
「このっ!」
「きゃ!」
だから路上で何をするんだ!
急にハグしてくる秋穂の力に私が勝てるわけもなく、秋穂の胸中に収まってしまう。私よりも少し背の高い秋穂を、胸の中から見上げて、息苦しいという意を伝える。
それなのに秋穂は私の顔を見るや否や急に天を見上げだす。
「早くぅ……」
急なことの連続で暑いんだ、早く出してくれ……。
「――。あっ! ごめんごめん」
ようやく解放された私はこの季節に見合わない手の動作を繰り返し、顔を冷ます。
こんなことで人の温かさを体感したくなかった……。
「今日はここで解散にしとこっか」
「そだね」
私と秋穂は途中にある公園をめどに、解散した。
解散する間際に、秋穂が何かを言っていた気がしたが、私に言っている、という感じではなかったので、私は返事をせずに、手を振って別れを告げた。
――きっと今夜も雪が降り、そして明日が決まる。
私は一人で、歩みを進める。
三度、玄関の前に立つ。この行動が一つのルーティンのようになっている。
また、同じ景色が広がっている。
きっと今日も、雪が降って、今日が終わるのだろう。
その間まで、私はきっと何もできないだろう。
――明日は、来るのだろうか。来なかったら……どうなるのだろうか。
いつの間にか空を眺めると、もう雪が降っていた。
――四度目の感覚。体はまた汗をかいている。
体を起こし、一階へ向かう。
「今日終業式でしょう? 遅刻しないようにね」
――。
まだ――また、だめだった。
いったいどうすれば、今日から抜け出せるのだろうか。踏み込んでも踏み込んでも、それは迷路のように、ただ行き先が、答えが分からなくなるのみ。
そう感じる、感じるたびに体が重くなる。出口のない、迷宮に投げ込まれ、これから先が見えない。
吐き気もするように感じる。体から冷や汗が出る感覚が私を襲う。
小さく返事をしてから自分の部屋へ向かう。
「――っは!」
――訳もなく、涙が出てきた。
虚無感が、心に居座る。
だが、どれだけでもあがいて、今日を抜け出さなければならない。そのために、何でもしなければならない。
私は――四度目の終業式に向かう。
私は中から外を見る。
寒いであろう外が、空模様を暗くさせていた。
四度目だからだろうか、あっという間に放課後が訪れた。まだ、気持ち悪さは残っている。
そして、また愛の告白が行われるのだろう。あの子も、私も救われない。もちろん彼もだろう。
――一回だけなら、いいよね……?
「五十嵐君……」
クラス内がガヤガヤしている間に、私は彼に耳打ちする。誰にも聞かれないように注意して。
「…………」
彼は、ゆっくりと、しかししっかりと頷いた。
私はそれを確認してから、席に戻る。
「頑張ってね」
席に戻って秋穂にそう言われたが、秋穂にはごめんというしかない。
だって、今回の告白に、恋愛感情は一切ないのだから。
ただ試しに――そんな軽い気持ちなのだから。
「来てくれてありがと」
「で、何だい? 話って……?」
「分かってるくせに」
振り返って彼の姿を直視する。
――少し呆れたような目をしていた気がした。
空を見上げる。空はやっぱり曇ってる。
「今日、一緒に帰らない? もちろん君がよければだけど」
「――」
彼は、考えてくれているみたいだった。残酷かもしれないが、私は少し諦めている節がある。今回がだめでも、来るかも分からない次に期待して、だめだな……。
「分かった」
彼がついに声を出す。
「けど、気持ちだけ受けとっておくよ」
「やっぱりかぁ」
「ごめんね、ちょっと――そういう気分じゃないんだ。二人で帰りたい感じじゃないんだ」
言葉を重ねるごとに、彼の顔が重くなっていく。
「……大丈夫?」
「ん? ――ああ。たぶん、ね」
そんな彼の様子は、決して大丈夫そうには見えなかった。
「この辛さは誰にも理解されないだろうから……」
「え――?」
今、なんて……。
驚きだった。それは、彼にも悩みがあるのか、という驚きではなく、私の一回前の悩みと酷似していたからだ。
「なんでもない。それじゃ――気を付けて帰りなよ」
「分かっ、た……」
何だろう、どことなく違和感があった気がする。まるで分かっているかのような。
気が付くと、彼の姿はもう、そこにはなかった。
「で、どうだったの?」
「断られましたよ~」
秋穂は笑っている。
――秋穂は知らないだろうけれど、秋穂に言われてやったことなのに……。
「まあ、次あるって~」
「ふん」
次なんてのんきに言っている時間が、私にあるのだろうか。
気持ち悪さはもう、なくなっていた。
夜。一人部屋に籠り、その時を待つ。
晩御飯を食べていないから、お腹が時折鳴るのがすごい気になってしょうがない。
「ったく……」
私は立ち上がり、靴を履いてコンビニに向かった。幸い、家からそれほど離れていない距離にコンビニがあるので、そこを目指して歩いて行く。
道路は、クリスマスだというのに、いや、クリスマスだからこそだろうか? とても暗い。
ふと。左右に路地が伸びていて、何かが光った気がした。
そして、何故だろう。お腹が減っていたからだろうか。私は――
そっちに向かってしまった。
――それが、失敗になった。
裏路地の先には、いろんな光。そのどれも、向かう先は一つだけ。
そのスポットライトを浴びるのは一人だけ。
それは、真っ赤に染まった――
彼の姿があった。
「――ッは!!」
息が切れている。
――あの後、どうなった? 私はいつも通り、布団の中にいる。つまり、また戻ってきたのだ。
汗が、これまでと比べられないぐらいに、湧き出ている。夏の夜をクーラーなしで過ごした時よりもずっと。
あれは絶対に彼だった。何で彼があんなところで……? あの後、彼が死んだとでもいうの?
――もしかして、彼が死ぬことで、時間が戻っているの……?
胸が痛む。もしかすると、彼が原因だったのかもしれない。彼が悩んでいる、この前のそれは、間違っていないのかもしれない。
それなら私がすることは、一つだけ。
――彼のストーキング、それしかない。
放課後。私は秋穂と並んで帰る。正直、今夜の作戦ですべて決まるだろう。
もしも、彼が原因でないのなら、私は詰む。一生、こんな状況になるかもしれない。
だからこそ、親友を精一杯頼ってやるのだ。私の悲恋で終わった一回目を打破するために、頼ってと言ってくれた秋穂のために、頼るんだ。
「ねえ秋穂」
「ん?」
「もしこれから五十嵐君が死んじゃうって言ったら――あなたは信じる?」
「――」
秋穂は、驚いた顔をしていた。私の言ったことを信じられない、というような顔をして、私を見ていた。
「――まあ、だよ――」
「信じる、よ」
――え?
「まだ何にも分かんない、でも、分かるよ――だって、疲れた顔してるもん。もしも原因がそう言うことなら、なんとなく合点がいく」
「で、も――いいの? 嘘かもしれないって、思ったりしないの?」
「私に嘘が通じるとでも? ――大丈夫、冗談でも信じるよ。詳しく聞かせて」
「――。あり、がとう。じゃあ、公園で」
やっぱり、秋穂は秋穂だ。
「ありがと」
もう一度呟いて、私たちは公園に向かう。
「なるほどねぇ」
一回目から今回までの全てを話し終えた時にはもう、夕暮れ時だった。それでも秋穂は真剣に、私の拙い言葉を聞いてくれた。
「まあそりゃ確かにストーキングしかないねえ」
「でしょ!?」
「でもさー」
「?」
何だろうか。
「五十嵐君のこと好きなんでしょ?」
「う、うん……」
何で今確認したのだろうか。
「本当に――この日から抜け出したいって、思えてる?」
――。
「本当に、五十嵐君救いたいって、思ってる? 自分が抜け出して、彼のいない日常が来るのなら、それでもいいって、思えてる? あなたに、それだけの――好きな人を救いたいって覚悟、ある?」
「――わた、しは」
声がうまく出ない。
――本当に私は、このループから、抜け出したいのだろうか。
私は、彼の、好きな人のいない日常を欲しているのだろうか。もし、私の仮説がすべて正しくて、それでいてこのループから抜け出した時、彼はいないのに、それでいいのだろうか。
――だめだ。
「だめ――」
ポロリ。
「でしょ? 何でか言ってみ?」
「だって、しょうがないじゃん――」
――それほどまでに好きなのだから。
てっきり、君はずっといるものだと思っていた。でもそうじゃなくて。
明日は――君がいないかもしれない。そんなこと、考えられなくて。
君が死ななくて、私も死ななくて、そうして幸せな『明日』を、迎えたい。
だって、あなたが――
「好きだから」
彼を、助けたい。どんな理由で死んだのかは分からない。でも――。
私が救えるのなら、救い出したい。あの日見た影、あの日見せた悩み……取り除いてあげられるのなら。
秋穂の手が、私の頭に伸ばされる。思い出される、こんなこともあったっけ。
「ありがと」
秋穂の手に私の手を伸ばして、つなぐ。あったかい。
「頑張れる?」
「――うん」
「うっし」
手を頭から離す。
「頑張ってこいっ」
そう言って秋穂は、私にハグをした。
「行ってきます」
私の身体には、まだ、秋穂の温もりがあった。
私は制服のままで駆けだす。まだ夕暮れ時。
昨日の路地を経て、事故の起こるべき場所へと着き、彼の姿を探す。
ビルの立ち並ぶ、少し発展した場所へつながって、とてもだが、探せっこない気がしてくる。
思い出せ、どのへんだった?
思い出す度に、頭の中で飛び散るものがある。私はそれを我慢して、思い出す。
――あれは、道じゃなかった。一瞬だったが、確か――歩道だった気がする。
周りの車たちは白い感じだった。
もしかしてだが――。
気付くと私空を見上げていた。いつも通りの曇り空の中に、一つだけ、高いビルを見やる。
――もし、あそこにいたら……。
そう考えている間に、私はもう動き出していた。外についている階段を息が切れるほどに早く駆け上がる。
上がっていくほどに、寒く、暗くなる。
倒れそうになるのより少し早く、私はそのビルの屋上に着いた。
「はぁ、はぁ……」
「遅かったね」
「――やっぱり」
そこにいたのは紛れもなく、五十嵐君その人だった。
「で、どうしたの?」
「どうしたのじゃないよ……――今から君がしようとしてること、分かってるの?」
「分かってる。――君も、知っているだろう?」
「まさか――」
「そのまさか」
彼は、学校での彼ではないように感じる。
「僕と君は一緒なのさ」
「やっぱり、君も、何度もやり直してるんだよね……?」
そう言った瞬間、彼の顔に陰が射す。
「君には分からないだろうね……――もう、辛いんだ。何度も何度もやり直してる。どれだけ死んでも、どれだけ何してもダメなんだよ」
顔は笑っているのに、目が、雰囲気が冷たい。それを見るだけで、心が痛くなる。
「ならっ! 私と行こう? ――それじゃあ、だめかな……?」
「この前も言ったけど――どうせ分からないよ、君には」
「――分かった。じゃあ、私の気持ちだけ聞いてくれないかな」
私は彼に詰め寄り、笑顔を向ける。
どんな結果でも後悔のないように。自分勝手になって。
「好きです。いつもあなたを考えて、あなたと共に、今日を乗り越えたい」
言葉は、返って来ない。
「僕には、分からない。どうすれば、今日を抜け出せるのか。――だから、その、ごめんなさい」
「そっかぁ~……」
――やばい。我慢できない。
「ねえ、もう少し、待って」
我慢できないの。
私は、振られたのだ。ちょっとぐらい泣く時間をくれてもいいじゃない。
雪が降る。いつもより長い時間。私の涙と共に降る。
もう温度さえ感じずに、ただ、涙を流す。
あれから、どれくらいの時が経っただろう。
君の姿はもうない。きっと、飛び降りたのだろう。
私は君を救う。秋穂や、君のためっていうのもあるけれど、何よりも、私のために。
いくらでも、この時間をやり直す。
見返りなんて、要らない。
ただ、君が、いや、君と笑って『明日』を迎えられる、そんな日が来ることを信じて。
私は何度だって、ここに来る。
雪はいつまでも――しんしんと降っている。