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デッドアットクリスマス

作者: temso

「死ねば良いのに」

 まだ昼間だというのに暗くなり始めた空を見上げて、顕二はぽつりと呟いた。

 地下鉄の駅から地上へ出れば、町には雪がちらりほらりと落ち始め、この季節特有のきらびやかな雰囲気にまたひとつ綺麗な色を添えている。

 顕二はコートの裾を抱き寄せて、歩き始めた。

 12月24日。クリスマスイブ。

 キリスト教によれば、イエスキリストの誕生日。それを祝って行う祭の日。

 だというのに、この雰囲気は一体どういうことだろう。

 道行く人々の顔には、聖人を祝おうという気配は全く見られない。みんなして自分のことばっかり考えてるのが手に取るようにわかる。ああ嘆かわしい。

 有名なデパートの前に差し掛かった。顕二はうわ、と思わず声に出してしまう。

 手をつないだ男女が、そこらじゅうにいる。

 さっきからそんな人たちがたくさん歩き回っているのを見かけるが、このあたりはまた一段と密度が高い。ああ、空気が薄くなっているような気がする。このゾーンにいるカップルどもはそんなことも露知らず、この幸せなクリスマスの冬空を満喫していらっしゃるのだ。ああ忌々しい。適当なカップルの女のほうに声をかけて、

「こないだあなたの彼氏が別の女性とホテルに入っていくのを見ましたよ」

 とか無責任なことを触れ回ってみたりしてみようか。

 なんてことを考えたが、むなしくなるし逆にひどい目にあうに違いないのでやめた。

 ああ、くそったれ。死ねば良いのに。

 

 顕二はなにか目的があってこんな不愉快な界隈を歩いているわけではない。ただ単に帰り道と言うだけの話だ。

 もちろん一人。

 彼女? なんだっけそれ。

 クリスマス? ああ、そんなんあったよね。子供がサンタさんにプレゼントをもらう日。ほら、そんなハートフルな日だよ。決して恋人どうしが美味しいレストランを予約したり綺麗な夜景をながめたり、あまつさえ勇んでホテルに入っていくような日ではないはずだ。欧米ではクリスマスは家族と一緒に過ごすものなんだそうだよ。

 だというのに、なんなんだこれは。

 この、世界に溢れ返る男と女の集団は。

 知らず知らず荒んだ目になっていた顕二は、心の中で死ねば良いのに、と何度も念じながら家路を急ぐことにした。帰ろう。もう帰ろう。帰って焼きうどんでも食べよう。テレビはつけないほうがいいからこないだ借りた映画でも見よう。AVはやめとこう。あと二日ぐらい待たないと、きっと負けた気がしてしまうから。

 そうだ。あと二日と言わず、一週間後にはもう正月じゃないか。

 そうだよ。正月だ。ハッピーニューイヤー! 

 日本人は日本人らしく、粛々と新年を迎える準備をしていればいい。除夜の鐘を突いてこの世に溢れ返る煩悩をぶっ飛ばそう。こんな煩悩まみれのイベントなんかどうだっていいじゃないか。ケーキよりお雑煮。サンタガールより巫女さんだ。

 なんとなく一筋の光明を得た顕二は、荒みきった目を少しだけゆるめてコンビニの角を曲がった。

「あっ」

「うおっ」

 どん、とすぐそこにいた人物とぶつかってしまった。すみません、と謝ろうとしてそいつの顔を見上げたが、その声は喉の外へ出ることは無く、止まった。

「なんだ、裕也か」

「顕二?」

 そこに突っ立っていたのは顕二の友人の裕也だった。同じ大学の同じ学科の同じサークル。入学した頃からもう二年の付き合いだが、最近付き合いが悪くなったと友人の間ではなにかと話題になっている。

 それはなぜか。

 裕也には、彼女ができたからだ。しかもかわいい。超かわいい。死ねば良いのに。

「なんだ、お前。何してんだ、こんなところで?」 

「何って、帰るところだけど。お前は――」

 聞き返そうとしたところで、はっと思い当たる。そういえば今日はクリスマス。なのに裕也のかたわらには誰もいない。超かわいい彼女のかの字も見当たらない。

「……えっと、どうした?」

 ちょっと控えめに、裕也の顔色を窺ってみる。裕也はいつもとかわらないふてぶてしい顔をしていたが、その目にわずかばかり悲しい色が映る。

「……聞いてくれよ、顕二」

 一段階低いトーンで、裕也は話し始めた。


 コンビニのゴミ箱の傍ら、男二人は暗い色の服を着て座り込んでいた。手にはあったかい缶コーヒー。さっき買ったばかりなのにもう冷め始めている。

「じつはさあ、ちょっと前から真美とケンカしてんだ」

 裕也はどこを見ているのかもよくわからないまま、ぼんやりとした口調で語る。

 真美というのは裕也の彼女その人だ。顕二とも知り合いで、やはり同じサークルの仲間だった。

「そ、そうなんだ」

 だいたい予想していた範囲の告白だったが、わざわざびっくりしたような反応をして見せた。

 裕也はとつとつと語る。

 話によれば、裕也がバイト先の仲間と合コンに出掛けてしまったことがケンカの発端らしい。それについて真美がちくりと刺さるような事を言い、別にいいだろう的な返答の後は売り言葉に買い言葉。別れるとか具体的な言葉が出てきたわけではないが、それ以来口を聞いていないのだとか。よくある話な上、まあ自業自得なことではある。しかしいざクリスマスが近づくにつれて段々と寂しさが増してきて、でも仲直りのきっかけもつかめず、こうして当日に一人でぶらぶらしていたという次第。

「なあ、どうすればいいと思う?」

 すがるような目で裕也が顕二を見てくる。そうだなあ、と難しい顔を作りながら、顕二の内心はもう笑いをかみ殺すのに必死になっていた。他人の不幸は蜜の味とはよく言うが、まったくこんな面白い話がこんな身近に転がっていようとは。

「とにかくさ、悪いのはお前のほうなんだから、謝るにこしたことはないよ。きちんと謝ってまた会いたいって言えば、真美だって分かってくれるって」

「そりゃあ、まあ……」

 いい気分で分かったようなことを言う顕二に、裕也は頭をがしがしと掻く。

「分かってはいるんだけど……でもなんか、いざ話してみたらまたケンカになっちゃうような気がしてさあ」

 気弱になっている。こんな裕也を見るのは初めてかもしれない。

 裕也はバッグに手を突っ込むと、そこから綺麗にラッピングされた箱をひとつ取り出した。

「これ、一応買ったんだ。前に真美が欲しいって言ってた指輪」

 うつむき加減にその箱を眺める裕也は、もうなんだか消え入りそうな雰囲気だ。やばい。超気になる。これがこのままあと二日経ってしまったら、一体こいつらはどうなってしまうんだろう。正直、ぶっちゃけ、こいつが友達で無ければ放っておいて経過を横から眺めていたい。しかしながらもう付き合いの長い裕也が悩んでいる手前、自分に正直に面白がっていては人としてダメだろう。

「だったらなおさら、ちゃんと話したほうがいいって。真美だってきっと喜ぶし、仲直りしたいって思ってるんだから」

「ああ……そうだよな」

「だいたいさ、お前らがケンカしてたら、サークルの雰囲気とか悪くなるだろ。勘弁してくれよ。お前らが仲良くしててくれなきゃ、俺だって楽しくないし」

 顕二は人間として正しい言葉をアウトプットし続けた。なんかこっぱずかしいが、それはそれで面白い。彼女いないけれど、彼女いるやつに説教垂れている自分がいる。

「クリスマスはまだ終わってない。まだ遅くないよ、裕也」

「顕二……ありがとう」

 裕也は決意したように立ち上がり、冷め切った缶コーヒーをイッキした。その勢いでポケットから携帯を取り出し、でもそこで手が止まる。

「……裕也?」

「……顕二、お前がかけて」

「は!?」

 なんでだよ! 自分でかけろよ! おかしいだろ! なんだよこのチキン野郎!

 そんな旨のことをやんわり言ってやったが、裕也は、

「頼む」

 と、うむを言わせない感じで携帯を押し付けてくる。なんだよこいつ! 

 そうは言っても、これだけ真剣に頼まれてしまうと断れない。顕二はしぶしぶ携帯を受け取って、メモリから真美の名前を探し出し、通話ボタンを押した。

 隣で裕也がごくりと喉を鳴らす。顕二は顕二で、経験したことの無い緊張を味わいながら呼び出し音が鳴り続けるのを聞いていた。

 そして、

『もしもし』

 やや震えた声で、真美が出た。

「あ、も、もしもし。俺、裕也じゃなくて、顕二なんだけど」

『え? 顕二くん?』

 意表をつかれたように、真美の声に明るさが少し戻る。顕二はどう切り出していいのかわからず、少しの間考えていたが、もうなるようになれと素直に全部を話すことにした。

「さっき裕也に会ってさ。それで二人のこと、いろいろ聞いたんだけど。裕也、この間のことすごく反省してるし、真美にすごい謝りたがってる。だからその、裕也のこと許してやってよ」

『け、顕二くん。裕也、そこにいるの?』

 驚きと喜びが入り混じったような声で、真美が尋ねてくる。彼女がどう思っているのか、手に取るようにはっきりと分かった。

「いるよ」

 顕二は携帯を耳から離して、裕也に押し付けた。裕也は一瞬ためらいを見せたが、ひとつ頷いて携帯を受け取った。

「もしもし……真美」

 そんな裕也を見ながら、顕二はコーヒーを一口喉に流し込んだ。冷え切っているが、美味しい。やがて裕也の口から、ごめん、という一言が聞こえ、それを皮切りに裕也の顔に赤みが増していく。

 雪の降る町の、コンビニの駐車場。さっきまであんなに鬱屈した気分で見ていたクリスマスの町並みが、やけに綺麗に見えた。幸せそうな顔で行きかうカップル達。母親に手を引かれ、家路を急ぐわくわくした表情の子供たち。

 悪くないな。

 目を細めて、顕二はそんなことをぼんやりと思う。

「うん。うん。じゃあ、行くから。待ってて。うん。じゃあ、切るよ」

 裕也はそう言って電話を切った。結果は聞かなくてもわかる。満面の笑みを浮かべ、裕也は顕二の手を取った。

「ありがとう、顕二。本当にありがとう!」

「いいよ」

 男同士の握手が交わされる。裕也は大きく手を振って、そして足早に地下鉄の駅のほうへと去っていった。その背中を微笑みをたたえて見送り、顕二もコンビニを離れる。

 さあ、帰ろう。

 雪は徐々に白さの密度を増していく。電気のついた街灯が白をオレンジに染め上げ、イルミネーションの光が蛍のようにあたりを飛び交い、人々の気色ばんだ顔を照らし出す。

 悪くない。

 クリスマス一色になった町は、深く優しく、その時間を内包していく。

 

 市街地から少し離れたところに、顕二の住むアパートはある。もうあと少しで到着だ。

 午後五時半。そういえば冷蔵庫の食材はこないだ買った焼うどんしかない。

 どうせクリスマスなんだし、一度帰ってからなにかいいものでも買いに行こうか。ちょっと浮かれてフライドチキンとかケーキとか。このきらびやかな雰囲気を一人で味わってみるのも悪くないかもしれない。

 仲のよさそうなカップルが、顕二の前から歩いてきた。顕二の脳裏に、裕也の嬉しそうな顔が浮かぶ。

 世の中のカップルが、無条件に幸せになれる特別な日。

 いいじゃないか。

 そんな気分で、そのカップルとすれ違おうとしたそのとき。

 こんな日にローファーなんか履いていたのが悪かったのだろうか。

 凍結した路面に、顕二の足がつるりと滑った。

「あれ?」

 たちまち反転する世界。尻に走る鈍痛と身が切れるような冷たさ。

 気ついたときには、顕二は冷たい冷たい路面に尻餅をついていた。

「いっつぅ……」

 そのとき、そのときだ。

(ちょっと、笑っちゃ悪いよ……)

(いや、でもさぁ……そう言うお前だって笑ってるじゃん)

(だって……)

 そんなひそひそ声がした。すれ違ったカップルを振り返ると、あからさまにこっちを見て笑っている。やべ、気付かれた! と、そいつらは何事も無かったかのようにそそくさと前を向いて歩いていってしまった。

 雪の降る寒い日。尻の下には冷たい冷たいアスファルト。

 びゅうう、とつむじ風が薄暗い路地を吹き抜けていった。

 あまりにも寒い、12月24日、真冬の夕方。ひとり地べたに這い蹲る自分の姿が、あまりにも惨めに見える。

「……」

 顕二は声も無く立ち上がって、遠ざかっていくカップルの幸せそうな背中を見送った。

 裕也の幸せそうな顔が浮かんだ。が、さっきの二人の嘲り顔がそれをものすごい勢いで塗りつぶしていく。

 きゃっきゃと幸せそうなカップルがもう一組、顕二のアパートから出てきた。

「……」

 超楽しそう。そして嬉しそう。きっとこいつら、こんな日に一人でいることなんて考えたことも無いのだろう。そうに違いない。

 立ち尽くしたまま、歩き去っていくそいつらも見送る。

「……死ねばいいのに……」

 ぼそりと顕二は呟いた。


 晩飯どうしよう。ああそういえば、冷蔵庫に焼きうどんがあったっけ。あれでいいやもう。映画見ながら食べよう。ヤクザインニューヨーク。あれ見よう。日本のヤクザがニューヨークのマフィアにカチコミ! いいじゃん。超おもしろそう。

 ああ、世界っていつ滅ぶんだっけ? 今日中に滅ぶなら別に許す。もう許してやる。

 クリスマス? なんだっけそれ。サンタがひとんちに上がりこんで不審物を置いて回る日だっけ。キリストの誕生日? 別に俺キリスト教徒じゃないし。教会とか行かんし。

 バカな日本人が浮かれて騒ぐ日。ああ、そんな感じだっけ。

 ケーキとか、甘いもの嫌いだし。餅でいいよもう。ライスケーキって言うし。餅としょうゆとわさびがあればいいよもう。餅。そうだ、餅だよ。正月だ。一週間後にはもう正月じゃん。クリスマスとか言ってる場合じゃないよ? はやいとこ実家に帰ろう。帰ってコタツでごろごろしよう。そうしよう。除夜の鐘を一人で1080回ぐらい突いてこの世の煩悩を全部たたき出してやる。

 部屋に入る直前、顕二はもう一度呟いた。

「……死ねばいいのに」


一晩で書き上げました。そのテンションで、なかなかに気に入っている作品になりました。

 ご感想など頂ければ幸いです。

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