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第八話 寒波の前に

 大地が雪で真っ白に染め上げられると、ウェイクの街は雪に氷漬けにされたのではないかと思えるほど静かになった。隣家の騒ぎ声も家畜の鳴き声さえ雪に凍てつかされているのかもしれない。ただ、聞こえるのは街の中を吹き抜ける北風だけだ。木戸きど窓辺まどべには何枚もの毛布が吊るされているが、北風はわずかな隙間を見つけてやってくる。


 そんな北風に負けずに南から来客があったのは、マリエル・オルセオロが賊に刺されてからひと月がたった頃だった。客は寒さで顔を真っ赤にしていた。そして、ひどく慌てた様子であったのでそれを見たマリエルは指をさして笑ってしまった。


「なにその顔? 私を笑わそうとしているのなら今じゃない方がよかったわ。お腹に穴があいていて笑うと痛いのよ」


 指を指されたハロルド・マルコーンは、安堵してよいのか苛立ってよいのかわからず、なんとも言えない表情で同僚であるエミール・ミーラの方を見た。エミールは両手を少しあげると天を仰いで見せた。ハロルドは一度目を閉じると、しばらく黙ったあと大きく息を吸うと目を開いた。


「冗談ではありませんよ。お嬢様が刺されたなんて旦那様に知られれば、私とエミールの首なんてぽーん、と宙を浮くんですよ。この雪の中で私がどれだけ心配したことか」


 ハロルドは舞台俳優のように大げさな手振りで自分の首に手刀をあてると真横に引いてみせた。


「さぞ心配だったでしょう。自分の首がどうなるか。もう、ここに来ずに逃げてしまったほうがいいんじゃないか、と考えたりもしたのでしょう。分かるわ」

「そうなんですよ。お嬢様が傷物になったとなれば万事休す。親父には悪いですが、船に飛び乗って異国に逃げようと、どれだけ悩んだことか」

「あなたと違ってあなたのお父上はお父様からしても得難い臣下です。私の怪我くらいではどうにもなりませんよ」


 ハロルドの父であるセスティエーレ・マルコーンは、マリエルの父であるオルセオロ侯爵ルキウス・オルセオロにとって三十年来の家臣である。ルキウスが侯爵になる以前からの付き合いとなれば、信頼は一朝に崩れるようなものではない。


「それはありがたいことです。とはいえ、悪いときには悪いことが起こるものです」

「それは残念ね。私の怪我を心配して雪中行軍で見舞いに来てくれたのだと思っていのよ。それが悪い知らせを持ってくるためだなんて。悪い知らせだって飲み込めそうにないわ。お腹の穴から漏れ出したらごめんなさいね」


 ハロルドは少しだけ真面目な表情をすると自分の主人を見つめた。彼の主人であるマリエルは寝台の上で身を起こしたまま微笑んでいる。それは強がりも含まれているだろうが、家臣としてはありがたいものだった。


「ウェルセック王アルフレッド様がお倒れになりました」

「ハロルド。崩御ではないのね?」


 微笑みを崩したマリエルは、感情に蓋をしたような表情で訊ねた。ウェルセック王アルフレッドはマリエルの叔父になる。母であるルフスリュスは、アルフレッドの妹にあたるが、父であるルキウスにルフスリュスが嫁いでからは儀礼的な関係しかない。


「はい、まだ存命です。ですが、病状は悪く、近いうちに諸侯を集めて王子に譲位する旨を発表されるそうです」

「そう、叔父様おじさまが……。王子といっても二人いるじゃない。どちらが王位を継ぐのかしら?」

「アラン様です。情に厚く一度交わした約束は必ず守るという律儀りちぎな人物だと聞いております。ですが、自分と対立する方には容赦ようしゃがないとの噂もあります」

「もう一人の方は不愉快でしょうね。たしか、ヘンリー様だったかしら」

「そうです。ですが、ヘンリー様は逆に喜んだそうです」


 ハロルドは驚きを込めて言った。


「王になれなくて喜ぶだなんて、ヘンリー王子は善人か、よほどの悪人だわ」

「お嬢様、決め付けるのはどうかと思いますよ。しかし、この場合は前者でよろしいかと。ヘンリー王子は、行政などを取り仕切る能力はあるそうなのですが、意志薄弱いしはくじゃくなところがあり、ご自分でも、自分は不適であり王には兄であるアランを、と申されるような方です」


 マリエルは黙り込んだ。


「ヘンリー王子を怪しく思われますか?」


 かつてウェルセック王国では王位をめぐって争いがあった。ウェルセック王国継承戦争とよばれるそれは現国王であるアルフレッドが叔父を滅ぼすことで決着がついた。だが、この争いでウェルセックの王族のほとんどが処罰された。王族が持っていた領地は王に戻されることになったが、国王が各領地の細々とした指示を出すこともできず代官だいかんが王領の統治を行っている。


 もし、ヘンリーが王位を諦める代わりに王領の分割を求めるようであれば、彼に違う意志があると考える必要がある。マリエルにとってウェルセック王国は母の生地ではあるが、彼女の領地があるわけではない。もし王位争いが生じてもどちらかの陣営につくようなことはないだろう。


 だが、オルセオロ商会としてはウェルセックで騒乱そうらんが生じると商いに大きな影響をうけることになる。


「商売に絶対はないように、人にも絶対はないでしょう。善人と言われている人だって、理由があれば悪人になる人だっているわ。少なくとも王位という大きな餌をまえに野心をいだかない、とは言えないわ」

「そうおっしゃると思っていました」


 ハロルドはそう言うとうやうやしく頭を下げた。


「で、ハロルドは私にどうして欲しいと?」


 マリエルはハロルドの演技じみた様子からなにか要望があるのだと推察すいさつした。


「ええ、お嬢様にはヘンリー王子だけではなくアラン王子にも接近していただきたいとお願いしようと思っていたのですが……。そのお怪我では無理ですね。いやー、困った。実に困りました」


 わざとらしく頭を抱えてみせるハロルドを見てマリエルは理解した。ハロルドはマリエルの代わりをバーナード女男爵バーバラの侍女じじょであったマーリン・アシュリーにさせようと考えているのだ。


「率直にいいなさい。マリーに私の代わりをさせたい、と」

「さすがはお嬢様。話が早い」

「マリーとは身分交換をすると言っていましたから構わない、といえば構わないけど。彼女にその力量はあるの? 王族と会うとなると仕草一つから気品を求められるわよ」


 ハロルドが怪しげに微笑む。


「マリーさんはお嬢様よりもよほどお嬢様ですよ。この半年間、王都の貴族や商人との付き合いを彼女にお任せしてきましたが見事なものでした。お嬢様のように無駄に敵を作ることもなく、微笑み一つで友好的な関係を築かれてましたよ」

「あら? 私はそんなに敵を作っていたかしら?」


 マリエルは、目を泳がせながら宙を見た。


「お嬢様が作られた敵は、ロッヂデール織物組合アドルフ様。顔がかえるのようだと言って怒らせたカーライル侯爵ライナス様。ほかにも大勢おられますがいいましょうか?」

「いえ、結構よ。そろそろ傷口が開いて口笛のひとつふたつ吹けそうだわ」

「このままマリーさんがマリエル・オルセオロでいる方がいいかもしれませんよ」


 ハロルドが意地悪げに笑う。それをマリエルはじっと睨みつけた。


「彼女にそれを成し遂げられる覚悟があるならいいわ。でもね、マリエル・オルセオロという名前は軽くはないわ。マーリンであった方がよかったとおもえるときが必ず来るわ」

「お嬢様にもそんな経験があるとは思いませんでした」

「いっぱいあるわ。まず、近侍を選べなかったもの」


 マリエルがねたように言うとハロルドとエミールはお互いの顔を指さしあって笑った。

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