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第六話 金は人を呼び賊を呼ぶ

 一足早い冬の風が頬を撫でる。


 マリエル・オルセオロは、醸造所の前に並んだ馬車に火酒のたっぷりと詰まった樽が山のように積み込まれていることに満足の表情を見せた。春先から仕込んだこの酒は、晩夏から徐々にウェルセック王国王都ロンドや港町ウェスクリフ、金鉱都市ダラムなど裕福な都市に向けて出荷を始めている。


 麦酒よりもはるかに酒気の強い火酒は、これら寒くなる冬が本番である。夏場であれば、火照った体をのどごしの良い麦酒でうるおすのがいい。だが、冬になり凍えた体を温めるとなれば麦酒は役不足なのである。喉の焼けるような酒気の熱で身体を温めるのだ。


「冬が来る前にこの大半は出荷しないとね」


 皮算用を弾くとマリエルは微笑んだ。彼女の隣では厚手の外套がいとうにすっぽりと体を隠したエミール・ミーラが唇を青くさせていた。彼は温暖なベルジカ王国に産まれたせいかひどく寒さに弱い。


「馬車が足りません。商会と取引のある巡回商人や馬借ばしゃくだけではここにある半分が運べるかどうか……」


 歯切れの悪いエミールにマリエルは、やれやれという目を向けた。だが、彼の言っていることは正しい。マリエルが使える商会の荷馬車は限られている。まして冬が近づいてきている。ウェルセック王国の北端にあるこのウェイクは、雪が降れば陸路は雪に閉ざされ、海路は流氷によって封鎖される。おそらく本格的な冬が来るまでひと月ほどしかない。


「火酒はかなり利益を載せて販売しているわ。それはウェイク子爵に払う酒税と運送費がかかるためと説明しているけど、それなり財力がある商会や商人はもっと安く仕入れたい、と考えているはずよ」

「つまり、お嬢様はこの最果てのような街まで買付けが来るとお思いなのですか?」


 マリエルはすました顔でうなずいた。


 いまのところウェイクで製造されている火酒は、オルセオロ商会が独占して販売している。だからこそ、価格に関しては有利な立場にある。相見積あいみつもりを取ろうとしても他の商会では取り扱いがなく、卸す卸そないはオルセオロ商会が持っているのである。買い手と売り手のどちらが強いかは考えるまでもない。


「お酒とは不思議なものね。麦酒や葡萄酒も美味しいけど、ほかにも別の酒があると知ると欲しがらずにはいられない」

「鉱山にしても港町にしても冬の寒さはひどいものです。ろくな娯楽はなく、体は冷えている。そうなれば強い酒が欲しい、と思うのは当然でしょう。しかし、いいのですか。せっかく独占している火酒を商わせて」


 いまオルセオロ商会が強気な値段設定ができているのは独占しているからである。もし、ほかの商人がこの街まで買い付けに来て商うようになれば、今の価格はとても維持できないのではないかとエミールは思うのである。


「いいわよ。そんなもの。だってうちの商会だけが、あの子爵に税金を払い続けるなんて嫌だもの」


 マリエルは不満さを顔いっぱいに出していった。

 彼女から税金をかけるようにウェイク子爵エドワードに進言したと思えない発言にエミールはひどく顔をしかめた。マリエルはエミールの表情になんの興味も示さずに言う。


「酒税は、この街の門を出ていく樽にかけられている。別に私の醸造所で作られている酒にかけられているわけじゃないの。つまりね、取りに来てもらったほうが楽だしお金も節約できるのよ」

「お嬢様は最初から酒税をほかの商人に押し付けるつもりでしたか?」

「そうよ。だって損するの嫌じゃない。宣伝費は構わないけど、それが終わったあとはどんどん、と利益で回収しないとね。そのためには税金は他所よそにお願いしないと」


 幼子のように笑う彼女を見てエミールは思う。彼女が男子ならばオルセオロ侯爵家は完璧にベルジカ王国を牛耳ることができたかもしれない。あるいは王位さえ手にかけられるかもしれない。だが、今の当主もそのあとを継ぐであろう彼女の弟もその手の気概はない。


「本当に来ますかね?」

「来るわよ。絶対に」


 マリエルのこの言葉はすぐに現実になった。王都ロンドにある商館だけでなく港町ウェスクリフ、金鉱都市ダラムからも買付けの商人が来たのである。田舎町はにわかに多くの商人と荷を運ぶ馬借、人足にんそくに溢れた。街では居酒屋だけでは宿が足りず、パン屋や組合が臨時の宿を開くことになった。


 これに驚いたのは、街の人々だけではなかった。



「エドワード様。酒税が今日だけでも銀貨千枚になりました。オルセオロ商会は大きな組織とは聞いておりましたが、これほどとは」


 興奮した顔で報告に来たのはエドワード・ウェイクの父の代から仕えている家宰かさいだった。彼は少し前まで収入の少ない子爵家を支えるためにさまざまな倹約策を取ってきた。城館の修理は家臣たちで行い。大工の工賃を削り、食費を抑えるために城館のなかに大きな菜園を作りもした。


 それがわずか半年で子爵家の収益は倍を超えて四倍になりつつある。古くなったまま宝物庫にしまいこんだ鎧や武器、馬具に旗などをこの機会に修理したり買い直すこともできる。家宰は子爵家としてみすぼらしくない体裁を整えるのならば今ではないかと思っていた。


「なんだか現実味がないな。つい先日まで銀貨一枚の工面くめんにも苦戦していたというのに」


 エドワードは困惑した顔で頭を掻いた。深い赤銅色の髪が揺れる。


「全くです。エドワード様、この機会に長らく宝物庫にしまいこんである伝来の鎧兜を修理いたしませぬか? 平和なご時世ですが、いざというときにエドワード様の武具がぼろぼろというのは貴族としてよろしくありません」

「いや、それは別の機会でいい。それよりもその金で大麦や小麦を仕入れてくれ。これだけ外から人のではいりが多ければ街では食料の消費が激しいだろう。貨幣はそのままでは喰えないのだから食料に変えておく方が良いだろう」


 エドワードが笑うと家宰は少し残念そうな顔をしたあと「分かりました。すぐにでも手配します」と頭を下げた。この子爵領の寒さはエドワードにしても家宰にしても身に染みている。冬に食料が尽きるほどの絶望はないのだ。


 家宰が手配の為に立ち去ろうとしたとき、エドワードが思い出したように口を開いた。


「あと、武器を用意してくれ。数打の安物でいい」


 武器という穏やかではない単語が出て家宰はいささか狼狽ろうばいした。狩りのために武器を使うことがあっても人に向けて使ったことはない。それほどにこの辺境へんきょうは平和なのである。


「……なぜでございましょうか?」

「人の出入りが激しいからな。用心だ。俺の領地は平和だから使うことはないと思うが、あれば変事には使えるだろう」


 家宰はエドワードの言葉に黙って従った。





 雪がはらはらと振り始めると。ウェイクを賑わせた酒の買付けはひと段落をついた。雪に道を閉ざされることを恐れて商人が足早に帰路に着いたからだ。街外れの醸造所ではマリエルは鼻歌まじりに貨幣を数えていた。


「来年にはもうひと棟増やしてもいいかも知れないわね」

「そのご様子だとずいぶんと儲かったようですね」


 エミールが言うとマリエルはにんまりと微笑んだ。それはうららかな春のように明るいものであったが、エミールはこれほどまで欲にまみれた笑顔を始めてみた気がした。幼いころから蝶よ花よと侯爵家のご令嬢としてなに不自由なく生きてきたというのになにが彼女をそうしたのかエミールは首を傾げざるを得ない。


 あるいは臣下である自分や同じ家臣であるハロルド・マルコーンの教育のせいかもしれない。そこまで考えてエミールは頭を左右に振った。


「儲からないと商売にならないわよ。職人たちにはもっと頑張ってもらわないとね。賃金も上げてあげましょう」

「……お嬢様の口から賃上げの言葉が出るなんて明日は雨ですね。いえ、大雪ですね」

「エミール。別に私はちゃんと仕事に対しては賃金を払う主義よ」


 マリエルは心外だばかりに眉間に皺を寄せるとエミールを睨んだ。


「その割には、私とハロルドの賃金があがっておりません」


 エミールが無表情に言うと彼女は少しあっけにとられたあと大きな声で笑った。


「分かったわ。では、紹介状を書いてあげましょう。誰がいい? バーバラ様? それともベルジカにいるネウストリア大公ニコロ様がいいかしら? いっそのこと少し遠くてトリエル王国なんてどうかしら?」


 帳簿をつけていたペンを握り直すとマリエルは、真新しい羊皮紙を用意した。インク壺にペン先をつけながら紹介先を思案する彼女の姿にエミールは、口を開けたまま絶句した。


「ねぇ、どこがいいの? この際だから希望を聞いてあげるわ」


 マリエルはにこにこと笑窪を見せるが、瞳だけはひどく冷めた色をしていた。


「……お嬢様、本気ですか?!」

「本気よ。だって私のもとでは賃金が安くてやってられない。バーバラ様のように大人の色香もないし。わがまま放題で仕事もきつい。しかも、勤務先は寒い。なんて古い家臣が言うならより良い職場を探してあげるのが優しい主人というものでしょ?」


 確かにお嬢様には色気はありませんね、という台詞が浮かんだがエミールの喉はそれを言葉にすることはなかった。そんなこと言えば間違いなく彼女は紹介状を書くだろう。その先は、トリエル王国かもしれないし、とんでもない貴族のもとかもしれない。


「そのお言葉だけで十分です」

「そう? いいのよ。遠慮しないで。幼い頃からの付き合いじゃない」

「お嬢様の元で働くことが私の幸せですので」


 エミールがなんとか作った笑顔を向けると、マリエルは「最初から言わなきゃいいのよ」と、とびきり人の悪い顔で応じた。エミールはとんだ主人を持ったのもだとため息を吐いた。そのときだった。部屋に若い職人が飛び込んできた。


「エミールさん、お嬢様。変な輩が近づいてきます!」


 エミールは若い職人を押しのけて醸造所の出入り口に駆け出ると外を眺めた。うっすらと雪の積もった道の向こうに荷馬車を含めた三、四十人の人影が見えた。手や肩に剣や槍を担いでいるところからそれが商人というのは無理があった。


「賊だ! 出入り口を固めろ!」

「エミール! 何事です!」


 職人や人足たちが醸造所の鎧戸や出入り口を閉じるなか、マリエルがエミールに駆け寄る。彼女の目にも賊の姿が見えたらしく、マリエルは所内に取って返すと醸造所で働く女や子供に二階に逃げるように指示した。


「エミールさん、どうしますか?」


 知らせに来た若者が二十名ほどの職人と一緒に棒や鉈をもって集まってきていた。エミールはこの人数で賊を押し返せるとは思わなかった。だが、防衛はできるかもしれない、と考えた。


「金を出してもただでは済ましてくれないだろう。防衛する」


 男たちは大きな声を出してから元気を出したがこういう戦いに慣れているというものは誰もいなかった。女性たちの誘導が終わったのかマリエルが涼しい顔でやってきた。


「お嬢様も二階へ避難してください。ここは我々で押さえます」

「エミール。そうはいかないの。今から仕事をしないと」

「お嬢様!」


 彼はマリエルの肩を掴むと強引に二階に連れて行こうとした。しかし、彼女はその手を振りほどくと、商談をするときと同じ声を出した。


「やめなさい。私はあの賊と交渉をします」

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