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第五話 金鉱は酒場にある

「へっぽこ領主に新しい富と領民の長期的な幸せ与えたうえで、商会の新しい利益を稼ぎ出すくらい容易なことよ」


 そう言って誇らしげに胸を張ったマリエル・オルセオロであったが、十日後のいまは街で数件しかない居酒屋の一つで頭を抱えていた。その様子を彼女の従者であるエミール・ミーラは遅めの夕食を食べながら眺めていた。


「なんなのよ、この領地は。本当に産業のさの字もないじゃない」


 苛立った目つきでマリエルはエミールを見るが、彼はそんなこと気にならない、という様子で雑穀まじりの黒パンを几帳面なくらい細かくちぎって干し肉と豆を煮込んだスープに浸していた。黒パンが汁をすってやわらかなくなったところで口に放り込む。


「お嬢様。食事中は静かにするものかと」

「あなた、主人がこんなにも困っているというのによく食事ができるわね。普通なら心配して食事はおろか水さえも喉を通らない、というのがよく出来た従者ではないの?」


 マリエルは粗末な木の机に両肘をつくと不満を漏らした。エミールはいつもと変わらぬ表情のまま、木でつくられたさじで豆と肉をすくいあげる。


「お嬢様。食事が喉を通らない、というのは恋をしたときによく使われる言葉です。私はお嬢様に恋することはありませんし、なにより従者が主人と同じように絶食しては、いざというときに行動できません」

「その、いざというときが今なのじゃないかしら。この産業のない街でいかに新たな金鉱を見つけるか」


 豆をもぐもぐと咀嚼するとエミールは木のさかずきに手を伸ばす。そして、なかに入った液体をいかにもうまそうに飲み干した。


「しかし、あれから色々と調べましたが、この領地は本当に貧しいのです。まず、農業は大麦や豆が主であり、小麦は気温が低すぎて栽培に適していない。次に酪農ですが、夏場に利用できる草地はありました。ですが、冬の寒さが厳しく、羊や牛、豚を越冬させることが難しい。最後に北に広がる北海を利用した漁業も検討しましたが、この地域の海は北からの風をもろに受けて凪の日が少ない。また、水深が深く網を沈めることが難しい。つまり、漁業にさえ向いていない。お手上げです」


 淡々と答えるエミールにマリエルは腹立たしさを覚えたが、彼の言うことは事実であった。エドワード・ウェイク子爵が治める領地は、神に見放されたかのように悪条件が揃っている。気候に地勢、そのすべてが今あるものを生かすのが精一杯という具合なのである。


 幸いなのは、ウェルセック王国は、戦乱と無縁であり二十年ほどの平和の中にあるということである。戦火がなければ、兵糧に食料を取られることもない。おかげでこの領地では、わずかとはいえ大麦だけは備蓄ができているらしい。


「そうなのよ。驚くほどに負の要素が多い。あの領主が現状維持を決め込んで諦めるのもわかる気がしてきたわ」

「では、諦めて王都へ戻りますか? おそらくハロルドもマーリン嬢もおかえりをお待ちしているでしょう」

「まさか、私が諦めるだなんて。ありえないわよ。エミール。私が……」

「誰か言ってごらんなさい、でしょうか?」


 マリエルの先を読んだエミールは、そう言った口が乾かぬうちに居酒屋の女将に空になった杯を指さした。女将は「あいよ」と答えると彼の杯を受け取ると、奥の調理場に戻っていった。


「……エミール。おかしいわ。気が効かない、あなたが私の先を読むなんて」


 驚きに表情でマリエルはエミールを見た。彼はといえば相変わらずの無表情で食事の続きを楽しんでいる。「お待ちどうさん、あんたよく飲むわね」と、女将は先ほどの杯を彼の手元にどん、と置いた。エミールはそれを嬉しそうに受け取ると口に入れた。


「水ばかり飲んでると、お腹に悪いわよ」


 いろいろなものが不足しがちで豊富にあるのは水だ。冬場に山々に積もった雪は、春から夏にかけてゆっくりと溶け出し、大地を染み込んでからこのウェイクで湧き出している。


 彼女が忠告をすると、エミールの後ろにいた女将が「水? ありゃお酒だよ」と笑って答えた。


 杯をのぞきこむ。杯の中には透明の液体で満たされており、マリエルの故郷でよく見かける麦酒のような泡はなく、色も黄金色ではなくほぼ透明だった。なによりも麦酒と違う蠱惑的で甘い花のような匂いがした。


「なによ、これ?」

「食事には酒は必要不可欠な要素かと」

「なぜ、私の杯は水であなたの杯はお酒なのかしら?」

「お嬢様にはこのお酒はまだ早いと判断しました。ただ、これだけは申します。この酒は美味しいのです」


 マリエルは理解した。どうにもエミールの口が滑らかだったのは酒のせいだ、と。


「エミール。すこし、耳を貸しなさい」


 そう言ってマリエルが手招きをするとエミールは頭を彼女の方へ寄せた。マリエルはその耳に向かって「このうつけ者!」と怒鳴りつけた。彼は一瞬、何が起こったのか分からぬように目を見開いたあと、耳を押さえて机に突っ伏した。その様子を薄笑いで見たマリエルは、彼の飲んでいた杯を取り上げると口をつけた。


 甘い香気に反して味は、ほろ苦く酒気が喉を焼くように強かった。


「これは?」

火酒かしゅだよ。酒気が強くて火がつくからそう呼んでるんだ。二十年前に王都から来た錬金術師が命の水という触れ込みで広めたんだけど、麦酒なんかより体が温まるって、村や組合ごとに作ってるのさ」


 女将は、マリエルに答えると「まぁ、あんたにはちょっと早いだろうさね」と笑った。確かにこの酒気はマリエルにはすこしきつかった。しかし、彼女は杯をじっと見つめたあと、耳を押さえて呻いているエミールの頭を軽く叩くと満面の笑みをした。


「エミール。何をしているの? やっぱり、金鉱はどこにでもあるものなのよ」





 ひと月後、街道をウェイク子爵領へ向かう集団があった。集団を率いているのはエミールだが、そこにマリエルの姿はない。集団の中には大きな荷車が数十台あり、それを守るように武装をした兵士が数十名ついていた。ウェイクの町人は、驚きを持ってその集団を見たが、マリエルだけはそれを喜びを持って迎えた。


「エミール。ご苦労様。でも、あと七日は早く帰ってきて欲しかったわ」

「お嬢様。王都からここまで向かうだけでも十日はかかります。それは不可能です」


 エミールの目の下にできたくまは、彼が休みなく動き続けていた証左であったが、マリエルはそれを気づかぬふりをした。荷車には大きな真鍮製の鶴首つるくびの釜が乗せられており人々を驚かせた。


「さぁ、命の水がこの地に本当に金をもたらすわよ」

「お嬢様の思うとおりになりましょうか? 王都では商館長が随分とお怒りでしたよ」

「投資が多すぎる、でしょ? 聞かなくてもわかるわ」


 マリエルはくすくすと笑うと事前に準備しておいた屋敷に運び込ませた。荷運びの最中は、何が始まるのかと人だかりができた。それは、この寂れた街にはめったにないことであり、騒ぎはすぐに領主であるエドワード・ウェイク子爵の知るところとなった。


 城館から慌てて屋敷を訪れたエドワードは、大量の荷車とそれを見るために集まった人に驚きながらマリエルに声をかけた。


「これは一体なんの騒ぎなのです。いくら、大商会と言っても領民をいたずらに驚かすことはやめてくれないか?」

「これは子爵、こちらからお呼びに行こうと思っておりましたのに来ていただけるとは望外の光栄です」


 マリエルは太陽さえ霞むような笑顔で彼を迎えた。そして、彼の手を取ると屋敷の奥へと連れて行った。屋敷の中には大量の大桶、網を敷いた木箱、粉引き機、そして、領民たちが目を丸くした鶴首の大釜が設置されていた。


「君はこれで何をする気なんだ?」

「はい、これがこの地に生まれる金鉱です。子爵、私――オルセオロ侯爵公認オルセオロ商会全権交渉人マーリン・アシュリーは提案いたします。この地にて火酒の大量生産を致しましょう。」


 マリエルの提案の意味がわからず、エドワードは目を白黒させた。


「マーリン? わかるように言ってくれないか?」

「子爵は私に言いました。ここには売れるものがない、と。だから、私は用意しました。この地から外へ売れるものを。それがこの地で細々と作られていた火酒です」


 火酒はエドワードも知っている。二十年ほど前にこの地に現れた錬金術師が伝えた酒だ。大麦で作られた酒気のほとんどない酒を何度も蒸留することで強い酒気を持つ酒ができる。それをこの商人は、商品にしようとしているのか、と彼は驚いた。


「火酒を? あれは民の少ない娯楽だと許可しているんだ。それを売るとなると君の言うように税を掛ける必要がある」


 エドワードはひどく渋い顔をした。民が娯楽のために作っている酒に税をかければ、彼らの反発は避けられない。冬になると雪に閉ざされるこの領地では、この火酒は食事の楽しみ以上のものだ。それは村や組合ごとに技工を凝らせて味を競う、というものだ。


「うちの火酒は他と違うんだ。この高貴な香りは最高だろう」

「いいや、こっちが一番だ。なんせ一番麦汁だけで作ってるんだ。ケチな作り方はしてねぇ」

「なんのうちは水が違う。湧水を汲み出して作った火酒は、口の中でとろけるんだ」


 冬場の居酒屋などはこんな言い合いで白熱する。

 それに税をかければ、人々はひどくがっかりするに違いない。


「はい、そこでお願いがあるのです」


 大きな金を持つ商会が貴族に求めることは決まっている。関税の撤廃。あるいは優遇である。それらは運送や物資の買い付けを商人に頼らざるを得ない貴族にとっては逃れられないことだ。だが、それを認めると小さな地元の商人から不満が出るのは火を見るよりも明らかだった。


 エドワードはこの女商人が、その手の依頼をしてくると考えた。「なんですか?」と、エドワードが暗い声で返す。だが、その返答は彼の想像を超えていた。


「地元で作られている火酒は今までどおりで構いませんが、私どもが作る酒に税をおかけください」

「……なに」


 エドワードは目の前の女性が何を言っているのかすぐに理解できなかった。自分たちにだけ税をかけろ。彼女はそう言ったのだ。利益を重視する商人が、損になる事を言っている。エドワードが知る商人が決して言わない言葉だ。


「子爵は私どもが領民の楽しみを奪うのではないか、と思われたはずです。ですが、私の目的はこの地の火酒を王都やさらにその外の国に売ることです。この領地の中で売ることではありません。いま、この領地の中で作られた酒は領地内だけで飲まれている程度で外にまでは伸びていない。つまり、私たちの商売敵にはならないのです」


 マリエルは諭すように言った。

 確かに領地でできる酒は領地の中で消費され、完結している。外に販売しようという彼女は、地域で終わるものとは競合になりようがない、と考えているのだ。エドワードはそれに気づくと意地悪な質問をした。


「もし、領民がまとまって君と同じようなことを始めれば、税がかからない領民の酒が安く提供できるようになる。そうなると君は大損なんじゃないか?」

「ええ、短期的には大損です。でも価値があるからするんです。それにもし、商売敵が出てきたらそのときは味で蹴散らします。なので問題にはなりません。」


 マリエルが言うと、エドワードは遠くを見つめたあと言った。


「分かった。認めよう」


 彼の答えを聞いたあと、マリエルは大きく息をついた。そして、いたずらげな表情をするとエドワードに小さな声をかけた。


「認めてもらえて良かったです。もう、道具をすべて用意したあとでしたので許可してもらえないと、本当の大損になるところでした」

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