第十四話 告げ口
「俺に何か報告すべきことがあるのではないか?」
王太子アラン・ウェルセックに詰問されてヘンリー・ウェルセックは誰が無用なことを報告したのか、と奥歯を噛んだ。
「兄上、ウェイク子爵エドワードのことなら使者を送り、エクセクの代官にも探らせています。いまはまだなにも確定した情報はありません」
アランの戴冠式まであと五日となり王都に到着していないのはエドワードのみである。たとえ、彼が出席せずとも戴冠式に影響はなく、全てが終わってから対応しても問題はない。だが、ヘンリーの兄であるアランにとってはそれが我慢できないことは表情を見るだけで十分であった。
「諸侯の中で王都に現れぬのはエドワードのみ。さらに奴が武器と大麦などを買い込んでいたという情報もある。これが謀反ではないとお前は思うのか?」
この言葉の後ろには「お前が指図したのではないのか」という無言の問いかけが含まれているのは明らかであった。アランに次ぐ王位継承権はヘンリーである。反乱が実際に起こればヘンリーは最初に疑われる立場に居る。だが、ヘンリーにはその意思はなく事実を確認するために奔走しているのである。
「エドワードの領地は我が国でも最北端にあり、冬は深い雪と風に閉ざされる辺境です。悪天候によって使者や当人が身動きを取れないということも十分にあります。なにより彼には反乱を起こす政治的な動機もなければ、協力する有力な諸侯もいません」
ヘンリーは自分のことは交えずに今わかっている情報をすべて示した。アランはそれを鼻で笑うと「だが、対応はせねばなるまい」と短い答えを出した。
「では、エクセクの…‥いえ、ランスヒル男爵トマス殿に兵を預けて詰問に向かわせるべきだと思います」
エクセクの代官は下級貴族の出身でアランとはあまり親しくない。むしろ、職務上ではヘンリーと交流がある。ここで彼にエドワードへの詰問を任せるとアランは、ヘンリーと彼が内通していると疑いかねない。それよりはアランの近侍であるランスヒル男爵トマスに任せるほうが良い、とヘンリーは考えたのだった。
「なるほど、トマスか。あやつなら北方に土地勘もある。武勇も申し分ない」
アランは何度も頷くとこの人選を認めた。
問題はどれくらいの規模の兵を動かすかである。過小であれば反逆が事実であった際に問題になり。過大であれば兵士たちの食料の問題が現れることになる。ただでさえ食料の乏しい北方に兵士が向かうのである兵站の支えられる規模はしれている。
「そして、ことの事実が明らかになるまで私を拘禁されるようにお願いいたします」
ヘンリーはそう言ってアランに頭を下げた。
「ヘンリーそれはどういう意味だ?」
「もし、反乱が事実である場合、反乱の大義名分が必要です。ですが、いまの情勢で掲げられるものはほとんどありません。唯一あるのが兄上の即位を認めず、私を擁立する、というものです。彼にどのような野心があるとしても大義名分になる私が兄上の手中にあれば政治的に利用されることはないはずです。私は兄上の即位を望み、それを願うものです。自分がその障害になるというのなら自ら檻に入ることもいといません」
アランは少し驚いていたあと、胸を打たれたように暖かい目をヘンリーに向けた。そして、手を強く握り締めた。
「流石は俺の弟だ。それほどまでに思ってくれる弟を持って俺は幸せだ」
ヘンリーは内心でほっと一息をついた。
王位に就く気がないのは心からであるが、兄を案じてよりも自分の身を案じてというのが彼の正直な思いであった。王族に生まれたからには誰かに利用される可能性がある。一度でも利用されれば人生は自分の意志とは関係なく転がり続けることがある。それは父である先王アルフレッドが教えてくれた教訓だった。
「では、兄上。即位式まで私を王宮のどこかで幽閉してください。式典の準備などは、部下の文官に任せることになりますが」
「分かった。後任を決めておいてくれ。しばらく難儀な生活になるとは思うが、俺たちの仲を裂こうとする者の陰謀を防ぐため決意することとしよう」
アランは数人の侍従を呼び出すとヘンリーを拘禁する部屋の準備と警護を命じた。ヘンリーは引き継ぎを行うために執務室に戻ると、残っていた文官に事情を伝えた。文官たちは困惑を隠せずに「諸侯の応接や儀典は我々では荷が重い」と口にしたがヘンリーは強引に残っているもののなかで高位にある文官を選んで代行を命令した。
「ダリオさん、あなたに代行をお願いします」
「セティーか。バートさんが残ってくれていれば……」
ダリオは深い溜息と一緒に不在である二人の同僚の名前を呼んだ。セティーは行方不明であり、もっとも経験豊かであるバートはエドワードのもとへ使者として出立している。ダリオは額の皺をさらに深くさせて頷いた。
「殿下。老婆心から申し上げますがアラン様にウェイク子爵のことを漏らした相手は探っておくべきだと存じます。火のないところで煙を上げようとする輩がいるのならその思惑の方が気になるところです」
「そうだね。ダリオさん、あなたの言うことは最もです。拘禁されている間に探ってみます」
「拘禁される楽しみができましたね」
ダリオはにっと歯を見せて笑ってみせたが、ヘンリーからは余計な心労が増えただけのように思えた。兄であるアランはウェイク子爵の件について情報を疑う素振りを見せなかった。それは彼に情報をもたらした相手に相当な信頼があるために違いない。
アランが信頼するものといえば近侍か、祖父にあたるマナーズ公爵ヒューゴくらいのものである。もし、彼がヘンリーを排除するために動いているのだとすれば一応の筋が通るのだが、エドワードだけがしっくりこない。
なぜなら、彼だけが得をしないからである。
ヒューゴがエドワードを焚きつけたにしても、謀反人になれば厳罰は免れないのである。いくら大貴族の言葉であったとしても迂闊に乗れるものではない。あるいはエドワードにはヘンリーを排除する個人的な理由があるのかと想像してみたが、どうにも結びつかない。
「どうにもおかしい」
ヘンリーが独り言を呟くと遠くから侍従がやってきた。
「殿下。ご案内します」
侍従のあとを歩きながらヘンリーは思った。
果たして自分はどこへ向かって歩き始めているのだろう。もしかするとすでに自分はとんでもない場所に向かって転がり出しているのではないか、と。