第十話 兄弟
王太子アラン・ウェルセックとの対談はひどく退屈なものだった。
王族というのは普通の人間と違い侵しがたい威厳や品格があるのではないか、と思っていたマーリン・アシュリーにとって肩透かしを食らったようなものだった。確かにアランは王位を継ぐにふさわしい鋭い眼光に優れた身体、明快な受答えをする一角の人物だった。
だが、マーリンにはどこか物足りないように見えた。
「我々はいわゆる従兄妹ということになるが、貴女を見れば往時の叔母上の美貌がいかほどであったか分かろうというものだ。いまだに宮中では叔母上の姿を讃えるものが少なくない。俺もいつかご挨拶くらいしたいものだ」
アランの言う叔母上とは本物のマリエル・オルセオロの母ルフスリュス・ウェセックのことだが、偽者であるマーリンは会ったこともない。二十年前にベルジカ王国の侯爵――ルキウス・オルセオロに嫁いで以来、彼女は一度もウェルセック王国に帰国したことはない。
「時の流れは思い出を美化させるものです。そして、時は残酷に人を変えましょう」
「いや、貴女を見れば分かる。時の流れでは変えられぬ美しさもある。それにしても残念なことだ。この会見が公式なものであれば盛大な晩餐を開き、我が麗しき従兄妹殿を臣下に披露できるというのに」
いかにも口惜しいという様子でアランが言う。その姿に嘘や偽りはないように見える。もし、これが演技であるとすれば彼はなかなかの役者であり、外交の巧緻者と言えるかもしれない。だが、マーリンの見る限りアランは正直者だ。彼は自分が感じたこと、思ったことを素直に口にしている。
「それは、陛下が快癒なされたときにお願いいたします。アラン様が私の母にお会いしたことがないように、私も叔父上であられるアルフレッド陛下とはお会いしたことがありませんので」
「父上か……」
アランは表情を曇らせた。それは偽りではできぬものである、とマーリンの目には映った。
「やはりお加減が」
「ああ、悪い。春が訪れるまで父上のお体も気力も持たないだろう」
本来ならば諸侯立会いのもとで王位を継承するべきだがこの様子では、まだ雪が残るうちにアランは王位につくのだろう。王位継承には常に内乱の種がついてまわる。それは兄と弟であったり、叔父と甥が争うという単純なものではない。その周囲に居る貴族や官民を巻き込むものだ。ゆえに王はすべての臣下に次の後継者を明らかにしなければならない。
だが、病に倒れた王の命は臣下が集まるまで持ちそうにない。
「雪に閉ざされた北方は無理としても、すでに雪解けが始まっている南方の臣下には招集をかけている。早ければ六日後には伝国の儀を行う」
「……その際は心よりのお祝いをいたします」
「それはいい。オルセオロ侯爵家は裕福だと聞く、大いに祝っていただこう」
アランは笑って応じたがその表情には覇気が欠けた。王位を継ぐことへの恐れがあるのかもしれない。マーリンにとって王族とは遥かに上の存在だった。だが、こうして会ってしまえば同じ人間にしか見えない。笑いもすれば怯えもする。緊張だってするだろう。だとすれば、何を持って彼ら王族が人々の頂上に立つのか。彼女は考えてみたが答えは出なかった。
「家が傾くほどはお祝いできぬでしょうが、船が傾くほどは保証いたします」
「誠に剛毅なものだ。その強さが我が弟にもあれば良いのだが」
「弟と申されるとヘンリー様ですか?」
「そうだ。あいつは臆病が過ぎる。今回の継承の件でも臣籍降下を自分から申し出てきた。行政処理や勘定などはひどく得意なくせに前に出たがらない。俺はあいつに文官を統率させたいと思っているというのに」
口惜しそうに語るアランには異母弟に対するわだかまりのようなものは見えない。むしろ、兄弟として彼の行く末を案じているようにすら見えた。
「では、ヘンリー様は姓を捨てられるのですね」
「ああ、ただ爵位もなしというわけにもいかぬので王領となっている東のコペント、西のスウィッチ、南のノッチ・バラ、北のダラムのいずれかを所領として与えて公爵にするつもりだ。父上も認めてくれている」
波乱を予想したウェルセック王国の王位はすんなりと次代に移りそうだった。マーリンは生まれ育った国が内乱という戦火に襲われることがなさそうだと少し安心した。
「しかし、もったいないことです。優れた才をお持ちならそれを生かすべきだというのに」
「俺も何度も言っているのだが、僕には兄さんのように人のうえに立つような覇気とか気概が乏しい。出来ることならただの文官として目立つことなくいたいんだ、と言ってきかない」
無欲というべきなのか自信がまったくないのか、マーリンには区別できないがヘンリー王子には政治的な野心はまるでないように感じた。
「謙虚というか。なんというか」
マーリンが呆れた声をあげるとアランは少し微笑んで見せた。
「せっかくだ。弟にも会ってやってくれ。そして、貴女の自信を分けてやって欲しい。この調子ではあいつは臣下にも馬鹿にされる臆病者になりかねない」
「それは構いませんが、私が気合をいれても筋金入りの弟君には効果はないのでは?」
「どうだろうな。俺が言っても無駄かもしれんが麗しい女性から言われれば多少は違うかも知れない」
アランは豪快に笑うとマーリンにヘンリーの執務室を伝えると部屋から出て行った。マーリンは思う。殿方は愛する女性のためになら生き方さえも変えられるというが、そうではない女性から口うるさく言われれば不快になる。ましてや会ったこともない親戚から言われるというのは煙たいだけだ。
とはいえ、せっかくの機会である。紹介をうけた以上、会わずに去るというのも礼儀に反する。マーリンは気乗りしない足どりで、宮中にあるヘンリーの執務室の扉を叩いた。乾いた木のいい音が響くが、なかから反応はない。
「不在かしら」
マーリンは、このまま帰ろう、と考えながらも最後にもう一度だけ扉を叩いた。するとなかからひどく慌てた男性の声と書類や何かが落ちる音がした。何事かと思いマーリンが扉を開けると垂れ目がちの青年が書類をかき集めていた。
色の濃い金髪はきちんとなでつけられ身なりもしっかりしているのだがどこか頼りない。先程まで会っていたアランがいかにもな王子であったのに対して目の前にいる王子はひどく場違いに見えた。
「伝国の儀での席次でしたらすぐに持っていきます」
床に散らばった書類をかき集めているヘンリーは視線を向けることなく言った。マーリンはなんて言っていいか分からずそのまま彼の様子を眺めていた。反応がないことを訝しく思ったのか書類を抱えたヘンリーが顔をあげる。彼はしばらくマリーンの顔を見つめると「誰ですか?」と間の抜けた声を出した。
「ベルジカ王国のオルセオロ侯爵とウェルセック王が妹ルフスリュスの長女マリエル・オルセオロです」
マーリンはマリエルと身分を交換してから何度となくおこなってきた名乗りをあげた。彼女の名前の効果は抜群であったらしくヘンリーは口をあんぐりと開けたまま数歩後ろに下がる。しかし、すぐに背後にあった机にぶつかり、手にしていた書類もろとも座り込むように床に倒れた。
これほどまでに頼りのない王族もいるのか、とマリーンはヘンリーに手を差し出した。
「あ、これは、どうも。はじめまして」
ヘンリーはマーリンの手を握るとすぐに手を離した。
「握手ではなく助け起こそうとしていたのですが?」
マーリンが首をかしげてみせるとヘンリーは自分が床に座り込んでいることに気づいたらしく慌てて起き上がった。その拍子にまた書類が散乱したのでマーリンは苦笑いのまま、拾い上げていった。書類はアランの王位継承に関するものや晩餐での順序や予算に関するものだった。妙に細かい文字で書かれている。
「これは失礼しました。マリエル様」
「様をつけるのはこちらですよ、ヘンリー様。あなたは王子様。私は侯女。身分ではあなたが上です」
「あっでも、僕はもうすぐ臣下になる身ですので」
伏し目がちになるヘンリーを見てマーリンは「この王子は本当に自信がない人なのだ」と驚いた。市井の者や官吏でももっと自信や自負心をもっている。だが、この人物はどうにもそういうものが希薄なのだ。
「それでもです」
「いやーでも僕は偉くないので」
王子が偉くないとすれば誰が偉いというのかマーリンには理解できない。
「そうかしら? これはあなたのお仕事でしょう?」
マーリンは拾い集めた書類を彼に差し出した。それを見たヘンリーは首が外れそうな勢いで頷いた。
「なら、ヘンリー様は立派に職務をなさっています。仕事をきちんとする人は偉いものです。逆に責務を果たさない人は身分に関係なく偉くないのです」
「立派だなんて」
ヘンリーは顔を赤くして頭を掻いた。どうやらこの王子は恥ずかしいことや嬉しいことがあると頭を掻く癖があるらしい。マーリンの目から見てヘンリーの人となりは柔和で勤勉である。書類には注釈や説明がきっちりと書かれており、受け取る者が迷うようなことがないように気が使われていた。
「ヘンリー様はもっとご自信を持つべきです」
「自信だなんて。僕は兄や父が言うように強くは振舞えません。文官として無難に務められればそれでいいと思っているのです」
「そうですか? 私はヘンリー様はもっと上を目指されても良いお方だと思いますよ」
「なぜそんなに僕を買ってくれるのです。いくら従兄妹と言っても初めて合うのに」
心底から分からない、という顔をするヘンリーが面白くてマーリンは微笑んだ。
「私には分かるのです」
「分かる?」
「ええ、こうやって相手の瞳を見ればその人が相応しい地位にいるのかどうか。私には分かるのです」
口からでたはったりであったがヘンリーは一応納得したらしく「そうですか」とつぶやくように応じた。マーリンは二人の王子に出会い、ひとつの答えを得た。ウェルセック王国の王位では争いは生じない。ヘンリーはアランが王位につくことを望んでいる。彼は王という重責に耐えられない。