プロローグ
崩れ落ちた城壁の上を歩く。
遠くの方ではいまだに戦闘の音が鳴り続いている。すでに守将は亡く、強固であった城壁もない。それでも兵士たちが降伏しないのは、奇跡を信じているのか。あるいは意地、矜持と言った物なのだろうか。どちらにしても彼らはもうすぐこの世から消える。
マリエル・オロセオロはそんなことを思いながら自らの手を見た。白い青磁のような肌は傷ひとつ見当たらない。とても戦場に出る者の手ではない。だが、この手は真っ赤に血塗られていることを彼女は知っていた。
きっと人々は自分たちのことを簒奪者と呼ぶだろう。
王位を奪い去る偸盗。血まみれの手で王冠をかかげる悪党である。もし、彼女が彼と出会わなければ、この内乱はもっと早く終結していたに違いない。そうすれば、兵士たちのいくらかは平和を享受出来ただろう。だが、代わりに愛しき彼はただ無残に命を散らしたに違いない。
「エド。私たちは出会うべきではなかったのかしら」
マリエルは、ここにいないエドワード・ウェイクのことを思った。
彼とその他多数の命を天秤にかけたとき、彼女の天秤はたった一人に傾いた。自分でも公正ではない、と思う。しかし、彼がいない世界とそうでない世界なら、マリエルは何度でも後者を選ぶ自信があった。絶対多数の幸福を認められない自分の独善は、血まみれマリー、と呼ばれるにふさわしい。彼女は自嘲気味に微笑むと城壁を越えた。
もう、彼女と王城を遮るものは何もない。王城は彼女を拒絶し、のたうち回るかのようにいたる場所から黒煙を上げている。いくつかの小塔からは白い石楠花を象った戦旗がたてられ、味方による制圧が終わったことが見て取れた。
「あそこに居るのかしら? マリーは」
マリエルは王城の中でもひときわ大きい塔を見上げた。王族が寝起きする居住塔。王城でもっとも立派で堅牢な建物であるが、それだけで敵を跳ね返せるようなものではない。いずれは破られ蹂躙される。
あの中は、ウェルセック王国国王ヘンリーがいる。そして、もうひとりのマリーもあそこにいる。マリエルと同じ『マリー』の愛称を持つマーリン・アシュリー。彼女はいまどのような気持ちでそこにいるだろう。怯えているのだろうか。それともヘンリーとともに戦っているだろうか。
どちらにしてもマリエルは彼女に問いたかった。
「私が誰か言ってごらんなさい」