雨
この度、日本文学館の超短編小説の部で佳作賞をいただくことができました。応援してくださっている皆さん、本当にありがとうございます。これからも木と蜜柑はよい作品が書けるよう頑張っていきますので、これからもどうぞよろしくお願いします。
雨は、時として出会いを連れてくる。
タンタンタン、と雫が刻む一定のリズム。
頬に絡みつく髪。
スカートの裾が足に吸い付いた不快感。
湿った匂い。
ザーザーと激しく流れる川の音。
雨は好きになれない。
「入れてもらってもいいですか?」
ぼんやりと足元を見つめていたら、ふと声がした。顔をあげると、学生帽の青年が鞄を雨避けに立っている。
「どうぞ」
少し隙間を空けてやると、決して広くない木造の軒下に、青年はすっと入ってきた。
とんと触れた肩。気付かれないようにそっと横目で顔をのぞいた。凛とした横顔。不思議と鼓動が速くなる。
「すごい雨ですね。今朝はあんなに晴れていたのに」
降りしきる雨を眺めながら青年が言った。穏やかで優しい声。父親の低いそれとは違って、不思議と頬を紅潮させた。
「そうですね……」
この青年はどこの人なのだろうか。この辺りの人なのか、それとも偶然通りがかっただけなのだろうか。
青年は、服の上を滑る雨をパタパタと静かに払う。
もう一度声を聞いてみたい。
「雨は――好きですか……?」
驚いたことに、いつの間にか口をついて出てしまった言葉。
青年は、ふっと口元を緩ませた。
「ええ。僕は雨が好きですよ。あなたは?」
雫は相変わらずタンタンタンと同じリズムを刻んでいる。
「私は……」
どうしようもなく逃げ出したい気持ちで胸がいっぱいになった。どうしてこのようなことを口走ってしまったのか。
「雨が好きだなんて、可笑しいでしょ? よく人に言われるんです」
初めて青年と目が合った。
黒くて深い瞳。
一層胸が高鳴る。
「いえ……」
考えてみれば、こんなに長く、同世代の男性と話をしたことがあっただろうか。話したことと言えば、ほんの二言、三言。でも、今の自分には十分すぎる会話だ。
「どうしてでしょうね、雨が好きなんて。」
青年はそう呟くと、再び視線を雨の方へ戻した。
雨が止んだら、軒下を出て行かなくてはならない。
雨よ、もうしばらくだけ降っていて欲しい。
長い静寂が訪れる。ただ、タンタンタンと雫の音と、川の音が響く。
きっと何か話すべきなのかもしれなかった。でも、何も話すことが浮かばなかった。だから、何も話せなかった。ときどき、ちらりと青年の横顔を盗み見るだけ。
「あ、雨が止みそうですよ」
青年のこの言葉に、異常なまでに驚いた自分がいた。
「ほんと……」
雨は嘘のようにピタリと止んだ。
空には既に青空が見え隠れしている。
「雨宿りさせてもらって、ありがとう」
青年は、ペコリと頭を下げた。
青年はさっとその場を去っていく。自分もゆっくりと軒下を離れようとする。ほんの少しの雨宿りが、やけに印象深く、遠い過去のように感じた。しかし、心の奥で何かが忘れるな、と懸命に暴れている。
ぱしゃり。
水溜りの跳ねる音。ふと顔を上げると、先程遠ざかった青年の姿がそこにあった。
「ずいぶん道がぬかるんでいるので、気になって戻ってきたんです。
よかったら、家の近くまで送りますよ」
夢を見ていた。懐かしい雨の日の思い出。
温かい布団の中で、すっかり老いた自分の手をじっと見つめた。
雨、すなわち別れ……。
頭上にある仏壇にすっと目をやる。
「誠一さん、今そちらに行きますからね」
眠い。眠くて目を開けていられそうもない。再びながい眠りにつく。ながいながい眠りへと。
雨、すなわち再会。
始まりは、あの日の雨の悪戯。