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いつもと少し違う朝に  作者: 中島 遼
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町北部 3

 「さ、あっちへ戻ろう。ここは精神衛生上あんまり良くない」

 萌たちが村山について入った部屋は台所の向かいにあり、恐らくリビングルームなのだろう。天井は高く、床はフローリングだった。

 「さすがにしばらく眠れないね」

 「もう一度、自己紹介からはじめようか? さっきは今日起こった事しか聞いてないから」

 彼らは暗闇の中でソファに腰掛けて話を始めた。

 最初は学校のこと、家のこと。

 村山が尋ねて高津が答える。そして萌に会話を振られた時だけ、とつとつと少しずつ言葉を絞り出す。

 だが男二人は聞き上手だったので、萌の舌もそれなりになめらかになっていく。

 それで何となくうち解けた風になった頃、村山が立ち上がってどこからか持ってきた平たい段ボールを屋根のようにテレビに乗せ、スイッチをつけた。

 光は真っ直ぐ彼らの方だけに向き、音を最小にしたそれにしばらく三人はそれに見入る。

 「……何となく、異変があった感じはしないね」

 ダイニングキッチンの食卓に肘を突いて、いつものバラエティ番組のところでチャンネルを止めた萌は呟いた。

 緊急時という切迫感は全くない。

 「村山さん、もしノートパソコンがあるんなら、それで今回のことを検索してみたらどうだろう?」

 デスクトップは妻の死体のある部屋にあったので、高津はそういう言い回しをしたのだろう。

 「俺もそれは考えたんだが、うちのプロバイダはケーブルテレビ系列だ。ローカルなだけにサーバーを見張ってそうな気がする」

 「そっか」

 高津はわずかに首を傾ける。

 「テレビでも何も言わないところを見ると、やっぱりこの現象はこの地域だけなのかな?」

 「それはわからない。地球全体がおかしくなってたら、それをことさら取り立てて放送することもないだろうしな」

 萌と高津は同時に身震いした。

 想像するのも恐ろしい。

 「しかしここが敵……敵と呼ぶのがいいのかわからないけど、彼らのエリア内であることは間違いない。そう思って対策を練るしかないだろう」

 高津が首をかしげた。

 「話をぶりかえすようだけど、一体何が起こったんだろう。俺たちの周りの人たちはどうなってしまったんだろう」

 萌は顔を上げた。

 「あれは私のお母さんじゃない」

 「神尾さん」

 「だって考えてみてよ、あいつに首を絞められてた時、高津君、相当殴ってたよね? 私のお母さんはそんなに強くないもの。あれは別のものよ、お母さんはどこか別の場所にいるんだと思う」

 「そう言われればそうだよな」

 高津が頷きかけたとき、村山が複雑そうな顔をした。

 「村山さんはそうは思ってないんだ?」

 「……いや」

 高津はそんな彼を軽く睨んだ。

 「ここでは隠し事はなしにって、部屋に入ったときに決めただろ」

 仕方なさそうに彼は高津を見つめる。

 「……火事場の馬鹿力って言葉もあるし」

 「それだけ?」

 「人は本人が思いも寄らないような力を持ってるものだから」

 「でも、俺もそんなに力がない方には思わないんだけどな」

 ちょっとプライドが傷ついたような声を出したせいか、村山が右手を小さく振った。

 「昨日の君たちの話の中で、包丁で切れて小指が落ちたってのがあったろ? それで俺は思ったんだ。痛みを感じないならそれぐらいのことはできるかもしれないって」

 萌は目を見開く。

 確かにあのとき、あいつは指を落とされても平気だった。

 「痛みって言うのはリミッターだから。歩くのに支障が出るような箇所なら別だけど、筋肉が断裂しようが鎖骨が折れようが、その肉体が出せるだけの力を出すなら、凄いパワーが出ると思う」

 高津が眉をしかめた。

 「じゃあ、あいつらは一体何なんだろう?」

 「昨日も言った通り、情報が少なすぎて答えは出せない。でも、確かに個々におかしくなったにしては統率が取れすぎているとは思う。どうしても仮説を立てろと言うのなら、何者かに操られているという説を一番に持ってくるだろうな」

 「……じゃあ、あれはやっぱりお母さんってこと、か」

 萌は顔を上げる。

 「どうしたら戻せるんだろ」

 そう口にしてから、萌は自分の失言に気が付いた。

 萌の母は小指が欠けてはいるが、曲がりなりにも生きている。

 しかし彼の妻は既に死体になっていた。

 「焦りは禁物だ。今ここで結論を出す必要はないと思うよ。まず俺たちが生き延びて、それから彼らを助ける方法を考えよう」

 だが村山は萌の言葉を気にした風はなかった。

 「君たちが彼らの思惑通りに捕まらなかったということだけなら、彼らは高津君には敵味方を判別する能力がないと考えるだろうから、別の場所を当たってくれる可能性が高い。だが、俺がここにいて病院に出勤していないということは、病院の人たちに怪しまれるに十分だ。その家の付近で君たちが消えたなら、調べてみようと思うだろう」

 「って言ってもどこに逃げたらいいのか……」

 「当初、君が目指していた北の山を越えるのがいいだろうな。隣町がどうなっているのかを確認し、あっちがまともならとにかく逃げ込める訳だし、それに……」

 村山はわずかに顔を上げた。

 「ほら、また呼んでる。とにかく早く来いって、さ」

 「え?」

 きょとんとした萌の前で、高津が驚いたように身じろぎをした。

 「村山さん、何を言っているかがはっきりわかるんだ」

 高津は身を乗り出した。

 「子供の声、ですよね?」

 「ああ」

 「俺はその声の言ってる意味はあまりわからない。でも、味方だってことはわかるから」

 「君が言うならきっとそうだろう」

 しかし、頷いた村山に萌は肩をすくめた。

 「でも、その子供が仮に味方だったとしても、どこにいるのかわからないんじゃどうしようもないよ」

 「声のする方向に歩いていけばいいじゃないか」

 「え?」

 今度は高津が疑問詞を出した。

 「声のする方向がわかるんですか?」

 村山が苦笑する。

 「まいったな、こんなことまで一人一人違うなんて」

 三人の話を総合すると、村山が最も鮮明に「声」を受信しているようだった。

 高津は危険だというような警告としての気分を受け取ることはできるが、言葉としての正確な聴き取りはできないらしい。

 萌に至っては、幻聴が聞こえるような気がするだけという甚だ頼りない物だった。

 「幻聴なんかが聞こえた日には、本当なら自分の頭を疑うか、超能力だって大騒ぎになるところだよ」

 しかし今までの異常な体験は、何が起こっても受け入れる柔軟さを萌に与えたようだった。

 「で、その子供の声はどっちから聞こえるんです?」

 「有り難いことに、北の山の向こうだ」

 高津が頷く。

 「他に何か言ってます?」

 「言ってるけど、意味はよくわからない。黒い人のところに行って、話を聴こうとか、みんなで頑張ろうとか。本人に確かめないと駄目な感じだ」

 「当面の目標、できましたね」

 「あとは持ち物リストに漏れがないかどうかかな」

 「リスト?」

 「山を越えるために必要な荷物の明細。あまり重いと大変だが、途中で食べ物が無くなっても困る」

 「いつリストなんて作ったんです?」

 高津が呆れたような声を出した。

 「まあ、何となく」

 言いながら村山は立ち上がった。

 「どこに何があるかは君たちにはわからないだろうから、ここに持ってくる。詰めるのを手伝ってもらえるかな?」

 「いいけど、明るくなってからじゃ駄目なの?」

 村山は萌に頷く。

 「子供の声が焦ってる。早くしないと間に合わないって。ひょっとしたら、明け方すぐにここは敵に囲まれるかもしれない」

 「えっ!」

 高津と萌は同時に立ち上がった。

 「手伝います、何でも言ってください」

 「じゃあ、お願いするよ。でもその前に着替えようか」

 村山が用意した服に着替えた後、三人は労働を開始した。

 持っていくものをリビングに運び、仕分けする。そしてそれをリュックに詰める。

 しかしテレビの光程度の明るさでもあり、作業は難航した。

 村山の段取りの良さがなければ、きっと朝までかかっても何一つできなかったに違いない。

 「神尾さん、タオルみたいな軽い物は下、重い物は上に詰めた方がいい」

 「どうして?」

 「重心が下にあると、腰が痛くなる」

 リュックへの物の詰め方など、今まで気にしたことはなかったが、村山は懇切丁寧に高津と萌に説明した。

 「食料が重いね」

 それでも極力カロリーの高いものが選ばれているので、家族バーベキューなどに比べると量は少ないかもしれない。

 「俺、量よりも内容が気になる。甘いものがやたら多い」

 高津が板チョコの束と砂糖の袋、飴などを見てうんざりしたように言った。

 他にはチーズ、真空パックの餅、何故かマーガリン、煮干しなどがある。

 「もちろん、何日歩くかわからないから、仕方ないとは思うんだけど」

 キャンプ用のセットから必要なものを出し、再び詰め直していた村山も頷く。

 「カロリーのことだけ考えるなら、多分、サラダ油を持っていくのが一番いいんだろうけど、それを皆で廻し舐めするぐらいなら、チョコの方がましだろ」

 「あたし、全然お腹空かないから、なんだか切迫感感じない」

 「神尾さんも?」

 萌は高津と顔を見合わせる。

 保温ジャーに入っていたご飯は全てにぎり飯にし、リュックに入りきらないのをさっき三人は少し食べた。

 だが、食欲もなく味もあまりわからなかったのだ。

 「俺もそうだ。味も匂いもよくわからない」

 村山がペットボトルの水を一本自分の所に置き、高津と萌には水筒を渡した。

 「食べなくていい身体になったんなら、他に持って行きたいものが一杯あるんだけどな」

 「でも多分そうじゃなくて、俺、神経が参ってるんだと思う」

 高津が溜息をついた。

 「だって、俺、コーラ飲みたい。喉がからからだ」

 「あたしはほうじ茶」

 「……意外と渋いね」

 「そう?」

 萌がそう言った時だった。

 「あ!」

 不意に高津が声をあげた。

 「どうしたの?」

 のんびりした萌の問いかけとは対照的に、高津の声は震えた。

 「奴らが来る」

 「えっ!」

 ぎょっとして凍り付いた萌の前で、高津が立ち上がる。

 「まだそれほど近くもないし、ペースもゆっくりだ。人数がやたら多いから、ここからでも近づいて来るのがわかるんだと思う」

 「俺たちを捜してる?」

 「多分。赤いのが濃いから」

 「速度が遅くて人数が多い……か。しらみつぶし作戦に出たな」

 高津がぶるりと震えた。

 「あるいは、電気のついている家を襲っているとか」

 「あり得る」

 村山は手早く残りの荷物をリュックに詰めた。

 「急いだ方がいいな?」

 同様に持っていた荷物を順番関係なしにリュックに投げ入れた高津が頷く。

 「大至急だよ」

 萌は上着を着た後、自分にあてがわれたリュックを背負いながら溜息をつく。

 「何でこんな真夜中に来るのよ……」

 「まだそこまで夜遅くはないよ」

 「七時就寝したから時間の感覚がわかんない」

 怖さを紛らわすために言葉をかわしながら、萌たちは慌ただしく村山邸の北面にある庭に出た。

 庭は山へ向かってなだらかな傾斜を持つ日本庭園で、本当なら鑑賞会でも開きたくなるほど広く、手入れも行き届いているように見えた。

 だが、もちろんそんな余裕はない。

 「こっちの方角は大丈夫かな?」

 庭を大分突っ切った先にあった裏木戸の前で村山が高津に囁く。

 「今のところは」

 村山はそれでも慎重に辺りを確認し、そして三人は外へと足を踏み出した。

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