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いつもと少し違う朝に  作者: 中島 遼
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町北部 1

 その建物は、付近の家の中でもとりわけ大きかった。

 案内されたのは、だだっ広い玄関から入って三つ目の部屋だったが、廊下の向こうにはまだ部屋があるようだ。

 (お金持ちなんだ……)

 男は村山と名乗った。この町で一番大きな総合病院に勤める医師だと言う。

 「さっき君たちが、逃げる気がないとか武器とか話す声が聞こえたけど、どういうことなんだ?」

 高津と萌が顔を見合わすと、村山はさらに言葉を継いだ。

 「何か知っていることがあるのなら教えて欲しい。俺のためにも」

 萌は村山を見た。かなり整った顔立ちだが、陰鬱な表情がその魅力を半減させている。

 黙り込んだ二人を見て、彼はテーブルにクッキーと紅茶のテトラパックの入ったポットを出した。

 「大したものを出せなくて悪いんだけど」

 「いえ、ありがとうございます」

 喉が渇いていたので、萌は高津と一緒に頭を下げた後、ポットで蒸らすなどの工程を省いてすぐさまカップに紅茶を注ぐ。

 だからなのかどうか、一口飲んだが味も何もわからない。

 「村山さんは、今日はずっとここに?」

 飲み物よりもそちらの方が重要だとでも言うように、高津が村山を見つめた。

 「できれば先に君たちの話を聞かせて欲しいな。それくらいのわがままは許してもらえるだろ?」

 村山の言葉の言外に、招き入れた主の権利と言った意味合いが含まれているのは萌でもわかる。そして彼の言うことの方が道理だと思ったのか、高津が頷いて今までの一部始終を話し始めた。

 (本当に夢ならいいのに……)

 高津の説明を聞いていてさえ吐き気がしてくる。

 ようやく戻ってきた理性は、じわじわと萌の首を絞める真綿のようだ。友人の変貌に母親の異常……

 泣きたいのに涙もでないほど、恐怖で身体が震える。

 (高津君はどうして平気なんだろ……)

 話を続ける彼を萌は不思議な気持で見つめた。

 単なるしっかり者以上の根性がある。

 「……玄関口で彼女のお母さんが……包丁を持って俺たちを襲いました」

 萌は目を閉じた。本当は耳もふさぎたかったが、さすがに高津の手前それは差し控える。

 目の裏に鮮やかに甦るあの情景。高津が弾き飛ばされた後、薄ら笑いを浮かべながら迫る母の顔は、まるで別人のようでありながら、やはり見知った彼女のもので……

 (……別人?)

 萌はその考えに顔を上げた。荒唐無稽のようだが考えてみてもいいのではないか?

 そもそも高校生の男の子に殴られて、母が平気でいられるはずがない。

 「……なるほど」

 萌が考えを巡らせているうちに、高津の話は一段落したらしい。

 話の間中、腕を組んで黙って聞いていた村山が静かに頷いた。

 「しかし、大したもんだ。それが本当の話だとしたら二人はよほど胆がでかいんだろうな」

 (……胆がでかいのは高津君だけよ)

 村山の言葉を聞いて萌はただそう思ったが、高津は別の意味に取ったようだった。

 「信じてはもらえないんですね?」

 村山は小さく首を振った。

 「そうは言ってないよ。それに、俺にはそれを信じるに足るだけの理由もある」

 「信じるに足るだけの理由?」

 「そうだ。だけどまだ不明なこともままある。どうして君は前もって敵が来るということがわかるんだ? 相手を見てから赤いか青いかを判断するなら、出会ってみなければ敵かどうかわからないじゃないか」

 高津はわずかに肩をすくめた。

 「俺にもわからないんです。ただ、最初は出会ったときに相手が赤いって思うだけだったのに、学校のグラウンドで殺人を見たときから、何か良くないもの……つまり赤い奴らが近づいてくるのが何となくわかってきて……」

 「ちなみにこの近所の状態はどう?」

 「ぽつぽつといるようないないような」

 高津は眉にしわを寄せた。

 「俺たちに強い敵意がある場合は濃い赤で、俺たちのことを意識していないと薄い赤かあるいは透明みたいな感じ? だから家の中の人はわかりにくいです」

 「そこまで君はわかるのか」

 萌はうかつにも、そんなことさえ疑いもしなかった事にようやく気が付く。

 「……そう聞くと、高津君って何か凄いね」

 萌の顔を見て何故か村山はくすりと笑い、そしてばつが悪そうに窓の外に視線を向けた。中庭には終わりかけの芙蓉が、まだ緑のままの楓の下にひっそりと姿を見せている。

 いつの間にか入ってきた風がレースのカーテンをわずかに揺らした。

 「ところで、腹は減ってないか?」

 「俺はこのクッキーで充分です」

 萌も頷く。

 全くそれどころでなかったためか、空腹は全く感じられない。

 「じゃあ、もう少し質問を続けていいかな」

 彼は高津を見た。

 「手間をかけて悪いが、君たちの通ってきた道と、敵……と思われるその妙な奴らとの遭遇点を詳しく教えてくれ」

 高津は何かを言いかけたが、言葉を呑み込み頷いた。

 そうして学校を起点に通った道を細かく話し始める。

 通った道の話は十五分ばかり続いた。

 最後の方になると、高津自身も町名や道の名前がわからないので、信号を右にとか南にちょっと行くなどという表現になっている。

 だが、それでも大した物だ。

 (よく覚えているなあ)

 萌は顔だけでなく方向音痴でもある。だから高津が詳細に道を覚えていることに感動すら覚えた。

 (あたしなんて、何がなんだかわからないまま走ってただけなのに……)

 彼がいなければ、今頃萌はどこかの路上で、いや、学校のグラウンドでずたずたに切り裂かれて転がっていたはずだ。

 日は既に落ち、辺りの色彩は灰色がかって見える。彼らの話も佳境に入っていた。

 「あ、ちょっと待った」

 立ち上がって電気をつけようとした高津を村山が制した。

 「近所の人がつけて、何ともないようならそれからでも遅くはない。今は少し様子を見よう。電気のついている家を捜索せよ、なんてことになっているかもしれないから」

 「え、何で?」

 「わからないけど、君たちの話から推測すると、彼らはそういった方法で仲間かどうかの判別をしているようだから」

 萌が頷くのと同時に、高津が紅茶のカップを取り上げて中身を飲み干した。ようやく一息ついたという感じだ。

 「……とまあ、こんな感じで俺たちはここまでたどり着いたんですが」

 高津は村山を下から見上げるように見た。

 「何かご質問は?」

 「いや、よくわかった。ありがとう」

 彼は立ち上がり、本棚の引き出しからこの辺りの地図と赤ペンを取り出した。

 「君の話を聞いた限りでは、彼らは行き当たりばったりに行動している訳ではなさそうだ」

 「というと?」

 村山はワゴンの上にあった筆立てから、シャープペンシルと小さなペンライトを抜きだした。

 彼は外に光が漏れない配慮か、上側を手のひらで覆いながら地図の一点、一点を指し示す。

 「これは、君たちが敵と出会った地点だ。このとき、君たちが常に敵の進路と反対の方向へ逃げると仮定する。つまり、敵をラケット君たちをピンポンの球だとすれば、彼らは非常に効率良く、獲物をここに誘導していると思わざるを得ない。言ってることがわかるかな?」

 彼は高津にライトを渡すと、地図にシャーペンで六つ、小さな線を引いた。それらは全て、萌の自宅を中心にして多少のばらつきはあるが同程度の距離がある。

 「これが敵だ。恐らく神尾さんが家に帰ったことを知った彼らがその時点で最低これだけ動員された」

 彼は萌たちが彼らをやり過ごした地点にペンを持ってきた。

 そこからペンは二人の進んだ道を数キロ行ったところで止めた。

 「ここで彼らは君たちに撒かれたことを知った訳だ。しかし、そう遠くに行っていないこともわかる。そこで彼らは追いつめる場所を、この袋小路の多い町北部の住宅地、つまり俺の家の周辺に設定した。そうして巾着袋の口を締めるように君たちをこちらへ誘導してきた」

 村山のペンは魔法のように、彼らの通った道筋と、敵の巡回する道筋を時間軸も含めて描き出した。

 それからすると、敵がいかに少ない人数で効率的に二人を追いつめていったかが一目瞭然である。

 「ただし、この仮定はあくまでも彼らが高津君の能力、つまり異常と正常を見分ける力の存在を知っていることを前提に話している。でなければ、敵が来るのかどうかがわからないまま偶然戦線を突破してしまう可能性が高くなるからね」

 高津がまじまじと村山を見た。

 「よく、俺の話だけでこれだけのことが導きだせましたね?」

 村山は肩をすくめる。

 「君の説明が上手だったからだよ」

 もう、ほとんど物の輪郭しか見えないほど暗くなっていたが、村山の言うとおり、周りの家はどれ一つとして明かりを灯してはいない。ただ、道沿いにある街灯だけが白い光を辺りに投げかけていた。

 「これからどうしたらいいんでしょう」

 不安げな高津の声が小さく聞こえる。

 「とりあえず、何が起こっているのか、何をしなければならないのかを見定めることだろうな」

 「……確かに」

 萌は黙って二人の会話を聞き続ける。しっかりした二人のお陰でようやくパニックから放心状態を経て、少し頭のスペースに考える余地が生まれてきたような気がした。

 「村山さんは何がどうなったって思ってます?」

 「実のところ何にもわからない。ただ、彼らがある法則に則って動いているのは確かだと思う」

 彼はペンライトを消してテーブルに置き、腕を組んだ。

 「そして、それがこの一帯だけのことなのか、それとも日本全体のことなのかもわからない」

 「テレビやネットは?」

 「今日はまだ見てないけど、学校でそんなことがあったのにパトカー一つ走ってないみたいだし、ここで起こったことが世間に知られていない可能性も多々ある」

 「ということは、この町を出れば正常な空間があるかも知れないってこと?」

 「そう願いたいね」

 正常な空間……その言葉の意味する事を考え、萌は我知らず震えた。ひょっとしたらここは間違って入った場所なのか?

 「例えばなるべく遠くの人に電話して、様子を聞くってのはどうです?」

 高津の言葉に村山は首を振る。

 「君の話を聞いたあとでは、怖くてちょっと電話は控えたい所だ」

 「……手探りでここから出る手だてを考えないといけない?」

 高津は溜息をついた。

 「俺たちは、敵がいないところに逃げることしかできませんでした。それで、この家の北側に続く山が何となく安全な気がして……」

 「確かに積極策と言えば、それ以外には思いつかない。だが、情報が足りなさすぎる。俺としてもできるだけここを早く出たいという気持はあるけど、しばらくは様子を見なければならないな」

 言い置いて村山は萌を見た。

 「今は少しでも休んだ方がいい。君たちだって気が張ってるだけで本当はひどく疲れているのだろうし」

 慌てて萌は少し下がり気味だった頭を上げる。

 「だ、大丈夫です」

 高津の黒い陰も首を振った。

 「できれば村山さんの今日一日の話を聞きたいんですが」

 しかし村山はきっぱりとそれを拒否した。

 「夜は暗いから明日、明るくなってから話す」

 彼は立ち上がった。

 「食事と睡眠、どっちが欲しい?」

 「俺は……食事はいいです」

 萌もその言葉に同意する。ショックのためか食欲は全然ない。

 「よし、わかった。じゃあまず身体を休めてからと言うことにしよう」

 村山は軽く頷いた。

 「古い家だが、幸い部屋はたくさんある。神尾さんは鍵付きの部屋の方が安心だね、案内しよう。で、高津君は神尾さんの隣の部屋がいいかな」

 「村山さんはどこで休まれるんですか?」

 「俺はしばらくテレビでも見てようかと思っていたが、心配なら添い寝してもいいよ」

 声に含まれた笑いに高津も気が付いたのだろう。

 「この時点で村山さんを信用しないでどうしろと言うんです?」

 高津はそう言ったが、萌が顔を洗っている間に、結局男二人はツインの客間に寝ることになったようだった。

 それは萌が案内された一階奥の洋室の隣にあった。

 「喉が渇いたりお腹が空いたなら、二階の階段を上がった右の部屋がダイニングキッチンになっている。冷蔵庫に入ってるものは自由に取りだしてくれて構わない。ただしそれ以上奥の部屋にはプライベートなものが置いてあるから入らないでくれ」

 二人に手を挙げて、萌は一人部屋に入った。


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