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いつもと少し違う朝に  作者: 中島 遼
34/37

山頂 3

 近づくと祠は思ったよりも大きかった。萌ならば少し背を屈めて入れば、そのまま歩いて真っ直ぐに進めるほどの穴が奥に続いている。

 朽ちかけた木枠を足で蹴飛ばし、萌はその中に飛び込んだ。

 (馬鹿よっ!)

 それは高津を信じなかった萌に対する罵声か、こんな馬鹿な女の子を庇って死のうとしている高津に向けたものなのか。

 萌は迷わずに真っ直ぐ進む。

 (黒い人、お願い、ここにいてっ!)

 可能な限りの早足で進む。穴は途中からくねくねと曲がり始め、少し進むと外からの光は途切れた。

 (……あれ?)

 この洞窟のあった穴は、確か少し盛り上がっただけの小山だったはずだ。

 なのにどうしてこんなに奥行きがある?

 萌がようやくそのことに気づいた頃、不意に穴の大きさが広がった。というより大きな空洞に行きついたと言った方が正しい。

 「?」

 良く見ると、その広間のような空間の中心に、ぼおっと暗いものがある。

 漆黒の闇の中、さらに暗く見える空虚のような……

 「貴方が黒い人?」

 人とはあまりにも違うものだったが、どうしてか疑わずに萌は尋ねる。

 〈……どうしてここがわかった?〉

 「ここに貴方がいると教えてくれた人がいるから」

 萌はさらに影に近づく。

 「友達が緑のお化けに殺されそうなの! お願い、助けてっ!」

 〈……私にその権利はない〉

 驚きに目を見開く。

 「何ですって?」

 揺らめく影を凝視する。

 「どういうことよ、それ! ここに貴方がいるのは私たちを助けてくれるからじゃないの?」

 ずっと以前、これと同じような言葉を思い浮かべたことがあった。

 だがそれはあまりに遠い昔だ。

 〈私がここにいるのは観察するため〉

 「か、観察?」

 〈あの生物が星を破壊し尽くす全てを観察する。それが私がここにいる理由だ〉

 萌は耳を疑った。

 「それじゃあ、何? あたしを奴の前につまみ出して食われていくのをただ眺めるってこと?」

 〈……私の元に飛び込んできたものをむげに追い出すことはしない。説明だけはしよう。ここまでたどり着いたお前に敬意を表して〉

 影は一瞬萌の身長ほどに縮み、そして再びその倍の大きさまで細く伸びた。

 〈お前たちが緑の化け物と呼ぶ生物は、有機生命体を食う。中でも神経細胞上の電気的信号の総体、意識が好物だ〉

 「意識……?」

 〈だが、彼らが食物にできるほど文明進度が低く、かつ彼らを満足させるだけの高等な意識を持った有機生命が住む星は少ない。そこで彼らは宇宙空間を仮眠しながらさまよい、ターゲットとなる星を見つけたら、我先にと取りついて最後の一個体を吸収しつくすまで住み着く〉

 「あ、あれがたった一匹で人類を滅ぼすってこと?」

 萌は首を振る。

 「そんなの、信じられない」

 〈彼らの狩りは巧妙だ。先に彼らが消化できない個体を除去してから食事に入る〉

 影は踊るように揺れた。

 〈彼らは餌となる生物を効率よく摂取するためと、消化できない個体をあらかじめ排除するため、星に降り立つ前にその生物の意識の一部を書き換えるような種を蒔く〉

 「ウイルス……なのね、それが」

 〈少し違うが、感覚としてはその名が最も相応しいかもしれない。それは伝染しこの星に蔓延する〉

 黒い影の声が低く流れていく。

 〈ウイルスには二つの性質があり、一つは消化困難個体の識別に使われる>

 〈消化困難個体って、リソカリトのこと?〉

 〈意味合いは異なるが、便宜的にその言葉を使うことに問題はない〉

 言い回しがくどくどしいのが萌のいらいらを増大させる。

 〈感染した者のうち、罹病の症状が出ないものが概ね三~七パーセント存在するが、その非発症者のうちの0.2パーセント、つまり全体に対して一万分の一がリソカリトになる。従って、非発症者を全て除去すればリソカリトも撲滅できる〉

 村山が言っていたことは当たっていたのだ。

 〈もう一つは非捕食者にリソカリトを狩り、そして自ら進んで餌になるような意識を植え込むことだ。食われるべき生物はそのために彼に対して従順になり、崇拝するようになる。餌たちは彼ら主人に食われることを至上の喜びと感じるのだ。そしてその方が摂取するときに美味であるという報告もある〉

 「なんてこと……」

 〈だが、本当に重要なのは主人にとって有害なリソカリトを含む非発症者を、あらかじめ狩っておくことの方だろう〉

 影がついっと滑るように位置をわずかにずらす。

 〈リソカリトは消化できないという以外にもやっかいな性質を持つからだ。彼らは大抵がウイルスに感染した時に、本来その生物が持っていた隠された能力を目覚めさせる。それは種族によって異なり、幾種類もある。また、発現レベルもほとんどわからない程度から壮大な力を有するものまで様々だ〉

 「じゃあ、あたしの微妙なテレパシーはやっぱり……」

 〈テレパシーや敵味方の判別をする能力は最も現れる頻度が高く、前者で九割、後者で一割〉

 萌は闇に溶ける黒い塊を凝視する。何でこいつはこんな非常時に数字ばっかり並べ立てるのだ?

 「感染発症者の中にも敵味方を判別する能力を持ったものがいるって聞いたけど、それは彼らの能力じゃないの?」

 〈状況はわからないが、恐らくリソカリトが使役されているのだろう。高等な部類に入る生物の中には、そういう行動をするものがいる。つまりリソカリトら非発症者を見つけ次第全て殺してしまうのではなく、ある程度数を減らしたあとに使えそうな個体を脅迫や薬物を使って彼らのために働かせる。そうして他のまだ逃げているリソカリトを捕まえる手伝いをさせる〉

 萌は唇を歪めた。

 そんな単純なことは井上の例を見ればわかるはずだった。なのに萌は猜疑心の塊になり、大切な仲間を心で裏切るような真似をしたのだ。

 〈話を戻そう。先ほど言ったようにリソカリトは様々にして特殊な能力を持つ。中には彼ら緑の種族の侵攻を食い止めるために有益な力も存在する。その最適パターンのミニマム値は研究によれば四種類。ただしそれぞれの出現確率は1ppm程度であり、現実にそれが集まることは少ない〉

 「四人じゃなくて、四種類?」

 〈……今回、この星が面白かったのは、緑の種族が降りてくる前にその四種類がごく小さな地域に固まって出現するという奇跡が起こったことだ。しかも勝利の確率を飛躍的に上げる極めてレアな能力も一緒に目覚めた。これは記録に値する〉

 「記録とか観察とかって何よっ!」

 他人事とは言え、あまりに冷たい言いように萌はたまらず怒鳴る。

 「どうしてそれだけのことがわかってて、貴方達は助けてくれないのっ!」

 これだけのご託を並べるだけの知性や知識があるのなら、何故もっと早くにそんな危機がくることを教えてくれなかったのだ? あの緑の化け物を倒すための手を貸そうとしてくれないのだ?

 〈知的生命体が存在する星には、原則として手を出してはいけないという法がある〉

 「……だから見殺しにするの?」

 〈間違うな。お前たちがそうであるように、あの緑の生物も宇宙の中では稀少な知的生命体だ〉

 「でも、たった一匹で何十億人も殺すのよ?」

 〈一つ言っておこう。あの緑の種族は宇宙に一体ではない。今、助けたとて、次に来襲したときにお前たちの星が無事でいられるという保証はない〉

 影が伸びた。

 〈今回手を出さなかったという事で滅びるような種族なら、それはそれだけの生命だったということだ。それについて何故我々が責任や義務を負う必要があるのだ? そもそもここでこうやって状況を教えていることすら、本来はおせっかいな事だと認識してもらいたい〉

 何かズリッという音が遠くから響く。

 「じ、じゃあ、地球はもう終わり?」

 〈このまま行けばそうなる。ウイルスは緑の種族が星に降りるまでは地域的に制限された形で感染を抑制するが、本体が降りたあとは爆発的に広がるようにプログラミングされている。そうでないと彼の旺盛な食欲を満たすことができないからだ〉

 萌は震えた。

 溶かされていく身体、歓喜の表情……

 「高津君を助けて……」

 萌は一歩前に出た。

 黒い人はさっき言った。彼の元に飛び込んできた者をむげに追い払うことはないと。それに、

 「貴方、最初にこう言ったよね、リソカリトは消化できないって。だから高津君はまだ生きてるんでしょ? お願いだからせめて彼だけでも助けて!」

 〈もう遅い〉

 「え?」

 〈消化はされないが食われはする〉

 「……どういうことよ?」

 〈正確に言えば、身体を構成するタンパク質やカルシウムなどは消化する。だが、意識だけは消化することができない。……リソカリトの意識にはいわゆるデータ保護がかかっていて、取り込もうとしても彼らの体内で加工ができないのだ〉

 意味を理解するのに少し時間がかかる。

 「それって、つまり……」

 〈そう、緑の種族が生命活動を終える日まで、残存思念のような形でリソカリトの意識はその中に存在する。彼らが俗に消化不良と呼んでいる現象だ〉

 「じゃ、じゃあ……リソカリトの意識は、化け物とあの身体を共有することになるの?」

 聞き取れないのではないかと思うほど、声が擦れる。

 〈食われたリソカリトの思念には、宿主の身体をコントロールする術はない。単にそこにあるだけの存在だ〉

 萌の膝は力を失って崩れた。

 「そ、そんなっ!」

 すると高津はあの身体の中で、宿主たる化け物が死ぬまで独立した意識体として生きていかねばならないというのか?

 「嘘、嘘よ……」

 ずりっと地を這うような音が徐々に大きくなっていく。

 「あたしの身代わりになって……」

 萌は黒い影を見つめる。

 「た、助ける方法はないの?」

 〈ない〉

 冷酷に響く冷たい声に、萌は身体を震わせる。

 「そんなこと言わないでっ! 何か知ってるんでしょ?」

 さらに詰め寄ろうと萌が立ち上がり、さらに足を踏み出した時だった。

 「?」

 さっきからの奇妙な音が少し大きく響いたので、萌は思考を止めた。

 (……音?)

 何かを引きずるような音、あれは……

 「きゃああああっ!」

 気づいた途端に再び恐怖が胸の中に甦る。

 あのイボのような突起、肉色の触手……

 喉からは擦れた声が出た。あれがやってくる、萌を追って……

 だがここは行き止まりだ。逃げ場はない……

 後ずさりしたが数歩で背中に壁が当たる。

 (い、嫌……)

 音が洞窟内に反響し、やがて怪物が姿を現した。

 身体が洞窟に入る必要があったためか、さっきとは違い、縦に高さがある幅の細い体型に変化している。

 しかし暗闇の中でも自らぼおっと暗い緑に輝く怪物の醜さは変わらない。

 「やだあっ!」

 さっきまでの威勢の良さは消し飛んだ。ただ恐怖だけが萌を支配する。

 〈……そうだな〉

 ふと影が揺らめいた。

 〈それでもここを見つけ、保護を求めてきたのはお前だけだった〉

 がちがち震える萌の頭に声が響く。

 〈よかろう、今回だけは助けてやる〉

 「え?」

 萌は思わず黒い影を凝視した。

 〈望みの場所に飛ばしてやろう。それくらいならやれないことはない〉

 緑の化け物はようやく穴をくぐり抜け、その全身を広間に現した。

 一度静止したその身体は、ゆっくりと下へと沈み、元のように平たい円盤状に戻る。

 (望みの場所に、飛ばす……)

 萌は土壁にぴたりと身体を押しつけた。

 足に力が入らない。

 (望みの場所……)

 どこでも良かった。

 この怪物から逃げられるのなら、どこにでも……

 だが、

 《……してくれ》

 萌は眉を寄せる。

 何かが心に響く。

 《……してくれ》

 せつなく、苦渋に満ちた哀しみ。

 《……殺してくれ》

 萌は目を見開いた。

 「まさか……」

 高津? それとも他の星でこいつに食われてしまったリソカリトたちの声だろうか。

 《……頼む、殺してくれ》

 誰のものかはわからない。だが確かにその声を萌は聞いた。怪物の中で、早く死にたがっている絶望的な声を。

 「無理……」

 拳銃で撃っても死ななかった。

 宇宙空間を飛んでこられるぐらい頑丈な生物を、萌が殺せるわけはない。

 《……頼む、殺してくれ。このまま数百年もこのままでいるのは地獄だ……》

 萌は恐怖する。

 今、こいつに食われたら、萌もまたこの身体の中でただ全てを単に見届けるだけの存在になってしまうのか。

 《今なら、できる。星の上では殻をかぶらず、こいつは無防備だ》

 「あ、あたしには無理……」

 《今しかできない……それに……お前なら、できる》

 「いやああっ!」

 涙が出た。

 「どこでもいい……」

 どこか他の場所に飛ばして欲しい。

 少なくとも、ここじゃない場所で、自分はそうじゃない死に方で……

 ……もし俺が……

 「え?」

 ……俺じゃなくなったら、構わず切り捨ててくれていいから……

 不意に懐かしい声が脳裏をよぎり、萌は目を見開いた。

 ……萌なしでは多分、この先やっていけない……

 恐怖のあまりの幻聴だろう、だけど、心に何かが突き刺さる。

 ……萌姉ちゃんを励ますのも、お手伝いだよね?……

 気づけば座っていた萌の首に、小さい手が優しく巻き付いた。

 顔を後ろに向けると、白い顔がにっこりと笑う。

 ……逃げろっ、萌っ!……

 それでも、卑怯な萌を許してくれ、甘やかしてくれた人。

 ……もし俺が、俺じゃなくなったら、構わず切り捨ててくれていいから……

 萌と違って、本気で覚悟を決めていたあの声。

 彼は萌がここで逃げ出すことを知っていて、既にそれを許していた。

 そして、

 ……彼らが俺を信じてるんじゃない。俺が彼らを信じているんです……

 最後までこんな自分を信頼していたあの真摯な瞳。

 ……俺にはわかるよ、萌の特別な力が何か……

 「あたしは……」

 萌はようやく思い出した。

 自分が何故この場所にいるのかを。

 そしてそれがどれだけの人の犠牲の上に成り立っているかを。

 「暁、夕貴、村山さん、高津君!」

 大切な名前を護符のように叫ぶ。

 「何もかも全部……」

 そうして萌は迫り来る敵を睨み付けた。

 「終わらせてやる」

 大事な人の大事な言葉を口にすると、どうしてだか胸が熱い。

 「逃げる場所なんて、ない」

 たとえ今地球の裏側に逃げようと、いつかウイルスはこの星に蔓延する。

 この影はさっきそう言った。

 「熱い」

 そうなれば、結局同じように地球の同胞から萌は追われ、そして殺されるのだ。

 うまく逃げおおせたとしても、いくつもの屍を踏み越え、井上のように魂すら売り渡しながら……

 萌は緑の怪物を睨む。

 「そうでなくったって、いつかお前はあたしの前にやってくる」

 身体が燃えるように熱い。憎しみがほとばしる。

 それはこの怪物に向けたもの……

 「違う!」

 この怒りは萌自身に対するもの。

 「どこへ逃げたって一緒よ」

 他人を踏み台にし、今もまた恐怖の余りに全てを捨てて逃げ出そうとした卑怯な人間に対する怒り。

 (……もし、食われたら?)

 この怪物が自分から死にたくなるぐらい、毎日耳元でがんがん怒鳴ってやる。

 「お前なんかっ!」

 敵はもう目と鼻の先に来ている。

 だが萌は怒りの熱さと反比例するほど冷静に相手を見据えた。

 そうして、緑のそれが己の触手を萌に向かって吐き出すために一度静止した後、無数の突起を一斉に開けた瞬間を狙う。

 「消えてしまええっ!」

 同時に萌は、怒りに燃える熱い両手を突き出した。

 体に溢れる熱い塊が、全てその手のひらから放射されてまばゆい光の束になる。

 (……熱いっ!)

 音にならないような声を上げ、怪物は瞬時に気化していった。

 そして怒濤のような光の海の中、萌の意識もまた遠く、うつろに消えていく……

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