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いつもと少し違う朝に  作者: 中島 遼
33/37

山頂 2

 「……あ」

 道を右に折れると、眩しい西日が目に突き刺さった。

 目を閉じたが間に合わず、次に何を見ても視野の中心に黒い点が残る。

 (いずれにしても、黒い人に会えばすべてははっきりする)

 重い頭を一つ振り、萌は少し斜め上を見上げた。

 もう山頂まではあとわずかだ。

 「痛っ!」

 突然、高津が手首を強く握り、そしてそのまま放したので萌は顔をしかめる。

 「何よ……」

 言いかけたが、聞き覚えのあるプロペラ音に萌はぎくりとして南の空を見つめた。

 視界に太陽の黒い染みが残っているので、まだはっきりとは見えない。だが、近づいてくるものが何なのかを、萌は身をもって知っていた。

 高津が走り出すのと同時に萌もスパートする。

 かつて幸せだった頃、空を飛んでいる小指の先ほどのヘリは、ひどくゆっくりと視野を横切っていたように思う。

 だが、現実にはほとんど一瞬とも言える速さでそれはやってきた。

 高津が十メートルほど離れた岩陰に飛び込む。

 当然、萌もそれを追うべきだった。だが、ほんの一瞬、心にどす黒い不安がよぎる。

 「っ!」

 その躊躇(ちゅうちょ)のために、萌はタイミングを失った。

 すぐ側の、もっと小さい岩の陰にとりあえず身体を滑り込ませるので精一杯だ。

 (来たっ!)

 轟音と共に赤い陽を浴びた一台のヘリが山頂でホバリングし、土煙を空へ舞い上げる。

 (お、降りてきたっ!)

 草の隙間から覗いた萌は真っ青になった。

 降りてきた人数は四人で、全員が武装しており、明らかに不審者を捜している風情だ。

 後ろを振り向くと、平たい山頂が見渡せた。

 そこには高津が隠れている岩の他にも大きな岩が数個転がっている。

 そしてさらに奥には高さ二メートルほどの土の山が、不自然に盛り上がっていた。

 それはなんとなく祠のようなものが見えるが、太陽の関係で濃い影が射していて定かにはわからない。

 あれが前に聞いた役行者が祀られている場所だろうか。

 (……逃げられない)

 退路は断たれた。

 (もう、駄目)

 喉には呑み込む唾もない。

 目を見開いたまま、萌は最後の瞬間に備えて身体をこわばらせる。だが、

 「あれを見ろっ!」

 男の声がした。

 そして、何故か歓声が上がる。

 (……?)

 しばらく萌はじっとしていたが、いつまで経っても誰も来ないので、恐る恐る顔の向きを変えて追っ手の姿を隙間から覗いてみた。

 (……え?)

 彼らはどうしてか萌が隠れた岩の前からほぼ十メートルほど離れた場所に立ち止まっている。

 (……なに?)

 空を見上げる彼らの顔に浮かぶ恍惚の表情。それは幾度となく萌が見たあの異様な陶酔だ。

 萌は彼らの視線の先に目をやった。

 「……あ、あれは?」

 驚きのあまり、呟き声が出てしまうほど異様な光景。

 夕焼け色の空の中、何か得体の知れないものが静かにゆっくりと降りてくる。

 その、大きな平たい盤のような形をしたそれは、最初はコーヒーに白っぽい赤を混ぜたような色をしていたが、地面に降り立つとともに表面が細かくひび割れ、そしてその中からやはり同じ形をした深い緑のぶよぶよした物体が現れた。

 「マスターっ!」

 全員が一斉に叫び、うやうやしくひざまずく。

 マスターと呼ばれた緑のそれは、ちょうどそこにいる男たちの身長の半分くらいの高さだが、直径は逆に二メートル近くある。

 「うっ!」

 思わず萌は嫌悪のあまり目を背けた。

 ゼリーのようにも見える緑の物体には、よく見ると表面に無数のイボのような突起がある。そしてその突起は、一つ一つがさながらイソギンチャクのように揺れ、全体としては緑の光を帯びながら、一個一個は橙や群青の色彩を持っていた。

 そしてそれらはゆっくりと開閉を繰り返している。

 「!」

 突然、そのたくさんの突起の中から細い肉色をした触手が同じ数だけ伸びた。そしてそれは先頭の男に巻き付いていく。

 萌は思わず口を押さえた。

 悲鳴を抑えるためか、吐瀉物を受けるためだったかは自分でもわからない。

 男の身体はゆっくりと溶解していく。皮膚がただれ、そして肉が削げ落ちた。ちらりと見えた頭蓋骨の中の白くてやわらかそうなものは?

 (……だ、誰か)

 慌てて目を閉じたが、「緑のお化け」が二人目に触手を巻き付ける瞬間は目に入ってしまった。

 (……嫌)

 恐怖のあまり、身体が大きく震える。歯ががちがちと鳴り、彼らに音が聞こえたらどうしようと思う。

 なのにそれが止められない。

 (誰か……)

 頭を抱えて萌は岩陰で悪寒と戦う。だが、

 (……え?)

 萌の耳に届いた異様な音。それはズルッズルッと、何か重いものを引きずるように聞こえた。

 (……まさか)

 恐ろしくはあったが、それはこちらに近づいてくる。萌は仕方なく草の陰から再度さっきの場所を見たが……

 「ひっ!」

 緑のそれは意外なほど近くにいた。間近で見ると醜悪な緑の皮膚には、ヒキガエルの皮をはがして少しずつパッチワークをしたような班があちこちに見える。

 (に、逃げなきゃ……)

 だが萌の身体は動かない。

 腰が立たないので手を地面につけて少しずつ後ずさりをするが、一向に距離があかなかった。

 (だ、誰か……)

 突然、その無数の突起が動きを止め、そして一斉に触手を伸ばした。

 「!」

 目を見開いたまま、萌はそれらが迫るのを見つめる。

 食われる事がわかっているのに、魅入られたようにその触手から目を離すことができない……

 「あ!」

 その刹那だった。萌はいきなり右側から突き飛ばされて地面に転がった。

 「高津君っ!」

 呪縛が解けて動けるようになった萌の目に、苦痛に顔を歪ませた高津が映る。

 「きゃっ!」

 思わず悲鳴を上げたのは、彼の左足に、醜い触手が何本も巻き付いているのが見えたからだ。

 高津が仰向けに転がり、怪物の方に銃を向けて狙撃した。

 「このっ!」

 だが、怪物は何も感じないのか、序々に近づき触手を高津の顔の方に伸ばしてくる。

 「高津君っ!」

 萌はもう一度叫び、彼の腕を握って引っ張った。

 既に高津の足は骨まで見えている。やがてあの触手が彼の身体を覆ったら……

 「逃げろっ、萌っ!」

 高津の下半身にはすでに桃色をした細いものが幾重にも巻き付いていた。よく見ると触手自身にも細かい吸盤のようなものが無数についており、それが彼の身体にぴったりと吸い付いている。

 「今のうちだ、早くっ!」

 萌は高津が取り落とした拳銃を拾い上げ、北浜から聞いた通りに撃鉄を起こして乱射した。

 だが高津の時と同じように、それは何の効果もなかった。

 「っ!」

 良く見ると、弾は確かに怪物の身体にめり込んでいる。だがしばらくすると、ぽんと弾けるように弾が押し出されて地面にばらばらと落ちた。

 「逃げろっ!」

 萌は首を振る。

 「だ、だって」

 逃げろと言っても逃げる場所などない。しかも恐怖のあまり、思考は停止状態だ。

 「黒い、黒い人だっ! 彼に助けを求めろっ!」

 萌は手に持っていた拳銃を力一杯怪物に投げつけた。だが、そんなものに緑のそれは反応などしない。

 「でも、高津君がっ!」

 「だから早く行って、俺を助けるように頼んでくれっ!」

 その言葉が、萌に逃げる口実を与えるための優しさだということがわかった。

 既に高津の顔にまで何本も触手がまとわりついている。どうしたって間に合うはずがない……

 「だって、どこにもいないじゃない!」

 萌は悲鳴のように叫ぶ。

 「ここにいるって言ったのに、黒い人なんていないじゃないっ!」

 高津がまだ自由だった左手を伸ばした。

 「あそこだ、あそこにいるから、行けっ!」

 その指の先には土の盛り上がった小山がある。

 (……あれは、)

 役行者の祠だ。

 「は、早くっ……」

 違うかもしれない、だが確かにそれしか考えられない。

 「お願い、待ってて! 黒い人を必ず連れてくるから!」

 萌は乾いた喉から声を絞り出した。

 「だから死なないでっ」

 そして夕焼け色の地面の上を全速力で駆ける。

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