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いつもと少し違う朝に  作者: 中島 遼
23/37

丸山 6

 (……みんな、覚悟はできてる、か)

 萌は小さく溜息をつく。

 相手の台詞を断ち切るために使ったが、もちろん萌にはそんなものの持ち合わせなどない。

 何となくみんなについて行き、仕方なく前へ進んでいるだけだ。

 (何がこれから起こるのかも全然わからないから、何に対して覚悟していいのかもわかんないし……)

 ぶるりと足が震えた。

 理性が知らない振りをしても、身体は答えをわかっているのかもしれない。

 (ああ、気分悪い)

 結局井上は何も言わずについてきた。

 萌としてはさっさと違う方向に歩いてくれればせいせいしたのだが、彼も一人は怖いようだ。

 (まあ、気持はわからないでもないけど)

 今は十分間の小休止だ。

 高津が村山からルートの確認を受けているのが目の端に映る。

 ふと横を見ると、暁が何か言いたげに萌を見ている。

 「なに?」

 「ううん、何でもない」

 はにかんだ顔を見て、萌は頭を下げて目線を近づけた。

 「言わないと気になるんだけど」

 「内緒にしてくれる?」

 「いいよ」

 暁は萌の耳にその口を近づけた。

 「萌姉ちゃん、かっこいい」

 「え?」

 彼は誰かの名前を比喩に出した。どうやら戦隊シリーズか何かのヒーローかヒロインらしい。

 「あたしはそんなんじゃないよ」

 例の言い争いのせいか、暁の萌に対する評価は格段に上がったようだ。

 だが、自分が弱くて卑怯な人間だということを萌は知っている。だから、発した言葉も中身の伴わない形骸だ。

 「夕貴もね、すごくすごく嬉しかったって」

 暁はさらに小声を出す。

 「何が?」

 「おじさんがいじめられてるの、萌姉ちゃんが助けてくれたからに決まってるよ」

 思わず失笑する。

 子供の目には、あれがそんな風に映るのだ。

 暁は萌の耳から顔を外した。そして、側の木にもたれて遠くの雲を見る。

 「見て、あれ、飛行機雲」

 「ほんどだ。飛行機、ちゃんと飛んでるんだ」

 それはどうしてか不思議なことに思える。

 「僕ね、今度のことはホントに嫌で嫌で泣きたくなるけど、でも、みんなに会えたからいいやって思う」

 萌は目を見開いた。

 「夕貴もこの頃笑うんだ。前は家でもどこでもこんないい顔しなかったんだよ」

 「そうなんだ」

 言いながら、暁の髪の毛をくしゃりと掴む。

 思えば小さい子と触れあう機会など全くなかったのに、今となっては何の違和感もない。

 (こんな状態で会うのでなければ、もっともっと楽しかっただろうな)

 あるいは、こんな状態でなければこれほど親しくはならなかったかもしれない……

 小休止が終わり、再び彼らは歩き出した。

 気がつけば、道はさっきよりも下り勾配がゆるやかになっている。そしてしばらく歩くと上り坂になった。

 目指していた岩岳に入ったのだ。

 「ここからはちょっときついかもしれないから、夕貴と暁は駄目だって思ったら早めに言ってくれ」

 額の汗をぬぐいながら村山が言うと、暁が元気よく手を挙げる。

 「うん、わかった」

 山は今までの雑木林中心のなだらかなハイキングコースとは打って変わって、やや傾斜の強い道になっていた。

 (確かにきつそう)

 ここから眺めても山の中腹がガレ場になっているのがわかる。岩がごろごろしているし、足場も悪そうだ。

 (……役行者(えんのぎょうじゃ)、だったっけ)

 山頂には霊験あらたかな修験者が立ち寄ったとかで、彼を祀った祠があると小学校の遠足で聞いた記憶がある。

 (でも、神々しいというよりは、何か不吉)

 しばらくは皆寡黙になり、下草をかき分けながら彼らは先へと進んだ。

 (あの山頂に黒い人がいる……)

 目標が具体的になって初めて、何となくそれは変だという思いに包まれる。

 (何でわざわざこんな山の中にいるんだろ、それに)

 行ってみたら単に助けを待っている色黒のおじさんが座っているだけなのかもしれない。

 (だめよ)

 萌は頭からそんな考えを追い出す。

 今までもそれは考えないようにしてきたではないか。その膨らんだ希望がなくなった先のことを今考える必要などない。

 「あっ!」

 突然高津がくぐもった叫び声を上げた。

 「どうした?」

 問うた村山の方へ顔を向け、高津は固い声で応える。

 「……敵が、来た」

 「え!」

 萌も思わず声を上げた。

 「どっちから来るの?」

 「前と、後ろから」

 「ええっ!」

 血の気が下がる。萌は他にどうしようもなくて周りを見回した。

 そこはちょうど右手がほぼ垂直に切り立った山肌、左手が谷川への崖になっている山道だ。

 しかもそれは前後にしばらく続いている。

 「だから言ったんだ、あそこでしばらくじっとしてようって」

 恐怖のためか、薄ら笑いさえ浮かべている井上があざけるように言う。

 「挟み撃ちはかなりまずいだろ」

 暁が不安そうに萌の手を握った。夕貴は意味がわかっているのかどうなのか、じっと村山を見つめている。

 「前後の人数と距離はそれぞれどれくらいだ?」

 井上の言葉を気にした風もなく、村山は冷静に高津に尋ねた。

 「どちらかと言えば、前の方が薄いかな。四人ってとこ。後ろはその倍ぐらい。距離はどちらも直線で三百メートル」

 高津が指さした敵のいるはずの方角を見て、村山は少しだけ考え込んだ。

 「だったらこのまま進もう。実際のルートから換算すると、相手が成人男性なら予想遭遇時間は二十分前後だ。それまでに身を隠すところを探そう。そうして何とかやり過ごす」

 「なかったら?」

 「不意打ちをしかける」

 「馬鹿なことを言うな」

 井上はぶるりと震えた。

 「こうなったら素直に降参しよう。強行突破なんて出来るわけがないし、その方が助かる可能性が高い」

 「彼らが話のわかる連中かどうかは、貴方も充分おわかりでしょう?」

 「だがな」

 井上が何か言いかけようとしたが、暁がそれを遮った。

 「一緒に行こうよ。おじさんも一人で降参するより、みんなと逃げた方がいいでしょ?」

 井上は不服そうだったが、高津と萌も村山と一緒に歩き出そうとしているのを見て黙った。

 そして、彼らの後から少し遅れてついてくる。

 「前方に四人って、どっから来たんだろ」

 震える声で萌が尋ねると、高津は左下を指さした。

 「多分最初に俺たちが上がろうとしていたこの山の登り口じゃないかな」

 江戸通り以降、ルートが西に逸れなければ使っていたはずの道だ。

 「じゃあ、どうしてここにあたしたちがいるってわかったんだろ」

 「俺たちのことを知ってここに来てるかどうかはわからないよ」

 萌より冷静な高津はそう言って彼女を慰めた。

 「偶然、山を見回っているだけかもしれないし、シルバー会のハイキングかもしれない」

 萌は頷いた。

 村山が前に言っていたことがある。

 「手だては一番悲観的に、気持は一番楽観的に、ね?」

 「うん」

 しかし、隠れられそうな場所というのは一向に現れず、切り立った崖と岩肌は際限なく続く。

 (怖い)

 パニックを起こさないように、自分の役割を何度も頭で復唱する。

 もちろん、こういった場合に萌が出来ることなどほとんどない。

 せいぜいが暁たちの安全確保をすることぐらいだ。

 (大丈夫、隠れるところぐらいある)

 だが右へ道が大きく曲がっている場所に差し掛かったとき、村山は高津を振り返った。

 「あと、直線で五十」

 「……正味で二百メートルか」

 村山は意を決したように立ち止まる。

 「こういった場合の対処法、忘れた奴はいるか?」

 全員が首を横に振る中、井上は真っ青な顔で村山の腕を掴んだ。

 「無理だ、奴らは銃を持ってる」

 「貴方は彼らがこの角を曲がってきたら、とにかく先に走ってください。絶対に振り向かないで」

 井上が何かを言いかけたが、村山は身振りでそれを制した。

 そうするうちに足音と声が微かに聞こえてくる。

 萌は他の皆と同じように、右手の山肌にぴったりと身体をつけた。

 早鐘のような鼓動が奇妙に大きく感じられる。耳をつけた岩から振動が全身に伝わった。

 やがて足音が鼓動とかぶさり、曲がり角にちらりと陰が見えたそのとき、

 「ぎゃあっ!」

 村山が先頭の二人に体当たりをした。

 彼らは悲鳴を上げて崖下に落ちていく。

 同時に夕貴の手を引いた萌が走った。その横を暁も併走する。

 そして、高津の体当たりでひっくり返った男の脇をすりぬけて、とにかく前へと進む。

 ところが、転びそうになった暁を支えようと夕貴の手を離した途端、彼女は元来た道へと引き返したのだ。

 「夕貴っ!」

 慌てて萌はその後を追った。

 崖の角、男たちが見える。

 気づけば残る敵は高津が転かした男一人になっていて、高津と村山二人で何とか押さえ込んでいる格好だった。

 「あっ!」

 村山は走り来る夕貴と萌を見て顔色を変えた。

 「来るなっ!」

 萌がようやく夕貴を捕まえ、羽交い締めにしたときだった。

 敵を押さえきれなかった高津が尻餅をつき、相手の手が自由になる。

 「っ!」

 その右手が腰にあったホルダーから銃を取りだし、村山に向けた。

 が、一瞬早く、高津がその腕を再び押さえ込み、飛びかかった村山が銃をもぎとった後、男の両襟を掴んで首を絞め上げた。

 「ぐうっ!」

 相手はそのまま目を剥いたまま気を失い、後には肩で息をしている高津と村山、そして最初から最後までぴたりと崖に身体をつけたままだった井上が残っていた。

 「馬鹿っ!」

 村山が夕貴に怒鳴る。

 「戻らず走れって言っただろう!」

 初めて聞く村山の怒声に、萌は驚いて夕貴を掴んでいた手を放してしまった。それを見ながら高津が溜息をつく。

 「大声だしたって駄目だよ、夕貴には聞こえない」

 「……そうだった」

 村山は息を整えながら立ち上がって高津を見る。

 「とりあえず、お前、萌と二人で夕貴たちをもう少し先まで連れてってくれ」

 「村山さんは?」

 「ちょっとやっておきたいことがあるから。……後から追いかける」

 高津は嫌な顔をした。

 「自分だけ、いい格好しちゃって」

 「え?」

 「この人の始末だろ?」

 萌はぎくりとして倒れた男を見る。

 確かにそのままそこに置いておくことはできない。

 (だけど、)

 無抵抗の人間を殺すなんてこと、自分たちに出来るわけもない……

 「いいから行け」

 「村山さん……」

 しかし、高津が何かを言いかけた時、横たわっていた男が小さなうめき声を上げた。

 「いかん!」

 敵に盗られることを恐れたのか、村山が慌てて側に落ちていた黒光りする別の拳銃を拾う。だが、

 「待ってっ!」

 突然、暁と夕貴がぱたぱたと走って、男の側にしゃがみ込んだ。

 「おい!」

 「お願い、夕貴が待ってって言ってるから」

 村山が彼らを引きはがそうとするより先に、暁と夕貴はそれぞれの右手と左手を男の額に載せた。

 そして黙って目を閉じる。

 「暁、一体……」

 しかし、止めようとした村山の腕を高津が掴んだ。

 「村山さん、待ってっ! これって……」

 高津は目を見開いて震えだした。

 「どうした、高津?」

 その言葉と男が目を開けるのが同時だった。

 村山は高津の手を振り払って夕貴と暁を掴み、そして後ろへと跳び退る。

 「……ここは?」

 夕貴と暁を地面に置くと、村山はいつでも飛びかかれるような姿勢を取った。

 「ここはどこだ、何で俺はこんなところにいる?」

 男はきょとんとした顔で萌たちをただ見回す。

 「あんたは誰だ?」

 「……想起障害の振りをしようったってそうはいかない」

 村山が一歩前に出ようとした。だが高津が首を強く横に振る。

 「青い」

 「え?」

 「この人、青くなったんだ、暁たちが触ったら」

 驚いた萌は改めてさっきまで敵だった男を見た。

 彼は確かに途方に暮れたような顔で茫然としている。

 「一体、どうして……」

 男の言葉が終わる前に村山がそれを遮り、角に置いてあったリュックを引っつかむ。

 「話は後です。先を急がないと、奴らに追いつかれる」

 その言葉で、後ろからも敵が来ていたことを萌は思い出した。

 「さ、貴方も早くこっちへ」

 「奴らって? それにあんたは……」

 「いいから、命が惜しければ一緒に逃げるんだ」

 村山は男の腕を引っ張って立ち上がらせた。

 「命が惜しければって、何で……」

 「いいから早くっ!」

 「ちょっと待て、意味がわかるまで俺は動かな……」

 男は村山を見て顔色を変えた。

 その手には拳銃が握られている。

 「理由だったら後でいくらでも説明するから、とにかく急いでっ!」

 慌てたように男は走り出す。

 萌たちも続く。

 「お、おい、待ってくれ」

 ようやく井上が壁から離れて彼らに加わる。

 七人になった萌たちは、とにかく先へ先へと進んだ。

 ……進むことしかできなかった。

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