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いつもと少し違う朝に  作者: 中島 遼
22/37

丸山 5

 「ただいま」

 集合地点に戻り、萌は汲んできた水をとりあえず火にかけた。

 ふつふつと湯が沸き、萌の心の中のように蒸気が上がる。

 「?」

 座っていた萌の首に、小さい手が優しく巻き付いた。

 顔を後ろに向けると、白い顔がにっこりと笑う。

 「夕貴、慰めてくれてる?」

 その小さな手を萌の両手でくるむと、なんとなく温かい力がそこから入ってくるような気がした。

 「ありがとね」

 視線を巡らすと、村山がコップを並べながら岩岳をまぶしそうに仰ぎ見ているのが目に入る。

 萌の怒りを他所に、今日も秋晴れのいい天気だ。

 (ふう……)

 それを見て、かなり気分も和らいだ。

 夕貴は目を細めると、萌の頭をよしよしというように撫でる。

 「ほんと、夕貴は可愛いねえ」

 おばさんみたいな台詞を吐いて、萌はその小さな身体を抱きしめる。

 「あ、ずるい、僕も!」

 何故か暁が走ってきて、萌の背中に飛び乗った。

 「こらっ、暁」

 村山が立ち上がり、暁を萌の背中から引っ剥がす。

 「火の元で暴れると危ない。プロレスごっこならあっちでやってくるんだ」

 「これはプロレスじゃないよ。圭兄ちゃんと昨日やってたのがそう」

 村山は片手で暁を抱えたまま、ぽかりとその頭をこづいた。

 「ほら、お湯が沸いてぐらぐらしてきた。ここに間違ってお尻からすぽんって入ったらどうなると思う?」

 「熱いんだろ」

 「熱いだけじゃないぞ、軽く済んだとしても、寝られなくて泣くぐらい痛くて真っ赤になって、それからぶくぶくとキノコみたいな水ぶくれが一杯できる」

 「キ、キノコがお尻に?」

 「そうだ。そしてしばらくすると、キノコのところから皮がずるずると……」

 「ご、ごめんなさいっ、」

 「言っておくが、これは軽く済んだ場合だ。もしもっと酷かったらお尻の皮が……」

 「もうやらないから言わないでっ!」

 「ほら、高津! 和んでないで、暁のガス抜きをしてくれ」

 不思議な時間だった。

 恐怖はまだごく近くにあるのに、ふとそれを忘れさせるような一瞬。

 それがどうしてか何よりも愛おしい。

 高津が暁を連れて、木に登る練習を始めた。

 本当に、こんな時間がずっと続けば……

 (……あ)

 元凶の井上が何事もなかったかのように姿を現したので、萌はぷいっと視線を横に向ける。が、

 「一つ聞きたいんだが」

 声音の異常さに目をやると仁王立ちした井上が、しゃがんで木の枝を折っていた村山を上から見下ろしている。

 「俺に何か隠していることがあるだろう?」

 「……と言いますと?」

 高津と暁がはしゃぐのをやめてそちらを見た。

 夕貴が萌の腕をぎゅっと握る。

 「一緒にこれから行動するんだ、一人だけ仲間はずれというのも寂しいじゃないか」

 村山が何も言わずにじっと井上の顔を見ると、彼は仕方なさそうに言葉を継いだ。

 「君らはみんな、何か普通と違う力を持ってるんじゃないのか?」

 「……どうしてそんなことを?」

 ぎくりとした萌とは対照的に、村山はいつもと同じように言葉を返す。

 井上はちらりと萌を見る。

 「萌ちゃんからさっき色々聞いて、何となくそうかなって思ったんだが、どうかな?」

 (……なっ!)

 そんな言い方をしたら、まるで萌が何でもべらべら話してしまったみたいではないか!

 頭の中が真っ白になった萌を、高津が驚いた表情で見ている。

 (違う……)

 そうじゃないと言おうとしたが、何をどう説明していいのかわからない。

 変なことを言ったら、逆に誤解されるような気がした。

 「萌」

 村山が微かに首をかしげてこちらを見る。

 (違うの)

 心臓がばくばくと音を起てた。

 自分は井上なんかに村山が話さなかったことをばらしたりなど……

 「お前、何か力を持ってたのか?」

 「……え?」

 「井上さんの前で、何かとんでもないことやらかしたとか」

 大きな勘違いをしたらしい村山に、萌は慌てて手を振った。

 「力なんて持ってないよ。たか……圭ちゃんみたいにみんなの役に立てるなら、もっと早くに言ってるもん」

 村山が再び視線を井上に戻すと、井上は慌てて手を振った。

 「萌ちゃんが持ってるって言ってはいないよ。皆が持ってるんじゃないかって思って」

 高津が顔をしかめた。

 「どうしてそんなこと思ったの?」

 「何となく、萌ちゃんの言動から推察してだな……」

 「それは嘘でしょう?」

 珍しく村山が他人の言葉を遮った。

 「え?」

 「だから正直におっしゃってください。どうしてそんなことを思ったんですか?」

 萌は目を見開いて村山を見る。

 (信じてくれたんだ……)

 何となく胸が熱くなる。

 だが、井上は村山を責めるような目で見た。

 「……所詮、後から来たものは部外者だよな。何かあったらすぐ嘘つき呼ばわりして……」

 (なっ!)

 だが腹立ちのあまり、どんな言葉を井上に投げつけようかと考えた萌よりも村山の吹き出す方が先だった。

 「萌と日常会話をするには二日かかります」

 「は?」

 「この子は俺と初めて会った日、何時間もの間、一言も話さなかった。ようやく口を利いたと思ったら、露骨に高津にだけ言葉をかけて……あれはちょっと傷ついたな」

 思わず真っ赤になる。

 「そ、それは……」

 「でも、俺にだけそうなのかなと思ってたら、暁と夕貴にもそうだったから、多分、根っからの内弁慶」

 頬から湯気が出そうだった。

 「だから井上さんも、萌から言葉を引き出すにはそれくらいの時間がいると思いますよ。そしてうち解ける前に怒らせたら、一生口を利いてもらえないかも」

 実際、一生そうしたいぐらい怒っていたが、指摘されると自分がいかにも矮小な人間であるように思える。

 「……また君たちに疑われたら嫌だって思ったから、言えなかったんだ」

 反吐が出そうな井上の台詞。

 だが案の定、村山は優しく首を横に振った。

 「疑ってるんなら貴方と話なんかしません」

 仕方なさそうな顔をして井上が溜息をつく。

 「リソカリトっていうやっかいな……いや、それは俺が言ったんじゃないぜ、そう、奴らにとってやっかいなのがいて、そいつらの多くはそんな力を持ってるから、陽動作戦を使わない限り、捕まえられないって聞いたんだ」

 萌は唇を噛む。

 (リソカリトって、やっぱりそういうことだったんだ)

 ここにいる四人みたいな超能力者。

 あっさり納得したのは、心のどこかでそう思っていたからだろう。

 「実は、多少その気はあるかもしれません。ただ、言っても信じてもらえないだろうと思ったので、井上さんにお伝えしなかったんです」

 と、井上はわずかに震えた。

 「……どんな能力なんだ?」

 「俺が何より気になっているのは、感覚障害、及び代謝系の異常です」

 「はあ?」

 村山は眉をひそめた。

 「具体的には、匂いがわからない、味がわからない、それから尿毒症にならないのが不思議なほどの……」

 「それが……能力? それだけ?」

 村山はゆっくりと井上を見上げる。

 「それより、貴方こそ何かリソカリトの能力についてあらかじめ聞かれていたんですか?」

 「まあ少しだけ……」

 「例えば?」

 「リソカリトに一番多いのはテレパシー能力だと」

 「他には?」

 「聞いてない」

 「……そうですか」

 村山はわずかに寂しそうな顔をして立ち上がった。そうしてリュックの所に行って地図を取り出す。

 「それと貴方にもう一つ、黙っていたことがあります」

 「え!」

 彼は井上の前に地図を広げた。目線で促されて、井上も地図の側に屈む。

 「今、我々がいるのがここ。そして目的地は彼らに今のところ支配されていないと仮定している隣の県。間にいくつかの町がある」

 彼は白く長い指でルートをなぞる。

 「見てお解りのように、普通は難易度の高い稜線を避け、少し遠回りになるけどこっちの筋を選ぶのが順当です」

 「……それで?」

 「つまり岩岳に行かなくったっていい、というか、行かない方が早く目的地に着ける」

 井上は頷いた。

 「だから行かない方がいいって、俺は前から言ってたじゃないか」

 「でも、行かなきゃならない」

 「何故?」

 「そこが奴らの聖地だから」

 井上は村山をまじまじと見る。

 「……怖さのあまり、頭がおかしくなったのかい?」

 村山は何も言わずに相手を見つめた。

 「目的は?」

 「見ておいた方がいいと思って。他府県に逃げたときに少しでも情報が多い方がいいでしょう?」

 「無駄な努力だ、やめとけ」

 村山は力強く頷いた。

 「……なので、井上さん、貴方は次の分かれ道で右に行ってください」

 「は?」

 「俺たちは左に行く」

 井上の顔が赤黒くなった。

 「何だ、結局は俺が邪魔で、早く捨てていきたいってことか?」

 「逆です。巻き込みたくないから分かれるんです」

 「だったらこっちの道を一緒に行こう、そうすれば全員無事に県外に出られるじゃないか」

 村山は首を横に振った。

 「俺の考えは変わりません」

 「食い物だな? 食い物が減るのがそんなに怖いのか?」

 「食料のことでしたら、さほど多くはないけど俺のを持っていってください。大事に食べれば十日はいける」

 井上は萌たちを見回した。

 「君の頑なな考えで、この四人の子供の命を危険にさらすのか? 彼らは君を信じてついてきているんだ。それ相応の度量を見せるべきだろ」

 「それは違う」

 村山は広げた地図をたたみ始めた。

 「彼らが俺を信じてるんじゃない。俺が彼らを信じているんです」

 「最低だな、お前。この期に及んで子供に責任転嫁するのか?」

 村山は苦笑した。

 「ほんとだ。そう言われればそうですね」

 再び井上は萌や高津に目をやった。

 「君たちも思うだろ? 何でわざわざ敵の総本山に行かなきゃならない? しかもそれをこいつは君らのせいだって言ってるんだ。何とか言ってやれよ」

 暁がようやく喋れると思ったのか、一度ぽんと跳び上がった。

 それとも、彼なりに緊張しているのか。

 「あのね、さっきからずっと言いたかったんだけど、僕は怖いけど岩岳に行くよ」

 「え!」

 「岩岳に行って、悪い人をやっつけるんだ」

 「……ま、まさか」

 井上の顔から血の気が引いた。

 「マスターと一戦交えようってのか?」

 村山は少しだけ首を傾けた。

 「……マスターが何者かわからないので、とりあえず見に行くだけにはなるとは思いますが」

 「お前は正真正銘の大馬鹿だっ!」

 ついに井上が怒鳴った。

 「何か考えるところがあるのかと思えば、そんなくだらない理由かっ!」

 「井上さん、声が大きい」

 その言葉は余計に頭に血を上らせたようで、井上はざっと立ち上がった。

 「それでも自分の考えで動いているならまだしも、子供の誇大妄想に付き合ってるって?」

 「それは……」

 「やめろ、お前みたいな男にリーダーの資格などないっ!」

 村山の表情に苦みが浮かぶ。

 「俺にはそんな資格など最初から……」

 言いかけてそのまま黙り込んだ村山を、井上は居丈高に見下ろした。

 「ずるい男だ」

 その顔に残忍な笑みが浮かぶ。

 「お前、最後の最後にはこいつらを奴らに引き渡して、自分だけ助かろうって思ってるんじゃないか?」

 村山の表情は変わらなかったが、高津がこわばった。

 「井上さんっ!」

 「俺はお前のような人種をたくさん見てきた。エリートはみんなそうだ、自分に非難が集まらないように他人の考えを都合良く拾い、勝手に道筋を組み立てる。それがうまく行ったら自分の功績で、失敗したら他人の責任だ。そしていつも他人を犠牲にしても自分だけは助かるように……」

 「やめてよっ!」

 我慢できずに萌は立ち上がる。

 「何も知らないくせに勝手なこと言わないでっ!」

 井上はあざけるような視線を萌にも向けた。

 「世間を知らないのは萌ちゃんの方だ。騙されちゃあいけない」

 「馬鹿言ってんじゃないわよ、その世間にどれだけあたしたちが追っかけ回されたって思ってんの?」

 萌が井上を強く睨み付けると、一瞬相手はひるむ。

 「ほんと、萌の言うとおりだ」

 高津が肩をすくめた。

 「それに井上さんだけ別の道を進めってのは、村山さん最大の親切心なんだぜ? それをわかってよ」

 「なんだと?」

 今度は高津に向かって井上が何かを言いかける。だが、それ以上何も聞きたくなくて、萌は頭に浮かんだ言葉を思わず口にした。

 「みんな、覚悟はできてる」

 「なに?」

 「だからもう黙ってちょうだい」

 井上は周りを見回し、自分を見つめる瞳が一様の色をたたえているのを見てか、じっと立ちつくす。

 一瞬の静寂の後、村山がおもむろにポケットから軍手を出すと、それを手にはめて立ち上がった。

 そして萌の側にあるクッカーを持ち上げると水筒とペットボトルにそれを注ぎ、残りをコップに注ぎ始めた。

 「火が消えてるから軍手、いらなかったな。」

 夕貴が萌の側を離れ、村山の背にしがみつく。

 「少し冷めてるけど、夕貴たちはその方がいいだろ?」

 ほっとした顔の暁と、仏頂面の高津も村山の周りに集まってコップを受け取った。

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