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いつもと少し違う朝に  作者: 中島 遼
20/37

丸山 3

 「俺はずっと独りだったんだ」

 彼は異変の起こった最初の朝、この土地にいなかったという。

 「東京に出張に行って、帰ってきたら職場の雰囲気が妙だった」

 仲間はみな余所余所しく、しかも見知った顔が何人か消えている。

 だが、尋ねても誰も応えない。

 「そうこうするうちに、役場の男が警官と一緒に来て、俺は留置所に放り込まれたんだ」

 そこで彼は訳のわからない質問をいくつもされたと言う。

 「訳のわからない質問?」

 高津が首をかしげると、井上は頷いた。

 「そう、マスターをどう思うかとか、広報のこととか、今日の色とか」

 「広報って、町民広報のこと?」

 思えば村山からサッカー部員の会話を聞いたときも、何がひっかかるのか高津はそこを何度も確認していた。

 「多分」

 「どんなことを聞いたの?」

 「発行日とか、書かれている内容とかだ」

 逆に萌は、マスターという言葉がとても気になる。

 その言葉に対する異様な彼らの反応。

 きっと何か重要な人物なのだろうが。

 「……で、あいつらは俺を処分することに決めたと言って、役場の三階にある会議室に押し込めたのさ」

 そこには同じような人間が、子供も含めて数十人いたという。

 皆、不安というよりは何がなんだかわからなくて茫然としている、そんな感じだった。

 「そしたら、奴らの一人がやってきて、包丁やらナイフやらを人数分ばらまいて、一番多く殺した人間だけ助けてやるってぬかしたんだ」

 彼は色の悪い唇を震わせた。

 「誰も何も言わず動かなかったら、奴らは側にいた若い女の……額を、ずどん、って撃ち抜いた」

 顔色が青い。

 村山が慌てて首を振る。

 「言いたくないことは言わなくていいので……」

 すると井上はその言葉を遮る。

 「大丈夫、俺が見た地獄のことを説明する義務は果たす。パニックになって、刃物を持って周りの人間を刺した下司な野郎たちのことをね」

 実のところ、萌は聞きたくなかった。

 耳をふさぐか、席を外したい。

 だが、暁も夕貴も黙って井上を見つめているのに、自分だけ我が儘を通すのもどうかと思って我慢する。

 「狙われたのはまず女と子供だ、殺しやすいから。それから老人。あとは若い奴が刃物を持って周りにいる人間を片っ端から突いて行った」

 井上はと言うと、恐怖のあまり、そこにあった机を男たちに投げつけると、窓の鍵を開けて飛びだした。

 「三階だったが、木の上に一度落ち、枝を折りながら植え込みに落ちると奇跡的に無事だったんだ。あとに続いた奴も何人かいたが、足の骨を折ってそのままのたうち回ってたのも……」

 一瞬顔をしかめたあと、再び彼は話を続けた。

 見知らぬ他人がよってたかって彼らを囲んだこと、そして殺して行くのを見捨てて逃げたこと。

 「気がついたら二人になってて、俺はそいつと逆方向に逃げて追っ手を分散した。そして、どこかの軒下で周りが静かになるのをずっと待ってたんだ」

 やがて夜になり、ひたすら人の影に怯えながらも、彼は逃げ続けた。

 「だから萌ちゃん、あんたにあった時は俺の方こそ心臓が飛び出るかって思ったんだぜ」

 彼は村山が出した缶詰をうまそうに平らげ、レトルトパックの粥を喉の奥に流し込むようにして食べ終えた。

 それらは随分前から彼らが口にすることなく持ち歩いていた食料だということにふと気づく。

 「それはそうと、さっき井上さんは俺に言ったけど、人が青に見えるって話、どこで誰が言ってるのを聞いたんです?」

 高津が尋ねた。

 「留置されて質問を浴びせられてた時、彼らがそんな話をしているのを聞いたんだ。青いのはカスだと」

 村山が形のいい眉をひそめた。彼のその白く長い指も同時にぴくりと動く。

 「青いのはカス?」

 「そう」

 井上は紙コップの白湯を飲み、そして萌の方を見た。

 「ところで、君らはどうやってここまで来たんだ?」

 高津と萌が同時に村山を見ると、彼は小さく頷いて井上に今までのあらましを説明した。

 もう何度も繰り返した嫌な出来事の話を、またもや萌は聞かねばならない。

 だが、どうしてか今度は今までより幾分穏やかな気分でいられるのが不思議だ。

 (完全に開き直っちゃったかな)

 萌は村山の端正な顔を見つめる。

 (もちろん、それだけじゃないけど……)

 彼への信頼が萌の恐怖を相当減らしていることは間違いない。

 「そう言うわけで、俺たち三人はこの二人と北の山でばったり会ったんです」

 村山はテレパシーの話はせず、偶然北へ逃げる最中に暁と夕貴に出会ったのだと説明した。

 「なのに、どうしてこんなところを歩いている?」

 「あっちの山にも敵がいて、追っかけ回されているうちに、町に入ってしまったんです。そうなったら度胸が据わって、いっそ岩岳を越えようかということになって」

 黒い人の話も村山は端折った。

 (それはそうよね)

 テレパシーにせよ、黒い人にせよ、あまりに荒唐無稽だ。

 萌だって、いきなりそんな話をされたら相手の頭を疑うだろう。

 「……山を越えて、隣町までいけば何とかなるって思ってるなら大きな間違いだ」

 問うような眼差しをした五人に、井上はぶるぶると頭を振る。

 「あそこも駄目だ。既に奴らのものになってる」

 引きつった顔の高津や、声も出せない萌を尻目に、村山はその聡明そうな瞳を井上に向けた。

 「東京は大丈夫だったんですよね?」

 「ああ、東京は」

 井上は顔をしかめた。

 「だが、この辺り一帯はすでに彼らのテリトリーだ。あいつらがそう言っていたんだから間違いはない」

 「彼らが?」

 「そうだ、少なくともこの県下で主要な地域はすでに奴らの支配下にある。そしてそれらは彼らの意志次第でいかようにも広げられるそうだ。彼らの仲間は増え、カス……つまり俺たちみたいな異分子はゴミみたいに処分される」

 村山は少し考え込んだ。

 何か言いたそうだった高津もそれを見てか口をつぐんでいる。村山に全てを委ねたというところか。

 「そう、逃げ場所なんてない。残念ながら、な」

 ようやく、村山は顔を上げる。

 「希望はゼロではありません」

 「って言うと?」

 村山は井上を見つめた。

 「東京は無事なんですよね」

 「俺がいたときはね」

 「なら少なくとも、そこに行けば助かる可能性が残されています」

 井上は肩をすくめる。

 「甘いよ、君は。まず、どうやって行く? それに着いた頃には既に遅しで、奴らに占拠されていること請け合いだ」

 「歩いて行っても間に合う気が……あ、でもどうだろう、山が結構あるからな」

 「何を言ってるんだ?」

 「思っていたより遥かに進度が遅いんです。最悪の場合は既に全世界に広がっていると思っていましたから」

 井上は顔をしかめた。

 「意味がわからないんだが」

 「……この町から同心円状に異常が広がると仮定すると、奴らの支配下にある『県下で主要な地域』というのをばっくり五千キロ平方とした場合、一日当たり八キロしかエリアが広がっていないってことになるんです」

 「この町が起点だとは限らないだろ?」

 「その考え方が一番過酷なんです。この町が中心でないとしたら、速度はさらに遅くなって我々に有利になる」

 高津が少し希望を持ったような顔で萌を見た。

 「それに東京が大丈夫だというなら、そのうち助けがくるかもしれない」

 だが、それでも井上は溜息をついた。

 「駄目さ。今朝見たニュースでも何にも言ってなかった。誰も気づいてないんだよ」

 その声が引きつる。

 「いずれ東京も、大阪も、いや日本全てが知らないうちに……」

 村山は再び考え込んだ。

 そしてその代わりに高津が疑問を挟む。

 「ちょっとおかしいよ、その話」

 と、井上がむっとした顔で高津を見た。

 「俺が嘘を言ってるとでも?」

 「だって、他が何ともなくてこの県だけなら、どうしてニュースにもならないんだろう。この町に来た他府県の人が例えば行方不明になったり、こんな状態になって自分の家に帰ったりしたら、もっとみんな大騒ぎするはずなのに」

 「だからもうお仕舞いだって言ってるんだ。わからないかな」

 すると村山が済まなさそうな顔で高津を見る。

 「お前の言う通りだ、俺が勘違いしていた」

 「……って?」

 「新幹線やJRの駅に、他府県の人が入らないようにすることなどできないってことさ。だからそこは今、表面上まだ何も起きていない」

 井上が不愉快そうな表情をした。

 「君も俺の言うことを信じないのか?」

 「いえ、そうではなく、解釈を間違えたんです。県下の主要な地域というのは人口の多い地域ではなく、彼らにとって主要な地域じゃないかと」

 「じゃあ、主要な地域って何だ?」

 村山は困った顔をした。

 「それはまだわかりません」

 「そこまで言ってて、わからないはないだろ?」

 「……済みません」

 「済みませんじゃないって、俺の問いに答えてくれよ」

 (……違う)

 萌はこの五日間で、村山が曖昧なことや勝手な推論を口にするのを極力控えるタイプだと気づいていた。

 だから、村山のわからないは本当のわからないではなく、現在バックデータを収集中という意味なのだ。

 「ねえ、村山さん、さっき俺が言ったことはどう思う? 都会のJR駅はともかく、この町に来た他府県の人が行方不明になって騒がれない理由」

 高津もそれをわかっていて、村山から少しでも多くの言葉を引き出そうとする。

 「準備期間が事前にあったのだと思う」

 「え?」

 「あの朝、同時刻に町中が一斉に動いた。文字通り示し合わせたんだ。だったらこの町への出張や、あんまりないけど観光の人は最初から受け入れないようにしておくことも可能じゃないか?」

 高津が震えた。

 「……準備って……いつから?」

 「わからない」

 村山は秀麗な眉をひそめる。

 「だから、県内しか広がっていないのか、他府県ではまだ実行に移されていないだけなのかはよく見極めないとな」

 萌の背に、電気のような悪寒が走り抜けた。

 だとしたら、どこが安住の地かわからないではないか。

 「……で、それなのに隣町に行くのかい?」

 村山は木の間にある岩岳をちらりと見る。

 「はい」

 呆れたような顔で井上は言った。

 「くどいようだが隣町も奴らの支配下だ」

 「しかし、そこを越えないと先には進めません」

 「いずれにしても危ない橋だ。それよりしばらく様子を見ないか? ひょっとしたら何かの拍子でみな、元に戻るかも知れないじゃないか」

 「でも、ここは人里に近すぎます。様子を見るにしても、もう少し先に行った方がいい」

 井上は意を決したように村山に言う。

 「何だかわからんが、岩岳は奴らの聖地らしい。近寄らないに越したことはない」

 「マスターの降臨場所だそうですね」

 相手は目を剥いた。

 「知ってたのか? 知ってて向かっているのか?」

 「はい」

 「マスターが誰だか知ってるのか?」

 「いいえ」

 「……なんだ」

 井上は肩を落とした。

 「俺はそれが知りたくてたまらないんだがな」

 そこだけは井上と萌の共通点のようだ。

 「ところで、ねえ」

 高津がどうしてか険しい顔で井上を見る。

 「井上さん、留置されているときに、人を青と赤に見分ける能力のことを耳にしたって言ったけど、どうして奴らは殺そうと思っている人の前でそんな話をしたのかな?」

 「何だって?」

 井上が嫌な顔をした。

 「それは何だ、俺が実は奴らだとでも言いたいのか?」

 「そうじゃなくて、何か不自然な気がするって……」

 「いや……」

 井上は高津の言葉を遮った。

 「さっきからお前はずっと俺を嘘つき呼ばわりしてる」

 その顔には失望が浮かぶ、

 「所詮俺は困った存在だ。食い扶持が一人増えるとそれだけ全員が助かる可能性も減る。俺が君でもそんな風に思うだろう」

 「いや、その」

 「だがな、それでも奴らと同類と言われる事だけはたまらなく嫌だ」

 「だからそんなこと一言も言ってないって」

 困った顔の高津が気の毒だった。

 そして、その横でもっと困った顔をしている村山は更に可哀想だった。

 「高津が疑っているのは貴方ではありません。我々はあまりにも彼らの罠に怯えながらこの数日過ごしてきた。だから貴方の言葉ではなく、貴方にそれを聞かせた彼らの意図に怯えてしまったんです」

 「……ああ」

 井上もさすがに大人気ないと思ったのか、表情を緩めた。

 「済まない、俺もつまらない事に目くじら立ててしまって。ちょっと疲れてたんだ」

 と、それまで黙っていた暁がにっこりと笑って頷く。

 「良かった、仲良くなって。僕らは多ければ多いほどいいんだよ」

 井上が不思議そうな顔をした。

 「何が?」

 「もちろん仲間が、です」

 村山がさらりと言葉を引き取り、そしてじっと萌を見つめる。

 (……え、何?)

 「ちょっとくすぶってきてるよ、燃料係」

 「あ!」

 慌てて萌はポケットに突っ込んでいた袋から、枯れ葉を取り出した。

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