学校 2
二人は校舎に入り、下駄箱の前で立ち止まった。高津が小さく手を挙げる。
「じゃ、また」
一組と五組は下駄箱が離れている。
「うん」
ここで分かれて当たり前だ。だのにどうしてか高津が動かない。
眉間にしわをよせ、緊張したように顔を強ばらせて……
「どうしたの?」
振り向いた高津が口を開きかけた時だった。
急に校舎の中から、既に登校していたらしい生徒たちが現れ、一斉に靴を履き替え始めた。
高津が顔をしかめる。萌も訳がわからずにただ目を見開く。
彼らの立っている脇を、黙って生徒たちが移動していくのだ。雑談することもなく、ただ静かに。
どうしていいかわからなくて、萌は高津を顧みる。
高津はグラウンドの方に出て行った生徒たちの後ろ姿を眺めながら、彼女の無言の問いに小さく頷いた。
「みんなが出て行くんだから、緊急の朝礼でもあるんじゃないかな。面倒くさいからカバンはここに置いて表に出よう。教室に戻るのも二度手間だし」
「うん」
ふと、高津が萌を見つめた。
「変なこと言うようだけど、これからしばらくは目立たないようにしていた方がいいかもしれない」
「どういうこと?」
「わかんないけど、何となく」
首をかしげながら運動場に行くと、もう整列ができ始めていた。しかしそれはいつもの朝礼のような学年組別ではなく、男女すらランダムに配置された不可思議な列である。
どうやら着いた者から順に並んでいるようだった。
(……変だ)
近づくにつれ、生徒達が妙に静かな、しかし嬉しそうな表情を一様にしていることに気が付いた。
あの、仲間とふざけながら肩をならべる生徒の姿はどこにもない。
何が始まるのかを皆に尋ねようとしていた高津と萌も、自然に口をつぐんで群れの最後尾に並んだ。
なぜか問うてはいけない気がしたのだ。
(みんなどうしちゃったんだろ)
本当に奇妙だった。ニヤニヤと笑みを浮かべこそすれ、一言も話をしない集団。
萌のクラスの結構やんちゃな男子生徒の姿も前の列に見えるが、彼ですらじっと一方向を凝視している。
「おい、何だよ、これ」
見ると、萌と同様、訳も分からず列に並んだ者が声を上げ始めていた。
声を出して注目を浴びるのが恥ずかしい萌は、これ幸いと黙って聞き耳を立てる。
「なあ、何があるんだ?」
十メートルほど離れた場所にいた男子生徒が隣の少年に尋ねたが、完全に無視された。
彼は周りのクラスメートにも同じ事を繰り返したがほとんど反応が同じだ。
しかし、彼同様、変だと思っていたらしい女生徒が、列を乱してそちらにやってくる。
「ね、今日、何か変だよね?」
「おお、やっと話の通じる奴がいたか」
萌は思わず高津の方をちらりと見る。
しかし、横に立つ彼は眉間にしわを寄せて黙りこくっていた。何となく話しかけづらいオーラを感じ、萌はそのままじっと立つ。
「ひょっとしてびっくり企画とかあるんじゃねえか?」
「確かにそうとしか思えないよね」
見ると、この状況を「おかしい」と言った二人はひそひそとではあったが何となく盛り上がっていた。
(あたしも混ざりたい)
心底そう思ったが、萌はかなりの引っ込み思案だ。
この訳のわからぬ状態でじっと立ちつくすのと、知らない人間に声をかけるのとを秤にかけ、萌は前者を選ぶ。
そうして心の内で小さく溜息をつく。
(ほんとあたしってつまんない性格……)
と、その時だった。
突然一人の男子生徒が朝礼台の上に立った。
確か彼は生徒会長だったような気がする。
よく見るとさっきまではいなかった教師達が、全員朝礼台の横で整列していた。
その、一番端にいた校長が誇らしげに頷くと、生徒会長は校舎からぼちぼちと遅れて出てきた何人かの生徒を指さした。
「予定の時間になりました。この時刻にここに集まったのはまぎれもない仲間ですが、若干不純物も混じっているようです」
意味がわからず首をかしげた萌の前で、生徒会長は片手をあげた。
「定められた時間内に言葉を発した者、あるいはここに集まらなかった者、我々はマスターのために彼らを処理します。八列目までは遅れてきた者の排除、それ以外は不純物の排除をよろしくお願いします」
その言葉が終わると同時に、最前列から八列目までの百人ほどの生徒が示し合わせたように笑みを浮かべて歩き始めた。
校舎を遅れて出て、今こちらに向かってきている数十人の生徒たちは、むしろ萌と同じようにきょとんとした顔で、そちらに歩いてくる一団を眺めている。
(え、何?)
よくわからないままそれを見つめていた萌の目に、想像を絶する光景が映った。
五人一組となった集団が流れるような機動的な動作で一人ずつを囲み、それぞれがポケットから何かを取りだして相手に突き立てる。
(!)
萌は声も出ない。
というか、これは現実ではないという気持が大きい。
(怖い映画、一昨日に見たから夢をみちゃったんだ……)
女生徒がカッターナイフで一人の男子生徒の頸部を切り裂いた。吹き出す血潮が噴水のように上へと軌跡を描く。
(夢だ……)
「き、きゃあああああっ!」
萌より五列ほど左に並んでいた生徒の中に、耐えきれずに悲鳴を上げた生徒が何人か混じっていたが、彼らの命も数秒後には同様の運命をたどった。
さっき、周りの生徒に何が起こるのかを尋ねていた男子生徒と、彼に呼応した女生徒もふと見ると既に死体になっている。
思わず目をつぶったが、閉じる前に逃げようとした女生徒の背中に果物ナイフをつきたてている百合子の姿が見えた。
(……あ)
ふっと意識が遠くなる。
だが、崩れかけた身体を誰かが横から支えた。
(やめて、夢から覚めたいんだから……)
放っておいて欲しかったが、それが高津の腕だと気づいて萌は気力でその場に踏みとどまる。
(どうせ現実じゃないんだし……)
そう、夢に決まっている。風景は全てモノトーンだ。あの鮮血を除いては……
壇上の生徒は、次ぎに黙って校舎の方を指さした。そこには凍り付いたような顔の生徒たちが窓から顔を覗かせている。
(!)
まさかと思う暇もなく、生徒たちの群れは校舎に向かって歩き出した。彼らの次の獲物が何であるかは明白だった。
(……高津君)
萌の右腕を支えた力が、彼らの動きに合わせて前へと前進する。顔をちらりと向けるとそこには厳しい表情があった。
(……誰か)
しかし、前進するしかないことはわかっていた。
最後尾だからいいようなものの、何か他の人と違う動きをした途端、殺されるのは間違いない。
行列はいくつかの死体を踏みつけながら校舎になだれ込んでいく。
中にはまだ死にきれず、ぴくぴくとけいれんしているものも混じっていたが、萌はそれを見ないようにした。
そうして、土足のまま、全員階段を上がっていく。
(え!)
下駄箱から通路へ入る角の側で、高津はいきなり萌の手を引き、行列から引き離した。
そのまま足音が遠くなるのを息を殺して待つ。
そして高津が腕を握る力を強めたのを合図に、二人は足音を忍ばせながら校舎を出た。
「グラウンド側の門は目に付きすぎるから、壁伝いに正門から出よう」
高津の言葉が小さく、遠くから聞こえる。感情は麻痺したまま、ただ言われるがままに進む。
二人はそっと、しかし早足で学校を後にした。
校舎からつんざくような悲鳴が時折聞こえる。
「……やだ」
耳をふさぎたかったが、高津の手が萌の右腕をしっかり握っているのでそれもままならない。
門をくぐり、奇妙に深閑としたマンションの間を通って住宅地に出る。
誰かにこの惨事を伝えなければと思ったが、何故か通行人には一人も出会わなかった。