丸山 1
何とか敵を撒き、五人は町を抜けた。
とは言うものの、敵との遭遇を避けるために実際のルートよりもかなり西に寄っていたため、目的の山に直接入ることはできず、地元の住民から「丸山」という愛称で呼ばれている低い山を越さねばならなくなっている。
「萌姉ちゃん、大丈夫?」
少し険しい顔をしていたのか、暁が声をかけてきた。
「元気、元気!」
わざと明るい表情を作り、萌はガッツポーズをした。
「それより暁は? 疲れたんじゃない?」
「僕も大丈夫」
ほとんど徹夜で町を抜け、そのあとも敵の網をかいくぐって山裾を移動した。
「嘘ばっかり」
ようやく人心地ついたのはその日の夕方であり、高津や村山に背負われている間寝ていたと言っても、子供が疲れていない訳がなかった。
「あのね、足とかはね、あんまり疲れていないんだけど」
ふと彼は横にいて、透明な笑みを浮かべている妹を見つめた。
「夕貴はなんかお腹が痛いって」
「え!」
慌てて萌は、地図を見ながら高津と進路の打合せをしている村山を呼ぶ。
「痛いのはどの辺り?」
村山は暁から夕貴の状態を聴きながら腹を押さえる。
「今は痛くないみたい。でも、お母さんや家のこととか、追っかけてくる鬼のことを思うとお腹が痛くなるんだって」
すると夕貴はそんなことを言うなとでもいうように、首を左右に振った。
「そっか、夕貴はずっと辛いのを我慢してるからな」
村山の言葉に暁が驚いた顔をする。
「我慢すると、お腹って痛くなるの?」
「そうだね、走るのが本当に嫌いな子が運動会の前にお腹が痛くなったりとか、そういうのはあるよ」
「それって弱虫な小さい子の病気なんじゃないの?」
「大人でもなるよ。それと、弱虫はならない、泣いちゃうから。泣くのを我慢したり、人に気づかれないように黙って我慢するとなりやすいんだ」
暁は大人みたいに顎に手を当て考え込んだ。
「どうやったら治るんだろ」
「夕貴に伝えてくれ。嫌なことがあったら話したり泣いたりすると楽になるから、おじさんに言ってくれって」
暁は少しほっとした顔をした。
「よかった、実は僕もお腹痛かったんだ」
「じゃあ、話も薬も二人分だね」
「……お薬はどんな味?」
「甘くないラムネみたいな感じ……かな?」
「やった!」
(……あんなのが、本当に効くのかな?)
リュックの用意をしていたときに知ったが、村山の家にはほとんど常備薬らしいものがなかった。
「……いつもは他の先生に頼んで、いる分だけ処方してもらってたから」
済まなさそうな顔の村山を思い出す。あったのは傷薬と消毒薬、ガーゼ、脱脂綿それに包帯。飲み薬は瓶に入ったよくある整腸剤。
「夕貴が一個で暁が二個」
夕貴が大事そうに薬を受取り、嬉しそうな顔で口に入れる。
(これで少しは暁たちの気が晴れればいいんだけど)
身体の疲れはないにしても、精神的なストレスは確実に自分たちをむしばんでいる。弱音を吐かない高津でさえ、最初の頃に比べて随分不機嫌そうな顔をしている。
(それでも……)
暁の二倍以上生きている自分が、ここで弱音を吐いてどうする?
「高津」
しばらく歩いてから村山が尋ねた。
「この辺りに、彼らの気配はあるか?」
「大丈夫。問題ない」
萌は村山から借りた腕時計を見た。
「あと十分くらいで休憩時間よ」
「じゃあ、ここで一泊しよう。あそこの茂みなら外から見えにくい」
側に行ってみると、確かにそこは絶妙な隠れ家だった。
木々の間を抜けると、ぽっかりと畳三畳ぐらいのスペースがあり、野営にはもってこいだ。
萌はほっとしてリュックを置く。
「じゃあ、あたし、水を汲んでくる」
肩を一度上げ下げしてからクッカーを村山から受け取る。と、高津が萌の手からそれを取り上げた。
「俺も行くよ。ついでに薪集めだ」
持ち物には固形燃料もあったが、今後のことを考えて煮炊きはできるだけ拾った枯れ木を使うことにしている。
二人は並んで、少し離れた小川の方へと歩き始めた。
「誰もいない?」
「うん」
彼は最近では半径二百メートルの範囲で敵の所在がほぼ掴めるという。
幸い山中は木が生い茂っているので、高津のアンテナに引っかからないのならまず安全だ。
「暁ってさ、こんな事になる前からテレパシー能力があったんだってさ」
唐突に高津がそんなことを言った。
「本当?」
「うん」
とすると、元々彼らはエスパーだったということになる。村山にせよ、高津にせよ、事件が起こるまでは特に何の能力も持たなかったというのに。
「例の蔵の中で君たちを待ってる間に色々話を聞いたんだ」
高津は目にとまった乾いた小枝を屈んで拾った。
「テレパシーって言っても、会話できるのは暁と夕貴二人の間だけだったらしいけど」
「それだけでも凄いよ」
萌はふうっと溜息をつく。
「それに比べてあたしなんて何にもない」
村山はああ言ってくれたが、やっぱりそこは申し訳なく感じる部分だ。
「そうでもないよ」
萌は高津の言葉に黙って微笑む。
誰もそのことで責めたりしないことはわかっている。パーティのお荷物であることを気にしているのは萌だけだ。
「ところで君は村山さんと二人きりの時に、何話したの?」
「何って、何も」
萌は枯れ葉を手にとって、裏に虫がついていないかを見てからポリエチレン袋に入れた。
「だってイベントが目白押しだったんだから」
「そう?」
高津は探るようにこちらを見た。
「……神尾さんから萌に呼び方が変わってる」
「だって、三人とも呼び捨てなのに、あたしだけ『さん』付けってところが腹立つでしょ? だからお願いしたんだ」
「……ふうん」
「高津君だって呼ばれ方が変わってたよ。圭兄ちゃんって」
再び枯れ葉の山があったので、萌はしゃがみ込んで仕分けを始めた。
燃えやすそうな枯れ枝も数本あったので、一緒に袋に入れる。
「ま、そうかもな」
「何が?」
「……俺も呼び捨てしてくれていいよ」
「え?」
「さん付けされるのもするのも、いちいち面倒くさいって実は俺も思ってたから」
「じゃあ、高津?」
言ってみてから萌は笑った。凄く違和感がある。
「何か無理」
「圭介は?」
「圭介君だと一文字多くて、却って舌がもつれちゃう」
「だから呼び捨てでいいんだって」
二人は目の前の川にあった岩から岩へと飛び移り、水の汲みやすそうな場所に移動した。
「圭兄ちゃん、あたしはあそこで木を拾ってくるから、ここで水を汲んでてくれる?」
「同い年だぜ、俺?」
燃料補給係になってからは、歩く道みちに落ちている小枝などを拾っているからそこまでたくさん集める必要もなかったが、ここには結構いい枝があるので、次の休憩の分も集めておこうと思ったのだ。
ちなみにそれ以外にも、タイムキーパー及び暁と夕貴の体調管理も萌の仕事だ。
肩をすくめた高津に水くみを任して、萌は雑木林に入っていった。