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いつもと少し違う朝に  作者: 中島 遼
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江戸通り 4

 「神尾さん?」

 村山の少し驚いたような声に、萌は顔を上げて鼻をすすった。

 「ごめんなさい、ちょっとほっこりして」

 「凄いな、この状況でほっこりするんだ……」

 言葉の使い方を誤ったことに気づき、萌は慌てて首を振る。

 「じゃなくて、ちょっと気が緩んだって言ったの」

 「ま、いいことだよ。どうせだったら今のうちにいっぱい緩めとけ。次はいつ気の休まる時が来るかわからないから」

 「気は緩んだけど、休まりはしないと思う」

 村山に怨ずることではなかったが、つい口調がきつくなる。

 「どうしたら休まるのかわからないし」

 「……一般的には何も考えないのがいいって言うけどね」

 そんなことは何度も試した。

 「それができないから苦しいの。何も考えないでいることなんてできない。だから昔の楽しかったことを思い出そうとするんだけど……」

 萌は頭を振った。

 温かい食事の載った食卓。萌の皿から、さっきつまみ食いをした分をきっかり差っ引いて自分が食べる母。

 そんな出来事が心に流れ、そして……

 「友達もお母さんも思い出すのが怖い」

 何を考えたってあの日の……無表情で首をえぐってるところや、指を落とされても笑ってるあの顔になる。

 「だから必死で、これから先の事だけを考えようって思うんだけど」

 声が震えた。

 「でも駄目なの。そういうのってそれだけで苦しくて」

 未来がただ明るければ明日の天気を気にするだけでいいし、過去のことも素敵な想い出として取っておける。

 (でもそうじゃない)

 「過去も未来も真っ暗で、どっちを見ても傷つくから、無感動に今歩いている足の疲れとか、頭の重さとか、そんなことばかり気にして、それでまた疲れて」

 村山は眉をひそめた。

 「……それはひょっとしたら俺のせいかも」

 意味のわからぬ台詞に虚をつかれる。

 「は?」

 「仕事を俺が全部独り占めしてたからな。……そして自分だけ楽になってた」

 「どういうこと?」

 「どっちに行ったらいいかとか、休憩をどこで取るとか考える事だよ」

 それは違った。そう言う作業が苦手だという理由で逃避していたのは萌だ。

 「敵の動向に気を遣いまくってる高津はともかく、君はその権利を俺に盗られ、それだから時間が余って余計なことを考えてしまう。悪循環だな」

 村山は真面目に考え込んだ。

 「……次からは責任分担しよう。このままだと俺だけずるいから」

 「そんなんじゃない。もしそうだとしても、だったらあたしが何もできないのが一番悪い」

 萌は顔を上げる。

 「みんなはみんなの役に立ってるのに、私だけ足手まといでお荷物で」

 突然、過去に心の表層を過ぎ去っていっただけの哀しみが形になって口からこぼれた。

 「情けなくって」

 村山は首をかしげた。

 「何でそんな風に思うんだ? 充分役に立ってると思うけど」

 「嘘は嫌。それでなくても滅入ってるのに」

 「だって神尾さん、いつだって一所懸命だし、愚痴も言わずに頑張ってるし、それで高津も俺も元気をもらってる」

 愚痴を言わなかったのは、村山や高津が聖人すぎて自分が矮小に思えるからだ。

 心の中ではいつだって思いきり悪態をついている。

 「心にもないこと言われたって、惨めなだけよ」

 「……いや」

 村山がわずかに笑いを含んだ声で応える。

 「神尾さんて体力あるし、そこそこ運動神経も良さそうなのに頻繁につまずくだろ?」

 「えっ!」

 想像外の言葉に萌は口をぽかんと開けた。

 「いきなりつんのめったりとか、何もないところで突然転んだりとか、さっきも金網の切れたところに靴引っかけたりとかしたし」

 「……まあ、そうだけど、でも」

 よりによって、そんな人の傷をえぐるような話を今しなくてもいいではないか。

 「周りはぎょっとするんだけど、本人は何もなかったみたいに立ち上がってずんずん歩くから、見てるこっちが可笑しくてさ」

 「……それって、あたし、密かに馬鹿にされてたってこと?」

 「尊敬してるんだって」

 「何もないところで転ぶ人を尊敬?」

 村山は笑った。

 「それはまた別の話。ちなみに神尾さん、目がよく見えてないんじゃない?」

 「え?」

 確かに目はあまり良くない。しかし、コンタクトレンズは面倒くさそうだし、眼鏡は嫌で今に至っていた。

 「眼鏡かけた方がいいよ。そしたら転ばなくなると思う」

 「……そっか」

 萌が頷くと、村山は足の位置を変えた。

 「で、さっきの話に戻ると、俺が君を尊敬している理由は、苦手なはずのことを文句一つ言わずに頑張って、我も張らずにみんなの手伝いをして、引っ掻き傷一杯作っても痛いとか言わないとこ」

 「文句だったら、ついさっき一杯愚痴を言ったもの」

 「あんなの、愚痴のうちに入らない」

 小さく相手は首を振った。

 「高津も言ってた。校庭で他の女の子が悲鳴を上げて刺し殺された中、神尾さんだけは気丈でずっと我慢してたって……だから助かったんだよな」

 萌も負けじと首を振る。

 「あれは我慢じゃなくて頭が真っ白になってただけ。何が起こってるのかがわかったの、ずっと後になってからだったもん」

 「多分……」

 村山は小さく溜息をついた。

 「五人の中で一番強いのは君と夕貴だよ、きっと」

 あっけに取られて村山を見る。

 「それを言うなら村山さんの方がずっと強いじゃない。一番勇気があるし、それにおうちであんなことがあったのに……」

 萌ははっと口をつぐんだ。言ってはいけないことを言ってしまったのではないか?

 例えば萌が、彼女の母のことを話題にされたのと同じように。

 「続けてくれていいよ」

 だが思いの外、柔らかな声が返ってきた。

 「大丈夫だから」

 「……ごめんなさい」

 「だから平気だってば」

 「……でも」

 村山は少し伸びをした。

 「いいんだ、あれは向こうが悪い」

 「え!」

 「突然刃物を突き出されたら俺だってそりゃ驚く。ちゃんと殺す理由を説明してくれさえすれば、黙って刺されてやったのに」

 思わず絶句し、しばらく萌は壁の穴を見つめた。

 少しずつ倉庫の中には淡く青い光が満ちてきていた。どこかで雀が数羽鳴き交わしている声が聞こえる。

 「……いい奥さん?」

 過去形を使うことができない。

 「うん」

 「……あたしのお母さんもいい人なんだよ?」

 もちろん自分のことについても。

 「知ってる」

 涙が一筋こぼれたので、相手にばれないように手であごを支える振りをしてぬぐう。

 「……これからあたしはどうしたらいいと思う?」

 「……そうだな、とりあえずは黒い人に会って緑のお化けを倒して、そしてお母さんを元に戻す」

 「できるかな?」

 「俺はそのつもりで岩岳に向かってる」

 そんなに簡単に信じていいのだろうか。

 「もしできなかったら?」

 「その時は次に可能性の高そうな手段を選ぶさ」

 「……他に手段なんてあるの?」

 「さらに山を越えて県外に出るって手もある。元々岩岳に行く前は、隣町に行くつもりだったんだ。方向が変わったのと、越えるべき山が増えた他には別段変化はない」

 「他には?」

 「大丈夫そうな場所を探すことが第一義だが、色んな人に危険を知らせるってことも視野にいれた方法をとる」

 村山は少し上を向いた。

 「最悪、どっかテレビ局なんかをジャックして、この町の状況を日本中に知らせるとか、決定的動画をネットで配信するとかね」

 「日本全部がこんなだったらどうしよう?」

 我ながら悲観的なことばかり言ってる気もしたが、村山の考えを聞きたい気持が勝る。

 「広がったらおしまいって夕貴は言ってた」

 「うん」

 「ってことは、この現象は広がるんだ。つまり、無事な地域が必ずあると思っていい。その人たちに危険を知らせることができれば、助かる可能性は上がるし、何よりその人たちが自衛できる」

 「……テレビ局を占拠するなんて、何だかますます大変そう」

 萌は少し考え込んだ。

 「プレゼンテーターはもちろん村山さんね」

 「あ、それは……」

 薄暗がりの中、村山が怯えたような声を出した。

 「無理。テレビカメラの前で話すなんて俺には無理。それは高津に任せよう」

 萌は笑った。

 「テレビ局はちょっと保留ね」

 「かなり最後の手段だ。それまでにはもう少し展望が開けてると思うよ」

 「そうね」

 萌はうなずく。

 「とりあえずは目の前のできる事を片っ端からやるしかないか」

 「それが一番いい」

 村山は頷いた。

 「……さて、ちょっと寝た方がいいだろう。昼間は交代で覗き穴を監視しなければならない」

 「うん」

 萌は素直に頷く。しかし村山がしばらくその穴から目を離さないだろう事を知っていて、それに甘えていいような気になっていた。

 意識が暗い淵に落ちていくのを感じながら目を閉じる。

 「あ、それから」

 村山の声が遠くから聞こえた。

 「さっきは助けてくれてありがとう」

 さっきというのはあの男に襲われた時のことだろうか。

 だとしたらそれは違う。助けてもらったのは萌の方だ。

 (煉瓦を持ったのは成り行きだったもの)

 急激に辺りが暗くなる。

 そのまますっと気が遠くなって……

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