◆7月のある日 夏の僕らは、川遊び
道端のネムの木に、桃色の綿帽子みたいな花が咲く季節。僕とユウナは押し寄せるようなセミの合唱を聞き流しながら帰路についていた。
午後2時を回ったばかりの太陽は、翳る気配も無くアスファルトを焦がし続けている。
今日は先生達の会合があるということで、学校は昼過ぎでお開きになった。
クラブ活動も一部のコーチが居るような熱心な部活以外は解散となったので、僕たちは久しぶりに開放的な気分に浸っていた。
僕達が所属する里山文化研究部は、そもそも「謎部」として自由な活動をしている。普段は調理実習室の一部を占拠した「仮の部室」で、地元伝統のお菓子の再現実験をしたり、スイーツ同好会の人たちとお茶を飲んだり、おしゃべりをしたり、時々脱穀したりモチを捏ねたりと、いろいろな事をやっている。
そういう意味ではいつもフリーダムな感じなのだけど、完全にオフの日も珍しい。
僕のすこし先を歩いているユウナは、さっきから白線の上を歩いている。鉄骨渡りの予行演習ではないだろうけれど、途中で「おっと!?」と、バランスを崩して黒い舗装路の上に足をついた。
「あち! デレッテ、テテテッ♪」
……どうやら白線以外は「灼熱のマグマ」という設定らしい。
ユウナが口ずさむのはゲームオーバーの効果音だけれど、小学生の時からそんなことをやっている気もする。まぁ人間なんていきなり進歩するものでもないらしい。
「リプレイ! アキラ10秒以内!」
「あーはいはい」
暑い上にアホ過ぎて、もうそのままにしておこうかとも思ったけれど、つい助け舟を出してしまうのが悪いクセだ。
嘆息しながら「見えないコントローラ」を操ると、ユウナが再び白線の上を歩き出した。
「そこでダッシュアンド、ジャンプ……」
「ほいっ!」
進路上に現れた、だらしなく伸びていた屑の葉とツルをジャンプして避ける。脳内では壮大なゲーム画面が展開されているのかもしれないけれど、傍目からは暑さにやられて落ち着きをなくしたニワトリみたいだ。
後ろからみると意外と細い足首とか腰周りとか制服のスカートのヒラヒラとか、首のうしろのほつれ毛とか、本当にどうでもよいものばかりが見えてしまう。
「ね、アイス食べて帰ろうよ」
「いいけど……。この前は僕がおごったから今度はユウのおごりな?」
「く!?」
鳶色の瞳を大きく見開いて、意外な反撃にダメージを受けているようだ。ふん、毎度おごらされてたまるか。
先日は「田中商店」で、エスキモーの「ピノ」を買って食べていたら、ユウナに2粒も食べられた。
6粒入りのアイスの2個を失うと言うのは、計算上4割近くに相当するわけで軍隊なら全滅の扱いだ。
「……それもそうね。なら今日は半分食べさせてあげる」
ユウナが汗ばんだ顔を寄せてくる。
ベリーのような甘い香りと汗と、夏のお日様に熱せられた空気が頬を撫でる。
「20円のチューチューアイスの半分だけどね!?」
「セコイ!」
言わずもがな。大腸菌の分裂途中みたいな「くびれ」を持つ、ビニール入りの安い砂糖水を凍らせたチューチューアイスは、駄菓子の定番だ。
――と、そこで聞き慣れた声が二つ降ってきた。
「オゥ? 相変わらず仲良しサンデスネー?」
「あ、アキラ先輩、こんにちは」
それは留学生の金髪碧眼美少女マーガレットさんと、その横でペコリと頭を下げるのは、彼女のステイ先の、湊くんだ。
二人は少し先の道の角にある「田中商店」から、買物袋を提げて出てきたところだった。
「あ、マーガレットちゃん? 買い食い?」
「イエス。ミナトとショッピングデートデスねー」
ぎゅっと自分よりも背の低い中学生男子の腕に白い腕を絡ませる。
思春期の男子にそういう言動は、刺激が強すぎるのではなかろうか……。中学生の湊くんは上手い切り返しも出来ずに、照れくさそうに笑みを浮かべてもじもじとするばかりだ。
ちなみに僕もマーガレットさんみたいな美人さんにそんな事をされたら、赤面して鼻息が荒くなり、妙な笑いを漏らしてしまう自信がある。
◇
「わ……! 魚が泳いでますね!?」
橋の上から川を覗き込んでいた湊くんが歓声を上げた。
僕はアイスをしゃぶりながら、そんなの当たり前……と言いかけて僕は言葉を飲み込む。
湊くんは目を輝かせて、興味深げに魚の影を追っている。
都会から越してきたという湊くんは、子供のころから慣れ親しんでいる僕らと違って、川で遊んだり魚を捕ったりした経験があまり無いのかもしれない。
「あれは多分ウグイだよ、今は昼間だしね」
「昼だと……ウグイなんですか?」
不思議そうに小首をかしげる。
「ウグイは昼間でも泳いでいるけど、山女とか岩魚は朝の早い時間じゃないと見れないんだよ」
コイ科のウグイは清流から濁った川まで、どんな場所でも暮らせるタフな魚だけど、イワナやヤマメはとても繊細な渓流魚で、昼は岩陰に隠れたりしてる場合が多い。
「あ、ヤマメはスーパーで売ってるの見たことあります!」
「スーパーて」
湊くんの都会発言に思わず苦笑する。
家の近くを流れる川は初夏にはホタルが舞う清流で、もちろん渓流の魚も棲んでいる。
川幅は2メートル程で深さは膝下ぐらいの小さなもので、夏は近所の小学生のいい遊び場だ。もちろん僕も子供のころは夏になるとよく遊んだものだ。ホタルもいるけれど、そろそろギンヤンマやオニヤンマが我が物顔でブンブン飛び回るはずだ。
「うーん。ヤマメが釣れたら、食べれるんだけどね……」
「食べてもいいんですか!?」
きらりん! と驚きの表情を浮かべる湊に、もちろんだよと頷く。
なんというか可愛くて素直な弟分がそんな事を言うものだから、僕もつい「いい所」を見せたくなる。
「……じゃ、今から釣りしてみる?」
「したいですっ!」
「釣りするの? ……アキラって一人でやる遊びは上手いもんね!」
「ユウナ、さりげなくディスらないでくれる?」
「えー? 褒めたんだけど?」
肩をすくめる幼なじみ。
「一人で上手にフィッシング? ……オゥ!?」
おかげでマーガレットさんの妄想スイッチが入っちゃったようだけれど、ともあれ女子二人組もヒマらしく釣りの見学を希望だとか。
うーん。高校生になって初めての夏、川遊びでいいのだろうか。
「とりあえず僕の家から釣り具を持ってくるからさ、ここで待っててよ!」
「――はいっ!」
笑顔を背に僕は駆け出した。
◇
川辺から家までは歩いて3分もかからない。ちなみにユウナの家は道を挟んでの向かいにある。
釣り道具一式は親父のおさがりだけど、いつでも使える様に玄関に置いてあった。
釣りをする場合、大抵の川では『遊漁券』という釣りの許可証を地元の店などで買わないとダメなのだけど、地元の子はそんなのは気にしなくていい。
道具の調達を終えた僕は、竿と道具入れを手に皆のところに戻ってきた。
あとはエサが必要だけど、それはもちろん現地調達すればいい。
僕は靴と暑苦しい靴下を脱ぐと、ズボンのすそを捲り上げて、川へと足をさし入れた。
「おぁっ!」
夏なのに芯から冷えるような冷たい水の心地よさに、歓喜が口から自然と溢れた。
「アキラ、何スルデスー?」
「エサをまず捕まえるんだよ」
川の中に沈んでいる石を持ち上げて裏返すと、大抵川虫が棲んでいる。それはヤゴというトンボの幼虫だったり、クロカワムシという虫だったり。川魚はそれを餌にしているので、使えば最高の食い付きが期待できるのだ。
川に降り立って見上げると、橋の手すりに寄りかかって、ユウナやミナト、そしてセシリーさんが此方を見守っていた。
川の水の音、湿り気を帯びた川面の冷たい空気、そして夏草の濃い緑。
耳元で飛び交う羽虫、そしてフサフサの「ネムの木」の花に、抜けるような夏空と積乱雲--。
そのどれもが眩しくて、押し寄せる圧倒的な色彩に目が眩む。僕はおもわず腰に手を当てて、静かに青い空を仰いだ。
◇
僕は手早く手元の針に『エサ』を付け終えた。たった今採れたて新鮮な生餌をだ。
いかにも手馴れた感じでエサや仕掛けをつくる僕に、賞賛が集まるかと思いきや、
「うわキモっ!」
「ボクは……無理です」
「オゥ……マイガッ!?」
ギャラリーの反応は最悪だった。
背中に針を刺された小さな川虫は、僕の指先でまだジタバタと空しく足掻いている。
腹いせに、夏の強い陽射しの下で針で刺し貫かれた哀れな生き物を、三人のギャラリーにちらつかせてやる。
暑いので皆も川縁で足を水につけて涼んでいる。
「こっちに向けないでよ! ばかばか!」
湊やマーガレットさんが虫に慣れてないのは仕方ないけれど、ユウナが怖がるなんて笑止。ほれほれ。
「やだもー!」
「てっきりルアーで釣るのかと思ってました……」
「緑の豆さん、このヒトデス!」
「あぁもう! 川釣りといったら生餌が基本なんだよっ!?」
◇
「で……いつ釣れるのディスカ……?」
「アキラ、はやく釣って見せてよ~!」
ユウナが棒アイスを舐めながら川面を素足でけとばすと、水しぶきが夏の陽射しにきらきらと舞った。
「Oh! パンツ……濡れちゃうのデェス!」
金髪碧眼のマーガレットさんが裸足を晒してきゃぁ! とはしゃぐ。スカートを両手の指先でつまみあげて、白い脚がすらりと長くて思わず目線がいってしまう。
「水が冷たくて超極楽だねー!」
「日本の川は……天国!」
完全にお気楽なバカンス気分のユウナとマーガレットさんは、生足を清流に浸して涼んでいる。
既にこっちの釣りなんてお構いなしだ。
「お前らがそこで騒いでたら釣れないだろっ!?」
僕は叫んで、橋の上から水面に向き直る。こうなったらここから先は魚との真剣勝負だ。
「アキラ先輩……がんばって……!」
湊くんが期待に満ちた瞳を僕に向けて、川べりでタモ網を構えて待っている。
狙うのはヤマメ。いいとこ15センチほどで、海の魚に比べれば小さいけれど、焼いて食べれば川魚ならではの野性味が楽しめる。
――みんなにいいとこ見せるもんね。
陽光の照り返しで眩しい川面に目を凝らす。
と、魚影が視界を横切る。
一匹、二匹と目が慣れてくれば次第に魚が遊んでいる様子だって判る。
「見える……!」
僕は新人類みたいな事をつぶやいて、エサを装着した釣り針を上流からそっと水面に落とし、ポイントへと流し込んだ。
渓流釣りのコツは、針の付いたエサを流れに乗せて自然に「見せる」ことにある。
ジージーと鳴くセミと、サラサラという水音、そして静寂の一瞬――
「っ!」
固唾をのむ湊達の目の前で、浮きがスッと音も無く水中に引き込まれた。
途端に手に持った竿を通じて、確かな生き物の感触と重さが、伝わった。
ぐんっ! と竿先が曲がったのに合わせて、指揮者のように手首を捻り竿を立てる――と、バシャッと勢いよく水しぶきをあげて、銀色にきらめく魚が空中に躍り出た。
「よっしゃきたぁあああ!」
「――Oh!」
「アキラ、すごい!」
それはヤマメだった。
桃色と茶色のブチ模様、サケ科特有の身体の模様がとっても綺麗な、川の精。
湊があわあわわ! と暴れる魚を網ですくいとる。
「アキラ先輩、凄いですっ!」
「どーよっ!?」
僕はこの瞬間、滅多に見せないドヤ顔をしていたらしい。
「アキラが子供みたいに笑うの、久しぶりに見たよー!」
と、ユウナだって子供みたいな顔で可笑しそうにしていたけれど--ね。
【◆7月のある日 僕らの夏は、川遊び 了】
【作者よりの一言】
えーと川遊びですが、マネをする場合は事故になどご注意くださいね。
川釣りの際の「遊魚券」は川を管轄する各漁協によって異なりますのでご確認くださいませ。
あと、作中でアキラがやっている「ちょうちん釣り」に浮きは付けないだろ! というツッコミは、お遊びの釣りですのでご容赦くださいネ(汗w
ありがとうございましたっ!