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◆6月のおわり 蛍と一文字だけのメッセージ

 >『蛍』


 送られてきたメッセージはそれだけだった。

 差出人はユウナ。


「ほたる……?」


 僕は自分の部屋で寝転んだまま、スマホ画面の送信時刻を確認する。

 >>PM20:13


 それはお風呂から上がって、そろそろ数学の宿題しなきゃ……なんて考えながら、結局ゲームをしていた時だった。


 僕の家は築40年を超える木造平屋建て、そして部屋は六畳間。擦り切れた畳と、色の褪せた(ふすま)が昭和ちっくだ。白々とした蛍光灯の周りでは小さな羽虫がチリチリと行ったり来たりしている。


 夏の訪れを予感させる網戸の向こうに目線を転じると、外はすっかり青黒い闇に包まれていて、寂しげな民家の明かりが幾つか見えるばかりだ。

 

 この辺りは夏が近づくと、家の明かりを求めてミヤマクワガタが網戸にくっついていたりするほどに山の懐に抱かれている。


 耳を澄ましても聞こえるのはカエルの大合唱。車の行きかう音や人々の喧騒というものとは無縁な、まるで世界と切り離された所なんじゃないかと思うことさえある。


 >>どしたん?


 こっちから送ったメッセージには返信は無い。

 どうしたんだろう? いつもならすぐに返事が来るのだけれど。


 今夜はすこし蒸し暑くて、首の周りには風呂上りの熱気が絡み付いたままだ。それなのに胸の奥で寒気にも似た妙な違和感がチロリと揺らめいた。


「……ったく」


 僕は独り言をつぶやいてから、とりあえず部屋の中で立ちあがった。

 

 ユウナからの『蛍』の意味をとりあえず考えてみる。

 

 そもそも北国に住む人は口数が少ないらしい。

 有名な逸話の『どさ?』『()さ』の二言会話はいい例で、翻訳すれば『どこに行くんだい?』『銭湯へ行く途中さ』ということになる。

 寒すぎて口を開くのが厳しいから、なんて説もあるけれど僕が思うにちょっと違う気がする。


 互いに暗黙の、共通認識があるからじゃないだろうか? 「チャリンコを赤くして角をつけたら3倍早い」とかそんな感じの。


 というわけでユウナ語(?)を訳すと多分こうだ。


 『蛍』→『蛍が飛んでるよ、見においで(小川のところだよ~!)』だろう。


「……略し過ぎだろ」


 まぁ、翻訳できる僕も僕だけど……。


 ちなみにホタルは今の時期、夜の8時ごろが活発で、今夜みたいに風も弱い方がいい。

 

 僕は「ふんぬっ」と、伸びをしてから勢いそのまま部屋を出た。サンダルをつっかけて玄関の引き戸をカラカラと開けて外に出る。

 

 見上げると空は満天の星だった。


 このまま見上げていると夜空に吸い込まれてしまうんじゃないか、と感じる程に空の煌きは深く遠く、ゾッとする程の無数の星が瞬いている。


 家から徒歩数分の道路を隔てた家がユウナの家だ。僕の家と同じくらい古い平屋の家で、玄関と部屋の明かりは灯っている。

 けれどユウナのお母さんの詩織(しおり)さんは仕事から帰ってきていないのか車が見当たらない。

 

 ユウナの家は母子家庭で、うちは父子家庭だ。

 ちなみに、ユウナの母親の詩織(しおり)さんと、うちの親父も幼馴染という、親子二代揃っての付き合いがある。

 それぞれ別の人と結婚し暮らし始めたけれど、向こうは離婚、こちらは死別とまぁいろいろあったのだけれど、今はそんなことはどうでもいい。

 小さい頃からまるで自分の家のように遊びに行っていた隣家とはいえ、こんな夜中に行くのは常識に欠ける。

 とりあえずは反対方向の、川と商店のあるほうに歩いてみることにする。

 徒歩数分のところには綺麗な小川が流れていて、長さ10メートルにも満たない小さな橋が架かっている。

 その100メートルほど先には、いつも買い食いでお世話になっている『田中商店』の自動販売機の明かりが一つだけポツンと見えた。


 メッセージの解釈に間違いが無ければ、この川辺を飛び回る蛍を見にユウナは来ているのだろう。


 川に架かる橋を渡り、人気の無い暗い道を歩く。橋の根元に外灯が一つあるだけで、それを過ぎれば辺りは再び深い闇に包まれている。

 民家の明かりがいくつか見えるけれど、車通りも人通りも殆ど無くて、カエルの合唱に加えて川面から聞こえる水音と、自分の足音だけが響いている。もう狐狸や魍魎が闊歩する時間といってもいい。


 ――こんな時間にどこほっつき歩いてんだよ……。

 

 心配と不安と、言いようの無い怒りのような気持ちが渦巻いていた。


 いつのまにか僕は小走りで、川沿いのガードレールに沿うように進んでいた。しばらく行くと前方に、黒い人影を見つけた。


「――アキラ? ここだよ」


 暗闇の向こうから微かに聞こえたのは、聞き慣れたユウナの声だった。

 目を凝らすと、小川と並行して通る道路のガードレールに手をついて、身を乗り出すように川面を覗き込むユウナの姿があった。


 外灯もない星明りの下、その姿は小さくおぼろげで、ずっと遠くに感じられた。


 不意に、胸を締め付けられるような気持ちに突き動かされるように僕は思い切り駆け出していた。


「ユウ! 危ない」


 駆け寄りながら奥歯をぎゅっと噛みしめて放った言葉は、自分でも驚くほど不機嫌で真剣な声だった。


 それは、一文字で呼び出されて怒ったとかじゃない。


 上手くは言えないけれど、今にも川から得体の知れない黒いものが這い出すんじゃないかとか、暗闇に連れ去られてしまうんじゃないか――、そんな幼稚で曖昧な不安から出た言葉だった。

 

 ――ひとりでこんなところに来たら危ないだろ! 本当はそう言いたかったのに、僕の口はやっぱり短くてぶっきらぼうな言葉しか発してくれなかった。


「あ……! うん、ジュース買おうかと思って……」


 傍らに駆け寄ると、すこし驚いたような気配が伝わってきた。

 自動販売機で買ったらしい炭酸飲料を胸のところでぎゅっと握っている。


 僕はよくわからない気持ちを胸の奥に仕舞いこんで、そして一拍の間を置いて、


「……大丈夫ならいいんだ。ごめん」

「なんでアキラが謝るの?」

 今度はユウナが少し困惑の声色で言う。


「別に、その」

「心配……してくれたの?」


 暗い星明りの下で、僕の顔を覗きこむユウナの口元が、ゆっくりとほころぶ気配が伝わってきた。

 お風呂上りらしく、Tシャツにホットパンツにサンダル履き。洗いざらしの髪はストレートに下ろされていて、ふんわりといい香りがした。


「べ、別にその、僕もジュース買いに行こうかな、って思ってたんだけど……さ」

「アキラ、それツンデレっぽい」

「う、うるせー!」


 あはは、といつものように笑うユウナの声を聞いているだけで、纏わりついていた闇の気配が退いてゆく。

 ――失せろ! と僕は、何もいる筈の無い暗闇の向うを睨みつけた。

 昔から目線が魔よけになるとか、邪気払いになるとか、そんな迷信めいたものを少しだけ思い出したのだ。

 僕はそんな自分に苦笑しつつ、誰かを守る騎士という人の気持ちが少しだけわかった気がした。


「アキラはすぐに来てくれるし……、平気だよ?」


 ユウナが手元でスマホの画面を指先でなぞる。


「そういえば、さっきのって『蛍がいるから見に来ない?』って意味?」

「んー、惜しいけどはずれ」

「はずれ……?」


 ――と、


 黄金色の光がふわりと舞った。


 目が慣れてくれば、それは1つではない事はすぐにわかった。


 ふたつ、みっつ……いや、数え切れないほどの蛍が、そこかしこで黄緑色の光の帯を描きながら、光を放ち舞っていた。

 神秘的な命の輝きに、思わず息をのむ。


 幾つもの黄緑色の光が飛び回り、あるいは草陰でほのかな光を放つ。

 呼吸するリズムで明滅するそれは儚い命の輝きに、僕達はしばらく見とれていた。


「おぉ……! すごい、こんなに沢山」

「ね! 今年もみんな元気だよね」


 毎年数が減っていると聞いていたけれど、ずっと変わらない自然の営みだ。明滅の様子はヘイケボタルだろうか?


 ふわりと飛び込んできた蛍を、ユウナが優しく手で包み込んだ。


挿絵(By みてみん)


 指の間から再び飛び立つホタルと、淡い金色の光に照らされた横顔に思わず目を奪われて「きれいだね」と、小さくつぶやいていた。


「ん?」

 僕の顔を覗き込むユウナの顔がとても近くて、甘い息がかかるほどだ。


「あ!? ホ、ホタルがきれいだね……って、その」

「うん。そうだね」


 くすりと、本当に楽しそうに笑うユウナ。

 どうして、蛍はこんなにも儚くて美しいのだろう?

 僕はすっと天を仰ぐ。


 ――ずっと、これからも一緒に見れたらいいね。


 小さな、とても小さな囁きは、空耳だったのだろうか?


「アキラ、帰ろ!」

 明るく笑い、ごく自然に僕の手を取って歩き出すユウナに、僕は驚き「あ、うん」と間抜けな声を出したまま、引っ張られて歩いていく。


 幼かったあの頃、ユウナに手を引かれてあちこち歩き回って遊んでいた、そんな記憶が蘇る。


 ユウナの手は暖かくて柔らかくて、指と指は列車の連結みたいにつながっていた。

 僕の顔は、とんでもなく真っ赤だったかもしれない。全てを覆い隠す暗闇に、この時ばかりは感謝しつつ、子供じゃないだろー!? と、すこしだけ強がってみる。


 黒々とした地平線からは、天に昇る白い雲のような光の帯――天の川が、淡く静かに輝いていた。


 足元も見えないような暗闇の向うに、二つの向かい合った四角い明かりが見えた。それは僕の家と、道路を挟んで向かい合って建っているユウナの家から漏れる明かりだった。

 それらは、まるで灯台のように暗闇の向うに浮かんでいる。


「来年も見れたらいいね」

「見れるだろ」

「かなぁ?」

「うん」


 短い言葉を交わしながら僕達は歩く。

 天の川を挟んだ二つの暖かな明かりは、昔からずっと変わらずに、静かに僕達の帰りを待っていた。


<◆6月のおわりに 蛍と一文字だけのメッセージ 了>


【作者より】


 私の家の前には小さな川が流れていて、毎年蛍が飛びます。

今年も飛び始めましたので、このお話となりました。



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