◆5月のはじめ 僕は食パンをくわえて走る
僕は、たぶんずっと君が好きで。
だけど、そんな事を言えるはずもなく――。
こんな毎日がずっと続けばいいなって、思うんだ。
◇
「食パンを咥えて通学する男子高校生って……アニメっぽいよね!」
優菜が隣で腹を抱えてケラケラと笑っている。
ツインテールにまとめた髪が揺れるのを横目に、僕はすたすた歩いていく。
5月の暖かく透明な風を感じながら、僕たちは学校に向かっているところだ。
「ほっとけ。好きでやってるわけじゃないし」
今朝は寝坊してユウナに起こされて、食パンだけの朝食なのだ。
「ね? どうせなら遅刻チコク! って言いながら走ってみて」
キラッキラと瞳を輝かせるアホな幼馴染の提案を無視し、僕は仏頂面のままもぐもぐと味気ない食パンを咀嚼する。
「やらない」
「えー?」
「曲がり角も無いんじゃ転校生とぶつかるわけないだろ……」
「いえてる!」
ユウナが鳶色の瞳を丸くして「なるほど」と言う顔をする。嘆息しつつも僕は、パンを丸めて口に放り込んだ。
意外に思うかもしれないが、「曲がり角」というものは建物の多い街角でなければ存在しないのだ。
見晴らしのいい道は1キロ先にある酪農家の赤い屋根まで見渡せる。朝の爽やかな通学路……とはいっても目に入るのはひたすらに田んぼと低い山々に囲まれた田舎道だけだ。
田植えの終わったばかりの水田は稲も小さく朝日が水面で輝いている。
ぐるりと目線を転じれば、隣を歩きながらまだ何かしゃべりたそうなユウナと、道端の道祖神の小さな祠。
僕たちが歩く道沿いには綺麗な小川が流れていて、底が見えるほどに透明な水がさらさらと涼しげな音を立てている。
しばらく進むと川を跨ぐように長さ10メートルも無い古びた橋がかかっていて、その先にはようやく建物が見えた。それは「田中商店」と何の捻りもない雑貨屋さんで、コンビニの無いこの村では「ライフライン」といっていいありがたい存在だ。
ジャンプが1日遅れで発売になるけれど、長靴に草刈鎌やアイスに缶詰、そして適当な雑誌類となかなかにカオスな品揃えが自慢だ。
昭和から完全に時間が止まっている雑貨屋の横には、少し塗装のはげた赤いポストがぽつんと忘れられたように立っていた。
「よっと」
ユウナが突然ぴょん、と跳ねる。
アスファルトの上で干からびていたカエルを避けたみたいだ。そのままの勢いで肩に体当たりしてくるのは毎度お見通しの攻撃なのでサッと横に避ける。
「ニュータイプ!?」
「ごめん。ユニコーンからしか知らない」
何故にユウナのネタがファーストなのかは謎だけど、聞こえるのは可愛らしい小鳥たちのさえずりと、ユウナのころころとした笑い声だ。
仲のいい同級生達に会えるのはもう少し先に行ってからだろうし、しばらくは僕がユウナの相手をするしかなさそうだ。
◇
僕達の住んでいる綾織村はとても小さな村だ。
買い物は隣町のジャスコまで行かなきゃなんないし、僕らには退屈で信じられないくらい不便なところだ。
田舎具合の勝負なら全国の猛者(?)を相手にしても負ける気はしない。
「はぁ……」
隣町の県立高校までの道のりは歩いてキッカリ1時間。チャリなら25分だというのに今日は徒歩で通学となった。
その理由はユウナの自転車がパンクして修理中だからなのだけど、何故に僕まで歩くんだ?
「アキラの自転車の後ろに乗せて貰えって、おかーさんが言ってた」
今朝ユウナはそう言って僕の自転車を勝手にひっぱり出していた。ちなみにユウナの家と僕の家は、隣だ。
「……今日は、歩こう」
「えー!?」
以前二ケツして登校したら「夫婦だ!」と指を指されたのだ。
帰りに暗い道を一人で歩かせるのは忍びない、なんて考えも少しはあるけれど、口に出したりできるはずもなく……。
結局なんとなくそのまま二人で歩いての登校で今に至る。
途中、小学生とそのお婆ちゃんらしき人とすれ違って挨拶を交わす。この辺りでは朝帰りのタヌキやキツネと出会うこともしばしばで、今の二人も人間かどうかは怪しい所だ。
「……ユウ、飲み物ない?」
僕は歩きながらパンを食べて、いい加減何か飲みたいと辺りを見回した。
「そこに湧き水あるじゃん」
ユウナが道端のお地蔵さんの横にある小さな祠を指差した。
道端には大きな岩と桜の木があって、節くれだった黒い幹にはしめ縄が巻かれていた。
「水神」とお札が張ってある腰の高さほどの祠もあったりして、大きな岩の隙間からは水がチョロチョロと流れていた。
それが桶のような陶器製の「水がめ」に溜めてあって丁寧に「ひしゃく」も置いてある。これは誰でも自由に飲める無料のミネラル天然水だ。
「うん。そうする」
僕はゴクゴクと水を飲んだ。子供のころからお世話になっている湧き水は染み入るように冷たさで、全身の細胞が目覚める感覚がする。
――天野羽アキラよ、そなたに水神であるワシが力を授けよう。可愛らしい幼馴染を守るためお前は闘わねば……。
「ユウナ、ナレーションいらないから!」
「『そしてこれが壮大な物語のプロローグだとは……』 ……きゃっ!?」
言い終わるまえにユウナは叫びダッシュして逃げ出した。……最後までネタが思いつかなかったらしい。
「しょ、小学生か!?」
そうは言いつつも、僕も一緒に駆け出していた。
子供のころからの習慣で、神様とか地蔵様とかちょつと怖いと思ってしまうのだ。
「アキラ後ろ!」
「やめろって!」
ペースを上げたユウナを僕は慌てて追いかける。
中学時代は女子サッカー部で鍛えた脚力について来いとか、朝っぱらから無茶すぎるのだ。
制服のスカートを翻しながら走るその後ろ姿に、僕はやっぱり追いつけない。
――何もない田舎で嫌じゃね?
なんて、みんなは言う。
その時は曖昧に頷いたけれど、僕は結構気に入っていた。
見上げれば青い空と、澄んだ空気ときれいな水と。
本当に何もないところだけれど、それでも僕は構わなかった。
遅いよっ! とユウナが余裕の笑みで振り返る。栗色の髪がふわりと舞って、逆光の朝日できらめいて、僕は眩しさに思わず目を細めた。
――ずっと、こんな毎日が続くなら。
それも悪くないと、そんな風に思えるからだ。
【◆5月のはじめ 僕は食パンをくわえて走る 了】