【33話】コウ!!
普通の部屋は、
少しだけ広かった。
窓はない。
鍵は、閉まっている。
でも——
廊下の音が、聞こえる。
足音。
ワゴンが転がる音。
誰かが、咳をする気配。
部屋の前を、
人が通っていく。
それだけで、
胸の奥が、じんわりする。
——人の気配があるだけで、
——こんなに嬉しいなんて。
スーパー隔離では、
世界は「無」やった。
ここは、
「遠くに世界がある」。
それだけで、
十分やった。
⸻
ナオキは、
完全解放やった。
白衣でも患者着でもない。
普通の服。
自由に、
廊下を歩いている。
でも、
目が合うと、
必ず一瞬、立ち止まる。
ドア越しに、
小さな声。
「今日、雨やで」
それだけ。
別の日。
「今日の飯、
カレーやな」
どうでもええ。
ほんまに、どうでもええ。
でも——
それだけが、
一日の、唯一の楽しみやった。
世界が、
まだ回ってる証拠。
自分も、
まだ世界にいる証拠。
⸻
何日か、経った。
ある日、
ドアの上のランプが、
初めて緑に変わった。
——時間解放。
胸が、
少しだけ速くなる。
ナオキが、
遠くで親指を立てる。
声は、ない。
それでええ。
主人公は、
ドアに手をかけた。
時間解放のランプが、
緑に変わった。
主人公は、
ほとんど反射でドアを開ける。
廊下。
白い。
でも——
動ける。
「お」
すぐ、声がした。
ナオキ。
一瞬、
お互いの顔を見る。
ほんの少し、
テンションが上がりそうになる。
「あ——」
言いかけて、
同時に、止まる。
危ない。
二人とも、
ほぼ同時に廊下を見回した。
誰もいない。
でも、
“見られてる前提”は消えない。
ナオキが、
小さく笑う。
主人公も、
つられて口角が上がる。
言葉は、要らない。
ナオキは、
拳を軽く握って、
胸の前で止めた。
——キープ。
主人公も、
小さく頷く。
「……お互い、な」
声を落として言う。
ナオキも、
同じくらいの声で返す。
「頑張ろうぜ」
それ以上、喋らない。
ランプは、
まだ緑のまま。
でも、
十分やった。
⸻
それから、
時間解放は少しずつ増えた。
十分。
十五分。
三十分。
主人公は、
廊下を歩く事に慣れてきた。
そんなある日。
廊下の奥。
時間解放区域の、
ぎりぎりの場所。
いつも、
同じ場所に座り込んでいる人がいるのに気づいた。
最初は、
気にしてなかった。
ここには、
変わった人が多い。
座り込むくらい、
珍しくもない。
でも——
何回目かの解放時間。
通りすがりに、
ふと、耳に入った。
「……神様……」
小さな声。
独り言か、
祈りか、
それとも——
あくる日、
その扉の前で
足を止める。
心臓が、
少しだけ早くなる。
気のせいかもしれない。
聞き間違いかもしれない。
でも、
なぜか——
無視できなかった。
いつも誰かが
座り込んでいる人の前まで、
数歩。
——近づいたら、
戻れへん気がする。
そう思いながらも、
足は止まらない。
主人公は、
そっと声をかけた。
「……なぁ」
返事は、
すぐ返ってきた。
「なんじゃ」
普通すぎて、
一瞬、拍子抜けした。
「……あんた、何してる人なん?」
影は、少しだけ揺れた。
「神様じゃ」
主人公は、思わず笑った。
「あー、そっち系かぁ……」
この病院には、
いろんな“設定”の人がいる。
自分を皇帝だと思ってる人。
未来から来たと言う人。
宇宙と交信してる人。
神様も、その一種やろ。
「なんで神様って呼ばれてるんですか?」
半分、からかい。
半分、暇つぶし。
影は即答した。
「神じゃからに決まっとろう」
「……ですよねぇ」
完全に“まじのやつ”や。
主人公は壁にもたれた。
「じゃあさ」
「神様なんやったら、この世界作ったんですよね?」
影の向こうから、
声が笑った。
「作ったってなんやねん」
「作ったとか、作られたとか」
「そんなん人間の癖やろ」
主人公は眉をひそめた。
「どういう……」
「この世界はな」
____
「こう!!」
「……は?」
「こう!!じゃ」
主人公は、天井を見た。
(うわ……それっぽいこと言いよった)
「いやいや」
「それ説明放棄やん」
すると神様は、楽しそうに言った。
「説明しろって思うやろ?」
「でもな」
「説明した瞬間、ズレるんじゃ」
「質問からも」
「答えからも」
「だから“こう!!”なんじゃ」
意味は、分からない。
でも――
否定できるほど、軽くもない。
沈黙。
その時、
廊下を誰かが通った。
「お」
聞き覚えのある声。
「上手いことやっとんな」
ナオキだった。
「ばれんなよ〜」
「その人、結構“当たり”やから」
主人公は思わず聞いた。
「……あいつも、そう思ってるん?」
ナオキは肩をすくめた。
「さぁ?」
「でもな」
「信じるかどうか決める前に」
「話してみたらええ」
それだけ言って、
ナオキは去った。
主人公は、また影に向き直る。
「なぁ、神様」
「なんじゃ」
「神様やったらさ」
「俺の名前、分かりますよね?」
少しの沈黙。
それから、影が笑った。
「そんなもん」
「主人公に決まっとるやろ(笑)」
主人公は、吹き出した。
「……ズルいな、それ」
「ズルくてええんじゃ」
「物語なんじゃから」
しばらくして、
主人公はぽつりと聞いた。
「なんでさ」
「人間って、あんな悩むんですかね」
影は、間を置かずに答えた。
「当たり前やろ」
「人間が悩みやねん」
主人公は首をかしげる。
「人間が悩んでるんちゃう」
「悩みが、人間になっとるつもりなだけ」
その言葉は、
胸の奥に、静かに落ちた。
「……じゃあ」
「俺が悩んでたんじゃなくて」
「悩みが、俺やと思ってたって事ですか?」
神様は、楽しそうに言った。
「よう気づいたの」
「ちょっと“こう”に近づいた」
主人公は、壁に背中を預けた。
景色はいつもと変わらない
相変わらず
無機質の白い廊下
それでも――
ここは、
今までで一番、息ができた。
つづく




