【21話】つるんと
朝かどうかは分からない。
カーテンは相変わらず閉まっていた。
スマホが、
枕元で震えた。
一瞬、
無視しようと思った。
半年、そうしてきた。
世界を見ないことで、
世界からも見られないようにしてきた。
でも――
昨日の夜のことが、
まだ残っていた。
「まだ、終わってへんな」
カツヤの声。
⸻
充電コードを探す。
引き出しの奥。
絡まったままの白いケーブル。
久しぶりに、
スマホに差し込んだ。
ブッ刺す。
画面が一瞬、暗転して――
ピロン。
やけに軽い音だった。
⸻
通知は、ひとつだけ。
【スマロバ運営】
新機能が追加されました
《異世界解放》
それだけ。
説明も、
チュートリアルも、
注意書きもない。
拍子抜けするほど、
雑な通知。
⸻
「……は?」
思わず声が出た。
異世界?
今さら?
笑えなかった。
怒りも、興奮も、
どれも湧かなかった。
ただ、
胸の奥が、
少しだけ冷えた。
⸻
アプリを開こうとして、
指が止まる。
(もう、やらんって決めたやろ)
ユウタを選ばなかったこと。
リナの最後の笑顔。
そして、あの音。
「ぽしゅ」
選択し続けた自分が、
一番嫌いだった。
⸻
スマホを、
伏せて置いた。
異世界解放。
知らない。
見なかったことにする。
今度こそ、
終わりにする。
そう思った。
⸻
その日の夕方。
コンビニ帰りに、
偶然、
カツヤとすれ違った。
「……お」
(なんやねん、またかよ)
目が合う。
カツヤは、
一瞬だけ間を置いてから言った。
「おまえ、電源入れたやろ」
疑問じゃない。
確信だった。
⸻
「別に」
主人公は答える。
「通知きただけや」
「ふーん」
カツヤは笑わなかった。
代わりに、
一言だけ投げてくる。
「ほな聞くけど」
間。
「逃げる時間、どれくらい欲しい?」
⸻
その言葉で、
分かった。
もう、
何かが始まっている。
世界の方が、
待ってくれないやつだ。
主人公は、
すぐには答えなかった。
いや、結局答えなかった。
⸻
カツヤと別れて、
また部屋に戻った。
相変わらず、
何も変わらない部屋。
カーテンを閉め切ったままの薄暗さ。
布団の上に、
スマホだけが置かれている。
さっきから、
画面は点いたままだった。
《異世界解放》
その文字が、
消えない。
⸻
「行かへん」
口に出してみる。
「俺は、行かへん」
誰に向けた言葉かは分からない。
⸻
指が、
画面の上を彷徨う。
押す気はない。
ほんまにない。
やる気もない。
勇気もない。
行った先で、
また誰かが消えるかもしれない。
また選ばされるかもしれない。
もう、
あの音は聞きたくなかった。
「ぽしゅ」
あの意味の分からない音が、
まだ頭の奥に残っている。
⸻
スマホを裏返す。
……でも。
静かすぎる。
半年間、
この静けさに慣れたはずなのに。
今は、
逆に気持ち悪い。
⸻
(あいつら、今どうなってんねんやろ)
考えないって決めてた名前が、
勝手に浮かぶ。
ユウタ。
リナ。
考えた瞬間、
胸が少しだけ痛む。
すぐに、
その考えを叩き潰す。
「知りたない」
知ったら、
戻れなくなる。
⸻
スマホが、
また震えた。
今度は、
通知ですらない。
ただ、
画面が一瞬だけ明るくなった。
まるで、
息をしているみたいに。
⸻
「……うるさいな」
主人公は、
スマホを手に取る。
押す気はない。
ただ、
設定を見ようと思っただけだ。
通知オフ。
それで終わり。
⸻
《異世界解放》
その下に、
小さな文字が表示されていた。
※バックグラウンド動作中
ロード進行率:97%
「は?」
ロード?
いつから?
⸻
一気に焦る。
戻る。
閉じる。
アプリ終了。
……できない。
画面が固まる。
⸻
「ちょ、待て待て待て」
心臓が、
少しだけ早くなる。
よく見ると、
画面の下に小さなバー。
残り、
ほんのわずか。
⸻
「いや、違うねん」
言い訳みたいに、
独り言が増える。
「俺、押してへんからな」
「勝手に始まってるだけやからな」
⸻
ここで、
間抜けなことが起きる。
手が、
汗で滑った。
スマホが、
ベッドから落ちそうになる。
慌てて掴もうとして――
親指が、画面に触れた。
⸻
ピッ。
乾いた音。
⸻
《異世界解放を開始します》
⸻
「……は?」
声が裏返る。
画面が、
一気に白くなる。
⸻
「ちゃうちゃうちゃうちゃう!!」
今さら叫んでも遅い。
キャンセルボタンはない。
戻るもない。
⸻
視界が、
歪む。
部屋の輪郭が、
滲む。
スマホの画面と、
現実の境目が分からなくなる。
⸻
最後に見えた文字。
※注意
lm"pdw"pdXjx"p
⸻
「えっ……」
その瞬間。
足元が、
抜けた。
⸻
気づいた時には、
地面の感触が変わっていた。
冷たい石。
湿った空気。
空は、
やけに高い。
遠くで、
聞き慣れない音がする。
人の声みたいで、
でも少し違う。
⸻
主人公は、
地面に座り込んだまま、呟く。
「……俺」
「押す気、なかってんけどな」
誰にともなく。
言い訳みたいに。
⸻
スマホを見る。
見慣れた端末。
でも、
あのいつも見慣れた
通信マークがない
もちろん圏外。
⸻
代わりに、
画面の中央にひとつだけ。
現在地:異世界
状態:プレイヤー(未行動)
⸻
「……最悪や」
でも。
なぜか。
ほんの少しだけ。
ほんの、ほんの少しだけ――
胸の奥で、
何かが動いた。




