【13話】 赤信号の間
横断歩道の前で、
歩行者用信号がチカチカし始めた。
——渡れる。
距離も短いし、
足早に行けば余裕。
実際、横にいた何人かは普通に渡っていった。
俺は——
なぜか、止まった。
理由はない。
ほんまに、ない。
なんとなく。
ただそれだけ。
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「行かなかったんですね」
後ろから声がした。
近い。
思ったより、だいぶ近い。
「え?」
振り返ると、
スーツでも制服でもない、
中途半端に整った格好の男が立っていた。
年は……30代くらいか?
爽やか、
というより無機質。
笑ってるようで、
どこにも感情がない。
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「今のタイミング」
「100%渡り切れましたよね」
「……まぁ」
俺は一応、前を見た。
まだ青。
チカチカ。
確かに、渡れる。
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「なのに、止まった」
男は、
横断歩道じゃなく、
俺を見て言った。
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(え、こわ)
(なんで見てたん)
(てか、なんでそんな分析口調なん)
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「いや……」
「なんとなくっすけど」
正直に答えた。
すると男は、
ほんの一瞬だけ、
目を細めた。
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「“なんとなく”」
噛み締めるみたいに、
同じ言葉を繰り返す。
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沈黙。
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その間に、
信号が——赤に変わった。
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……。
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渡れなくなった。
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気まずさが、
信号より先に点灯した。
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「……ちなみに」
男が、また口を開く。
赤信号。
車が走り出す。
逃げ場、なし。
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「今、後悔は?」
「え?」
「行けばよかった、って思いました?」
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(質問の角度、おかしいやろ)
(普通そんな事聞く?)
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「いや……」
「別に……?」
俺が答えると、
男は首を少し傾けた。
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「じゃあ」
「“失敗”だとも思ってない」
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(なにがやねん)
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「渡らなかった事で」
「何かを失った感覚もない」
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(めっちゃ深掘るやん……)
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「……ただの横断歩道っすよ?」
半分冗談、
半分牽制。
でも男は、
一切ブレなかった。
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「ええ」
「ただの横断歩道です」
「だから、興味深い」
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……は?
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「普通は」
「“行けるかどうか”で判断します」
「でもあなたは」
「“行く必要があるか”で止まった」
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(してへん)
(そんな事、考えてへん)
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「いや、ほんまに」
「考えてないっす」
「足、止まっただけで」
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男は、少しだけ笑った。
初めて見る、
ちゃんとした笑顔。
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「それが一番、厄介なんですよ」
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(なにが??)
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赤信号が、
まだ続く。
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男は、
横断歩道の白線を一つ踏んだ。
境界線。
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「名前、聞いても?」
「……主人公っす」
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「僕はショーヘイ」
それだけ。
名刺も、説明もない。
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また沈黙。
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車の音。
信号待ちの人の気配。
世界は普通なのに、
この一角だけ、
妙に浮いてる。
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「あなた」
ショーヘイが言う。
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「自分で思ってるより」
「ずっと目立ってますよ」
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(最悪や)
(完全にヤバいやつに絡まれた)
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「じゃ、俺こっちなんで」
青になる前に、
距離を取ろうとした。
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その時。
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「次は」
ショーヘイが、
独り言みたいに言った。
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「渡るかどうか」
「ちゃんと“選んで”みてください」
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……青。
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俺は、
一瞬だけ迷って——
普通に渡った。
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振り返ると、
ショーヘイはまだ立っていた。
赤信号の向こう側で。
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こっちを見て、
小さく頷いた気がした。
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(なんやねん……)
(意味わからん……)
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その時の俺は、
まだ知らなかった。
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あの赤信号が、
ただの横断歩道じゃなかった事も。
あの男が、
とんでもない場所に立っている事も。
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ただ一つ分かってたのは——
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もう一回会ったら、
たぶん、ろくな事にならん。
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——でもなぜか。
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ちょっとだけ、
また止まってみたくなってる
自分がおった。
つづく




