17話 宝物(sideメディルス)
朝。メディルスの目覚めは緩やかな揺れから始まる。
「メディルス、メディルス起きて」
ゆさゆさと優しくゆり起こされ、ライラの声が聞こえる。ゆっくり目を開けるとメディルスを覗き込む彼女と目が合った。
「おはようメディルス」
「……うぅん、おはよう、ライラ」
メディルスが身を起こせば、ライラはシャーッとカーテンを開けた。暖かな朝の日差しが窓から差し込む。
メディルスは朝がすこぶる弱い。昔っから朝は得意ではなくいつも屋敷の者に起こしてもらっていたが、結婚してからその役目はライラのものになった。
「今日はいい天気よ」
「そうだね。鍛錬日和だ」
うーんと伸びをしながらライラと朝のおしゃべりを交わすと、服を着替えに自室に向かう。
「おはようございます。メディルス様」
声をかけてくるのは従僕のヨーグだ。おはようと挨拶をして顔をゆすぎ、用意されている服に着替える。
「メディルス様、急ぎ確認いただきたい手紙が届いております」
ヨーグがそう言って差し出して来たのは皇室からの依頼書だった。
「ありがとうヨーグ」
お礼を言って読み込むと、それは四カ国合同親善試合への出場命令だった。
「……もうそんな時期か」
メディルスは懐かしい気持ちだった。4年前の四カ国合同親善試合では『優勝したら婚約して欲しい』とイリーナに婚約を打診したが、メディルスは優勝することが出来なかった。
決勝で戦ったのはウロボロスの聖印と同じ身体能力強化がその能力である『ドラゴンの聖印』を宿した男、エンディオ・レイトン。彼にイリーナを奪われ、涙を流したのは苦い思い出だ。
今年もエンディオは出場してくるだろう。そして彼の妻となったイリーナ・レイトンも会場に応援しに来る。
イリーナに会える。
メディルスはその事がとても嬉しかった。
(……あ、れ?)
ふと違和感を覚える。イリーナに会えると言うのに『嬉しい』以上の感情が湧いてこないのだ。
イリーナを思う時に襲ってきていた胸の痛みも、触れることの出来ない切なさも、エンディオに対する嫉妬も何もかも。イリーナの事を想っているのは間違いないのに。
こんな日が来るとは思っていなかった。自分はずっと彼女に囚われて行くのだと思っていたから。
「メディルス様こちらをお忘れですよ」
ハッとヨーグに声をかけられ思考を現実に戻す。
彼は不思議そうな顔をしながらメディルスに髪紐を差し出していた。
「あ、あぁ。ありがとう」
メディルスはまたお礼を言ってそれを受け取ると、夫婦の寝室に戻った。手紙を丸テーブルに置き、椅子に座る。
ジィっと右手の甲にあるウロボロスの聖印を眺める。思い起こされるのはイリーナの手の感触。メディルスがその手に触れたりキスしたりするだけで真っ赤になっていた愛らしいイリーナの姿。お茶会で話した取り留めのない事。些細なことでもしっかりと思い起こされ、いつものようにじんわり胸が温かくなる。
ふと、ライラの部屋の扉が開いた。身支度を整えた彼女はこちらに目をとめると、首を傾げた。
「あら、今日は髪を結わないの?」
メディルスは長い髪を日中は常にどうにかして結っていた。
もちろん今から結ぶつもりだったが、少し考え事をしていたので結う暇がなかったのだ。
「ねぇメディルス、私が髪を結ってもいい?」
「……じゃあ、お願いしようかな」
やったとライラは笑い、メディルスの背後に回った。今は櫛が無い。ライラは手ぐしでメディルスの髪を梳いた。
スルスルとメディルスの髪の隙間をライラの指が通る。
その手が心地よく、メディルスは目を閉じる。ライラは今日のメディルスを三つ編みにするらしい。髪の束を3つ作ると順々に編んでいく。下の方まで編むと髪紐で解けないように髪を留めた。
「できたわ。……メディルス、ど、どうしたの?」
「……」
メディルスは静かに涙を流していた。
きっとこんな穏やかな日々の出来事がメディルスの失恋の心を癒し、イリーナを素敵な思い出へと変えてくれたのだと思う。そこにある日常が、向けられる愛情が、ライラという存在が、どうしようもなく愛おしかった。
「ライラ……」
スっと立ち上がり彼女の向かいに立つ。どうしたのかとライラは心配そうに見上げてくる。その心くばりすら幸せに感じる。
「君を僕の一番にしてもいいかい?」
ライラは何を言われたのかと一瞬ポカンとした顔をしたが、すぐに破顔すると「嬉しいわ、メディルス」と言ってぎゅうと抱きしめてくれた。メディルスも潰さないように、宝物を扱うように、ぎゅっと彼女を抱きしめた。