1話 ライラの門出
【注意】「イリーナの日常」「シャノンの悲恋」のその後の話。両作品の重大なネタバレが含まれますが、単体でもお楽しみいただけます【注意】
「はぁ……」
ポロリと流れてしまった涙を拭う。カラカラという音を聞きながら馬車に揺れるライラ・エル・クレイヴァンは涙していた。
ライラはリュミエール王国の伯爵家に産まれた。
幼い頃からライラは従兄弟にあたる王太子スヴェインに恋をしていた。スヴェインもライラのことを想ってくれているようだったが周囲からは血が近すぎると猛反対されていた。
ある日スヴェインは婚約者を作りライラに言った。
「君には側室になってもらう」
ライラはそれでも良かった。スヴェインの事を愛していたし彼が婚約者として連れてきた少女シャノンは理解のある人だった。
ライラはシャノンの協力も得てスヴェインの密かな恋人として扱われていた。よく隠れてデートも行いスヴェインにはそれはそれは大切に扱われていた。王妃となる予定のシャノンとも仲良くやっており、側室となるのになんの憂いもなかった。
だが彼は最終的にライラを側室にはしてくれなかった。
彼は婚約者であるシャノンを唯一傍に置くと決めライラは振られてしまったのだ。
ライラは今、いわゆる失恋中である。
「お嬢様。関所がみえてきましたよ」
一緒に馬車に揺られているのは侍女のエデルだ。彼女は時折チラチラとライラの様子を伺いながら静かに座っている。彼女もライラがスヴェインの密かな恋人として扱われた事情はよく承知している。振られてしまったライラのことが心配なのだろう。
(ダメね、エデルにまで心配をかけさせて。しゃんとしなきゃ)
「そう」
ライラは無理矢理に笑顔を作った。
そっと外を見やると大きな門が佇んでいる。リュミエール王国と隣国であるザイファルト帝国を繋ぐ関所だ。
ライラは今、嫁ぎ先である隣国ザイファルト帝国のサレン伯爵の元に向かっていた。
スヴェインに振られてしまったライラは24歳。貴族社会では行き遅れとまではいかないが、そろそろどこかに嫁いで行かなければならない歳だ。
スヴェインとの関係が終わったばかりのライラは父に懇願した。「もし嫁がされるなら国外がいい」と。
さすがに見ていられないのだ。スヴェインとシャノンの結婚式はもうすぐ執り行われる。国内にいればどこにいても幸せそうな二人の話を聞くことになるだろう。
ライラはシャノンとも仲良くやっていた。彼女に対して醜い嫉妬の感情なんて抱きたくないのだ。
でも、どうしてもそれが難しそうで、辛くて、心が張り裂けそうだった。
だからライラは離れることにした。
愛した人のいるリュミエール王国から。その方がスヴェインも気が楽でいいだろうと思ったのだ。元恋人なんて厄介な存在、これから王として国を治めなければならない彼にとって邪魔でしかない。
国にいればパーティなどでどうしても顔を合わせることになってしまう。ライラもそんな時に普通に彼と接せる自信がなかった。
ライラの希望は叶い、隣国ザイファルト帝国のメディルス・サレンという方との婚約はすぐに纏まった。
本当は来年辺りに婚約をという話だったが、ライラが急いで国を出たかったこともあり、帝国に向かう日は前倒しされた。
「サレン伯爵家まではあと2日ほどで到着するようですよ」
「そうなのね。ふふ。そろそろ腰が痛くなっちゃったわ」
などとゆったりエデルと話しながら、ライラは悲しい気持ちを振り払うように婚約者となる人の事を考える。
「いったいどんな方なのかしら……」
「良い方だといいですね」
「そうね……」
サレン伯爵家はザイファルト帝国において歴史ある旧家だ。
かの家は、保有する物の身体能力を強化させるという『ウロボロスの聖印』という血で継承される精霊の祝福を受け継ぐ一族なのだという。
リュミエール王国にも片手で数える程だがその聖印というものを保有している人がいる。それぞれ魔術なしで水を操ったり、木々を成長させたり特別な能力を有しているという。
ライラも聖印を持つ者に会ったことはあったが、あまり身近に感じるものではなかった。ただ、今回の婚約の成立にはそのウロボロスの聖印というものが深く関わっていた。
ライラの母方の曾祖母がサレン家の者だったのだ。ライラもわずかながらウロボロスの聖印を受け継ぐ血を引き継いでいるということになる。
聖印というものは血で継承されると言われている。
要するにライラには次代のウロボロスの聖印を持った子供を産むことを期待されているのだ。
メディルスもそのウロボロスの聖印というものを保有しているらしい。サレン家は4代連続でウロボロスの聖印を発現しているのだという。これは聖印を受け継ぐ家の中では異例中の異例だそうだ。聖印はそんなに頻繁に発現するものでは無い。
よってライラにかかる期待もかなりのものだと思われる。
「上手くやっていけるかしら……」
(メディルス様が怖い人だったらどうしよう。もし聖印を受け継ぐ子を産めなかったら?)
悶々とライラは悩む。
悩んでいる時間はスヴェインのことを忘れられて都合がよかった。