5話 トモシビ 上
第五章 ともしび
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美しい火がメラメラ踊る。
数十人が輪になって、ぐるぐる、ぐるぐると火を見つめる。
その内、一人が泣き出せば、さらにつられて一人一人と悲しみに飲まれる者は増えていく。
そして口々に、決まり切ったかのように言うのだ。
「見えた」と。
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久し振りにこの村に来たカナメの第一印象は、「なんか廃れてる?」というものだった。
以前訪れた時はもっと素朴で”典型的な村”という言葉が似合った。
土産物屋の前に腰を下ろした若者や、屋台の店番をする夫婦、道端で駆けまわる子供。村の外れでは焚火の煙と一緒に餅や菓子の匂いも漂っていた。
今と二年前と光景は変わりない。だというのに、どこか雰囲気は殺伐としている。どこがどう違うと言われても説明がつかない。
観光客らしい数人の若者が歩いている。けれど、彼らの背後を通り過ぎる村の人々は、皆どこか緊張した面持ちのまま駆けている。
祭りの準備、というには少し切羽詰まっているようだった。
「何だこれ……」
カナメがそう呟いた足元には、煤が混じった瓦の破片が落ちている。
見上げれば、黒く煤けた屋根の家々がポツポツと続いていた。
一軒や二軒ではない。火が走ったように、点々と、焼けた家が並んでいる。中には、もう骨組みしか残っていない家もある。
焦げた木の匂いが、風の切れ間からふいに鼻を刺す。
カナメは一歩踏み出して、立ち止まった。
家が焦げた、燃えた、という事は分かるが、それが何故かはよく分からない。火事で燃え移ったとしても、燃えた家というのはそれぞれ少し距離もあれば、反対方向の家だけが焼け落ちていたりと不自然だった。
(なんなんだろう?)
カナメはひとまず首を傾げるしかなかった。
「ああ、アンタか。久し振りだな」
背後から呼び止められた声に、カナメは小さく肩をすくめて振り返った。
見覚えのある顔だった。けれど、記憶に残っている彼とはだいぶ違い老けていた。
二年しか経っていないはずなのに、どこか覇気が抜けたように見える。
目の下のくぼみ、肩の落ちた姿勢、洗濯のし過ぎでくたびれたシャツ。その上、彼の表情を見れば、どことなく空虚を思わせるような雰囲気がどことなく漂っていた。
「たしか……えーっと……」
名前が出てこないままカナメが曖昧に眉を寄せると、男の方が先に応じた。
「ホヅガネだよ」
男はそう言ってくしゃっと笑った。その笑みが皺に飲まれて、さらに彼は年を取って見えた。
頬はこけ、ヒゲも剃っていない。首の皮は弛み、服が少し緩く見えるのは、たぶん老化だけが原因、という事では無いのだろう。
「久し振りだな。……ここ、どうしたんだ? 火事? それにしては多いけど」
カナメの問いに、ホヅガネは一拍置き言葉を選ぶようにしながらも「ああ」とだけ小さく頷いた。
「【覗き火】が原因か?」
問いながら、カナメは焼け残った家の骨組みへ目をやる。
鎮魂祭【覗き火】の予行演習でもして失敗したのだろうか。それにしては少し失敗の規模が大きい気もする。
「【覗き火】は、三日後だ」
ホヅガネは視線を遠くに投げたまま答えると、静かに口元をゆるめた。
「……アンタ、前回の【覗き火】には参加してなかったよな?」
カナメは、うん、と頷く。
「ああ。【覗き火】について聞いたのもアンタからだしな。もうすぐだったのを思い出して、つい寄っただけだよ」
そう言いながらふと、頭の中に言葉が浮かんだ。
――……【覗き火】。
そう呼ばれる鎮魂のための火祭りが、この村にはある。
五年に一度、亡くなった人の名前を紙に書いて煌々と燃ゆる火にくべる。そうすれば炎のゆらめきにかつての誰かの姿が見えるという。
たしか、そんな話だった。
二年前に妹探しでこの村に来た時、ホヅガネがやたらと興奮気味にそう教えてくれた。
当時は聞き流していたが、ホヅガネの勢いから妙に印象に残っていたのかもしれない。それでも死んだ誰かに会いに来たわけでも何かを望んで来たわけでもない。
そもそもの話、カナメに喪った人なんていないのだ。ゆえに、妻子を病気で失ったホヅガネのようにそこまで【覗き火】への情熱や必死さなどは無い。
「ああ、そうだったな」
そんなカナメの様子を見ながらホヅガネはそう言うと、ポリポリと頭を掻いた。
爪の音が耳に残るほど長く、それは照れ隠しとも、口を滑らせた後の帳尻合わせにも見えた。彼は視線を泳がせるように辺りを見回し、少し間を置いて言葉を継ぐ。
「ほら、アンタ。妹がさ……」
ホヅガネの声はやけに優しく、言葉の端を濁すようだった。
(誤解されている上に配慮までされている……)
察しの悪いカナメにもその様子から何となく分かった。
「オレの妹は、死んだわけじゃないよ」
カナメは軽く笑いながらそう答えた。
妹の行方は今も尚分からないが、死んだわけではない。
「でも、【覗き火】には参加した方が良い」
ホヅガネが搔いていた手を止めると今度ははっきりそう言った。
五年に一度、その五年間に亡くなった人の名を紙に書き、火にくべる。
炎は形を映すとも、ただ焼くだけとも言われている。
(あの子がいなくなったのは、五年よりももっと前だ)
どちらにせよ、【覗き火】は”今この世にいない人”を、見送るための火であり、遺された者のために行われる大きな心の整理の場なのだ。
例えば仮に――……仮にカナメの妹が死んでいたとしても、名前を書ける死者は五年内という制限のせいでカナメはこの催事の参加者に値しない。
しかし、明確にいつ、どこで、どのように、妹とはぐれたんだと尋ねられると、記憶が不確かなために一気に回答に自信が無くなる。
(どうしてそんな大事なこと忘れかけているんだ?)
去っていくホヅガネの背中を見ながらカナメはどんどん物思いに沈んでいく。
「なんか不気味」
眠気のような不安に飲み込まれる前に、そんな声が耳に入りカナメは一拍遅れて我に返った。
見れば観光客の一人が煤だらけの家を見て嫌そうな顔をしてそう呟いていた。
祭りの日は、村の外の者でも歓迎されると聞いていた。宿はどこも満室で、この機会を逃さないよう目ざとい行商人もやってくる。
それなのに、空気はどこかよそよそしいのは、この焼けた家々が原因だからなのだろう。
たしかに、観光客が言うように不気味であった。
2
「あら、カナメさん。戻ってきたんですね。ちょうど一部屋、急に空いたところでしたよ」
そう言って微笑んだ宿の女将に、カナメは軽く頭を下げた。
前にこの村に来た時、中庭の草取りを手伝ったことがある。たったその程度のことだったが、どうやら優しい女将は覚えてくれていたらしい。
案内された部屋はそう広くはないが、座卓や障子などといった細かな場所までしっかり手入れが行き届いていた。
縁側のガラス戸を開けると、小さな中庭が見える。敷石と苔の間に控えめな花がいくつか咲いていた。
窓を少し開ければ、風が通って気持ちが良い。
ひとまず落ち着こうと、重いバックパックを壁際に置いた。そうして茶でもいただこうと思った矢先、壁一枚隔てた隣室から声が響いてくる。
「こら、静かにしなさい! 騒ぐ場所じゃないでしょ!」
子どもが騒ぐ声。赤ん坊の泣き声。それをなだめようとする女性の大きな声。
どうやら一家で泊まっているらしいが、大人の声は母親のものしか聞こえない。
何度も何度も「静かにね」「他の人の迷惑になるでしょう」と繰り返す声が、どこか切羽詰まっていた。けれど、子どもたちは止まないどころか余計興奮してドタバタと走り回る始末だ。
興奮した声が、時間を選ばず何度も何度も響いてくる。
カナメは耳を塞ぐでもなく、怒鳴るでもなく、ただ深く溜め息をつきながら壁に背を預けて座り込んだ。
とうとう子供たちは怒られたのだろう。今度は泣き声が響き渡る。
胸の奥が、妙にざわついていて居心地が悪い。
(別に、怒っているわけじゃない。怒られているのはオレじゃない)
カナメはそう小さく言いながら、どうにか気を紛らわせようと窓から入ってくる匂いや風に集中する。けれど、やはりどうしても落ち着かない。
泣き声が続くと、頭の中がザワザワと騒がしくなる。
思い出す程の記憶じゃないが、この感じはひどく苦手だといつも思う。
静かに座っているつもりだったが、いつの間にか呼吸が浅くなっていた。口の中が乾いて、肩に力が入っているのが分かる。
こういう時、黙ってじっとしていることがどうにも出来ない。
「よっこいしょ」
わざとそう声に出しながら立ち上がる。
廊下に出ると、夕方の空気がひんやりと肌に触れた。
障子の隙間から洩れる光が、床に長く伸び絵になるようだった。
誘われるように中庭に出れば微かに石を踏む音がして、足元の砂利が鳴る。
ここは前に草むしりを手伝った場所だ。たったそれだけのことだが、知った場所にいるというのはなぜか安堵を抱かせる。いつの間にか呼吸も、胸のざわつきも消えていた。
数歩歩いた所で、ふと視界の端に違和感を覚えた。
庭の端。
木製の長椅子に、布の塊のような存在が、深く腰を下ろしていた。外套の裾はそのまま地に流れ、靴も脚も見えない。背筋だけが異様な程に真っ直ぐだった。
頭には深いフードがかかり、その表情さえ分からない。しかし、膝の辺り、汚れた布の上に小さな本のような物が置かれているのが見えた。
少しだけ覗かせる素の人物の細い指先が、時折ページをめくるように動いている。
その人物の左肩の辺り、布の内側にある小さな膨らみ。その端から、細長い鼻先がそっと覗きピクリと動く。
(旅芸人……? いや、でも……。あんな地味なのは普通いない、よな?)
「変な人がいるな」
と、早々に結論付けたカナメは結局のところその人物を見なかったことにした。