5.セアラの呪い
母が亡くなっても、それを悼むものはいなかった。
生家のソルダム公爵家でさえ、通り一遍の挨拶をしたくらいだった。そもそも母セアラは格下のエランダル侯爵家に嫁いだのも、母の性格があまりにも傲慢で苛烈だったからだ。
自らの行いが味方をなくしたのだ。
父はエラ夫人を正妻に据えることに決めた。そうすることで、アデライードが第二夫人の娘だからという理由で婚約者にすることを阻むものがなくなった。
しかし、母屋に移るのは慎重を期した。
今回は母セアラにだいされる心配はないものの、以前生まれた男児を、急いで本邸の離れに移したために亡くなったかもしれないという、不安材料をなくしたかったからだ。
エラ夫人とアデライードと、弟でエランダル侯爵家の嫡男スヴェンは、半年後に母屋に移ってきた。
優しいエラ夫人のもと、エランダル侯爵家は穏やかな場所になるかと思った。
しかし、思わぬことが起き始めたのだ。
その頃からか、アデライードは変わってしまった。
あの優しく気弱な性格が激変したのだ。
気づいた時には、シェリルはわたくしを敵視し、様々な嫌がらせをし、暴言を吐くようになった。
ところがその嫌がらせや暴言を覚えていないのだ。
傲慢で意地の悪い時と元の優しく気弱な時が入れ替わる。
わたくしと父は気づいた。
乱暴な時のアデライードは母にそっくりだった。
これは母の呪いなのだ。
その変化は王宮に赴いた時が一番激しく、アデライードは口汚くわたくしを罵り、ティーカップやお菓子を投げつける。
皆が当惑した。
そしてとうとう、アデライードは王宮への出入りを差し止められた。
セルシア王子はもちろん、国王と王妃も戸惑い困じ果てていた。
父は恐れながらと申し出た。アデライードの豹変は、前妻セアラの呪いかもしれないと。
母の今わの際に、父は聞いたのだ。
「あの卑しい娘を決して王子妃にはさせない。思い知るがいい」
と呟きほくそ笑んだのを。
そこで国王が魔導士に調べさせると、やはりセアラの呪いであることが判明した。
呪いを解くには、触媒になっている物を見つけ出し、壊すこと。そしてそれは肉親であるわたくしにしかできないこと。
全てのことを鑑みて十三歳になったわたくしは、王子妃に内定してしまった。
そこには王家との密談があった。
わたくしがその呪いを解けばアデライードが、改めて王子の婚約者に確定する。そうなったら、わたくしを第二妃にしてもいい。
セルシア王子は、アデライードを諦められないのだった。
しかしわたくしは、王子妃になりたくなかった。わたくしの心にはグィードがいた。
そこでわたくしは必死で交渉した。
「なんとしても妹の呪いを解きます。ですから、王子妃になることはご容赦ください」
国王は戸惑ったが、やさしく問いただした。
「では何を望む?」
わたくしはこの機会を逃すまいとした。
「どうか、呪いがとけたあかつきには、わたくしが誰と結婚してもいいという許可をくださいませ」
「グィードだね?」
王子が言った。
「いつも君とグィードは一緒にいたものね。グィードは君に、君はグィードに会うために王宮にきていたのだものね」
わたくしは答えずに目を伏せたが、セルシア王子はわたくしを援護してくれた。
驚いたことに、国王も王妃も否とは言わなかった。
「グィードならば問題はない」
とまで言うのだ。
そこで内々に決まった約定は、アデライードの呪いが解ければわたくしは誰と結婚してもいいが、十七歳になるまでに呪いが解けなかったら、わたくしは王子妃になることだった。アデライードは様子を見て、よければ第二妃に、それでなくても側妃に迎えることになった。
それを知った妹は怒り狂った。怒り狂ったように見えた。
わたくしが婚約者に内定した宣旨が下った日、わたくしは妹に庭の池に突き落とされた。冬の池は水が切り付けるように冷たかったけれど、妹は躊躇せずに池の中に入ってきてわたくしの頭を水の中に沈めようとした。
わたくし達にはお付きの侍女とメイドが何人も付いていた中だった。
だからわたくしはすぐに助け出された。
妹は両親から叱責されたけれど、ぬけぬけと言った。
「お姉様がわたくしを溺れさせようとしたのです」
目撃者が多数いたので、相手にされなかった。
しかしわたくしと父は戦慄を覚えた。
その言いようが母セアラそっくりだったのだ。
これもセアラの呪いで、まるで彼女とアデライードの人格が入れ替わっているようだった。
憑りついているのではない。
そうだったならば、わたくしが王子妃に内定したことは、母セアラの本意だからだ。
これはセアラの感情の残滓だ。
自らを哀れみながら誇りゆえに他者に辛く当たり、自分の娘に嫉妬する母の心がアデライードの体を乗っ取っているのだ。
その証拠にしばらくすると、目が覚めたように元の快活で優しい妹に戻って、
「なぜベッドにいるのかしら?とても寒いわ」
というのだ。
この一件から監視は厳しくなった。
数日後に階段から落とされた時も、同じような茶番があった。ちゃんと見ている目は多数あったのに、妹は被害者は自分だと言い立てた。
父もエラ夫人も心配した。
その後も、多数の人がいる場所でわたくしの髪をひっぱったり、叩いたり、物を投げつけたり、飲み物をかけたりしては、自分は被害者だと喚き立てた。
恐ろしく悲しく、哀れな呪いだ
わたくし父もエラ夫人も、セアラの恐ろしさに震える思いだった。
救いだったのは、攻撃の対象がわたくし一人で、エラ夫人にも弟のスヴェンにも向かなかったことだ。
それほど母はわたくしを嫌っていたのかと悲しくなった。
わたくしが近くにいると人格の交代が顕著だったため、妹は一時的に療養として領地へ送られることになった。
わたくしが育った保養地だ。
その時、ミランダとキャシィの消息を聞き、わたくしはほっとしたのだった。
あと四年のうちに呪いを解かなければならない。
わたくしは父とともに必死に手掛かりを探した。
そこで膨大な母の日記や書付を発見した。
そこには不満と呪詛の言葉が綴られていた。