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塩屋

作者: 星賀勇一郎





この街に越してきて二年。

神戸の街中よりは過ごしやすい。

好きな海が見えて、自然もある。

自然があるから特になにがあるって訳ではないが、都会に向いてない僕にはちょうどいい街で。

以前より少しだけ朝早く起きる。

それだけが変わったところで。

家賃も安くなり、部屋も広くなったし、少しだけ物価も安い気がする。


「どうせ街中に出て来るんだし、少々家賃や物価が高くても街中に住んだ方が良いに決まってる」


ある先輩はそう言ってたけど、街中に住むと何かと不便な事がある。

いつでも帰れるって思うので飲みに出る事も増えるし、終電を逃して帰れなくなった奴が泊まりに来る事もある。

都会は通勤するくらいがちょうど良い。


今年に入って、少し生活を変えた。

大した事ではないが、朝、起きる時間を更に少し早めた。

六時半に起きて、七時半前には家を出る。

そして早くから開いている喫茶店で朝食を取る。

喫茶店のモーニングセットなんてゆっくり食べても二十分。

会社帰りにコンビニで買ったモノを食べるよりバランスも良い。

一人で暮らしているとその辺りが疎かになって行く。


古本屋で買った文庫本を読みながら、そのモーニングを食べる。

それが僕の朝の始まり。

モーニングを食べ終えるとJRの駅へと向かう。

新快速や快速に乗れば早いのだけど、普通電車に乗る事にしている。

それは本を読むため……。

そしてもう一つ理由がある。

二つ先の駅から乗ってくる女性に会うためだ。

会うと言っても知り合いでもなんでもない。

ただ毎日同じ電車の同じ車両に乗っているだけの女性。

気持ち悪いって思われるかもしれないけど、彼女と近付きたいとかそんな気持ちも無い。

ただ見ているだけ。

それで良いんだ。


普通電車の始発の駅なので、毎日決まった席に座る事が出来る。

そこに座って膝の上に鞄を乗せると文庫本を開く。

最近はデジタル書籍が流行っているけど、やっぱり紙がいい。

読んだ厚みと残りの厚みを感じる事が出来るからだ。


電車が動き出す。

心地良い揺れと車窓から入ってくる朝日が好きだったりする。

朝日に輝く明石海峡が見え始めると、彼女が乗ってくる駅に入る。

最近では徐々に彼女がどんな服で乗り込んでくるのか予想出来る様になった。

今日は多分、上下黒のパンツスーツにお気に入りの赤いバッグ。

雨の日に濡れたそのバッグをハンカチで丁寧に拭いてた事もあった。


駅に入りドアが開く。


居た……。


いつも先頭に並んで、電車を待っている。

たまに先頭じゃない日もあるけど、それでも彼女は同じ場所に立ちつり革を握る。


電車に乗り込んできた彼女はいつもの場所、つまり僕の前に立ってつり革を握った。


この駅は普通電車しか止まらず、乗り込んで来る乗客も多い。

この駅で電車はほぼいっぱいになる。

上下黒のパンツスーツに赤のバッグ。

予想は的中した。

そして彼女もバッグから文庫本を出して開いた。

彼女もブックカバーを付けていないので何を読んでいるかが見える。

ある女流作家の作品を読んでいる事が多い。

SNSの着信があったのか、スーツのポケットからスマホを取り出して、文庫本の上に重ね、返事を返している。

ネイルを施した長い爪で器用に文字を打つ。

僕はそれを文庫本を読みながらいつも見ている。


駅に着く度に乗客は増えるが、彼女はその位置を譲る事無く、つり革を握っている。


塩屋。

本当に何もない駅だったりする。

でも彼女はこの駅に着くと、決まって空を眺める。

晴れていようが雨だろうが、俺の向こうに広がる空をじっと見つめる。


塩屋に何かあるのだろうか……。


少し前のめりになる彼女のバッグが僕に当たる事があり、


「あ、すみません」


と彼女に何度か謝られた事があった。


最近は大人も子供もイヤホンをして音楽を聴いている事が多いが、彼女は音楽を聴いていない。

僕も同じで、耳から音が入ると本の内容が入って来ない事あって……。

これも慣れなのかもしれないけど。


塩屋を出ると車窓いっぱいに海が広がる。

凪いだ海は朝日を浴びてその水面を輝かせている。

海の形相は四季でまったく違う事を引っ越して初めて知った。

この風景を見れないだけで損をした気分になる。

都会に住む人は海にも四季がある事さえ分からないのだから。


そこから十分ちょっとで、降りる神戸駅に着く。

神戸はこの神戸駅から元町、三宮に跨りオフィス街が広がる。

最近は三宮よりも神戸駅に主要な企業が集まってきている。


彼女も僕も神戸駅で降りる。

いつも改札を出る前に彼女の姿を見失うのだが、彼女は神戸駅の北側へ、僕は南側へと歩く。

何度か足早にコンコースを歩く彼女の背中を見た事がある。


これが僕の朝の始まり。






その日は残業で帰りが少し遅くなった。


「おい、宮本。ちょっと行くか」


課長が酒を飲むジェスチャーをしながら言う。

それを丁重に断り、会社を出た。

もう日が暮れると少し寒い季節になってきた。


そろそろ薄手のコートでも出すか……。


いつもの様に改札を抜けてホームへと上がる。

帰りは来た電車にその日の気分で乗る事にしている。

ホームに普通電車が入って来たのでそれに乗り、端の席が空いていたので、そこに座った。

ドアが閉まる瞬間に三人の女性がかけ込んで来た。


「危険ですので、駆け込み乗車はおやめください」


と社内にアナウンスが流れる。


「怒られたね」


一人の女性がそう言って笑っていた。

僕は文庫本を出して顔を上げた。

するとそこにはいつも朝の電車で見る彼女の姿があった。


朝の表情と違う彼女の顔に見惚れる。


「美味しかったね、あの店」


「うん。白身魚の……なんだっけ、フリッター、あれが好きかも……」


「お酒も美味しかったし」


どこかで飲んで来たのか、上機嫌に三人で話しをしていた。


「ミサが頼んだアレ、何だっけ……」


「酒呑童子でしょ……」


「そうそう、あれが好きだわ……。京都のお酒って言ってたね」


「宮津って天橋立の近くのお酒だよ」


ミサって言うのか……。


僕は彼女の名前を初めて知った。

彼女の秘密を少し知った気になり、僕は嬉しくなった。


すぐに次の駅に着く。


「あ、じゃあまた明日ね」


そう言いながら一人が降りて手を振っている。

ドアはすぐに閉まり電車は動き出す。


「でも部長が変わるって何年ぶりだろう……」


「あ、私が就職した時に変わったって言ってたから、五年とかじゃないですか……」


就職して五年か……。


「そうか……。ミサってもう五年になるんだね」


「そうですよ。もう五年ですよ」


「私、十年だし」


二人で笑っていた。


「どうなの、彼氏出来た」


「出来ませんよ……」


彼女はそう言いながら車内を見回した。

僕は気付かれない様に俯く。

何故俯いてしまったのかはわからない。


「もう何年いないの」


「就職した時に別れたから五年ですね」


彼女は笑いながら言う。


「気になる人とかいないの」


「あー。いる様な……いない様な……」


「何よ、はっきりしないわね……」


先輩の方が彼女を肘で突き、また声を上げて笑った。

そして小声で話し始めた。

その声は僕には聞こえなかった。

そのまま文庫本に視線を落とした。


「じゃあね……。お疲れ様、また明日ね」


そんな声で僕は顔を上げた。

先輩が降りた様だった。

彼女はその先輩に手を振ると、空いている僕の向かいの席に座った。

そして赤いバッグから文庫本を取り出して開いた。


僕は文庫本を読む彼女を見て微笑んだ。


そして電車は塩屋の駅に停まる。

彼女は帰りも塩屋の駅で暮れた空を見上げた。


この町が好きなのか……。


僕は空を見ている彼女の姿をじっと見つめた。


彼女の降りる駅に着くと、彼女は文庫本をバッグに入れて電車を降りた。

そして一瞬彼女は振り返って僕を見た気がした。

その瞬間、僕は呼吸を止めた。

しかし、そのまま彼女は改札へ向かう階段を上がって行った。


気のせいか……。

そうだよな……。


僕は俯いて微笑むと文庫本を閉じて鞄に入れた。







「いつもので良いかい」


喫茶店のマスターは僕にそう言った。

マスターは毎日来る僕を覚えてくれたようだった。

モーニングにもいくつかのセットがあり、僕が注文するのはBセット。

トーストとサラダにゆで卵、アイスコーヒー。


僕は朝一番に冷たいモノを飲む事にしている。

亡くなったばあさんが、


「朝に冷たいモノを飲むと、体がシャキッとするだろう」


と言いながら、毎朝冷たい牛乳を飲んでいた。

確かにそんな気がする。


すぐにモーニングセットが出て来て、僕はそれをいつもの様に本を読みながら食べた。

最近ではスマホを触っている人の方が本を読む人より増えた。

電車の中で新聞を読む人も減った気がする。


モーニングを食べて駅に向かう。

今日は高校生の姿がホームにあった。

僕はその横を通り、電車に乗り込むと、いつもの席に座った。

そして鞄を膝に乗せて文庫本を再び開く。

そろそろこの本も読み終える。

次に読む本は既に古本屋で買って、鞄に入っている。


最近よくJRは遅れる。

今日もどこかで故障があり、少し発車時刻が遅れるとアナウンスがあった。

しかしかなり早くに出勤している僕には影響は無さそうだった。


昨日の帰りに聞いた彼女の事。

名前はミサ。

どんな字を書くのかまではわからないが、それだけで親近感を覚えた。

歳は僕よりは年下。

そして……、彼氏は五年居ないが気になる人がいる。


そうやって彼女のパズルが僕の中で出来上がって行く。


電車が揺れて動き出す。

今日の彼女はレンガ色のジャケットに紺のタイトスカートの筈だ。

それに、そろそろコートを羽織る時期かもしれない。


彼女の乗ってくる駅に電車は入って行く。

今日も先頭に彼女は並んでいた。


ほら、レンガ色のジャケットだ……。


僕は微笑んで文庫本に視線を落とした。


彼女はいつもの様に僕の前に立ち、バッグから文庫本を出した。


昨日とタイトルが違う。

昨日帰ってから読み終えたのだろうか……。


大きなスポーツバッグを持った高校生が乗っている事もあり、いつもより車内は混んでいた。

彼女も隣の人に押されて今日は本を読みにくそうだった。


塩屋駅に電車は入って行く。


やはり彼女は塩屋で高い空を見ている。

今日ははっきりしない天気で空は曇っていた。

それでもじっと空を見ていた。


神戸駅を降りると彼女はまた足早にホームを出て行った。

それを追う様に降りたが、彼女の姿は見当たらなかった。







「宮本、今日は付き合え……」


課長にまた誘われた。

続けて断る訳にもいかず、承諾した。

いつも行く店とは違い、小洒落た居酒屋に課長と僕と後輩の杉田の三人で入る。


「この店に連れて来たかったんだよ……」


課長は嬉しそうに言いながらおしぼりで手を拭いていた。


スズキのフリッター……。


僕は日本酒の並ぶ棚を見た。


酒呑童子……。

ある……。


もしかしたら彼女たちは昨日ここで飲んでいたのかもしれない……。

昨日課長の誘いを断らなければ、ここで彼女と会っていた。


僕は昨日、課長の誘いを断った事を少し後悔した。


「好きなモノ注文しろ……」


課長はメニューを僕と杉田に渡した。

僕はスズキのフリッターと酒呑童子を注文した。


「宮本、お前、通だねぇ……。酒呑童子は美味いんだよ……」


そう言って課長は笑って、結局三人とも酒呑童子を飲む事になった。


スズキのフリッターは彼女たちが言っていた様に美味しく、酒呑童子も辛口で美味しいお酒だった。


三時間程、課長の話を聞いて店を出た。

課長は単身赴任で神戸に来ていて、一人の部屋に帰るのが寂しいらしい。

僕も杉田も一人だが、それが当たり前なので、寂しさは課長程ではないのかもしれない。


課長は歩いて帰れる距離にマンションがあり、杉田は私鉄で帰る。

僕は一人、JRの駅へと歩いた。

良い感じに酔っているサラリーマンも多い時間になっていた。


改札を抜けてホームへと上がる。

酒呑童子が美味しくて、つい飲みすぎてしまった。

ホームへ上がるエスカレーターが合って良かったとつくづく思った。


ホームに入ってくる普通電車に乗る。

今日ほど酔っている日は普通電車に座って帰るのかベストだろう。

予想していたよりも電車は空いていて、僕は長いベンチスタイルの椅子の端の席に座り、鞄から文庫本を出して開く。

残りは多分帰るまでに読み終える厚みだった。


ドアが閉まろうとした時に駆け込んでくる女性がいた。


彼女だった。


また駆け込み乗車を注意するアナウンスが流れる。

しかし、彼女は相当走って来たのか、息を切らして手摺を掴みながら僕の横に座って俯いていた。

彼女からも少し酒の匂いがした。

今日もどこかで飲んで来たのだろう。

なかなか息が整わないようだった。


二駅程行った辺りでようやく彼女は顔を上げた。

そして僕の顔を少し見て、会釈した。

僕も彼女に会釈して内容の入って来ない本を読み続ける振りをした。

すると彼女は僕の肩に頭を乗せて来た。

そっと彼女を見ると彼女は目を閉じて眠っているようだった。

僕は彼女をそのままにしておく事にした。


文庫本を閉じて鞄に入れる。

本どころじゃない……。

彼女に派手な鼓動が聞こえないか、それが心配だった。

僕は自分を落ち着かせる為に大きく呼吸した。


「海の星……。見に行きませんか……」


寝ている筈の彼女が突然そう言った。

僕は彼女の顔を覗き込んだ。


「海の星……。知ってますか……」


彼女は目を開けていた。


『海の星』彼女が好んで読む作家の短編のタイトルだ。

彼女が読んでいた本は必ず読む事にしていたので、もちろん知っている。


電車は塩屋駅に入って行く。

彼女は僕の手を掴んで、立ち上がった。


「行きましょ……」


僕は彼女に手を引かれるがまま、塩屋駅に降りた。

数人の客が塩屋駅で降りたが、僕と彼女はそのホームで手をつないだままじっと立っていた。


「昨日、私たちの話、聞いてたでしょ」


彼女は僕を睨む様に訊いた。

僕は俯いて、


「聞こえてしまったので……つい。すみません」


そう言って顔を上げた。


「ひどい」


と彼女は言う。

そしてすぐに、


「じゃ、ないな……ズルい。かな……」


そう言って微笑んだ。


「ズルい……」


僕は彼女の微笑みに笑ってしまった。


「すみません」


そう言う僕の手を引っ張って、階段を上がって行く。


「何処へ行くんですか……」


彼女にそう訊くと、彼女は階段の途中で立ち止まり、振り返った。


「海の星。見に行くんです……」


そう言うと笑みを浮かべてまた階段を上った。

改札を抜けて、古い駅を出ると、小さなコンビニの明かりがぼんやりと光っているだけで、営業している店は見当たらなかった。

そのまま高架下を抜けると国道に出る。

足早に歩いているので、酔いが回る。


「ちょ、ちょっと待って下さい……」


僕はそう言って膝に手を突き、息を整えた。


「大丈夫ですか……」


彼女は肩で息をする僕を心配して顔を覗き込む。


僕は国道沿いにある自販機でミネラルウォーターを買った。

そしてそれを彼女に渡す。

そして自分の分も続けて買った。


彼女は僕に礼を言ってその水を飲んだ。


「酒呑童子……美味しかったんで……つい、飲み過ぎちゃって……」


僕は彼女に言った。


「あ、行ったんですね……」


彼女は口角を上げて笑った。


「たまたま上司に連れられて行ったお店がそうだったんですよ……。スズキのフリッターも美味しかったです」


時折国道を通る車の音で会話は聞き取り辛いだろうが、そう話した。


彼女は手を差し出す。


「行きましょう……」


僕は彼女の手を握った。


国道から海の方に出ると、そこには想像していたのと違って海苔の集荷場があった。

それが海苔の集荷場である事は彼女が教えてくれたのだが……。


「海苔ってね。筏を組んで網を張って、それに海苔芽と言うモノを種付けするんです。どうやって種付けすると思いますか」


彼女は静かな海を見ながら言う。


「わかりません……」


僕はそんな彼女の横顔に答えた。


彼女は僕を見て微笑むと、


「潜水艦を使うんですよ」


そう言った。


「潜水艦ですか……」


彼女は頷いた。


「潜水艦って言ってもそんな大きなモノじゃないですよ。一人乗りの小さな奴です。それで筏の下に潜って下から種付けするんです」


僕は感心しながら頷いた。


「種付けした網から海苔を掃除機みたいなモノで吸い上げて収穫します。それがここに集められて加工されるんです」


僕は黙って彼女の話を聞いた。


「この明石海峡で養殖された海苔はミネラル分も多く含まれて、結構美味しいって評判なんですよ。明石海苔なんかはスーパーでも少し他のより高いですからね……」


彼女はそう言うと水を飲んだ。


「詳しいんですね……」


僕もそう言って水を飲む。


「父親が海苔の養殖をやっていたので……」


「なるほど……」


突然彼女は金網を上り始め、それを越えた。

スカート姿の彼女を見てはいけないと咄嗟に思い、僕は目を逸らした。


「早く来て……」


彼女は僕を誘う。

金網を越える行為は何かいけない事をしているみたいでドキドキした。

彼女が越えた金網を僕も同じようにして越えた。


「大丈夫なんですか……こんなところに入って……」


僕は彼女に訊いた。


「大丈夫な訳ないじゃないですか」


彼女はそう言って笑った。

楽しそうだった。

電車で、しかも朝の通勤時にしか見た事の無い彼女が今、僕の前で笑っている。

それが最高に幸せだった。


そして海苔の集荷場の一番先までやって来た。

彼女は周囲を見渡して何かを見つけたらしく、いきなり走り出し、紐が括り付けられたバケツを持ってきた。

そしてそのバケツを海に投げ入れて海水を汲み上げた。

それを引き上げると、彼女は僕に微笑んだ。


「良いですか……。見てて下さいよ。これが海の星です」


そう言うとバケツに汲んだ海水をその海面に撒くように放った。

その水は海面を打ち、星の様にキラキラを輝く。


なるほど……。

これが海の星か……。


僕はその輝きをじっと見つめた。

一瞬で消えるその星が、僕の中に永遠の記憶として焼きついた。


「こら、そこで何をしてる」


突然、懐中電灯で照らされ、そんな声が聞こえた。


「ヤバい……」


彼女は僕の手を引いて走り出す。

何度も躓きながら、金網を越えて国道の方まで二人で走った。

もう誰も追ってこない様だった。


僕たちは駅の階段に座り込み、肩で息をしていた。


「樫野美咲です」


彼女は荒い息のままそう言う。


「宮本浩一郎……」


僕も同じ様に自己紹介した。


「てっきり……ミサって名前なんだと……」


僕は息を整えながら言った。


「会社に……ミサキって……先輩がいて、被るから私が自然と……ミサになったみたい」


二人で息を切らしながら笑った。


僕は納得して小さく頷く。


「じゃあ僕は……何て呼べばいいかな……」


結構勇気を振り絞った言葉だった。


彼女はその言葉に空を見た。

その表情は毎朝、電車の中から空を見上げるそれとは少し違って見えた。


「美咲が良いな……」


彼女はそう言った。

そしてその後に「呼び捨てで……」と付け加えた。


「え……」


僕は慌てて訊き返した。


「馬鹿……」


彼女は改札への階段を上がって行った。

僕もそれを追い掛ける。

そしてそのまま改札を潜るとホームへと下りて行った。

フラフラの僕は彼女を追い掛けるが、足がもつれて追い着けなかった。


ホームで彼女は駅名標の下に立って、「塩屋」と言う文字を見上げていた。


「母がね、この塩屋で父に告白したんだって……。なんかそれが羨ましくて……。私も、そうしたいってずっと思ってて……」


僕は深呼吸して彼女を見た。


「それって逆じゃダメなのかな……」


僕は小さな声で彼女に言った。


「うん……。ダメ。気になる人は自分で捕まえたいの……。捕まえた実感が欲しいから……」


僕は笑って彼女の顔を覗き込む様に見た。


「十分、実感あるでしょ……」


あのね美咲。

君は僕の気になる人でもあるんだよ。

それもずっと前から……。

それなのに勇気の無い僕は二人で海の星を見るまで、それが恋だと認めなかった。

でも、今は言える。

僕は、美咲……。

ずっと前から、君が好きだ……。








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