7話 君の内臓を食べたい 後編
マンドラゴラの少女に案内されたのは学園の外だ。ふたりは少女の後を追ってガラス張りのドーム状の建物のなかへと入った。
「学園の外にこんなのがあったとはな」
「ここは植物園なんです。魔界に棲息している植物をすべてこちらで管理しているんです」
見ればなるほど、花や木々だけでなく見たことのない植物が軒を連ねている。
「こいつなんかタラコ唇みたいだな」
どう見てもタラコ唇にしか見えない花弁に真壁が手を触れようとすると、ヴィクトリアが慌てて止めた。
「それに触っちゃダメだよっ!」
「へ?」
すんでのところで指を引っ込めると、いきなりタラコ唇が開いたかと思うと、真壁の指があったところをがちんと音を立てて閉じた。
「っぶねーな!」
「それは食人植物の一種なんです。むやみに触らないほうがいいですよ」
「まじかよ……」
タラコ唇の花弁は舌打ちするとぺっと唾を吐く。
「さ、ネル先輩はこちらです」
南国風の植物や茂みをかき分け、三人がたどり着いたのは開けた場所だ。芝生が真上の太陽の光を浴びてきらきら輝いている。
真壁とヴィクトリアのふたりが目を奪われたのは真ん中に座するかのように位置する花――いや、正確には上半身が人で下半身が花弁のモンスターだ。
顔を上に向け、両腕を真横に伸ばしながら太陽の光を浴びているところをみるとどうやら光合成を行っているようだ。
黄緑色の髪が太陽の光を受けてきらきらと輝く。
「ネル先輩、連れてきました!」
ネルと呼ばれた女生徒はゆっくりと顔を正面へと。
「ありがとう。そしてようこそお二人共。私はネル。見ての通り、アルラウネです」
手を胸に当てながら自己紹介すると、優雅に頭を下げる。
「あ、真壁っす。よろしくっす」
「ボクはヴィクトリアだよっ。なにか困っていることがあるって聞いたんだけど……」
「わざわざご足労いただき、ありがとうございます。実は……」
ネルが言うには、ある植物モンスターの様子がおかしいのだそうな。
「最近、暴れ回るようになったり、うめき声をあげるようになったんです……今までこんなことはなかったのに……」
ふぅと溜息をひとつ。
「お願いです……! どうか力を貸してください!」
真壁とヴィクトリアが同時に顔を見合わせ、これまた同時に頷く。
「よっしゃ! 俺たちに任せとけ!」
「ふたりだけでも生徒会は百人力だよっ」
ふたりの意気込みにネルがぱあっと顔を輝かせる。
「ありがとうございます……! このご恩は決して忘れません……! 件の植物はあのむこうにいます。開けた場所にいるはずです」
ネルが茂みの奥を指さす。簡単には通れなさそうだ。
「私はここで光合成しながら植物たちに栄養を送らなければいけませんので身動きできませんが……よろしくお願いします」
申し訳なさそうにうつむき、マンドラゴラの少女に「あなたはここに残りなさい」と言う。
「とにかくそのモンスターのところまで行かないとだな」
「だねっ。じゃ行ってくるね☆」
樹木や茂みをかき分け、さらに奥に進むと沼がいきなり目の前に現れた。
「っとと。沼だね」
「回り道するにしても道がないな……どうするか」
見たところ、底が深そうだ。真壁が見上げると沼の横に生えた大木から伸びる枝が。大木にはびっしりと蔦が絡まっている。
「よし、俺にいい考えがある」
「あ、ちょっと」
そう言うなり、真壁は大木から蔦を剥ぎ取ると手頃な長さにして、先端に手頃な石を巻きつけた。
ヒュンヒュンと回して枝のほうへ投げると上手い具合に巻き付く。
そして助走をつけて走るとターザンよろしく沼を飛び越えた。
「それじゃヴィック、次はお前の番だ」
ロープ代わりの蔦をヴィクトリアに渡そうとすると、彼女はすたすたと沼の上を歩く。
「…………は?」
「これ底あり沼だよ。ボク、一度も底なし沼なんて言ってないよ?」
「そういうことは早く言えっての!」
底あり沼をあとにしてふたりは更なる奥へ。
頭上から粘液を垂れ流す蕾を避け、二人にたかる虫を払い除けながら前に進んでいく。
「あとどのくらいで着くんだ……? もう十五分くらいは歩いたぞ」
「あと少しなんじゃないかな? たぶん……」
肩で息をしながら顔にかかったクモの巣を払い除け、前に進むと開けた場所に出た。
周りを樹木で囲われ、頭上には幾重もの葉が被さっている。
「ここがそうなのか……?」
「みたいだね。でもなにもなさそうだよ」
てくてくと進み、辺りを見回すが、やはり何もない。
「やっぱりなにもないね……」
「たぶんどっかで道を間違えたんだろ? にしても、いい加減疲れたぜ……」
どっかと草むらに腰を下ろす。青臭い匂いが鼻腔をつく。
その時だ。頭上の葉がガサガサと音を立てたのは。
「なんだ……?」
「何かがくるみたいだよっ」
ふたりが警戒して身構える。さっきより葉や木々のざわめきが大きくなった。
途端、咆哮が聞こえたかと思うと草むらが地震のように震え、頭上の葉から姿を現すものがあった。
「な、なんだ。こいつ……! あ、もしかしてこいつが例のモンスターか!?」
「ボクの目では蕾に見えるよ!」
ヴィクトリアの言う通り、それは花の蕾を何万倍も大きくしたものだ。
するすると茎を伸ばして、蕾の桃色の先端をふたりのほうへ向ける。
ふたりをかわるがわる見やるようにすると、真壁のほうへ先端を向けると、蕾がわずかに花開いた。
先端からはよだれのように樹液が滴っている。心なしか、ハァハァと荒い息づかいに似た音が聞こえる。
「ね、ねぇ。ボク思うんだけど、この花、メス(?)みたいよ……」
「そ、そうだな……あ、おい。なに離れてるんだ」
さりげなくその場を離れようとするヴィクトリアに突っ込もうとすると、いきなり蕾が満開よろしく開いた。
開花したそれは花というよりは人間の口腔だ。舌にあたるツタが伸びて真壁を捕らえる。
「ちょ、おい! ヴィックなんとかしてくれ!」
「そう言われてもどうすればいいのかわかんないよ!」
真壁が続けようとした途端、ぱくりと飲み込まれた。そしてそのまま口に含み、咀嚼するかのように蕾が左右に膨らむ。
「…………! …………ッ!」
蕾の中で真壁は叫ぶが、声にならないようだ。
やがて堪能したのかごくりと音を立てて飲み込み、ゲップをひとつした。
「イタル――――ッッ!」
離れた場所でヴィクトリアが悲痛な声を上げる。
その時だ。蕾がぶるぶると震え始めたのは。ぶんぶんと上下左右に振るところをみると、どうやら苦しがっているようだ。
そしてふたたび花弁を開くと、勢いよく飲み込んだものを粘液とともに吐き出した。
気が済んだのか、花弁を閉じて蕾の状態に戻るとそのままいずこへと去った。
「い、イタル……?」
吐き出された場所には粘液まみれになった真壁が。服は粘液によって溶かされたのか、あられもない姿だ。
「そ、その……だいじょうぶ?」
虚ろな目をしながら、ぼそぼそとか細い声で何か言う。
「…………汚れちゃった……」
「…………うん。あれ? これって……」
ふと、真壁の横を見るときらりと光る物体が。足元の枝を拾ってたぐり寄せる。
粘液まみれになっているが、碧く輝くそれはまぎれもなく――――
「やっぱり! これ魔鉱石だよっ! やったね! これで魔力が増えるよ!」
喜々として喜ぶヴィクトリアの足元で横たわる真壁は弱々しくもサムズアップした。
「ということは、その石が原因で暴れていたのですね」
「うん! でもイタルが吐き出させたからもう大丈夫だよっ」
「ありがとうございます! やはりあなた達にお願いしてよかった……」
「これも生徒会の仕事だからね☆ ところでこの石はもらってもいいよね?」
ヴィクトリアが葉で包んだ石を見せる。
「ええ、どうぞご自由に……。あの、彼はどうなさったのでしょうか?」
見ると、真壁は葉っぱを股間と尻に当てながら俯いていた。
「あはは……。実は飲み込まれちゃって、それでトラウマになったみたいで……」
ネルとマンドラゴラの少女に見送られながら、ふたりは植物園を出て学園へと向かう。
「幸い、いま学園には生徒があまりいないから誰にも見つからないよ」
学園内の廊下から顔を覗かせながらヴィクトリアが言う。
「今の時間なら浴場には誰もいないだろうからゆっくり入れるよ☆」
「ほ、ほんとか……!?」
「うん、ついてきて!」
ヴィクトリアの案内で真壁は浴場の脱衣室へと。やはりそこにも誰一人もしくは一匹もいなかった。
「それじゃボクはイタルの下着と新しい制服持ってくるねっ」
ヴィクトリアと別れると真壁は念の為、浴場の扉のすき間から覗く。が、やはり誰もいない。
「ムダに広いな……」
無人の浴場に立つと、ひとり呟く。
湯気の立つ大浴場は大理石の床に白亜の柱がそそり立ち、湯船の中央に位置するガーゴイルの像の口からは湯がとめどなく湯船へと流れる。
局部を押さえていた葉っぱを捨てて、今まさに生まれたばかりの姿となった真壁は湯船に身を浸す。
身体中についた粘液を流し、両足を心置きなくまっすぐ伸ばす。
「ふぅううう〜極楽極楽♡」
考えてみれば魔界に来て以来、初めての湯船なのだ。今まで洗面所の水で洗っていた身としては天にものぼる快感だ。
湯船の縁に頭を預けて目を閉じる。
「お、気持ちよさそーだね!」
「おーけっこういい湯加減だぜ……って、なに入ってきてんだよ!」
見るとヴィクトリアがタオル一枚のみの姿でこちらへ近づいてきていた。
「だってボクも汗かいてるしー、ひとっ風呂浴びたい気分なんだよ☆」
そう言うなり、湯船に入ると真壁の隣に腰かける。
「あ、あの、ヴィックさん? 羞恥心はどこかに置いてきたんですか……?」
「おなじ人間族なんだし、別にいーじゃん?」
ドギマギする真壁をよそにヴィクトリアは恥じらいもなく「んーっ」と伸びをひとつ。
あ、そうか。こいつ、俺のことをただの検体としか見てないんだ……。
「それより今回手に入れた魔鉱石なんだけど、あの大きさだと10%ってところだよ」
「そ、そうか! 初の2ケタだな!」
「うん! だからさ、魔鉱石を使って探知機をつくることが出来るんだよっ」
「わ、ちょっいきなり立つなって!」
湯船に立つヴィクトリアから目を逸らしながら言う。
「だからこれでイタルも元の世界に戻れる可能性が高まるってことだよ……って、どうしたの? 前かがみになって」
「い、いや……これは男の生理現象というか……」
「生理現象!? だいじょうぶなの!? お腹痛くない?」
「だーっ! くっつくなっての! むしろこれは元気な証拠だから!」
「いいから見せて! ボクは医学にはちょびっと詳しいから!」
「だめっ! だめなのぉおおおおおーっ!」
「大変! こんなに腫れてるよっ! どうしてこんなになるまで放っておいたのさ!?」
らめぇえええええええ――――っ!
湯船でバシャバシャとふたりが騒ぐなか、扉ががらりと開かれた。ぺたぺたと足音をさせながら湯船に近づくと、目の前で繰り広げられている光景に思わず目を見張った。
「あ、あなたたち……! なにをしてるの!?」
「あ、いいんちょ」
真壁を押し倒す形になりながら、ヴィクトリアが呑気にそう呼ぶ。
「いいんちょじゃなく、ちゃんと委員長と呼びなさい! じゃなくて! こんなところで何をしてるのですか!?」
委員長こと吸血鬼のスカーレットが怒気を露わにする。
「いやー話せば長くなるけど……」
「と、とにかく。真壁さんはすぐにそこから出なさい! ここは男子禁制ですよ!」
レイプされたかのように虚ろな目をした真壁は弱々しく「ふぁい……」と返事を。
二時間後。生徒会室にてヴェルフェは両腕を組みながら目の前のふたりを睨む。
「スカーレットから聞いたが、お主ら、浴場で乳繰りあっていたそうじゃな」
会長の衝撃的な発言にリリアが「まぁ!」と両手で口を押さえ、テンが「アイヤー……」と驚きの声を漏らす。
「いや、違くて! 俺はこいつが入ってくるとは思ってなかったから動揺しただけで!」
「そうだよ! 別にやましいことをしたわけじゃないんだよっ! クラスメイトの体調を心配しただけなんだよ! ボクは!」
「ちょっと待て! なんかモルモットって言ったように聞こえたぞ!」
ぎゃあぎゃあと真壁とヴィクトリアの丁々発止をヴェルフェが「もうよい!」と遮る。
「とにかく、事の発端は植物園からの依頼を受けて、たまたまこの魔鉱石を見つけたことなのじゃな」
そう言って魔鉱石を手にする。
「そのせいで俺は変態植物に飲み込まれて粘液まみれにされたんだぞ」
「ボクも歩き回って汗かいたからお風呂入りたくなったし……」
弁解するふたりを見ながら会長は溜息をつき、魔鉱石をことりと卓に置く。
「まぁ、今回は依頼を達成し、魔鉱石も見つけたことじゃしな……しかたない。真壁よ」
ヴェルフェがじろりと真壁を睨む。
「癪じゃが、お主がいなければ達成出来なかったのもまた事実。そこでじゃ、お主には学園の浴場を使わせる権利をやろう」
「ほ、ホントか!?」
「会長に二言はない。ただし! 生徒全員が寮に帰ってからじゃ!」
浴場に入れるようになった真壁が「よっしゃー!」とガッツポーズを。
「よかったねイタル! 今度また一緒にはいろーよ!」
「お主は羞恥心というものをわきまえよ!」
真壁は入浴の権利を手に入れた!そして魔鉱石が満タンになるまで、あと82%。