8話 ドローイング•ウィズ•ヴァンパイア 前編
「殿下、お待ち下さい。どうか、どうかもう一度お考えを……!」
「だめだ。ヴェローナ王国が危機のなか、私だけが逃げるわけにはいかん」
「しかし……!」
侍女が思わず前に身を乗りだすが、転倒しそうになるところを殿下がすんでのところで支える。
「危なかったな……大事ないか? マドレーヌ」
「は、はい……ヴィルヘルム様……」
マドレーヌという名の侍女は目の前の男を見つめる。金髪に蒼い目をした若き王、ヴィルヘルムを見つめる。
「心配はいらない。すぐに戻るよ……」
「ああ、ヴィルヘルム様……!」
身分違いの二人が抱き合おうと――――
「う〜〜……やっぱり描けない!」
そう言うなりスカーレットはペンを傍らに置く。彼女の前には原稿――正確にはネームと呼ばれる下書き前の、いわゆるマンガの設計図だ。
「男女が抱き合うポーズがこんなにむずかしいなんて……!」
見ればなるほど、ネームには何度もやり直したであろう線が幾重にも走っている。
「やっぱり実物を見ないことには描けないわね……」
とすんと背もたれに身を預けると椅子がぎしりと鳴った。
パンデモニウム学園の自室でスカーレットはひとり
ため息をつく。
真壁とヴィクトリアが植物園で依頼をこなしている間、スカーレットは趣味であるマンガを描いていた。
今日は月に一度、太陽の光が差す日。その間は授業は休みなので生徒たちはそれぞれ自習か好きなことをして過ごすのだ。
「はぁ……私って才能ないのかな……」
そう言ってすぐにぶんぶんと首を横に振る。
「ううん! これくらいでへこたれちゃダメよね!」
ふたたびペンを手に取り、ふたりが抱き合うポーズは後回しにして先を進めることにした。
しばらくして最後のコマを描き終えると、ことりとペンを傍らに置く。
「うん! とりあえずはこれでいいわね」
時計を見るともう五時だ。この時間だと太陽は雲に隠れていることだろう。
「たまには早めにお風呂入るか」
吸血鬼である彼女は支度を終えると、部屋を後にした。
階段を降りて廊下を歩くと、浴場の入口が見えてきた。脱衣所にてスカーレットは服を脱ぎ、次いで下着を脱ぐと生まれたての姿へと。
その時、浴場から騒がしい声が聞こえてきた。
「騒がしいわね……注意しないと」
ぺたぺたと浴場に入ると、湯気でよく見えないがどうやら湯船でふたりが騒いでいるようだ。
湯船に近づくと、だんだん姿がはっきり見えてきた。
ヴィクトリアが真壁を押し倒している光景にスカーレットは思わず目を見張る。
「あ、あなたたち……! なにをしてるの!?」
「あ、いいんちょ」
「いいんちょじゃなく、ちゃんと委員長と呼びなさい! じゃなくて! こんなところで何をしてるのですか!?」
「いやー話せば長くなるけど……」
ぽりぽりと頬を掻きながら言う。
「と、とにかく。真壁さんはすぐにそこから出なさい! ここは男子禁制ですよ!」
虚ろな目でその場をすごすごと去る真壁を見送ったのちに、きっとヴィクトリアを睨む。
「このことは生徒会長に報告しますからね!」
「そんな〜」
入浴を終えて、生徒会長であるヴェルフェに報告をした後にスカーレットは自室へと戻った。
部屋に入るなり、彼女はふたたび机についてペンを手に取る――――。
だが、一向に筆は進まない。後回しにしたコマ、男女が抱き合うシーンがどうしても描けないのだ。
「いっそのこと構図を変えるか……? それともアングルを……」
ぶつぶつとこぼしながら、ああでもないこうでもないと推敲を。
それでもペンが動く気配はない。
あれこれと考えていると、浴場での出来事が思い起こされた。
真壁を押し倒すヴィクトリアのふたりを思い浮かべると、たちまち頬が真っ赤になった。
「もう! あのふたりが浴場で騒ぐから!」
ばんっと机を叩くが、それでどうにかなるわけでもない。はぁっと溜息をひとつつく。
だが、彼女の脳裏に閃くものが。
待って……! これってもしかしたら使えるかも……!
名案を思いついたスカーレットはすぐに自室を出た。向かった先は真壁の部屋だ。




