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資産家の秘宝  作者: 目262
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「まず最初に、何のために宝とやらを埋めたのか。この点について話します。ゼンスケさんは宝をご子孫のために埋めました。つまり子孫に掘り出して欲しかったのです。永遠に隠すために埋めたのではありません。となれば、埋めた宝は比較的簡単に掘り出せるはずです。昨日伺ったお話では、隣家の庭の隅々を掘り返しても何も見つからなかったとのこと。これは明らかにおかしい。本当に埋まっているなら、宝は簡単に出てくるはずです」

「ではやはり、隣の奴らが先に掘り出したんだ!」

 荒い声を挙げるアミの父親に対し、教授は片手を少し上げて落ち着くように促した。そしてゼンスケの日記を開くと、宝に関する記述がある箇所を指差す。

「次に、日記に書かれた内容について話します。ここには『将来の危機に際し役立ててくれることを望む』と記載されています。この文面には多少の違和感があります。普通なら、将来何かあった時に使って欲しいと、もっと大雑把な表現をするはずです。しかし、この文からは、ゼンスケさんは将来に危機が訪れることを確信しているように感じられます」

「地面に埋める程の宝だから、簡単な理由で使って欲しくない。そういう意味で書いたのでは?」

 アミの言葉に教授は小さく頷いた。

「そうかも知れない。どちらにせよ、この文面だけでは何とも言えない。ところで、この記述は大学ノートの割りと始めの方に書かれている。もしかしたら、これよりも前に書かれた日記があるかも知れない。そもそも宝に関する記述はわずか数十文字。たったこれだけで宝探しをするのは無理だ。文面から抱いた違和感の正体を突き止めるには、そしてゼンスケさんにとっての将来の危機とは何かを知るためには、これよりも前に書かれた日記を調べる必要がある。だから全部の日記を借りて、中身を読んでみた」

 教授は座卓に広げた日記を掌で示すと、その内の一冊を手に取った。それには教授自身が使った付箋が挟まれており、彼はそのページを開く。

「以前の日記の中に、興味深い記述がありました。『明治四十三年五月某日、例のハレー彗星がいよいよ近付く。屋敷の庭先から隣家の者たちと共に眺め、不安なことこの上なし』と書かれてあります」

「ハレー彗星って、あのハレー彗星ですか?」

 アミの母親が驚いて訊ねる。教授は頷いた。アミは訳がわからずきょとんとした顔をしていた。ハレー彗星のことを知らないのだろう。

「明治四十三年、西暦1910年の5月にハレー彗星が地球に最接近したんです。ゼンスケさんはそれを隣人たちと一緒に見ている。問題はその方角です。当時のハレー彗星は主に西北の空に見られました。西北です。昨日、夕陽が隣家の向こう側に沈んでいくのを見ました。つまり隣家はこの屋敷の概ね西側にあるんです。より正確には西北です。この屋敷の庭先からハレー彗星を見たのならば、どうしても隣家の家屋が邪魔になって、よく見ることはできなかったはずです。わざわざ見にくい場所から見たものを、これまたわざわざ日記に書き残すのは不自然です。この事から考えられるのは一つの事実です。つまり、100年以上前には今の隣家は存在しなかった」

 これを聞いたアミの一家は、揃って驚きの声を上げた。

「隣の家がなかった?」

「どういうこと?だって、隣家の者たちと眺めたって書いてあるじゃない?」

 彼らの反応を再び片手で制しながら、教授は話を続けた。

「100年以上昔のことです。現在とはだいぶ風景は違っていても不思議じゃない。当時は西北側に家は建っていなかった。あの家が建ったのはその後、どんなに昔でもせいぜい80年から90年前でしょう。だから、この日記に出てくる隣家とは、屋敷の東側に建っていた家のことです。それならば日記に書かれていることは辻褄が合う」

 教授は東を指差した。

「この屋敷の東側、そこには片側三車線の大通りがあります。そしてその向こう側には、ここと同じくらいの大きさの屋敷が建っています。それこそが、日記に書かれている隣家です。100年前には、あの屋敷の敷地はもっと西側に伸びていて、この屋敷の敷地は東側に伸びていた。つまり隣接していました。そして両家の北側には小さな道があったはずです。それが現在の隣家との間に走っている一方通行の道です。戦後になって新幹線が開通したことで、この辺りは大きく変わりました。その時に新幹線の駅まで行くための大きな道路が必要になり、その用地として、この屋敷と、隣の屋敷の隣接していた場所が売却されたんです。こうして、それまでの隣家は大通りの向こう側になりました。しかし物理的な距離感から見て、この状態を隣家とは考えにくい。逆にそれまで向かいだった、より小さな道を挟んだ西北側の家の方が遥かに近いので、こちらの方が隣家として認識されるようになったんです」

 アミが唖然としながら呟いた。

「つまり、戦前のお隣とお向かいさんが、戦後、新幹線が開通したことによって入れ替わった?」

「そういうことだ。だから日記に書かれている宝が埋められているのは、大通りの向こう側にある屋敷の庭だ」

 教授の言葉を聞くなり、アミの父親はハイブランドのポロシャツの胸ポケットからスマホを取り出してあちこちに電話をかけ始めた。1時間後、彼の系列の土建屋が大挙してやって来て、大通りの向こう側にある屋敷の庭が掘り返される。突然の話に目を白黒させている屋敷の住人たちにアミはしきりに頭を下げた。

「この辺の人たちは我が家の分家でゼンスケさんに世話になったから、多少の無理は我慢してくれるんです。でも、今回ばかりは……」

 娘に謝らせておいて、目の色を変えて宝が出てくるのを今か今かと待っている両親を見た教授は、眉をひそめた。

 作業が始まって10分程で、地中から何かが出てきた。興奮で沸き上がる一同の前に、人よりも大きな複数の(かめ)が並べられた。

 その内の1つに梯子をかけて、作業員が木製の蓋をハンマーで叩き割る。中を覗き込む彼は激しく咳き込んだ。

「酷い臭いだ。なんか腐ったモノが入っているぞ!」

 アミの父親と教授は交互に梯子を昇って中を見た。黒く細長いものがとぐろを巻くように甕の中一杯に収められ、それらの表面が溶けて悪臭を放っている。

「あ、あれは一体何ですか?」

 期待していた金銀財宝とは程遠い、得体の知れない奇怪な物体を目にした父親は、すっかり狼狽えて教授に訊ねた。

「ゴムホースですよ。1910年にハレー彗星が接近した時には、彗星のガスの影響で地球上の酸素が失われるという噂が立った。当時の人たちは栓をしたゴムホースやチューブに空気を溜め込んで生き延びようとしたんです。ゼンスケさんも同じことをしたんでしょう。結局、彗星が来ても酸素はなくなることはなかったが、彼は再びハレー彗星が来る時には、本当に酸素がなくなるかも知れないと考えた。だからこうして大量のゴムホースを甕に入れて、子孫に残した。将来の危機に際し、役立ててくれることを願って。これが宝の正体です。ハレー彗星接近という危機に際し、このゴムホースを役立てて欲しいということです。ゼンスケさんは家族にこのことを伝えたはずですが、ハレー彗星は76年周期で地球に接近します。その年月の間に関東大震災や戦争、戦後の混乱など色々なことが起こりました。そういう現実に起こった危機を生き抜いていく間に、いつしかゼンスケさんの伝えた話は忘れ去られていったんでしょう。掘り出されることのない甕の中身も、100年の時の流れでこんな姿になってしまった」

「じゃ、じゃあ只のゴムホースを大量に残したのか。それを宝だと?」

「おそらく道路の下にも、同じような甕が何百と埋められているでしょう。それをどうするかはあなた達の自由です」

 それを聞いたアミの母親が地面にへたり込む。梯子を降りた父親の方は、収まらない怒りで甕を蹴って悪態をつき始めた。

「くそったれ!散々期待させておいて、出てきたのが腐ったゴムホースだと!とんだ骨折り損だ!金塊でも入れておけばいいのに、ゼンスケの奴もとんでもない間抜けだな!」

 その台詞に教授は遂に切れた。これまでに発したことのない大声でアミの父親に向かって怒鳴る。

「言葉を慎め!自分の先祖だぞ!俺はゼンスケさんの日記を全部読んだから、当時の人たちがハレー彗星を本気で恐れていたことがわかる!最接近の何ヵ月も前から、日記には彗星を心配することばかり書かれていたんだ!世界中がパニックになって自殺した者だっていた!巨大隕石が地球に衝突するとなったら、あんただってパニック状態になるだろう!それと同じことが100年前に起こったんだ!そんな中で一番大切なのはカネや金塊じゃない、命を守る手段だ!昔のゴム製品は只でさえ安くなかったのに、ハレー彗星のせいで高騰したゴムホースをゼンスケさんは懸命に買い集めたんだ。それがどれだけ大変か、どれだけ大金を使ったか!ゼンスケさんのやったことは結果的には無駄だったが、あの人が次にハレー彗星を迎える子孫たちを本気で心配していたことは紛れもない事実だ!その気持ちが、思いやりがわからんのか!今のあんたたちは将来の子孫を心配したことが1度でもあるのか!」

 教授の一喝で、その場が静まり返った。父親は唇を震わせて何かを言い返そうとしたが、結局、下を向いて黙り込んでしまった。母親も呆然として甕を見つめるだけだ。アミだけが大粒の涙を流して教授に頭を下げた。

 その後、教授は歩いて大通りに出ると、アミの申し出を断ってタクシーに乗り込み、駅に向かった。そしてそのまま新幹線を使って自宅に帰ってしまった。

 夏休みが終わり、後期の学期が始まった。大学の研究室で午後の缶コーヒーを啜る教授の元にアミがやって来た。土産の品をデスクに置くと、彼女は頭を深く下げた。

「この前は大変失礼しました。両親と一緒にお隣と、お向かいに謝罪をして、どうにか受け入れてくれました。先生にも不快な思いをさせてしまい、申し訳ありません」

 コーヒーを啜りながら、教授は頭を縦に振った。大体今回の探し物は、100年前の地図を国土地理院から手に入れれば簡単にわかることだ。それすらせずに廻りに迷惑をかけて騒いでいたあの一家は深く反省すべきだ。ここで教授はアミの服装がこれまでと違うことに気づく。ハイブランドではなく、よく見る量販品だった。バッグや靴も同様だ。簡素だが、清潔感がある。彼の視線を受けて、アミは恥ずかしそうに言った。

「両親は手遅れだけど、私の代からは無駄遣いは止めます。カイエンも売りました。今は国産のコンパクトカーに乗ってます。子孫のために少しでも残しておくように」

 コーヒーを啜りながら、教授は頷いた。

 教授はゼンスケの日記を読んだからわかるが、彼は決して聖人君子ではなかった。汚い手段で商売上のライバルを陥れたり、毎月通っていた東京吉原の花魁を身受けして、妾として囲っていた。ゴムホースを買い占めたことで大勢の者に迷惑をかけた。そういうことが、あの日記には書かれていたのである。

 アミがゼンスケの日記を読めば、彼の負の側面、俗物さを知ることになるだろう。その上で先祖の存在を認めるか否かは彼女次第だ。

 静謐な雰囲気の中で、教授のコーヒーを啜る音だけが聞こえる。アミはからかい半分で彼に言った。

「先生って推理している時だけ、お喋りになるんですね」

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