会長としてすべきこと。 ⑥
「――あ、そうだ。今日のミーティング、桐島さんにも加わってほしいんだけど、いいかなぁ?」
エレベーターで三十四階まで上がり、会長室へ向かう途中で、わたしは彼に大事なことを訊ねてみた。
この日のミーティングのいちばんの当事者は彼だと言っても過言ではなかった。だから、是非とも彼にも参加してもらって意見を聞きたいと思っていたのだ。
「もちろん、ムリにとは言わないわよ。貴方がどうしてもイヤだって言うなら、ちゃんと拒否権もあるからね?」
もしも本人が嫌がっているなら、無理矢理参加させるのはパワハラ以外の何ものでもない。社内のパワハラ問題を根絶しようとしていたわたし自身がそれをやってしまうのは、それこそ本末転倒である。
「いえ、大丈夫です。……が、僕が入っても他のメンバーのみなさんが気を悪くされないでしょうか? 資料だって足りなくなるかもしれませんし」
「加わってくれるの? ありがとう! 貴方が心配してること、多分杞憂だと思うよ。だってみなさん、貴方が前の部署でどんな目に遭ってたかよくご存じだし、貴方の味方だもん」
人事部長と兼務されている山崎専務は総務課で何が起きていたかキチンと把握されていたし、貢の現部署での上司でもある広田常務の耳にもその話は届いていたはず。そして、この問題に対してわたしと同じくらい頭を抱えていたのはきっと村上社長なのだ。
「それに、資料が足りなかったらわたしと一緒に見ればいいし」
「……そうですね」
――会長室(彼は秘書室にも立ち寄っていた)に一旦荷物を置いてから、わたしたちは同じフロアーのミーティングルームのドアを開けた。
会長室内のミーティングスペースで会議を行うこともあるけれど、この件の場合は事の重大さから別室で話し合うことに決め、重役三人にもその旨を伝えてあったのだ。
「――おはようございます。みなさん、お揃いですね」
「「「おはようございます、会長」」」
どうやらわたしと貢が最後だったようで、村上さんたちお三方はすでに顔を揃えていた。
「会議を始める前に、お伝えすることがあります。今日の話し合いには、桐島さんにも加わってもらうことにしました。本人にも確認は取ってあります」
「桐島くんが?」
三役を代表して、広田常務が目を見開いた。
「ええ。この問題に関して、彼がいちばんの当事者ですから。彼の意見を聞くのは最優先事項かと思って。――みなさん、よろしいですか?」
「分かりました。彼にも入ってもらうことにしましょう。私は賛成ですわ」
「私も異論はありません」
「僕もです」
広田さんが賛成すると、山崎さんと村上さんも首を縦に振ってくれた。
「みなさん、ありがとう! では、会議を始めましょう」
わたしはそう告げると、いちばん上座の席に着いた。
「桐島さん、わたしの隣にいらっしゃい。一緒に資料見ましょ」
「はい。――では失礼します」
貢を手招きし、隣の席に座ってもらって山崎さんが秘書の上村さんと一緒に準備してくれていた資料を広げた。
「――今日の議題は、本社総務課で発生しているパワハラ問題について。お手元にある資料は、昨日山崎さんに直接お願いして用意して頂いた、パワハラによる労務災害申請の一覧です」
わたしも内容にザッと目を通して驚いた。前日は貢や悠さん、山崎さんから話を聞いただけだったので、その実態については詳しく知らなかったのだ。
申請された内容はどれもわたしの想像を遥かに超えたひどいもので、すでに退職してしまっている人や、ストレスで精神を病んでしまって心療内科に通院している人も少なくないようだった。
「山崎さん、ひとつ確認したいんですけど。この問題って一過性のものだったんですか? それとも現在進行形なんでしょうか?」
すでに終わったことになっていたら、それはそれで問題だけれど。それがまだ続いているとなれば事態は深刻だった。
「それがですね、会長。……実は、今でも続いているようなんですよ」
わたしの質問を受け、山崎さんは重々しそうに答えた。
「そうですか……」
ミーティングルーム全体の空気が重苦しくなった気がしたのは、わたしだけではなかったかもしれない。
これは、何としても早急に決着をつけなくては……! わたしは意を決して自分の考えを話すことにした。
「実はわたし、この件を知ってすぐ思ったんです。この問題は世間に公表すべきだ、って。被害に遭っていた当事者である桐島さんにも、そのことは伝えました」
「はい、僕も会長から伺いました」
わたしの言葉に、貢も頷いた。
「彼は最初、そうすることを渋ってました。公にするにしろしないにしろ、どちらにしても一時的に会社の信頼をなくしてしまうことになるんじゃないか、って。……ですが、わたしはこう考えたんです。ずっと隠蔽し続けた場合のリスクを考えれば、思いきって公表してしまった方がダメージも軽くて済むんじゃないか、って」
もしかしたら、この考え方は楽観的すぎるのかな……と思いもしたけれど。
「間もなく新年度がスタートしますし、わたしとしては一刻も早く、できれば年度内にこの問題を解決したいと考えてます。――それで、この件について、みなさんの意見も聞かせて頂きたいんですけど……。どうでしょうか?」
わたしはおそるおそる、重役たちの反応を窺った。
「会長がそこまでお考えなのでしたら……、私にも異論はありませんよ。広田常務はいかがですか?」
「私も同意見です、山崎専務。隠蔽したいとおっしゃるなら私は反対していたでしょうけど、公表したいとおっしゃるのですから。ねえ、社長?」
「そうですね、僕もお二人と同じく異論はありません。きっと会長のお父さまも、この件をご存じでしたらそうなさっていたでしょうから」
三人とも、わたしの考えに賛成だったようだ。それも、わたしが会長だから忖度したというわけではなく、自然と意見が一致したという感じだった。
それは喜ばしいことだったけれど、わたしには村上さんのおっしゃったことが引っかかった。
「そうですか。……え、ちょっと待って! 村上さん、父は知らなかったんですか? 社内でパワハラがあったこと」
「はい、ご存じなかったようです。山崎さんが、お父さまの病状などを考慮されたうえであえてお伝えしていなかったようですよ」
「そうなんですか? 山崎さん」
「はい……。懸命に病と闘っておられたお父さまに、気苦労をおかけしたくなかったもので。ご報告した方がよろしかったですか?」
もちろん報告も大事なことだけれど、父の病状を慮って、あえて報告を上げなかった山崎さんの優しさをわたしも蔑ろにはしたくなかった。
「いえ、それでいいの。山崎さん、父を気遣ってくれてありがとうございます。貴方の判断は間違っていなかったとわたしも思ってます」
わたしは父親以上に年の離れた部下に頭を下げた。
自分の部下に頭を下げる行為を「カッコ悪い」「恥ずかしい」と思っている上役も世の中には少なくないと思う。でも、わたしは相手が部下だろうと後輩だろうと(これは学校での話である)、感謝していたり自分が迷惑をかけているなと思ったらためらうことなく頭を下げる。
何故かというと、父も生前そうしていたから。
「それにね、もし父がもしこの事実を知ったとしたら、きっとわたしと同じように『公表しよう』って言っていたはずです。父は不正を絶対に許さない人でしたから」
「そうですね。我々はずっと、お父さまのそういう姿を拝見してきましたから。特に、同期入社だった村上社長はそうでしょう?」
「ええ。彼は若い頃からずっとそうでしたね。僕は入社当時からずっと近くで彼のそういう姿を見てましたよ」
二人の会話に、広田常務も頷いていた。この三人はわたしがこのグループのトップに立つずっと前から、わたしの知らない父の姿を見てきていたのだ。
「そうですよね……。みなさん、ありがとう!」
やっぱり、彼らを三役に選んだのは間違いではなかった。わたしは父とわたし自身の考え方に共感してくれた彼らに、心からの感謝を述べたのだった。




