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キスの答え合わせ ①

「――ごちそうさまでした」



 その日の夜、わたしは夕食をかなり残してしまった。

 そんなにたくさんのメニューが出されたわけでもなく、量だってそれほど多くなかったので、普段のわたしなら平らげられたはずなのだけれど……。


「あら、絢乃。もう食べないの? どこか具合でも悪いの?」


 母が心配そうに体調を訊ねてきたけれど、わたしはぎこちない笑顔でゆっくりと首を振った。


「ううん、そういうわけじゃないの。ただ……、ちょっと食欲なくて」


 母に理由を言うわけにはいかなかった。貢にキスされたことで悩んでいると言ったら、一人娘に甘々な母のことだから怒り狂うに違いなかった。

 わたしはよくても、母が彼の〝()()〟を許してくれるかどうかはまた別の問題だったのだ。


「……あらそう? きっとこの数ヶ月の疲れが今ごろ出てるのね。明日は終業式だし、今日はもうゆっくり休みなさいね」


「うん……、ありがと。じゃあ、わたしは部屋に行ってるわ」


 母をこれ以上心配させまいと明るく振る舞い、わたしは二階にある自室へ入った。



 もう授業はなかったので学校の課題もなく、やることといえば経営学の本を読むことくらいだったけれど。()()()()が消化不良のままだったので本の内容が頭の中に吸収されず、わたしはすぐに読書を中止した。


「――桐島さん、どうしてわたしに自分の気持ち、伝えてくれないんだろう……?」


 キスをされたことも、彼がわたしを好きなことも、わたしは寛容に受け止めるつもりでいた。素直に言ってくれれば、わたしにとってもそれは歓迎すべき事実だったのに。

 そして、その気持ちに応えてわたしから告白することだってできたのに。


「~~~~っ! ダメだぁ! ひとりで悩んでたって(らち)あかないわ!」


 ……そうだ、里歩に相談してみよう。とわたしは思い立った。

 彼女なら恋愛中だし、何かいいアドバイスをくれるかもしれない。彼がどうして想いを伝えてくれないのかも、彼女ならきっと分かるはず。

 わたしはスクールバッグからスマホを取り出し、里歩に電話をかけた。


『――はいよ。絢乃、どしたの?』


 里歩の第一声は軽かった。彼女のこの軽さが、わたしの救いにもなっていたりする。特に、大きな悩みを抱えている時には。


「あのね…………、ちょっと言いにくいんだけど。実は今日の会社帰りにね、彼にキス…………されちゃって……」


 いざ打ち明けようという時になって、わたしの勇気は恥じらいに勝てずにその単語だけ小声になってしまった。


『……え? 何されたって?』


 それを分かっていながら(これは()()()()()()断言してもいい。彼女の性格はわたしがいちばんよく分かっているから)、わざわざ大きな声でもう一回言わせようとする里歩はちょっとイジワルだと思った。


「もう! だから、キスされたのっ!」


『あらら、マジかー』


 彼女の反応は、「マジか」と言いつつ「やっぱりな」と言っているようにも聞こえた。


『んで、その後は? 告られたの?』


「……されてない」


『うっそ、マぁジでーー!?』


 彼女の「マジで」は、今度は本当に驚いているようだった。


『もー、何やってんのよ、桐島さんはぁ! そこは告るチャンスじゃん! はーー、もったいない! これだから草食系男子は!』


 里歩は自分の彼氏でもないのに、彼のことで暴言を吐きまくっていた。きっと当事者のわたし以上に、彼の態度にイライラしていたのだと思う。


「ちょっとちょっと! 里歩、わたしにそれ言ったってしょうがないでしょ?」


『……あ、そうだった。ゴメンゴメン! んじゃあさ、告られてないんだったら、桐島さんは何て言ってたワケ? アンタにキスした理由』


「それがね……、『魔が差した』とか『血迷った』とかおんなじような意味の言い訳並べてたけど、ホントの理由は結局言ってくれなかったの。だからわたし、なんか消化不良でモヤモヤしてて……」


 わたしは里歩にグチった。「好きなら『好き』って、どうして言ってくれないんだろう?」と。


「里歩はどう思う? 彼の気持ち」


『そりゃあ、アンタのこと好きなんだろうねぇ。でも告れないってことは……、そうだなぁ。〝好き〟って言葉の意味合いが違うから……なんじゃない?』


「えっ、どういうこと?」


 わたしには、里歩の言っている意味が分からなかった。――「わたしのことを好き」なのに、「好き」という言葉の意味合いが違う?


『男女でも「好き」の意味は違うだろうし、まして彼はオトナじゃん? それがどういう意味かは、アンタにも想像つかないことはないでしょ?』


「うん……、まあ。何となくは」


 オトナの男性にとって、恋愛というのは遅かれ早かれそういう生々しい展開になるものだということ。「好き」という言葉はつまり、「あなたのことをそういう対象として見ていますよ」という意味になるのだと里歩は言いたいらしい。


『まぁ、これはあくまで一般論で、桐島さんもそうだとは限んないけどね。彼は真面目な人だから、そもそもボスを好きになってしまったこと自体、とんでもない失態だって考えてる可能性もあるよね』


「うん」


 その方が、彼に限ってはしっくりきた。


「そういえば彼、わたしにクビにされることをやたら気にしてたなぁ。『するわけないじゃない』って、わたしは何回も言ったんだけど」


 里歩が挙げた二つめの可能性が正しかったとすれば、彼があんなにビクビクしていたことにも納得がいく。


『でも絢乃、明日も彼とは一緒に仕事なワケでしょ? さすがに気まずいよねぇ……』


「そうなのよ……。もう、明日どんな顔して彼と一緒にいればいいのか分かんない……。どうしよう?」


 体調に異常はないので、休むわけにもいかない。()()()()()で母に代理出社を頼むのも申し訳なかったし、わたしのいないところで母に(しっ)(せき)されるであろう彼のことを考えると心がチクリと痛んだ。

 こういう場合、年上の方が余裕を持った態度で接してくれることが望ましいのだけれど、彼の場合はその余裕もなさそうだったし。


『は~~、もう! そんなにウジウジ悩むくらいなら、アンタらもうとっとと付き合っちゃえば?』


 里歩が(しび)れを切らしたように、サラリと爆弾を投下した。……確かに、もうキスという既成事実(?)があるのだから、悩むよりそのまま恋愛関係に発展させる方がいいのかもしれない、とわたしも思ったけれど。


「それは…………、ちょっと。だって順序が……。それにわたしのセオリーにも反するし」


『順序とかセオリーとか、拘ってんのはアンタだけじゃないの? そんなキッチリ型にはまったような考え方ばっかしてないでさ、もっと気楽に考えなよ。恋愛ってそういうモンだと思うよ、あたしは』


「…………うん」


 わたしが真面目すぎるのだと、里歩は指摘した。確かにそうかもしれなかった。

 わたしは自分の立場とか、責任の重さとかに縛られすぎて、肝心なことに気づいていなかったのかもしれない。恋愛でもっとも大事なことは、何よりお互いの気持ちなのだということに。


『――まぁ、難しいとは思うけど、明日もいつもとおんなじように桐島さんに接しなよ? アンタがヘンに意識しすぎたら、彼の方が却って気ぃ遣っちゃうかもしんないから』


「うん……、何とか、頑張ってみる」


 恋愛経験者の里歩ならともかく、思いっきりビギナーのわたしにそれを求められても困るのだけれど……。経験上、彼女のアドバイスが間違っていたことは一度もなかったので、わたしは素直に頷いた。


「何かゴメンね? こんな話、里歩にしかできないから。……実はこのこと、ママにもまだ話せてないの」


『えっ、そうなの? 絢乃のお母さんなら、きっとノリノリで相談に乗ってくれると思うけどなぁ。でも……そっか、桐島さんの立場が危なくなるか』


「うん。わたしが心配してるのはそこなのよ」


 父が亡くなってから、母がわたしの父親代わりもしてくれていることになる。まだキスだけとはいえ、大事な一人娘に手を出されたと知ったら、母が彼にどんな罰則(ペナルティー)を下すかと思うと、わたしは気が気ではなかったのだ。


『あたしのことなら気にしないでよ。全っ然迷惑じゃないし、相談してくれて嬉しかったから。また何かあったらいつでも相談してよ。あと、恋愛の進展報告もヨロシク♪』


「…………うん、分かった。ありがとね。里歩、また明日ね。おやすみ」


『おやすみ~』


 のほほんとした彼女の返事を聞きながら、わたしは終話ボタンをタップした。



「――〝いつもとおんなじように〟……か」


 わたしは天を仰いで、里歩から言われたことを思い返してみた。


「できるのかなぁ……、わたしに」


 彼の態度はきっと変わってしまうだろうと思った。多分、わたしの唇を奪ったことをすごく後悔していて、それまで良好だったわたしとの信頼関係が壊れることを恐れて。

 でも、それはわたしも同じだった。わたしだって、告白してしまったら彼と順調に築き上げてきたいい距離感が変わってしまいそうで、怖かったのだ。


「……なんだ。わたしと桐島さん、おんなじ気持ちなんじゃない」


 だからこそ、お互いに意識しすぎて余計にギクシャクしそうな予感がしていたのかもしれない。

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