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遺言…… ①

 ――父はその翌日から、通院での抗ガン剤治療を受けることになった。

 会社へ顔を出すことも、主治医の後藤先生が許可して下さったらしい。――本当かどうかは、本人がいなくなった今となっては確かめようがないけれど。


 父曰く、「会社で具合が悪くなった時には、すぐに後藤へ連絡を入れてもらうことになっている」とのことで、連絡を入れる役割を(にな)っていたのは多分、当時は会長付秘書だった()(がわ)(なつ)()さんだろう。

 わたしも母も最初は「大丈夫なのかな」と心配していたけれど、父は言い出したら聞かない人だったし、何より主治医の許可付き。小川さんの大変さには同情もしたけれど、わたしたちも最終的には父の望みどおりにさせてあげることにした。


 里歩には、あの日彼からの電話を終えてすぐに連絡を入れた。彼女はわたしのことも、わたしの父のことも心配してくれていたはずだし、それが前向きになるための第一歩かもしれない、と思ったから。


「――もしもし、里歩。ゴメンね、連絡遅くなっちゃって」


『ああ、絢乃! 大丈夫だよ。あたしも今日部活あって、今帰ってきたとこだからさ。気にしなくていいよ』


 里歩は連絡が遅れたことを怒るどころか、むしろわたしを(いたわ)るような声色(こわいろ)でそう言ってくれた。


「……そっか」


『先生から事情は聞いたよ。大変だったね。治療は通院で受けるんだって? 絢乃のお母さんから連絡があったって、終礼の時に先生が言ってた』


「うん、そうなの。……クラスのみんなの反応はどうだった?」


『うーんとね、みんな少しざわついてた。けど、絢乃に同情的っていうか、心配そうだったよ』


「そう……」


 これが男女共学校だったら、面白半分ではやし立てる男子がいたりして収拾(しゅうしゅう)がつかなくなっていただろう。女子校、それも名門お嬢さま学校だから、そこまで大騒ぎにはならかったのだと思う。


『絢乃も大変だろうけどさ、ひとりで抱え込んじゃダメだよ? これはもう、アンタ一人でどうこうできる問題じゃないんだからね?』


「うん、分かってる。桐島さんにも言われたの。『あと三ヶ月しかないって悲観せずに、あと三ヶ月もあるって前向きに捉えてみて下さい』って。三ヶ月もあれば、できることがまだまだたくさんあるはずだから、ってね。わたしもそのとおりだと思ったの」


 わたしは彼に言われたことを思い出しながら、里歩にその話をした。


『そうだよ、絢乃。あたしもその方がいいと思う。だって、もうすぐ死んじゃうなら、この世に未練遺してほしくないもんね』


「うん、そうだよね」


 わたしは頷いた。三ヶ月というのは、短いようで案外長いのだ。実際、わたしたち親子は父が亡くなるまで、中身の濃い約三ヶ月間を過ごすことができた。


『っていうか、〝桐島さん〟って確か、今朝アンタが言ってた人だよね? いいこと言うじゃん♪』


「う……うん。――あのね、里歩。わたし、……好きになっちゃったみたいなの。彼のこと」


 里歩から彼の名前が出たので、わたしはおずおずと彼女に打ち明けた。まだ自覚したばかりの、自分の中にある恋心を。――でも、初めてのことだったので、いざ言葉にして言ってみるとかなり恥ずかしかった。


『あらあら。やっぱりなぁ、そうなると思ったんだよねぇ。そりゃあ惚れちゃうよ、心が弱ってる時に優しくされたらさぁ』


「…………うん」


 里歩の口ぶりは決してからかっている感じではなく、心から納得しているようだった。


「でも、不謹慎だよね。父親が重病だっていうのに、恋なんかで浮かれてたら」


『いいんじゃないの? むしろこういう時だからこそ、心の支えになってくれる人はいた方がいいって』


「……そう?」


 わたしが気にしていたことを、里歩は力強く(いっ)(しゅう)してくれた。彼女と話していると、どんな悩みもちっぽけなもののように思えてくるし、前向きな気持ちになれるから心強い。


『そうだよ。すごくいい人そうだよね、桐島さんって。絢乃が好きになったのも分かる気がする。あたしも一度会ってみたいなぁ』


「うん、すごくステキな人よ。機会があったら、里歩にも紹介するね」


 わたしが初めて好きになった人を、里歩もいいと思ってくれるかな……。わたしはこの時、ドキドキしていた。


『――絢乃、明日も学校来るよね?』


「うん、行くよ」


 わたしは即答した。父が入院することになっていたら、休んで付き添うつもりでいたけれど。通院で治療を受けるなら、わたしは学校へ行っても大丈夫だろうなと思った。


『よかった! じゃあまた明日、学校でね。あたし、明日は朝練あるから』


「うん、分かった」と言って、わたしは電話を切った。


 里歩と話したことで、わたしの気持ちはまた少し前向きになれた気がした。

 もうすぐ夕食の時間だ。父と一緒に食べる約束をしていたのだ。――そう思うと、いつまでも制服のままでいるのはおかしいと思った。


「――さて、着替えよう」


 わたしはウォークインクローゼットに入ると、カジュアルなカットソーとデニム地のフレアースカートに着替えて一階へ下りたのだった。



   * * * *



 ――治療を始めた父は、毎日とてもつらそうだった。

 病気で体力が落ちていたのにムリをおして出社していたので、かなり疲れていたはず。

 そのうえ、抗ガン剤の副作用によって食欲も落ち、(おう)()している姿を家でもよく見かけていた。

 そんなにつらそうなのに、懸命(けんめい)に生きようとしていた父の姿は見ていてとても痛々しくて、胸が痛んだ。


「――パパ、大丈夫?」


 ある夜のこと、吐き気を催して両親の部屋のトイレに突っ伏していた父の背中をさすりながら、わたしは父に声をかけた。


「……ああ、ありがとう。お父さんは大丈夫だよ」


 ようやく落ち着いた父は、痩せガマンで笑顔を作ってそう言った。


「すまないな、絢乃。お父さん、汚いよな? カッコ悪いよな……」


「そんなことない! そんなことないよ!」


 (あざけ)る父を、わたしは力いっぱい否定した。病と(たたか)う父の姿を、一体誰がカッコ悪いと思うのだろう?


「パパ、強がる必要なんてないよ。つらいなら『つらい』って言っていいの。――できることなら、わたしが代わってあげたい……」


 この言葉も、これで何度目だっただろう。その度に、父は泣きそうになっていたわたしの頭を、あやすように優しくポンポン叩いてくれた。幼い頃のわたしにそうしてくれていたように。


「パパ……、わたしはもう小さな子供じゃないってば」


 この夜も、わたしは(ふく)れっ(つら)で抗議したつもりだったけれど、泣きそうだったので少し湿っぽい声になってしまった。


「何を言ってるんだ。絢乃はいつまでも、お父さんの可愛い子供だよ」


「……うん、そうだね」


「だからお父さんは、お前の優しい気持ちだけで十分嬉しいんだよ。ありがとう」


 死を間近に控えた父の言葉には、どれも重みがあった。

 わたしがこの(ひと)の娘でいられる時間も、あとわずかなんだ――。そう思うと、しんみりしてしまうのもムリはなかった。


「――ところで絢乃。今、好きな男はいるのか?」


「……えっ? どうしたの、急に」


 その夜まで、父と恋愛について話したことはなかったので、わたしは面食らった。


「いや、お前ももう十八になるだろう? 年頃だし、一人くらいはそういう相手がいるのかどうか気になってな」


「何言ってるの、パパ。わたしの誕生日は半年も先――」


 父をベッドへ寝かせながら言いかけたわたしは、気づいてしまった。

 わたしの誕生日は四月三日。――その頃にはもう、父はこの世にいないのだということに。


「……ゴメンね、パパ。好きな人はいるよ。つい最近気づいたんだけど。――わたしね、この歳で初めて恋をしてるの」


 わたしはその場で、彼のことを思い浮かべた。父には分かっていたのだろうか? わたしがその時、誰の顔を思い浮かべていたのかを。


「そうかそうか。絢乃ももう、そんな歳になったんだなぁ……。絢乃、うんと幸せになれ。お前のウェディングドレス姿、お父さんも見たかったな」


「……うん」


 ささやかな遺言のような父の呟きに、わたしは(こら)えきれなくなって鼻をすすった。



   * * * *



 彼とは父の闘病期間中から、よく連絡を取り合っていた。電話でもよく話していたし、ショートメッセージのやり取りもしていた。


 彼の方からは、同じ大学の二年先輩だったという小川さんから聞いた、会社での父の様子をわたしに知らせてくれていた。そして、わたし自身に何か困っていることはないかと訊いてくれていた。

 そしてわたしからは、家での父の看病についてのことや、日常での()(さい)な出来事についてメッセージで彼に送ったり、時々落ち込みそうになった時には、彼に電話して励ましの言葉をもらったりしていた。


 ある日の夕方、わたしから彼に電話してみると、彼は何だかすごく(あわ)ただしそうにしていた。


「――どうしたの? 桐島さん、何だかすごく忙しそうだけど」


『ああ、すみません! ちょっと今、引き継ぎでバタバタしていまして』


 よく耳を澄ましてみると、彼の周りからはザワザワと色々な音が聞こえていた。電話の着信ベル、パソコンのものらしき通知音、複数人の話し声――。彼はまだ帰宅しておらず、オフィスに残っていたようだ。


「あ、ゴメンなさい。まだお仕事中?」


『……ええ。まあ』


 彼から返ってきたのは、何とも歯切れの悪い返事だった。

 時刻を確かめたわたしは「あれ?」と首を傾げた。五時半過ぎなら、とっくに定時を過ぎていたはずだけれど……。


 そして、わたしには引っかかったことがもう一つ。


「っていうか、引き継ぎって? 桐島さん、会社辞めちゃうの?」


 社会人の経験がなかったわたしには、〝引き継ぎ=会社を辞める〟という発想しかなかったので、これにはすごく驚いたけれど。


『……えっ? いえ、辞めませんよ。ただ、近々部署を異動することにしたので、そのための業務の引き継ぎです』


「ああ、異動ね。……よかった」


 社内で部署を変わるだけだと分かって、ホッとした。彼が篠沢(ウチ)で働くことに誇りを持っているのを知っていたわたしには、彼の退職なんて考えられなかったのだ。

 それに……、これはあくまで()()()()だけれど、彼には辞めてほしくないという気持ちもあった。


「でも、異動ってどこの部署に? 総務課で何か困ってることでもあるの?」


 急に「異動したい」と言い出した彼。この時点でわたしも気づくべきだった。――()()がパワハラに苦しんでいた、彼からのサインなのだということに。


『そういうわけでは……ないんですが。僕も腹を括ったといいますか。転属先についてはまだ、絢乃さんにはお教えできませんが』


「…………えっ? わたしには教えられないって、どういうこと?」


『それは……ですね、今はノーコメントでお願いできますか?』


「ええ~~~~……?」


 彼の言葉は謎だらけで、わたしはその時ただ首を(ひね)るばかり。――その謎が解けたのは父が亡くなった後だった。


 ――今だから言えることだけれど、わたしと彼はこの頃、まだお付き合いどころかお互いの気持ちも知らなかった。それなのに、まるで本物のカップルみたいなやり取りができていたのは彼のおかげだったかもしれない。

 こうして男性とプライベートで交流を持ったのは、彼とが初めてだったのだけれど。彼とならわたしは、恋愛にこなれた女性みたく打ち解けることができていた。それはきっと、彼がわたしに余計な気を遣わせないようにと気を()んで、大人の対応をしてくれていたから。――そうでしょう、貢?

 だから、わたしと彼との距離が縮まるのには、それほど時間を要しなかった。



   * * * *



 ――父が闘病を初めてから二ヶ月ほどが過ぎ、篠沢家にもクリスマスイブが近づいていた。


 その前年までは、わたしはイブには毎年、里歩と二人でお(だい)()までライトアップされたツリーを見に行き、その近くで夕食を()るのが定番になっていたのだけれど。


「――ねえ絢乃。今年のイブはお台場のツリー、どうするよ?」


 この年のクリスマス前には、彼女は「一緒に行こうよ」ではなく「どうする?」と言った。もちろんそれは、父と最後のクリスマスを過ごすことになるだろうわたしに向けた、彼女なりの気遣いだった。


「ゴメン! 今年はムリかも。パパがあんな状態だし……」


 抗ガン剤の副作用でボロボロになっていた父は、もういつどうなってもおかしくない状態だった。そんな父を放っておいて遊びに行けるほど、わたしは(はく)(じょう)な娘ではなかったのだ。


 察しのいい里歩は、わたしが断っても気を悪くした様子はなく。


「……だろうね。今の絢乃ならそう言うと思ってたよ。じゃあさ、今年のイブは絢乃の家でクリパしない? お父さんにも参加してもらってさ」


 とっさの思いつきなのか、前もって考えていたことなのか、彼女はそんな提案をしてくれた。


「クリスマスパーティー……」


 家でのパーティーなら、わたしは外出する必要もないし、闘病中の父も気兼ねなく顔を出せる。――代替(だいたい)案としてはナイスだと、わたしも思った。


「うん、それいいかも! さっそくパパとママの都合()いてみるね!」


 ――というわけで、わたしは放課後の教室から母にメッセージで(たず)ねてみた。

「クリスマスイブに家でパーティーをしないか」と里歩に提案されたのだけど、二人の都合はどうか、と。

 すると、母から来た返信はこうだった。



〈そういうことなら大丈夫! パパも調子がよければ顔を出すそうよ。

 そういうわけで、イブは我が篠沢邸でクリスマスパーティーを決行しましょう!

 ママも楽しみだわ! 里歩ちゃんによろしく。里歩ちゃん、ありがとう!!〉



「――絢乃のお母さん、あたしにまで『ありがとう』って……。めっちゃ嬉しそう」


 里歩は文面を見て、笑っていた。


「じゃあ決まりだね。今年のクリスマスイブは、篠沢家(あやのんち)でホームパーティーだ!」

「うん! 当日はウチのコックさんたちに、うんとご()(そう)作ってもらおうっと。――そうだ! 桐島さんも招待しようかな……」


 これは本当に、その場の思いつきだったのだけれど。ホームパーティーというのは、彼を家に招くいい口実になりそうだなと思いついた。


「ケーキはわたしが作るね。ママにも手伝ってもらって」


 実は、わたしは料理が得意で家庭科の成績もよかった。特にお菓子作りについては、スイーツ好きが高じてプロにも負けないほどの腕前なのだ。


「絢乃の手作りケーキ? わぁ、すっごく楽しみ!」


 里歩もわたしが作ったスイーツのファンの一人で、バレンタインデーには友チョコ交換もしている(ただし、彼女からは市販のチョコレートだけれど)。


「うん! 期待しててね! 腕によりをかけて、美味しいケーキ作るから!」


 この年のクリスマスは、父と過ごす最後のクリスマスだった。だからわたしは、里歩にはもちろん、父と彼にも自作のケーキを食べて喜んでもらいたかったのだ。

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