2-4 小袖の手
「先輩…情報提供のあった廃屋って、この先で間違いないみたいッスね」
廃屋に続く獣道。その脇に生える小枝に絡まっていた女性向けの靴下を発見し、鼻息を荒くしながらも努めて静かに振舞おうとする、私の新しい相棒、ローランド西郡刑事。
「そうみたいね。でも気を抜かないでね。被害者が今も拉致されて居るのかもしれないから」
「…っ!じゃあ尚更急がないと」
「警察が来たのがバレて自暴自棄に出たらどうするの。“冷静に。迅速に”よ」
「…分かりました」
――などと尤もらしい事を言ってはみたものの、犯人が誰も拉致していないことは分かっている。ついでに言えばとっくに死んでいる事も分かっている。
情報提供元とは勿論『カフェ タタリアン』の陰陽師、若葉ちゃんだ。
私は『タタリアン』で茶をしばいたついでに事件の情報を入手したので、
「何処何処の廃屋に怪しい男が出入りしている。女の子の悲鳴らしきものも聞いたらしい」
と適当に情報をでっち上げ、一人で行ったほうが早いのだけれど、とりあえず相棒の新人刑事、ローランド西郡も引き連れて来たのだった。
というか紫苑さんの祟り絡みなら現場は絶対にトンデモナイ事になっているはずなのだ。
そんな所に一人で突っ込みたくは無い。惨状に耐性はあっても好きでは無い。どうせ行かにゃならんのならそこのマッチョも道連れだ。
デカい図体をなるべく小さくして茂みに隠れながら廃屋に近付くローランド。
「窓の隙間から明かりが洩れています。中に居るようですね」
丁寧に気付きを報告してくれている。目標の観察は良く出来ているようだ。
多分、中にあるのは死体だけどね。
だからといって“冷静に。迅速に”なんてカッコつけてしまった手前、私がズカズカと歩いて近付く訳にもいかず、結局隠れるような小芝居をしながら廃屋の入口まで漸く辿り着いた。
「――中で音はしないわね」
そりゃ居たとしてもお陀仏しているから当然だ。
「先輩、僕が先に行きます」
ヤル気のローランド刑事がドアの脇に張り付きながら言う。
「頼んだ」
瞳をキラキラさせながら頷いたローランドが静かに扉を開くと――ドアの隙間から何かがユラユラと揺れながら宙を舞った。
「先輩、これって――」
夜の闇でも翅を煌めかせながら、蝶がいちにい――計7匹ふわふわと飛び出してきた。
「蝶――ですか?なんで家の中から…」
いっぱしの巫力を持った今なら分かる。この蝶達は――祟りの痕だ。
滾る怨みと悲しみを晴らし、凪いだ水面の様に静かな。けれど直感的に触れるのだけは避けたくなる程に強力な祟りだ。
「――気にしてらんない。行くよ」
ローランドの尻を叩き、明かりの洩れる奥の部屋に向かうよう促す。
奥の部屋へと続く廊下には――
犠牲になった女の子達なのだろう。7体のうすぼんやりとした人の姿が見えた。
廊下に立っていたり、天井から逆さにぶら下がっていたりもしているが、その表情は皆一様に穏やかである――幽霊という奴だ。いままでは黒とか白のもや程度にしか見えなかったのだけれど、こうしてはっきり見えてしまうと、現場では来るものがある。
幽霊達は私達が廃屋に侵入してきたのを見ると、ついー、と廊下を移動して玄関から外へと出て行った。
「た…小鳥遊先輩…これって――」
幽霊たちの背中を見送ると、家の奥から先に突入したローランドの震える声が聞こえた。
部屋の入口で固まるローランドの脇からひょこりと中を覗く。
和風の広い室内。部屋の壁には市内外の女子中学生の制服が合計7着提げられている――被害者の人数と一致する。床には彼女たちを虐げるために使用したのであろう道具が乱雑に転がり、それらは飛び散った血液で汚れている。
部屋の中央には巨大なベッドが置いてあり、その中央には――
身体の中身と外側を綺麗に食い尽くされ、骨付き肉のお残し――状態となった死体が大の字で置かれていた。
「先輩、これって――食わ」
あまり聞きたくない状況説明に、私は現場を見続ける西郡刑事を引っ掴んで無理矢理後ろを向かせると、指を立てて静かに否定の意を示した。
「この町で刑事を続けたいならコレだけは守りなさい」
西郡刑事が息を呑む音がする。
「時々こんな人知を越えた事件が起こるわ――時々ね。そんな現場ではハッキリと観察はしない。じゃないと――身体が飯を受け付けなくなるわよ」
うん。我ながらワザとらしいけれど嘘ではない。私も先輩刑事にそう教えられてきたのだから。
「壁に提げられた制服は小夜鳴市周辺にある中学校の制服、人数もぴったり7人…て事は、おそらくこの死体が、女学生連続誘拐事件の犯人って事でしょうね」
「という事は…」
「うん。検分が必要でしょうけど、多分特殊案件って奴ね――連絡回してくれる?」
私の指示に元気良く返事をし、建物の外へと小走りで向かうローランド刑事。
私も早く外に出よう。
血の匂いに惹かれるのか祟りの念に惹かれるのか、兎に角こういった事件の現場では不吉な存在のなりかけ…というか出来損ないのようなモノが寄ってくる。
私はそういった負の存在を撥ね退ける耐性というのがあるらしく『辻神』という不吉の象徴の様な存在や、それを素に作られた式神でさえ私に障る事は叶わないのだという。それにしても蟲の大群のような雑多な“出来損ない”の群れを浄化しながら歩いていては、あたしゃモーゼかと言いたくなってくる。
うん。今度『タタリアン』行ったらお願いしなきゃ。
「ねぇ若葉ちゃん!私に式神って作って貰えないかな?」
「はいっ?!どうしたんですか急に?」
『タタリアン』のドアをくぐるなり私に訴えかけてきたお露さん。そんなにもふもふに飢えているのかと思ったら、理由は意外にも深刻なものでした。
「つい最近さぁ、変なのも見えるようになっちゃってね」
「変なのってのはおよそ分かるんですけど、その変なの“も”ってどういう事ですか?」
「前はさぁ、被害者の霊っぽいもやとか犯人にくっついてるもやが見える程度だったのよ」
お露さんは巫力が微量だったからその程度にしか見えなかったのだろう。だがサンの見立てでは“普通の陰陽師並み”まで増量されたという。であれば…
「…もしかして?」
「そうなの!透けてるからまだいいんだけど、ちゃんと視えるようになっちゃったの!オマケにスライムのなりかけみたいな気持ち悪いのも現場にワラワラ寄ってくるしさぁ!」
お露さんの切なる叫びに、式神のこんぺいさんが反応した。
「そいつぁいい考えかも知れねぇな」
と反応した。
「お露が言うスライムのなりかけってのは“不浄”ってんだ」
――不浄?
私とお露さんで揃って首を傾げる。
「そうか若葉ちゃんも知らねぇか――不浄ってぇのは死体に群がる蝿みてぇなモノだ」
「蝿みたいな…モノ?」
「あぁ。霊にもなれない不出来な存在。死の現場に沸いて負の空気を喰らうしか出来ないウイルスみたいな存在――それが不浄ってんだ」
いつもは適当オジサンみたいなこんぺいさんだが、やはり頼りになる時はあるものだ。でもそんな空気を感じたのか居丈高に解説をしているのがこんぺいさんらしい。
「確かに俺様やサン位の強力な式神が居りゃあ不浄や普通の霊どもは寄って来れねぇな。ましてやお露は祟りの現場に行くわけだからな。不浄どもがウヨウヨしているだろうぜ」
「つまり、私達施工主と現場では見えるものが違うって事なんですね」
「また若葉ちゃんは微妙な喩えだがそんなもんだ。でもお露ちゃんよ、お前さん“耐性持ち”なんだから不浄なんか屁でもないだろ」
大騒ぎする理由を理解していないこんぺいさんが暢気な事を言っている。
「そうじゃないんですよこんぺいさん!んもう、紫苑さんの式神の癖に分かんないんですか?」
やはり式神でも男性だと理解出来ないのかな――そう感じての発言だったんですが、
「紫苑がそんなの気にすると思うか?」
と、バッサリ一刀両断されてしまいました。ですよねー。
「というかそれ以前に近寄れもしねぇよ。何たって小さな頃から俺が護衛してんだからな!」
私の場合はサンが居るから大丈夫なのだけど、お露さんは無防備なのだ。なので、
「お風呂場なんか覗かれるとさ!」
という事があったりするのだ。
「あー!分かります!殴ってやりたいけど出ると見られちゃうし!はよどっか行けっ!て感じですよね!」
「そうそう!あと便器とかっ!」
「あれ最っ悪ですよね!もうっ!水流しても居るってどういう事ですかっての!あ!でも洗剤かけたら逃げましたよ」
「それマジで?後でやってみよ!あと神社とか見かけるとつい寄っちゃうの!」
「あぁー分っかるなぁぁもぉ神様マジ尊いって感じ!」
ちなみにこの時の“女性陰陽師あるある談義”に、相志さんは少し引いていたらしい。女の子二人の盛り上がりによる圧力には耐えられなかったのだろう。
「分かりました!そういう事でしたらご協力致します!」
「マジ?!チョー助かるんだけど!」
「というか…」
そんなプチ女子会が大盛り上がりしているその背後で、陰陽師の四大家、通称“四方院”を束ねる総裁。物部家の頭領である物部勝比呼さんが満面の笑みを浮かべながら立っていた。
「何してんですか物部さん」
夜の河原に一人、少年の姿があった。
他に都合の良い場所を知らなかったのだ。
少年は辺りを見回し、草の疎らな場所を探すとそこにしゃがみ込み、肩に掛けたバッグを地面に置いた。バッグに手を突っ込み、中身をそっと地面に置く。
――女性用の陸上競技ユニフォーム。
取り出したバッグからは幽かに饐えた匂いが漂う。最初に少年の感じた甘く芳しい香りはもはや失われていた。
顰める眉に篭もる思いは惜別なのだろうか――嫌悪なのだろうか。
家から拝借してきたライターオイルをポケットから取り出し、数回運動着に振りかける。
そして火を点けた。
青い炎が現れ、黒い煙が夜空へと立ち昇ってゆく。
――少年は祟りを依頼した後、家に戻るとユニフォームの前で声を殺して泣いていた。
枕に顔を埋め、涙していた。
彼女は死んだ。その事が圧し掛かってきたのだ。
たった十数年程度しか人生を送っていない自分ではどう表現してよいのか分からない、胸を埋め尽くすその感情を、その思いを『祟り』として送り出したつもりだったのに。
これで楽になれると思っていたのに。
こうして家に帰ってくると、まるで胸の中身がくりぬかれたみたいに痛いのだ。
そしてそれは、彼女のユニフォームを見ていると更に痛みを増してくるのだ。
泣けば治るのか。叫べば治るのか。それとも最早治る事叶わないのか。
埋めようにも既に埋める事の叶わない胸の穴――それがとにかく悲しくなって。
だから声を殺して泣いていた。
彼女の残したユニフォームの前で泣いた。
そうして喉が枯れた頃――
何かが少年の髪に。頬に触れた。
掌のような感触が少年の頭をさらりと撫でた。
驚きはしなかった。むしろその温もりが乾いた大地に染み入るように心地良くて、求めていたものが得られたような、穏やかな気持ちで受け入れた。
そうして胸の苦しさも涙も止んだ頃――撫でられる感触が消えた。
待って――
そんな気持ちに突き動かされて顔を上げると。
彼女のユニフォームから。
壁にかけた彼女のユニフォームから。
白くぼんやりと光る白い腕が伸びていて。
一度だけこちらに掌を向けると。
そのまますぅ――と消えていった。
そうして少年はこの河原に来たのだった。彼女の残した思いを彼女に返すために。
自分に残された思いを整理するために。
少年は、ユニフォームがすべて燃え尽きるのを確認するまでその場を離れなかった。
炎の中から手が出てくるような事も、悲鳴の様な声も聞こえなかった。だがそれを期待していた訳では無い。ただ、これを自分の元に置いておく訳には行かない。そう思ったのだ。
そうして最後の火が消えようとした時、少年に残された思いに気が付いて、
「――初恋でした」
ようやく伝える事ができたのだった。
そして少年は立ち上がり、残り火を振り返ることなくその場を後にした。
次なるお話は倩兮女。
国外逃亡の果てに元某自動車メーカーCEOが見る祟りとは? ご期待下さい。