2-3 小袖の手
また一つ増えた。
必死に抵抗する手足。嫌悪と苦痛に歪む顔。蹂躙される悔しさに震える唇。暴力に屈し恐怖に曇る瞳。そして絶望と共に訪れる――おしまい。
全てが初々しく鮮やかだった。
誰も住まなくなって久しい、林の中にある和風の空き家。その一室。広い和室の中に、前の住人が残していったのであろう純和風な空間には不釣り合いな、キングサイズかそれ以上のベッド。部屋の鴨居には近隣の中学、高校の女子制服が八つ並んで提げられている。窓には何重にも張り紙と黒い布が貼られ、中の光が外に洩れないようになっている。
その中で、瀬良福芳はご満悦と言った様子でベッドに腰を下ろし、壁に並んだ“戦利品”を眺めている。
制服のほとんどが汗やそれ以外の体液で汚れ、大きな染みを作っているものもあるが、ボタンが取れかかっている物以外、大きな損傷は見当たらない。汚れてはいるが、それも含めて大事に扱っているという事なのだろう。
瀬良は中学時代、太っていて汗かきと言う理由で『臭い』と虐められ、バイ菌扱いされていた。男子のみならず女子からも避けられ、学年で友達と呼べる人は殆ど居らず、唯一交流のあった生徒からも、瀬良の事を遊び相手ではなく遊び道具として扱われていた。
そんな瀬良だったが年相応に、密かに憧れていた女子がいた。今では名前も顔もとうに忘れてしまったが、八重歯が可愛い子だった、という事だけは覚えている。
――中学2年の秋だった。同級生の男子が瀬良のジャージのズボンをバイ菌と呼び、埃にまみれた自在ほうきでホッケーの様に打ち合って遊んでおり、女子は悲鳴を上げながらその様子を眺めていた。
必死になるから相手は余計に面白がるのだと今では冷静に見詰め直せるが、あの頃はそうも行かない。瀬良はひたすらに「返せ返せ」とパンツ姿で右往左往するばかりだった。
そんな中、箒を扱う男子のコントロールが狂い、瀬良のジャージが憧れていた女子の顔に当たった。
この時瀬良は期待してしまった。その女子が丁寧にジャージを畳み、自分のところへ持って来てくれることを期待してしまったのだ。
だが、その女子は途轍もない悲鳴を上げて瀬良のジャージを床に叩き落し、教室を走って出て行った。
男子の笑い声。そんな男子を怒鳴る女子と、何故か瀬良を罵る女子の声が教室を跳ね回った。
その時から、瀬良はゆっくりと壊れ始めたのだ。
あの頃の――あの子の様な娘が、自分を恐れ悲鳴をあげ、歪み苦しむイメージに強い興奮を覚えるようになっていた。
あの頃を思い出し、あの時の恥辱を償わせたい。自分を汚物扱いする女子に制裁を与えたい。けれど、それにはどうすればいい?
――復讐だ。
女子学生を拉致して蹂躙して屈服させればいいんだ。
瀬良は何度も脳内でシミュレーションを繰り返し続けた。林の中に専用の秘密基地に相応しい空き家も発見した。
そしてとうとう実行に移した日。
気が付いたら女子生徒の呼吸は停まっていた。
驚きはしたが怖くはなかった。瀬良はむしろそれ以上に興奮していた。
あの時の女子の全てを俺が――命さえも支配出来た事に。
自分の魂が醜い芋虫から蝶へと羽化したような気分だった。
瀬良は“女子学生”を屈服させた証を保存することに決めた。
それは――制服だった。
将来の夢や希望をその中に内包した魂の羽衣。
それを着せたままで汚し、脅し、苛み――全てを掌握する。
奪った制服は力の象徴。征服者としての僕を讃える月桂冠となる。
用済みになった死体は路上に投げ捨てた。抜け殻となった肉体に興味は無かったからだ。
前の住人が残していったものであろう、和風の部屋には全く似合わないキングサイズのベッド。何人もの“あの子”を征服してきた舞台。
瀬良はその上にごろりと寝そべった。
ここに居る僕は全能なんだ。僕が王だ。このベッドこそが玉座だ。
妄想に蕩ける目を閉じる。汗と埃の匂いの中で僅かに残る甘い残り香が情欲の種火と化して静かに興奮を掻き立てる。
遠くに微かな音が聞こえる。さわさわとかさかさと。
木々が風に揺れるような音を心地良く思い、瀬良は目を閉じながらその音に耳を傾けていた。
今日はこのまま気持ちよく眠れそうだ――
そう思い微睡に身を委ねようとしたが、どうにも落ち着かない。心地良い筈なのに何故だか苛々してくる。
玉座で女子の匂いに包まれて――夢心地の筈なのに。どうにも不快感が増すばかりなのだ。
葉擦れの音がまるで陰口の様に神経をチクチクと棘立ててくる。
学校で女子たちに陰口を言われていた時の不快感が甦る。
さわさわ
ひそひそ
あの子も俺を見て笑っている。あの子も俺を見て眉を顰める。あの子もあの子もあの子も―
「うるっせぇ!俺が何したってんだよぉ!」
瀬良は飛び起きて怒鳴り声を上げていた。
当たり前だが室内には誰も居ない。真っ暗な室内にLEDランプの灯りが一つだけ。
だが――
さわさわ
ひそひそ
木々の揺れる音かと思っていた音は次第に大きく、明瞭と聞こえる女子のひそひそ話のような音になり、ついには瀬良を包み込んでいた。
がやがや
ざわざわ
声が大きくなってくる。みんなが俺を馬鹿にして居やがる。これじゃあまるで――
あの時の教室と同じじゃあないか。
「煩い煩い煩い!俺を馬鹿にするなぁ!」
耐えられなくなった瀬良の叫び声に応じたのか、室内は水を打ったように静まり返った。
静寂の中、瀬良の荒い息遣いが響く。
「何なんだよ…今のは…」
気味が悪い。この空き家には幽霊が出るのだろうか。
逃げ出そうと襖に手をかけたが、まるで張り付いたかのように動かない。蹴り飛ばしてみたが外れもしないし穴も開かなかった。
「どうなってんだよ畜生…」
額に浮く汗を袖口で拭う瀬良。
――どうしてころしたの
耳元で囁くように女の声がした。
辺りを見回すが部屋の中には勿論瀬良一人である。
――もっとかみをのばしたかったのに
また声が――いや今度は違う声だ。どこかで聞いた様な声だ。
「だまれよ」
――れぎゅらーになりたかったのに
泣き声、懇願してくる声しか聞いていないがこの声は――
「黙れ黙れ!お前らかっ!お前らの所為なのかっ!」
――しょうらいのゆめがあったのに
「お前らは俺が殺したんだよ!誰も俺には勝てねぇんだ!」
――おまえのせいだ
「うるせぇ!俺をこんなにしたのはお前らだ!あの頃のお前らが俺をこうしたんだ!」
――うらめしい
「だったらどうするってんだ!手出しできるもんならしてみやがれぇぇ!」
声が途切れた。今だ。逃げ出すなら今しかない。けれど襖は開かないし窓も開かない。逃げられない。逃げ場が無い。どうすればいい。どうすれば――
「畜生!俺をここから出せ!命令だ!殺されたくなかったらここから」
――祟ってやる。
耳元で。明瞭と聞こえた。あの子の声が――
そして。
締め切った部屋の中で、壁に掛けた7着のセーラー服がふわりと揺れた後。
誰も着ていない服の袖から
すぅ
と腕が伸びてきた。
白く細い、うすぼんやりと光る輪郭のハッキリしない腕が。音も無く、風に吹かれ流れてくるかのように頼りなくするりするりと伸びてきた。
「何だよ…何なんだよっ!」
白くぼやけた細い腕が何本も瀬良の方へ音も無く迫ってくる。
皆一様に手を広げ、指を鉤のようにして掴みかからんと迫ってくる。
「ち、近寄るんじゃねぇ!殺すぞ!もう一遍殺すぞ!」
瀬良は威嚇するように声を上げ、迫り来る手を叩きつけた。すると腕は風船を叩き付けたかのようにふにゃりとへし折れて僅かに後退した。
――これなら。
「おらどうした!俺を捕まえるんじゃないのかぁ!?」
瀬良は迫り来る腕たちを叩き落し続けた。そして『これならいけるかもしれない』と思ったその時、足首を生暖かく柔らかい感触が包んだ。
思わず足元に目を向けると、白く細い腕の一本が瀬良の足首を掴んでいた。
人の腕――指とは思えないぶよぶよとした感触にぞわりと怖気が走る。その所為で――遅れてしまった。
振り解こうとする前に強烈な力で足首が締め上げられた。
「な――っ?!あああああっ!」
激痛に立っていられず床に倒れ込む。それでも掴まれた足首から手を引き剥がそうと白い腕に手をかけるが、万力の様に足首を締め上げる指先はびくともせず、白く細い腕を引っ張ろうとしてもまるで空気の足りない風船のようにふにゃふにゃと掴みどころが無い。
そうしているうちに、反対の足首、両腕、とぶよぶよした感触が巻きついたと思った瞬間、強烈に締め上げられた。
手足を掴まれて吊り上げられる瀬良。両手足に伝わる激痛の所為なのか、それでも逃げ出そうとしているのか、声にならない叫び声を上げながら身を捩っていたが、残った腕の一本が腰に巻き付き、もう一本が頭をがしりと掴みあげると、とうとう身じろぎひとつ出来なくなってしまった。
「お…おねがいします。ゆるしてください…俺はただあの頃の恨みを…」
激痛に耐えながらもどうにか言葉を搾り出す。そんな瀬良の眼前に、残る白い腕8本がすうぅ、と集まってきた。だらりと手を下げ、時々指先をピクリと震わせながら、瀬良の鼻先に
漂っている。
「悪かった!俺が悪かった!謝ります!だから殺さないで!ちゃんと自首しますから!」
全身を拘束され吊り上げられながら必死に目の前の“手”に謝る瀬良。
その時。
目の前でだらりと手を下げる腕が拳を握り、ブルブルと震えだした。
そして、白かった腕の表面がゆっくりと、茶色く硬い殻へと変化しはじめた。それを見た瀬良は。
まるで蛹みたいだと思った。
そして茶色い殻がパラパラと剥げ落ち――羽化を迎え。
「えっ――」
白く細くしなやかだった腕は、白い色はそのままに
醜く節くれ立つ虫の様な体躯、飛び出る顎を持つ頭部には5本の触手がうねる怪物と化していた。
「――――っ!?」
叫び声を上げようと開いた口に、その中の一本が飛び込んだ。先端の触手を螺旋状に捻り、回転を加えながら強引に捩じ込んできた。
歯は砕け舌も裂けた。だが節くれ立つ体幹に塞がれた口からは一滴の血も吹き出さなかった。口腔内に突っ込んだ触手の口が瀬良の血液を、歯を喰らっていたのだ。
叫び声すら上げられぬようになった瀬良の目前で、残りの触手がカチカチと顎を鳴らしながら近付き、ゆっくりと瀬良の身体に貼りついた。