2-2 小袖の手
「あ!そうそう聞いて聞いて若葉ちゃん!」
閉店間際の『タタリアン』で、ショコラクラシックを豪快にフォークで持ち上げながら嬉しそうに話すのは、甘党で大食らいのくせして微塵も太る気配の無い、しかも美人でスタイルも抜群と言うチート級ボディの持ち主、お露さんこと小鳥遊露草刑事です。今日も閉店間際の『タタリアン』を訪れ、売れ残りのケーキを“お得意様価格”で平らげています。
ちなみにこれで7個目のケーキです。今日はいつもより食べ方に遠慮が無いように見えますが、吹っ切れたのでしょうか。
「ようやく体重が増えました?それとも糖分女王にでもなるつもりですか?」
私の返しに、厨房で片付けを始めていた相志さんが笑っているのが聞こえました。自分で言っておいて糖分女王って何だろうと自問自答していると、
「若葉ちゃん…女の子ってのはその6割が甘いもので出来ているのよ」
と、謎の自説を展開するお露さん。
「…あとの4割は?」
「打算と愛嬌!」
「お露さんにその2つがあるって初めて知りました。でも食べ過ぎには注意してくださいね?そのうち『この門をくぐる者、一切の糖分を捨てよ』って書かれた門が見えてきますよ?」
「紫苑さんのケーキが美味し過ぎるのが罪なのよねぇ。心配してくれるのは嬉しいけど、健診の結果は至って健康体でしたからあぁぁぁ…残念!」
サンとクロを膝の上に乗せ愛でながら、ホクホク顔で私との掛け合いを楽しむお露さん。けれど私はこの明らかに古いネタにどう返すべきか困っていると、「じゃなくてぇ!」とお露さんのセルフツッコミが飛んできました。
「なぁんとぉ…ここの支払いが経費で落ちるようになったのでーす!」
とうとうおかしな事を言い出したお露さん。しかし幻覚妄想に浸っているのではない様です。しかしカフェでケーキを貪ってそれがお仕事になると言うのなら税金泥棒許すまじです。
「…経費って、どういう名目なんですか?」
「捜査費だってさ。経理部長から言われたの。よく通っているようだからって。もしかして若葉ちゃん、アタシの為に警察に圧力かけてくれた?」
売り上げが保障されるのは嬉しいけれどそれはないです、と首を振った所で、私はピンときました。
「…それきっと物部さんの仕業じゃないですかね?相志さん」
厨房に居る相志さんに同意を求めて顔を向けると、
「…まず間違いないですね」
相志さんも奥から顔を出し、口を“へ”の字に曲げながら頷いている。
「ん?誰その…物部さん?って。美人に優しい足長おじさん的な?」
知らぬは本人ばかりなり、といった体でお露さんがきょとんとした顔を向けています。
「表の世界を牛耳る、歴史と伝統とお金のある陰陽師の家で、強力な巫力を持つお嫁さんを募集中の腹黒三十代頭首です」
隠しもせず正直にそう教えると、
「マジですか伊瀬谷祐介似とか もう最高なんだけど。是非ともセッティングお願いしたいんですけど。巫力はカスだけど強力なパイ力を持つお嫁さんはいかがでしょうかね?」
とノリ気のお露さん。
「ギリギリっぽい攻めた発言ありがとうございます。というかパイ力ってその胸にぶら下げてる破壊兵器の事ですか?」
二つの強力な破壊兵器は今日も元気にお露さんの胸でマンガの様にばいんばいんしています。ホント下着とか何処で買ってるんだろう。
「確かに破壊力は抜群よね。ビジュアル的にも物理的にも。今なら多分ミサイルとか出せると思う」
「すいませんちょっと分かんないです私」
「ヒドいなぁネタ振って逃げるなんて。変な事に詳しいのは若葉ちゃんの十八番でしょ?」
然もあらんといった様子のお露さん。二人で顔を見合わせて笑いあう。その後で私は天井で目立たないようにしている、蜘蛛の姿をした物部さんの式神、凌王に目を向けました。けれどその凌王も、なんとも対応に困ったように前足で頭を掻いています。
きっと私達に関係している人だからと気を利かせてくれた程度なのだろうけど…というか物部さんは巨乳派なのだろうか?女子高生の紫苑さんを口説いていた話からするにロリコンだと思ったのだけれど。あ、でも私にも声掛けてたし、節操無いだけか。
そんな事を考えていると、相志さんが心配そうな顔で店の奥からティーポットとカップを2つ持ってきた。そして私もお露さんの隣に座るよう促し、「小鳥遊さんも気をつけて下さいね」と言いながらお露さんの座るテーブルの空いた席にティーカップを2つ置き、紅茶を注ぎ始めた。店もひと段落したと判断してのみんなでひと息、というところだろう。
「この程度の軽いモノから恩を売り始め、最後には雁字搦めに……あの男がやりそうな手口です」
百鬼夜行事件以降は関係も改善されたと思っていたのだけれど、相変わらず相志さんは物部さんの事を嫌いなようです。
相志さんがお露さんの向かいに腰を下ろしたので私はお露さんの隣の椅子に腰をかける事になりました。
「緊縛放置プレイかぁ…でもそんな金持ちなら許しちゃうかな」
「いやプレイ内容じゃないと思います。というか、わざわざエロを捩じ込もうとしないで下さい。前作ではそれで酷い目に遭ってるんですから」
「…若葉ちゃんが?」
「いや作者さんが」
「というかさ、アタシみたいなゴミ巫力じゃ鼻にもかけないかな?」
お露さんがそう言うと、その膝の上からヒョコリとテーブルに顔を出して、ケロリとした顔であっさりとサンが答えた。
「でも小鳥遊さんの巫力は以前よりも大幅に上がっていますよ」
「へっ?」
急にビックリ発言をかますサン。それに驚くお露さん。というか勿論私も気が付きませんでしたけど。
「見た感じで分かりますよ。ちなみに相志さんもご一緒で、多分お二人とも一般的な陰陽師の少し上程度までには巫力が上がっていると思います」
更なるビックリ発言をケロリとした顔で繰り返すサン。というかその“一般的な陰陽師”レベルという判断基準てお母さんも知らないんですけど。
「『宝船』の一件以降から増えていますので、多分『宝船』から何かしらの恩恵を授かったのかと思いますが」
お構いなしにサンが続ける。おめでたい神サマに会えたご利益というところかしら。
「潜在能力を引き出されたクリリンみたいな?」
「それって巨乳爆散しろって事?」
私の例えにすかさずお露さんが続ける。この人も意外に詳しい…
「いやそこまで言ってません。でも多分『汚ぇ花火だ』って喜ぶとは思います」
「あ!でもでも巫力が上がったって事は、アタシもサンちゃんみたいな可愛い式神が自分で作れるって事!?」
喜ぶお露さんでしたが…
「それは難しいと思いますよ、小鳥遊さん」
これには何食わぬ顔で相志さんが応じた。そして「いい機会なので説明しておきましょう」と言い、お露さんの前にショートケーキを一つ差し出した。けどケーキの上には苺が乗っていない。
「このショートケーキ一つを、若葉さんの総巫力とします」
「うん、いつもと変わらず美味しそうだね」
「これだけの巫力があれば――」
そう言いながら上に苺をひとつ乗せる相志さん。
「サンを自由に扱うことも出来ます。けれど、並の陰陽師では――」
そう言ってショートケーキの先っちょをほんの少しだけフォークで削り取る相志さん。1センチにも満たない切れ端を皿に乗せ、更にその上へ苺を乗せた。「――扱う事すら出来ず潰れてしまいます」
苺も乗せられず潰れるケーキの切れ端。それを見てはあぁぁと溜息を吐くお露さん。
「ウソ…アタシの巫力、低すぎ?」
「私達が低すぎなのではありません。それだけ紫苑様や若葉さんが“特別”なのです」
そう言われてもピンと来ないのだけれど、『百鬼夜行』や『宝船』の件を考えれば納得もできてしまう。
「こんぺいやサン、クロの素となっている『辻神』や『歳神』ですが、お二人だからこそ気軽に呼び出せるのであって、並の陰陽師では到底呼び出せない強力な代物なのですよ」
そんな相志さんの言葉にクロちゃんが飛びついた。サンの隣にぽこりと顔を出す。
「という事はクロも“とくべつ”なのかにゃ?」
それを聞いて、テーブルに飛び乗り両手を上げて喜ぶクロちゃん。
「そうですね…多分、そうだと思いますよ」
「すごいのにゃー!なら仮面にゃいだーにヘンシンできるかもなのにゃ!」
そういえばクロちゃんは最近“スーパーヒーロータイム”に夢中なのだそうな。OP曲に合わせて手やお尻をフリフリしてダンスしている、と相志さんが言っていた。
「それは…ちょっと…」
相志さんは苦笑していたが、私は変身したクロちゃんを想像して笑っていた。でも“変身セット”を作るとなったら相志さん頼みになるのだろうな…
「あ!それでさ、若葉ちゃんにちょっとお願いが…」
お露さんが何か言いかけたところで来客を告げるドアベルがからりんと鳴った。
「あ…いらっしゃいませ!」
と言ってから気が付いた。よく考えればまだ『準備中』の札を下げていなかった。席を立って応じる私。何食わぬ顔でクロちゃんを抱えて店の奥に引っ込む相志さん。
中学生くらいだろうか。幼げな印象の男子学生が肩で息をしながら店内を見回している。その手には紫色の――アネモネを握り締めていた。
「あ…っと、えと…大丈夫ですか?」
オドオドしながらも必死な様子で私に声をかけてくる。
「大丈夫ですよ。お好きな席へどうぞ」
私は少しだけ微笑んで対応し、男子学生をテーブルへ促した。
奥のテーブルに着いた男子学生は俯いて目だけをキョロキョロさせながら、テーブルの端にアネモネをそっと置いていた――祟りの依頼だ。
「じゃあ僕が確認してきます」
式神であるサンは巫力を持たない人の眼には映らない。サンはお露さんの膝の上からテーブルの上へと登り、そこから男子学生のテーブルにぴょんと飛び移り、三つ目を輝かせると『怨みの記憶』を確認し始めた。その様子に私が店の奥に戻ると、いつのまにかお露さんも一緒に来ていた。
「怨み、見るんでしょ?なぁんか事件の匂いするのよね…」
仕事モードの真面目な顔で、厨房の椅子に座る私の顔を覗き込む小鳥遊刑事。鼻が利くとはこの事だろう。
「わかりました。じゃあ…確認に移ります…」
私の視界に重なるように『怨みの記憶』の映像が流れ込んでくる。
私は目を閉じて、瞼の奥で再生される映像に意識を向けた。
「これって――女の子が目の前で車に拉致されたようですね」
私は目を閉じて、見える記憶の光景を小鳥遊刑事に告げている。
「女の子…今1課で追っている女子学生の連続殺人事件かな。被害者はいずれも若い女子学生。酷い暴行を受けた後に遺体を投げ捨てられているわ」
小鳥遊刑事の声がする。やはり今起きている事件絡みの怨みか。そのまま記憶を確認していると、私の眼には男子学生の自家発電の様子が見えてきた。
「ん?この子…被害者の遺留品を持っているみたいです。部活の…ユニフォームかな?」
「…どゆ事?」
「拉致される直前の被害者を尾けて歩いていたんです。車に連れ込まれる際に落としたカバンをこの子が自宅に持ち帰っています」
「…何、ストーカーしてたってわけ?」
「そう言うのとは…ちょっと違うみたいですけど…」
その後は苦悶と懊悩の様子が続いている――私がゆっくり目を開けると、紫苑さんの式神、こんぺいさんが小鳥遊刑事の横にぷかぷかと浮いていました。相志さんは、依頼人が異世界『隠れ里』へ入れるようになる薬、『夕鈴見の粉』を溶かした紅茶を男子学生に出し終えて戻ってきたところのようでした。さすが仕事が早い。ふぅ、とひと息吐くとこんぺいさんが話しかけてきました。
「ご苦労さん、俺も見せて貰ったぜ。今度は俺がひとっ走り行ってそのユニフォーム覗いてくらぁ。被害者本人の怨みじゃねぇから、裏付けも必要だしな。それに犯人の事が詳しく分かりゃお露も後処理がし易かろうよ。じゃあ相志、姐さんの方は頼んだぜ」
私と相志さんの様子を見てこんぺいさんはそう言うと、裏口の猫用通路から外へと泳ぎ出て行ってしまった。
「では私は紫苑様の着付けに向かいますので――若葉さん、あとはお願いします」
相志さんもそう言って2階へと登っていった。
店内に目を戻すと――喉がカラカラだったのだろう。男子学生は既に紅茶も水も飲み終えて所在無げに辺りを見回していた。
「サン、向こうであの子の案内、お願いね」
私が声をかけると、サンは元気に返事をして猫用出口から外へ飛び出していった。
さて、次は私の仕事だ。男子学生をキョロキョロさせたまま少し待たせたところで、
「失礼します、お店の外でお客様をお待ちの方がいらしてるようですが?」
と声をかけて会計を済ませ、男子学生を『夕闇の境』へと送り出す。向こうではサンが待機しており、依頼人を『祟り庵』へ誘導してくれる手筈になっている。
さて…私も準備を、と思っていると、猛スピードでこんぺいさんが飛んで戻ってきました。あんなに早く飛んでも体型は変わらないんだ…。
「オカズの検分、済んだぜ。やっぱり本人が直前まで持っていた品だ。絵は鮮明じゃネェが、バッチリ見えたぜ。犯人はわざわざ服を着せたまま乱暴した後で殺害、その後で制服を剥いて、トロフィー代わりに部屋に飾っていやがる。とんでもねぇ屑野郎だぜ。名前は――」
汚らしいモノを見たかのように顔を顰めながら話すこんぺい。お露さんはその名前を聞き、
「容疑者候補にも挙がって居ないわ…確かに、遺体は乱暴された後で衣服を脱がされた形跡があった…間違いないわね…じゃあ『祟り』が済み次第、警察で処理させて貰うわ」
刑事の顔でそう言うと、途端に素の顔へ戻り、
「あ、後で領収書お願いね」
と言い残して『タタリアン』を去っていった。やっぱり物部さんのゴチになるんだ。
私も着替えて『祟り庵』へ向かおう。2階に上がろうと振り返ると、カッコいい声でこんぺいさんが話しかけてきた。
「若葉ちゃん、たまには俺も着替え――手伝ってやろうか?」
「間に合ってます」
笑顔で返す私。するとこんぺいさんは、
「そいつぁ残念」
そう言ってクスリと笑い、2階へと向かうこんぺいさん。まったく…そんな声でセクハラ発言だなんて、本当に中の人の無駄遣いだと思う。
純和風な造りの2階。障子の並ぶ廊下の中で異彩を放つ、黒塗りの障子が一枚。これを開けると、その向こうは蝋燭の灯りが揺れる、暗く広い部屋。
『夕闇の境』にある『祟り庵』の中だ。
障子を開けてすぐの所に相志さんが正座している。
そしてその奥に、薄紫色の狩衣を纏う紫苑さんが、蝋燭の灯りに照らされて妖しげな美しさを湛えている。
「話したことも無い相手を想っての祟りですか」
私が相志さんの横に座ると紫苑さんの声が聞こえてきた。
「手に負えず戸惑うほどに激しく、けれど初々しい――」
そして――溜息なのか微かに微笑ったのか判りかねる吐息が僅かに聞こえた。ここから紫苑さんの顔は見えないけれど、その吐息にはどことなく憧憬のようなものが感じられた。
裏の世界を牛耳ってきた陰陽師の大家。畏怖を以って周囲から扱われ続けたというその生き方には、“青春”と呼べるものは存在したのだろうか――
思いを馳せる間も無く、『祟り庵』の障子がぞろぞろと湿った音を立てて開いた音が聞こえる。そこは木造の暗い八畳間程の部屋。中に入ると天井がとても高く、三階辺りの位置に障子がある。そこに灯が灯り、座っている紫苑さんの影が見えるのだ。“雰囲気を売るのも商売のうち”なのだろう。
「お客様をお連れ致しました」
先頭はサン。続いて男子学生が『祟り庵』へ入ってくる。男子学生はおどおどと、辺りを見回しながら不安げな表情だ。そこへ紫苑さんが声をかける。
「憧れだけの存在――けれど狂おしい程に熱く、初々しい思いのままに激しく憤る魂の持ち主よ」
依頼人である学生のドキリとする様子が伺える。普段はこの工程が効果的に作用するのだけれど、彼の場合は余計な事も知られてしまったのだろうかと、恥ずかしそうにしていた。
「我々、闇の陰陽師が、貴方のその怨み――祟りと成しましょう」
それこそ紫苑さんの様な美しい声の女性に知られたとなれば――妙な癖にならなければいいのだけれど。
そこへトントンとズボンの裾を叩く感触――見下ろすと黒猫のぬいぐるみが人の形に切り抜かれた紙を持って立っている。
ぬいぐるみは、まるで生きているかのように顔を上げて依頼人を見ると、人の形に切り抜かれた紙、『祟り』を産む素材である『形代』を掲げて言うのだ。
「おててを出すのにゃ」
「猫?…えっ?ぬいぐるみ?」
「これでも百年生きた付喪神にゃ」
うん。百年前に君は売ってないからね。ウソつかないの、クロちゃん。
「三つ目の狐に動くぬいぐるみ――本当に本物…」
そして指先に噛み付き、形代に血を採取するとペコリと頭を下げるクロちゃん。
そして、紫苑さんの声が聞こえる。
「貴方の身体に流れるその怨み――ここに頂きました。この形代が貴方の血と怨みを受け継ぎ、祟りとなるのです」
依頼人の学生は、クロに齧られてほんの少し血が浮かぶ指先をじっと見つめている。
「それでは――この祟り、存分に味わって頂くとしましょう」
そしてクロちゃんが出口へと案内しようとしたその時。
「あ、あの…全部ご存知かとは思うんですけど――」
依頼主の男子学生が、意を決したように話し出しました。
「僕は――見ているだけしか出来ませんでした」
立ち尽くしたままで、俯いて。
「それでもあの人に憧れて――だけど何も出来なくて…それでもいいと思っていたら目の前で攫われて…」
脚を、肩を震わせて。
「それで――こんな事って…」
泣きながら。しゃくりあげながら。
「初めて…だった…です、こんなき…気持ち…」
途切れ途切れに。
「…ごめんなさい」
そう言うと頭を下げ、足早に『祟り庵』を後にした。
結果的に見捨てる形になった事。助けられなかった事。
私物を持ち帰り、初めての快楽に溺れ汚してしまった事。
どうしようも出来なかった事たちに対する――良心の呵責。
自分にどうにか出来たのではないか。自分がしっかりしていれば助けられたのではないだろうか。自責の念が苛んでいるのだろう。
けれどそれは思い上がりだ。13、4歳の学生1人が犯罪者を打ち負かし学園の美人を助け出す。なんてのは既に使い古された妄想でしかない。けれどそれは、大人になりつつある青年に割り切れるものではないだろう。だからこそ――
救われたかったのだと思う。赦されたかったのだと思う。
けれど、私達はその立場に無く、その必要も無い。
ただ―― 怨みを導くだけ。
依頼人は早々に『祟り庵』を辞し、私達だけとなった『祟り庵』で、穏やかに紫苑さんが呟いた。
「それではこの祟り――存分に味わって頂くとしましょう」
そう言ってゆっくりと立ち上がり、静かに言った。
「行きましょう。鬼哭の辻へ」
『祟り庵』を出た先には、見慣れた黒い板塀の路地が続いている。向こうの空にはまるで焔の燃える様な赤い雲。振り返れば雨でも振り出しそうな紫色の雲――永遠の黄昏。
そんな路地をただ歩いていると、景色はいつの間にか名も知らぬ草の生い茂る荒れ地の道へと変わっている。
――けれどここにあった地蔵は二体だったろうか。首が欠けていたのは覚えている。
元々は一体だった気もするし、もっと並んでいたような気もしてくるのだけど、深く考えてはいけないのだけは分かる。
そうして辿り着く荒れ野の辻が――『鬼哭の辻』だ。
「紫苑様、今日は何をお使いに?」
パティシエ姿の相志さんが紫苑さんにお伺いを立てる。
「えぇ――『今昔百鬼拾遺 中之巻 霧』を」
すると紫苑さんの言葉を受け、相志さんが辻の中央に一冊の本を置く。片方を糸で綴じた、和綴じの古書『今昔百鬼拾遺』の中の一冊だ。
道の上に置かれた『今昔百鬼拾遺』を中心に、輪を描くように蝋燭を並べる相志さん。本の上に、依頼者の血が付いた形代を静かに乗せ、その場を離れてゆく。
入れ替わるようにこんぺいさんがすぅ、と輪に近付き、その口から細い炎をつうぅ、と吐いて蝋燭に火を灯す。
相志さんから手渡された法具、白く小さい骨が何個もぶら下がっている『骨鈴』を左手に持ち、蝋燭の輪に紫苑さんが近付いてゆく。
骨鈴をカラカラと鳴らしながら、刀印を結び、呪文を唱え出した。
「双盃の左 塵玉の右 天を地と成す 逆撫の社」
唱えながら、左足の草履をたんたんと踏み鳴らす紫苑さん。
右手を胸の前で握り、人差し指と中指を立て、印を結ぶ。
「黄幡の御座は地に伏して 歳破の兵主は我が前に集う」
呪文に応じ、左右が逆に並ぶ黒い足首『辻神』達が現れる。主人の命令を待つが如く、蝋燭の前で待機している。
逢魔が時より出るモノ
誰そ彼に横たわる形無き理の貌よ来たれ
絵姿に寄りてここに現れよ
怨みを糧に踊り出で怪異きを為せ
『今昔百鬼拾遺 中之巻 霧』の頁がパラパラとめくれ、中程でピタリと止まった。
そこには――
燭台に香炉。分厚い経文に鈴。葬儀だろうか。
それらが置かれている台には、煌びやかな着物――小袖がかけられている。
持ち主を慰めるものか、着物を慰めるものか。
果たしてどちらなのかまでは分からないが、台にかけられた着物からは――
袖から細い手がつぅと伸びては、おぼろげな指が宙を掻いている。
袖を通せなかった持ち主の思いなのか。
袖を通されずに主を失った小袖の思いなのか。
どちらにせよ、無念が伸ばした手なのではあろう。
そんな絵が描かれている。
紫苑さんは狩衣の胸元に右手を差し込んだ。抜き出された指の間には依頼人の血を受けた形代があった
「怪威招来――小袖の手!」
その言葉と共に、紫苑さんは円の中に形代を飛ばし入れた。
すると、呼応するように黒い足首、『辻神』達も囲いの中へ我先にと足を踏み入れてゆく。
途端、辻神達が血の付いた形代へと渦を巻いて吸い込まれていった。そして全ての辻神が吸い込まれた途端、円を作るように置いていた蝋燭の火が火柱となって吹き上がった。そしてそれは渦を巻き、巨大な焔の竜巻と化した。
炎熱と轟音が掻き消え、煙と土埃が残された『鬼哭の辻』に何かがいる。
荒れ果てた道の左右に女子の制服が立ち並んでいた。
スカートの下からパイプが覗いている。衣装立てに架けられているのだろう。
小夜鳴市内の中学、高校に留まらず、おそらく他県の制服も混ざっている。
勿論、人が着ている訳ではない、マネキンが着ている訳でもない。
それなのに――
それぞれの制服から腕がぬぅと覗きだしているのは何故だろう。
袖口からするすると伸びる不気味な白さの腕は。
甲虫の幼虫にも似て、無数に節くれ立っているその細い腕は――
そんなぶよぶよと細く白い無数の腕が、盲のように何かを手探りで探しているようにも見えるその光景はとても――気持ちが悪かった。
「大丈夫ですか?」
無数の細い節くれ立った腕がうねる様子に不快感を感じて目を背けると、隣に立っていた相志さんが声を掛けてくれた。
こんな時のイケメンフェイスは非常にありがたい。実際何度助けられているだろう。
「あまりにも――“生々しい”。違いますか?」
そうだ。私がこの『小袖の手』に感じた気持ち悪さ。これはその外見もあるが、それ以上に“生々しさ”だ。私は『小袖の手』から目を背けたまま頷いた。
「『小袖の手』とは、欲望の権化なんです」
「欲望の――権化?」
「えぇ。しかも、なりきれなかった未遂の夢です。閉ざされた夢が、絶たれた夢が、その象徴から手を伸ばした姿なんですよ」
そして腑に落ちた。飛べなかった夢――だから幼虫に似ているのか。だから手を伸ばすのか。
伸ばした腕をべたりと地面に着け、幼虫の様に波打ちながら進む『小袖の手』達。
それらを見送りながら、紫苑さんが静かに呟いた。
「祟り――ここに成されたり」
3、4はまた後日。




