クトゥルフの呼び声 05
笑い声と共に飛翔し、はるか上空で、笑い続けながらクトゥルフと争っているのであろう羽黒――ナイアーラトテップ。時折ボタボタと大きな緑色の液体が落ちてくるのは、おそらくクトゥルフの血液なのであろう。羽黒の高笑いとクトゥルフの叫びだけが空を満たしていた。
「恐ろしき奴よ…羽黒…いや…奴はもはや『ナイアーラトテップ』なのか…」
「もしそうだとしたら、俺達は気分次第でナイアーラトテップに殺されるのでしょうな…」
紫苑と夢見が心配そうに空を見上げているところに、弱々しい声が掛けられた。
「それは…大丈夫だと思います…」
引き千切られた手足と食われた腹部を再生された若葉がようやく身を起こしたところだった。、
「若葉さん!」
「ママ!ママだ!」
「おかあちゃーん!」
駆け寄るサンが身体を大きくして若葉の背後に回る。天色がその胸に飛び込むと、受け止めきれずに背後によろめき、サンの身体にふわりと背を委ねる形となった。
「大丈夫なのですか?」
自らも祟りを強制解除された反動で動くのも辛い紫苑が、心配そうに声を掛けた。だが返ってきた言葉は、紫苑の予想とは全く異なっていた。
「はい――それより相志さん、『百器徒然袋』は持ってきていますか?」
紫苑が目を丸くしていると、ダウンしていた相志がどうにか口を開いた。
「えぇ、常に持ち歩いていますが」
相志の言葉に若葉はほっと溜息を吐き、皆に告げた。
「では貸してください――私が全てを終わらせます」
「全てを終わらせるって…その身体で!その巫力で何が出来るんだ!?ナイアーラトテップにこのまま任せれば――」
苦しみから逃れたばかりで無理はさせられない、と夢見が反対の声を上げる。だが若葉はそれを受け容れなかった。
「いえ、『ナイアーラトテップ』に任せてはいけないんです。それでは終わらないんです」
そう言って紫苑を見つめる若葉。
「終わらない――という事は、ここでクトゥルフを倒してもまだ続く、ということなのですね?」
紫苑の問いに静かに頷く若葉。
「これが填まりさえすれば全てを終わらせられるんです」
すると紫苑は若葉の目をじっと覗き込んだ後、
「こんぺい、若葉さんに『百器徒然袋』をお渡しして」
と言った。
紫苑の言葉に、懐から『百器徒然袋』を取り出す相志。それを掲げるとこんぺいがふらりと飛んできてそれを咥え、ポトリと若葉の膝の上に落とす。
「不可抗力だからな。裸を見た事、後で怒るんじゃあねぇぞ?」
「怒りませんよ」
「じゃあ、あと20年経ったらもう一回見せてくれ」
「それは多分紫苑さんが怒りますよ」
「頼んだぜ」
そしてフッと笑い、フラフラと紫苑の許へ戻っていった。
それを微笑みながら見送る若葉。そして自分の傍にずっと控えている2匹の式神たちに、優しく声を掛けた。
「サン、天色、お手伝い、してくれる?」
「はいっ!」
「もちでぷ!」
天色が口から血を吐き出し、直径1m程の円を描く。
サンは尾の先に灯した炎をその円に飛ばし、血の円陣を燃え上がらせた。
「金沙羅の左 双盃の右 天より下りて地を満たすもの」
唱えながら、通常であれば草履でリズムを刻むところを柏手で代用する若葉。
ぽんぽんと力なく叩き終えると右手を胸の前で握り、人差し指と中指を立て、印を結ぶ。
「寿老の星は南天の地に輝き 歳徳の寿ぎはわが手に満ちる」
遠くから鈴の音が近付いてくる。一対の赤い鼻緒の雪駄を履いた白足袋の足。若葉が使う『歳神』だ。
日の出と共に来るもの。
頭を垂れる稲穂を運ぶ形無き理の貌よ来たれ
汝が絵姿に寄りてここに現れよ
慈愛を糧に踊り出で奇跡きを為せ
『百器徒然袋』の頁がひとりでにめくれてゆき――止まった。
漆塗りの箱に、鬼が群がっている
これは文箱か。伝えたい思い、伝えられぬ想いをしたためた文を保管する箱だ
閉じ込められて届けられず、集まり凝り、この中で淀む思いは何処に往くのだろう
悪意が集って鬼になるのだとしたら
伝えられず届けられなかった情もまた鬼に――なるのだろうか
それとも、想いが伝わらぬよう見張る鬼が居るという事だろうか
これが、すべてを終わらせられる妖怪だというのか――
怪威招来――「文車妖妃」




