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クトゥルフの呼び声 01

 その巨大な存在が姿を現すと、海は破裂したかのように飛沫をあげた。降り注ぐ水は滝のように海を打ち、揺れる水面は津波となって街を破壊し尽くした。

 街が瓦礫と泥水に沈んだ中、どうにか形を保つビルの屋上に紫苑たちを降ろす燭陰。

「やれやれだね…まるで海が爆発したみたいだ」

おどけるように言う夢見だが、その声は若干震えている。

「蘇らなかった方が良かったかもと後悔することになりそうだぞ、夢見よ…」

紫苑は水煙に霞む海の向こう――遥か上空を見上げながら口にした。

「これが…狂気を齎す神の本物の姿か…」


 その巨躯は雲を見下ろす程に高く、頂きにある顔は髑髏に酷似していた。

 髑髏の孔という孔から触手を這い出させたような頭部。

 骨に皮を貼り付けただけのような細い胴。その背中には骨だけの翼が6枚。

 飛蝗を思わせる昆虫のような後脚。多関節の長い腕。

 そしてその肌は、まるで身体を構成する組織のひとつひとつが生物の恐怖で構成されているかのように、人もしくは人ならざる者の苦悶の表情を浮かべては泡のように消えてゆく。


 これが――死せるルルイエの都で永久の夢を見ていた、地球の旧支配者――クトゥルフの、ラヴクラフトが(ディレクターズ)夢に見た姿(エディション)


「これは…本当に神話の支配者じゃあないか…スケールが違い過ぎる…燭陰が小さな蛇のようにしか…」

魂だけとなり肉体の頚木から解き放たれた夢見でさえ自分の頭を押さえずには抗えず、

「だが、それでも滅さねば、日本どころか世界が滅ぶぞ…!」

紫苑ですらも直に視界に入れようものならば脳の中に直接叩き付けられてくる、“生命”がみせる苦悶と怨嗟の声に魂ごと()()()()()()()()()()()な所を瀬戸際で踏み止まるのが漸くであった。これでは相当巫力の高い陰陽師でなければ耐えられるものではない。そして――

「紫苑様!相志をっ!奴では耐えられないっ!」

魂だけとなって腰のキーホルダーに宿る夢見が声を上げた。

「しまったっ!」

夢見の声に振り返る紫苑。そこには邪神の姿をまともに見てしまったのだろう、その目を限界まで見開きながらクトゥルフを凝視し続け、知る筈の無い言語を口走りながらその爪が血で染まるまで一心不乱に頭を掻き毟り続けている相志の姿があった。

「相志、目を塞ぎなさい!()()を見てはいけない!認識してはいけない!」

腰の飾り帯を解き、乱暴に相志の眼を塞ぐ紫苑。相志の呼吸は浅く、早く、その顔色は蒼白を通り越し死者のそれに置き換わろうとしているところであった。

「紫苑様!相志に巫力を込めて息を吹き込むんです!それで戻せます!」

夢見の声に紫苑は相志の顔を両手で捕まえると大きく息を吸い、相志と唇を重ねた。吐息を通じ自らの巫力を相志へと与える紫苑。すると効果はすぐに現れ、相志の鼻からの呼吸が落ち着いてきた。ぽんぽんと紫苑の肩が叩かれる。正気に戻った相志であった。

「助かりました…見てはいけないと思いはしたのですが…」

「無事なら何よりです。ですが――眼を塞がれた程度で戦えないとは申しませんよね」

「…当然です。しかし僕の『手の目』とは相性が宜しくないようなのが残念です」

そうは言って微笑んだものの、太腿には力が入らず立ち上がる事はおろか座っている事もままならない様子の相志。腕で支えようとするがそれですら肘が支えきれず何度もカクンと姿勢を崩し続けている。明らかに強がりだというのが見て取れた。

「…燭陰に任せるしかありませんね」

紫苑が呟く。

「奴の喉笛に食らいつくには俺達じゃあ難しいですしね。燭陰を維持するために必要な巫力は俺が龍脈から引き出します。紫苑様は相志を守ってやって下さい。寄り添って巫力を長し続けるんです。そうすれば()()()()()事は防げるでしょう」

夢見の案に静かに頷き、燭陰を見上げる紫苑。

 海に立つ狂気の神と比較すれば人と蚯蚓程の違いはあるが、その能力だけならば引けを取らぬと信じる――信じるしかない、葛葉最強の切り札ともいえる神獣――燭陰。

「燭陰、私達の命、貴方に委ねます。この大戦――必ず勝つのです」

更には紫苑と若葉の式神を融合させたうえ、膨大な巫力をもつ若葉の血をふんだんに用いた『祟り』なのだ。

『お任せください。私達は最強の神獣。必ずや奴の首を紫苑様の御前に持ち帰って見せましょう』

よく響く銅鑼の様な声でそう啖呵を切り空高く舞い昇る燭陰。自らの身を白熱させ、雲の下から雷の如くクトゥルフに突撃――したところでその身をむんずと掴まれた。

 クトゥルフの指だった。さも苦労もしないといった様子であっさりとその尾を掴まれた。

 しかし燭陰もその指を粉砕するべくドリルを回転させ――ようとしてビクとも動かない事に気が付いた。いや、寧ろ尾を圧し潰されようかという圧力が加えられており、たまらず身を捩る燭陰。

「蚯蚓が神に勝てると思うか?何をほざいたところでお前たちの言う――そう、釈迦の掌の上という奴よ」

すい、とクトゥルフの反対の腕が持ち上げられる。首を尾を両手で掴まれ、ぶちりと引き裂かれる燭陰。

「きゃあぁぁ――!」

突然紫苑が悲鳴を上げてその身を痙攣させた。

「フィードバックかっ!?」

――術や呪いの類であれば、ある一定の条件を満たせば術を跳ね返す事が出来る。これは通称『呪詛返し』や『カウンターマジック』と呼ばれる代物である。

 だが、葛葉の『祟り』に関しては飛び抜けて強力であり、また実体を備えた霊的能力でもある為、これに打ち勝つのは極めて困難であった。なので“返された術は倍になって術者に返ってくる”事は知っていても返ってきた経験が皆無であった。

 ただこの場合は式神たちを術の“支柱”にした事が幸いしたのだろう。施術者へのフィードバックは僅かで、その大半は式神へと伝わっていた。だが、僅かとは言えその出力は今までの祟りとは比較にならない程強力な“若葉の血”だ。紫苑が受けた“フィードバックダメージ”も相当な物であろう。

 夢見はこれを即座に見抜いてはいたが、霊体では何もする事が出来ず、倒れる紫苑と『祟り』が強制解除され、3匹の式神が落下してくるのを見守るしか出来なかった。

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