血戦 10
紫苑は無言でダゴン――その先のラヴクラフトを睨み続けていた。
「ゆけぃダゴン共よ!小癪な陰陽師を捻り潰せ!」
人の形すらしていない巨人ダゴンが紫苑目掛けて一斉に群がる。そしてもはや紫苑の姿が見えなくなろうかという、その時だった。
ダゴンの動きがまるで動画の再生を止めたかの様にビタリと停まった。
「――ど、どうしたダゴン!何をしている!」
何が起きたのか理解出来ないラヴクラフトが叫ぶ。
紫苑の後ろから鬼気を纏ったイケメンな声が聞こえてきた。
「お待たせしました、紫苑様」
四ツ目の鬼面は割れて口元が顕わになっている。黒い狩衣も所々が破れ裂けてはいるが、その身体に怪我らしきものは見受けられない。
「隠れて様子を見ていたのではあるまいな、相志」
陰陽師、葛葉紫苑の護衛、方相氏――不来方相志であった。
相志は左手に太刀、鈍く光る右の掌をダゴンに向けながら、するりと紫苑の隣に陣取った。
「余計な時間が掛かりました」
「そうか。してその手が……」
「はい。これが僕の選んだ新しい腕――『手の目』です」
「手の目――」
「能力は“藪睨み”――この目に睨まれたものは、ほんの数秒ですが身動きが取れなくなるんです」
そこまで言うと相志は右手を降ろし、おもむろに出来損ないのようなダゴンの群れに近付いた。
「でもその数秒さえあれば――」
そして太刀の刃先に巫力を纏わせ、白く輝かせると、飛燕が如く縦横に太刀を振るい――
「十分に紫苑様をお守りする事が出来ます」
一帯のダゴンをサイコロステーキの山へと変えていた。
すると紫苑、相志に感謝を述べるのかと思いきや、相志の右腕をむんずと掴むと自分の顔の前へと引き寄せた。
「見せて!」
「ちょっ!紫苑様!」
そして“藪睨み”をものともせずに『手の目』の観察を始めていた。
「これが『手の目』…力強い綺麗な眼…相志の眼と同じ眼なのですね…」
「…ご無事で?」
心配になり声を掛ける相志に対し、笑顔で顔を上げ、
「この程度の呪詛ならどうということありません。それに――」
そう言って、
「相志の眼が私を害する筈がありません」
――笑った。
「き、貴様は葛葉のボディガードっ!不死であるダゴンの大群をどうやって越えてきたっ?!」
チェックメイトを確信していたラヴクラフトが狼狽している。
「千年を超える方相氏の剣技に、滅せぬモノなど存在しない」
ちゃり、と太刀をラヴクラフトへと向ける相志。
「これで形勢逆転ですね」
「くっ…!」
「焼き尽くせ!燭陰!」
紫苑が号令をかけると攻撃の手を一瞬止めた燭陰。すると、瞬く間にクトゥルフへと巻き付いた。そして太陽の如くに光輝き熱を放ち出す。表面の粘液が蒸発し、皮膚がボロボロと崩れ落ち始めるクトゥルフ。
「なっ?!ミセス若葉がどうなってもいいのか!?一緒に死ぬぞ!?」
「元より承知!世に災いとなるモノを産みだすならば葬ってしまうのが師としての務め!このまま焼き尽くすっ!」
白く輝きながら超高温になってゆく燭陰に隙間無く巻き付かれ、身動きの取れないクトゥルフが壊れたオーボエのような悲鳴をあげている。
しかしその声もいつしか止み、燭陰の光球が次第に小さくなってゆく。
そのまま宙に昇り、締め付けを解き龍の姿へと戻った。
空からクトゥルフの灰がはらはらと落ちてくる。
だが、海に満ちる禍々しい巫力は些かの衰えも見せていない。その理由に気付いた夢見が叫び声をあげた。
「くそっ!糞!クソがぁ!してやられた!」
「…どういう事だ夢見!」
「擬態です――先程倒したのは擬態だったんです!」
「なん…だと…?」
「俺も紫苑様も、相手が巨大すぎて、いち個体の巫力として判断出来なかったんです」
「そんな…」
「俺も初めは“海全体にクトゥルフの巫力が満ちている”と思っていたんです。紫苑様もそうでしょう?」
「あぁ…」
「けれど違ったのです。本当は海全体と錯覚する程に巨大な個体がそこに存在していたんです。つまり――」
霊体の夢見がある個所を指さした。それは海面。先程までクトゥルフが立っていた場所であり、その先には――大きな触手の断面がひとつ、残っていた。
「まさか……」
「えぇ。俺達が滅したのは邪神の小指の先にも満たなかったって事です」
そして、そんな夢見の言葉を肯定するかのように、先程のクトゥルフが玩具に思えてくるほどの巨大な緑色の触手が、その断面を見せつけるようにざばりと海の中から突き出てきた。ラヴクラフトがすい、と宙に浮き、その触手を背にしながら紫苑へと声を掛ける。
「どうです――私の演技もなかなかのモノだったでしょう?」
「…高校生の演劇発表会くらいならば主演を張れるであろうよ」
知らずのうちに額を伝う汗を拭う事もせず、紫苑が応じる。
「狂気の現実と――絶望を受け容れるのだ」
ラヴクラフトの、そのひと言に応えるよう、海が盛り上がった。
津波――いや違う。
何かとてつもなく大きな何かが海中から浮かび上がろうとしている。
数メートルの高さとなった海水が紫苑達へと迫る。
「紫苑様!」
相志が駆け寄り紫苑を抱きかかえると、異変を察知して飛んできた燭陰の頭の上に飛び乗った。
「いったい何が…」
現状を把握し切れていない相志が呟くと、紫苑がそれに応じた。
「とてつもなく巨大な災厄が――その姿を現そうとしています」
そしてその表情は、今までに相志ですら見た事の無い、苦渋に満ちたものであった。




