血戦 08
疾走するサンに跨り灰色の霧に沈む港へと向かう紫苑。天色とこんぺいが両脇を並走している。
「紫苑様!前方に…います!」
駆けるサンが紫苑に声を掛ける。前方、白砂の海岸に人影を認めていた。
「奴です…奴がママを…!」
厚い胴体にぶらさがる細く長い手足。長く大きい掌と指。ひょろりと伸びる首の上には縦に引っ張り伸ばしたような頭部。靴を履いており砂浜が窪んでいる――クトゥルフの触手ではないようだ。
向こうも紫苑たちを確認していたのだろう。胸に手をあてて頭を下げ、礼を以て迎える素振りを見せている。
5m程の距離を開け足を停めるサン。その背から降りて砂浜に降り立つ紫苑。ひやりとする潮風が髪を泳がせる。
「お初にお目にかかります。わたくし、H・P・ラヴクラフトと申します」
ぎこちなく首を傾けて顔を上げ、余裕の笑みを浮かべるラヴクラフト。
「葛葉紫苑だ。自ら出迎える度胸があるとは褒めてやろう」
「これが最期の戦いでしょう?主役が隠れ潜んでいては読者が納得しません――たとえ結果が私のワンサイドゲームだとしてもね」
その言葉に紫苑はすぅと目を閉じ、フッと鼻で笑った。
「そのサービス精神は認めてやろう…だがな…」
そして目を開き、地獄の閻魔も後退りする程の怒気を纏わせながら言った。
「貴様が主役というのは納得がいかぬな!」
その迫力と美しさに一瞬怯む様子を見せるものの姿勢を崩さず応じるラヴクラフト。
「その美しさ!その気迫!まさに闇の女王!最終話に相応しき相手!」
「我を前にその余裕!ぬしなど主役の器ではない事をその魂に刻み込んでくれる!」
「それではわたくしも!今!まさに!父なる神となろうとしているクトゥルフの権能を以て!クイーンを討たせてもらう!」
「「ゆくぞっ!」」
そして双方が召喚を始めた。
「黄金三角形に隠された太古の混沌よ今こそ開け!」
左掌を下に向け唱える。左掌の先に赤い魔法陣が浮かび上がり、ゆっくりと魔導書『ネクロノミコン』がその中から姿を現し始めた。
「終わらせて欲しい――それがお母ちゃんの願い!」
天色が砂浜に赤黒い液体を吐き出して円を描いた――これは若葉の血だ。
「ボクたちはママの子供として…務めを…果たします!」
翼の様に広げた9本の尾に灯る炎が若葉の血を燃え上がらせる。
「行くぞお前等!俺に合わせろ!」
こんぺいがサンと天色に檄を飛ばす。
「我は飢えたり!神が与え給う御恵みに!」
ラヴクラフトが『ネクロノミコン』のページを下に向け、詠唱を開始すると、背後の海が赤く燃え上がる様に光を放ち始めた。
「双盃の左 塵玉の右 天を地と成す 逆撫の社!」
描かれた円の内側。地面から何かがせり上がってきた。小さな、今にも崩れ落ちそうな古い――近付くのも躊躇われる程に不気味な社だ。燃え上がる炎に照らされ、扉の奥にある暗闇がその濃さを増す。
「海に沈む都 支配者の玉座 解き放つ意志が時を満たす!」
まるで脈打つかのように海中で光る赤い光。その光は次第に強さを増しながら、だんだんと深く――神が眠る深海へと沈んでゆく。
「黄幡の御座は地に伏して 歳破の兵主は我が前に集う!」
岩陰、砂浜の中から、ぞろぞろと集い出す黒い足『辻神』の群れ。だが今日はその中にこんぺいとサン、天色の控える姿も見えている。
「海の底にて夢見る支配者よ
我ここに星々を動かしいざ鍵をや開かん
今こそ微睡みより目覚め、その姿を表せ!」
「逢魔が時より出るモノ
誰そ彼に横たわる形無き理の貌よ来たれ
絵姿に寄りてここに現れよ
怨みを糧に踊り出で怪異きを為せ!」
「Yieh!Cthurhu footaghn!」
「怪異招来――燭陰!」