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2-1 小袖の手

R4.3.17 運営からの指摘による内容修正。

 杏子色に輝く夕映えの中、部活動の声が満ちる校庭を走るあの人。

 吹奏楽の音色が流れては停まるを遠くに繰り返している。

 僕の回りだけが世界の全てに思えるような――そんな、小さな世界で。

 僕は遠くからあの人を探しては、ただ見つめるしかできなかった。


 光る汗と、風に乗って薫る甘い匂い。互いに笑いあい、ふと交差する視線に頬を染める――そんな、当然叶わないと知った上での、ささやかな願い事。

 夢と呼ぶには漠然としすぎて――憧れと呼ぶにはまだ未熟すぎて。

 帰り道でふと足を止めた(てい)を装って周りを気にしながら。けどいつしかそんな事も忘れながら。

 本当に。あの人から目が離せなくて。

 けど――


 僕は結局、最後まで傍観者に過ぎなかった。


 放課後、いつものように陰キャな仲間達とマンガの話をして過ごした後、僕は部活中のあの人を探して校庭に足を向けた。

 けどその日は、あの人の姿が見えなくて。

 他の人は走っているのにあの人の姿だけが見えなくて。

 ただそれだけなのに、寂しくて。

 休んだのかな?具合が悪いのかな?

 不安に泣きそうになりながら、校庭を走る部活動の生徒達の中を探していると――後ろから不意打ちの様に足音が近付いてきた。

 何もしてません、校庭を眺めて居ただけを装いながら振り返る。


 制服姿をしたあの人が僕の目の前を歩いていった。

 その一瞬のドキリとした光景が僕の胸に焼きついて、その後に甘い香りが僕の鼻を掠めていった。 僕の中で訳の分からない成分が心臓で爆発しそうになっていた。

 それがとても苦しくて。でもその理由が分からなくて。

 振り向いてくれたら、分かるかも知れない。泣きたいほどに胸を締め付けるこの――甘くて苦しい痛みの理由が分かるかもしれないから。

 気がついたら僕はあの人の後を尾けていた。

 胸を高鳴らせながら――バレないように、怪しまれないように。大袈裟に距離を取って歩いた。

 制服姿のあの人は遠くからでも――美しかった。

 運動着以外のあの人を見るのは初めてだったから。余計に印象的だったのかもしれない。

 左右にゆらゆらと揺れるポニーテールの向こうにあるスラリとしたくびすじ。

 歩くたびに小さく左右に揺れるお尻のふくらみ。

 揺れるスカートから覘くふくらはぎ。

 それらが、目の前を通り過ぎた彼女の映像とブレンドされ、胸の中を満たしてゆく。

 あの人の全てを僕だけが独り占めできている様な――けれど満たされているのに満たされていない。そんな気分だった。


 そんな時間を、あの人の隣に急停車したワゴン車が引き裂いた。

 いつのまにか僕達は辺りは回りを木で囲まれた林道のような寂しい道を歩いていた。

 車のドアが開き、車内から手が伸びてあの人の腕を掴んだ。

 ()()()()()()()――どうして?

 そう思った瞬間、君の姿は車の中に呑まれていた。

 嫌がっていたように見えた。

 髪を掴まれて。腕をがっしりと掴まれて。

 上半身が車内に引きずり込まれ、すらりとした脚がしなやかに揺れ――車の中に呑まれていった。

 あの人が消えたその場所に僕は駆け寄った。

 勿論、車が走り去った暫く後での事だ。

 あの人が消えた現場には部活カバンが落ちていて、あの人はさっきまで確かにそこに居た事を証明していた。

 そういえば最近学生を狙った誘拐事件が立て続けに起こっている、とテレビで騒いでいたような。けどまさか、僕の目の前で――あの人が?

 本当に――誘拐?

 何かの間違いじゃないのか。事件なんてそんな。僕なんかにとっては他人事なのに。

 ありえない。僕が憧れているあの人に限ってそんな。

 ――きっと何かの間違いだ。明日になればきっと元通り。そうに決まってる。

 そして僕は。


 その場からあの人の部活カバンを持ち帰った。


 自分の部屋で開けたあの人の部活カバンには、水筒、汗拭きシート、小さなオムツみたいな使途不明品が数枚。そして汗で湿った飾り気の無い下着。そして、僕がいつも遠くから見ていた、汗に濡れたあの人のユニフォーム。

 部活カバンの中は僕が夢見た以上に“生々しいあの子の生態”が詰まっていた。

 そうだ。これは現実なんだ。あの人は僕の目の前で誘拐されたんだ。

 それなのに僕は。

 いや、でもあの人に限ってそんな事は。

 そうだよ。車の相手は知り合いなのかも――些細な悪戯なのかも。

 でも違っていたら?女の子が受ける悪戯って?…

 あの人が脱がされたり触れられたり。

 違う。違う。違う。

 ――けれど。

 僕だっていつかはあの人とそんな関係になりたい。

 でも――どうせ僕みたいな男には到底無理なんだ。

 格好いい訳でもない。スポーツが出来る訳でもない。取り柄がある訳でもない。

 どうせそんな奇跡、僕に訪れる訳がない。

 そうさ。きっと明日になれば全てがいつも通り。

 ユニフォームが手に入った事がもう――奇跡なんだ。


 僕は、あの人のユニフォームに顔を埋めた。


 瞼に浮かぶのは、胸に焼き付いたあの人の姿。ユニフォームから覗く素足、間近で眺めたスカート越しのお尻。

 この匂いはもう僕だけの――彼女なんだ。

 ズボンの中で股間が今までに無い程に猛り狂い怒張している。

 そして初めて訪れる、解き放たれた快感に震え戸惑いそして――飲み込まれた僕は、さざ波の様に寄せては返す達成感と罪悪感に堕ちていった。




 翌日、学校では3年生の女子が昨夜から行方不明らしい、という噂が流れていた。

 この中で僕だけが、彼女がどうなったのか、どんな事をされているのかを――おそらく知っている。けれどそれを話すという事は、自分の下劣さを晒すことになってしまうと思うと怖くて――僕は貝の様に口を噤むしかなかった。

 放課後の活動は全て中止となり、可能な生徒は集団で下校する事になった。

 勿論、夕焼け前の校庭には誰の姿も見えなかった。


 家に帰った僕は、彼女のユニフォームをハンガーにかけて壁に提げた。

 今からでも、部活カバンを警察に出して見た事を話そうか。

 でも、そうなると僕が彼女の後を尾行した事、カバンを――ユニフォームを盗んだ事が公になる。何故その時言わなかったと責められる。()()使()()()と詰られる。そうなったら僕は――

 そう思い立ち上がった瞬間、家の電話が鳴った。

 もしこの件についての電話だったら、親バレだけはしたくない。僕は部屋を飛び出して電話に飛び付いた。

 聞こえてきたのは同じクラスの、あまり仲が良いとも言えない関係の男子からだった。

「…ど、どうしたの?」

思わず声が震える。まさか――

「どうしたのって、学校の緊急連絡網。山田ん家で最後だから」

緊急連絡?まさか僕が彼女のカバンを盗んだ事が露見――

「な…なに…?」

努めて冷静に振舞おうとするが、脚はガクガクして額に汗が吹き出してくる。

「行方不明の3年女子――死体が発見されたってさ」

――えっ?

「んだから、マスコミとか来ても変な事言うなって先生がよ。伝えたかんな?…ちょっ聞いてんの?」


 ――死体って?

 ――冗談じゃなく?

 ――殺されたの?


 無言で受話器を置き、そのままフラフラと自分の部屋に戻った。

 壁に掛けた彼女のユニフォームが無言で僕を出迎える。


 人生は暗闇の先へ延々と繋がっているジグソーパズルだ。

 結論は見えないが、理想の出来映えを思い描く事は出来る。けど、何処かで先のピースを見失いもするし、知らずに棄てたりもしている。

 そして死ぬまで完成する事は無い。

 そう。死ぬまでは。

 でも彼女は――死んだ。

 僕の目の前で。僕の知らない所で。

 彼女はもうジグソーパズルを完成させられない。

 そりゃあんな可愛い娘が僕と付き合ってくれる訳なんてある筈が無い。

 けれど生きている限り希望はある。生きてさえ居れば、可能性はゼロじゃない。

 けど、その僅かな可能性ですら奪われてしまった。僕と彼女の可能性は永遠に閉ざされた。

 見知らぬ他人のエゴを一身に浴びせられて彼女は――殺された。

 知らないうちに知らない相手から自分という存在を否定されてしまう気分は?

 勝手に人生の終着点を決定されてしまう気分は?

 けれど。

 彼女を使い欲望を満たしたという点は僕も同罪じゃないのか?

 そう思った途端に。

 壁に提げた彼女のユニフォームが、彼女がこの世に遺していった想いの形に見えてきて。

 僕は――

 彼女の遺した想いにすがり付いて。声をあげて泣いていた。赦して欲しくて泣いていた。


 話すらしたこともないけれど。

 声も聞けなかったけれど。

 名前も知らなかったけれど。

 それでも彼女は。彼女の意思はそこに居たんだ。

 僕は彼女の人生に交わる事すら選ばずに傍観を続け、あまつさえ彼女の意思を陵辱した。

 もう彼女を探せない。謝る事も出来ない。

 添い遂げられなくてもいつか町ですれ違い、幸せな暮らしをする彼女を笑顔で見送る事すら出来ない。

 だからこそ悔しくて。寂しくて。悲しくて――憎くて。

 夢が砕けた痛みに泣くしか出来なかった。


 その時――

 ユニフォームのずっと奥の方から声が聞こえた様な気がした。

 女の子の声だ。

 淑やかで、それでいて力強い芯のあるこれは――

 きっと彼女だ。これは彼女の意思が声を上げているんだ。

 僕は必死にしゃくりあげるのを停め、ユニフォームに顔を埋めたまま、小さなその声に耳を傾けた。



 怨む相手が居るのなら


 殺したい程に

 死んでしまいたい程に

 赦せぬ相手が居るのなら


 しるし一つだけ持ち来たれ


 汝が怨みは祟りへと変じ

 祟りは相手を滅ぼすだろう


 怨みひとつだけ持ち来たれ



 彼女の声はそこまで言うと、もう何も言ってくれなかった。僕を責めることも無かった。けれど赦しもしてくれなかった。


 いや。これはそんな事を望むような声じゃあない。

 きっと贖って欲しいのだ。

 閉じた瞼の裏に浮かんだ光景。

 小さな喫茶店。テーブルの上に紫色の花を置いて――

 怨む相手を祟り殺す、紫色の花。


 これは――僕の贖罪なんだ。

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