Blood 07
「そんな…私はただ人よりちょっと力のある陰陽師なだけで…」
神の器――聖杯?私はただの陰陽師。虐げられた人達の怨みを晴らす――それでいいのに。でも私で良かったのかも。取り込まれたのが紫苑さんだったら、私はきっとこの脅威に太刀打出来ないだろうから――諦めのようにそんな事を考えていると、
「――今、君は師匠の事を案じたね」
ラヴクラフトが若葉を見て笑っている。若葉は自分の思考が読まれたのかと不安を覚えたが、それは自分が既に浸食されはじめているからだという結論に辿り着いた。
「ならば教えておこう。葛葉の一族は長い歴史の中で人々から奪い蓄えた巫力を継承し続けている一族でね。確かに素養も群を抜いているのだが優遇なしでは君の足下にすら及ばない。それでは女神足り得ないのだよ」
「…CIAって、凄いんですね…私も知らない事ばかりです」
何かが起きているのか、若葉の話し方が辛そうになってきている。
「理解してくれたかね?君こそが神の器、神の血を受けるに相応しい聖杯なのだと。尤も――もはや是非も無い状態なのは君も読者もよく分かっているだろうけどね」
「さっきから…読者読者って」
「そう、読者だ。この世の全ては一冊の本であり、生きるという事はその本を読むという事。すべての人は読者にして執筆者。光と闇の観測者。読者つまり観測者無くして世界は存在し得ない」
しばらくの沈黙の後、微睡みの中から聞こえるように若葉の声がした。
「――条件…が、あります」
「若葉ちゃんっ!」
その言葉を諦観と見抜いた小鳥遊が声を上げる。
「聞こう」
懺悔室の牧師のようにラヴクラフトが言う。
頭部を流血で染め上げ、もはや目も開けていられない若葉が顔を上げ、サンや小鳥遊たちの方を向いて、言った。
「護衛の女性と式神達には…一切の手出しをせず帰してください」
「ダメ若葉ちゃん!」
「ママ?!」
「ぷっ!!」
1人と2匹の声に若葉が静かに首を振る。
「ラヴクラフトは…私を捕えた時点で…もう逃がす気が無かったみたいなの」
するとまるで触手が若葉の言う事を聞いたかのように、若葉を拘束していた腕を解いた。
身体に巻き付いた触手がハラリと開く。
そこには、まるで溶け込んだかのように触手の中に胸から下を飲み込まれた若葉の姿があった。それを見た小鳥遊と式神達は言葉を失い、涙が頬を伝っていた。
「ひどい…なんてこと…」
「もう、意識を保つのがやっと…クトルゥフの中で私の体が形を保っているのかさえ分からない…冷たい海に自分が墜ちていくのを瀬戸際で耐えてる感じ…」
「若葉ちゃんっ!しっかりっ!」
「まるでタイタニックの…スタローン…みたいな?…」
「若葉ちゃんが映画ネタ間違えてる!頑張ってよ!何とかなんないの?!サン!」
小鳥遊が必死に式神たちの名を呼び、叫ぶ。
「…無理です!ママの細胞と触手の細胞が混ざり合ってる!引き剥がしたら首だけ、なんて事になりかねません!」
「天色!今こそドリルの出番でしょ!」
「無理でぷ…歯が立たないんでプ…」
「畜生!放せ!放しなさいよ!」
触手に拘束されたままで必死に身を捩る小鳥遊。するとあれだけ身体を固く拘束していた不気味な触手がはらりと解けた。
「花嫁の願いは叶えてやらねばな――少しの時間をやろう。別れのシーンも無ければ読者も面白くないだろう」
「若葉ちゃんっ!」
若葉に駆け寄る小鳥遊。手の届くか届かないかの距離で足を停める。サンと天色は小鳥遊の肩の上で若葉を見つめていた。
「サン、天色、近くに来て…血で前がよく…見えないの。舐め取って…もらえる?」
すっかり意気消沈した2匹が、まだクトゥルフに呑み込まれていない若葉の肩の上に飛び乗る。そして無言で若葉の顔を染める血を舐め取りはじめた。
「うん…これで…君たちの顔もよく見える。ありがとね…」
「ママ……」
「おかあちゃん……」
「お露さん…紫苑さんに…『ごめんなさい』って…」
「そんなの自分で言いなさいよ!最強最悪の陰陽師の一番弟子なんでしょ!」
「おねが…しま…」
そこまで言うと意識を失う若葉。力尽き冷たい水底へと沈んでゆくように残っていた胸から上が触手の中へ沈んでゆく。そして全身が見えなくなると触手は喜んでいるかのように大きくうねり震えた。
「女、葛葉に伝えろ」
ラヴクラフトは小鳥遊にそう言うと、
「産まれ来る神による新しい世界の祭祀者となる事を期待しているとな」
そして一瞬で触手と共に海に彼方へと消えていった。




