Blood 02
受付も警備の人間も不在の廊下を進んで広い部屋に出る。水産加工用の見慣れない機械が設置された、避難誘導灯の緑と消火栓の赤い光だけが灯る薄暗い室内に、何十人もの人影が蠢いている。彼らは床や機材の上へ好き勝手に腰を下ろし、赤い液体の入った注射器を自らの腕に刺したり、あるいは直接口にしたのだろう、まるで吸血鬼の如く口元を赤く染めたまま、それぞれが口元に笑みを浮かべては、深海で眠るような微睡みの中に身を委ねていた。
「ここで『ブラッド』を使わせているようね…」
「阿片窟もさながらの光景ですね…」
肩に式神符を貼り付けた男が床に転がった注射器を拾い上げ、辺りを見回す。やがて目的のモノを見つけたようで再び歩き出した。それは床に置かれたポリバケツだった。中には赤い液体が入れられており、男はそれを注射器で吸い上げると、満足そうな笑みを浮かべ、人気の疎らな床へ腰を下ろすと、注射器を迷いなく自分の首へと突き立てた。
「あのバケツの中身って『ブラッド』なの?なんて無造作に…しかも凄い量…」
注射器の液体を注入すると、男からフッと一切の表情が消え、まるで全身の筋肉が弛緩したかのように、首に注射器を刺したまま、ごろりと床に転がった。
「とんでもない荒み具合ね…」
式神符を男の肩から離脱させ、もう少し室内を探索させようと思っていた所に動く人影が見えた。急いで作業機械の隙間に式神符を隠す。
加工場に入って来た人影は、水産加工場の職員が身に付ける胴付長靴を身に付けていた。
「どうやら従業員のようね――って…うわっ」
その人影の顔を見た小鳥遊は、その生き物の余りの醜悪さに思わずたじろいでいた。
左右に離れた大きく膨らんだ両目。
隆起している筈の鼻が見当たらず、その代わりなのか顔の正中線が額から折り畳んだように突き出ている。口は左右にだらしなく広がり、顎と首の境が曖昧なほどに首が太く、魚のエラと見間違えそうな程の皺が寄っている。
口をパクパクさせたらまるで魚と見間違えそうな程の人相だ。
「これも…人…なの?」
同じくその姿を目にしていた若葉が不安そうな声でそれに応じる。
「これって…もしかして“混血児”?」
「なにそれ。まさかあの魚と人の間に子供が出来るって事?」
「はい…」
「うわ…アレに犯されるとか考えたくない…この夏一番の恐怖だわ」
「でも…おかしくないですか?」
「なにが?」
「いくら“混血児”が『深きもの』の血を引いているとはいえ、生まれた子供は外見も成長の速度も普通の人間と変わらないんです。大人になって“刺激”を受けて目覚めるとあんな姿に身体構造が変化してゆくんです」
「なるほど…って事ぁ目の前のコイツは少なくとも20年近くは経過しているって事になるのか」
「『深きもの』の侵略はそんなに以前から始まっていたという事なのでしょうか?」
「その辺は分からないけど、やっぱりこの『ブラッド』は『深きもの』が関係しているのは確定したね」
従業員らしき“混血児”は、まるで何かを待っているかのように『ブラッド』を摂取し眠っている人々の顔を覗き込みながら室内を歩き回っている。
さてどうする?そう言いかけていた小鳥遊を若葉が遮った。
「ちょっと待ってください、お露さん!」
「何かあった?」
床に寝転がっているひとりの男が急に痙攣をし始めた。
「様子がおかしいんです!」
するとそれを待ちかねたように従業員であろう“混血児”が近寄り、苦しむその男へ醜い顔をずい、と近付ける。
床の男は1分程度痙攣を続けていただろうか。だがようやく落ち着いたかと思うと、今度は身体に変化が現れ始めた。
目と目の間、へこんでいる鼻根の部分が持ち上がるそれに伴いと共に鼻が萎れるように小さくなってゆく。目は左右へとその間隔を広げ、魚のような丸く大きな目へと変貌していった。
「な、なにこれ…キモ…」
「これって……」
そうして3分程度時間をかけ、床に寝転がっていた男は“混血児”へとその姿を変化させていた。
目は大きく離れているが従業員の混血児と比較すればその外見はまだどこか人間と通じるところが目立ち、だからこそ余計に不気味さを引き立たせている。
「なんてこと…“混血児”になるなんて…」
「どうなってんの?!『ブラッド』を使い続けるとあいつらみたいになるって事?!」
「人間を『深きもの』の混血児へと変える…これが『ブラッド』の目的だったんだ…」
従業員の混血児は、床に転がる成りたての(点)足首を掴むと、引き摺りながら部屋のさらに奥へと歩き出した。
「何をする気なんでしょうか…」
「誕生日のお祝い…って雰囲気じゃないよね」
辿り着いたのは、大きな魚を保存するための部屋だろう。天井からフックの付いた鎖が何本も下がっており、部屋の奥には吊り下げられた魚であろうシルエットが、非常灯の灯りの中でぼんやりと浮かんでいる。
従業員の混血児は慣れた手つきで成りたての衣類を引き裂き、両足を縛り付け、天井から下がる鎖のフックに引掻けた。カラカラとチェーンを操作し、成りたてを逆さ吊りにすると、頭の下に青い大きなバケツを置いた。
「まさか…」
腰に提げられた作業ベルトから先の尖った包丁を取り出し、首に突き立てる。どくどくと流れ落ちる血液がバケツの中に溜まってゆく。
「血抜き?!」
「行くよ若葉ちゃん!」
声に振り向くと小鳥遊がレンタカーのドアを開けて身を乗り出していた。
「あの様子じゃあ全員が殺される!助けないと!行くよ天色!」
銃を構えて全力で駆けてゆく小鳥遊。その肩の上では天色がヤル気に燃えている。
「ママ!僕達も行こう!」
「分かったっ!…ってかお露さん早っ」
そうして若葉とサンが小鳥遊の後を追い駆けだした。